DESTINY TIME REMIX
〜天樹VS天樹(後編)〜
世の中の不公平に、怒りを感じた少年がいた。
世界が理不尽というならば、
ならばオレがそれを正そう。
生まれて生きる誇りと共に、
戦いを望むは罪なるか。
たとえその後に、後悔が待っていようとも、
躍動する天樹の血が、戦いを求める。
―――【 天 樹 の 名 を 持 つ 者 】―――
〜THE RON〜
山の裾野に、大きな穴が開いていた。
かつてそこは戦争で家を失った人々が避難していた場所なのだが、今では住む者はいない。
答えは簡単だ。この穴に逃げ込んだ人間達は、穴目掛けて放たれた熱量感知追撃ミサイルによって焼き殺され、老若男女問わず全滅させられたのだから。
時代遅れの避難場所では、進化した兵器には勝てない。ということだった。
「…さすがに、掃除されたか…」
あちこちに残る黒焦げの焼け跡を見て、天樹論はだたそれだけを呟く。その黒焦げの正体がミサイルの爆発であることは明白であろう。
その肩には傷だらけの金髪の少女を抱きかかえている。金髪の少女の足からの出血はもう止まっていた。あの後、論が所持していた携帯式救急セットで治療したのである。
安全のため、金髪の少女にはノイズメーカーつきのペンダントを引き続けて着けていた。
フィアは、終始無言だった。だがその顔には絶望というものはなく、むしろそれとは正反対の感情…希望すら宿っているように見える。
そして、その希望が何なのかは、傍目に見ている論でも分かる。
天樹錬。
フィアの希望であり、今、論が二番目に現れて欲しいと願う人間。
そして論にとっては、錬は倒すべき相手。
この不公平を無くす為に。
積年の恨みを晴らすために。
―――早く、来い。
まるで恋焦がれた相手を待つような感覚が、論の心に湧き上がる。巌流島で宮元武蔵を待つ佐々木小次郎の気分も、このようなものであったのだろうか。
―――おっといけない。落ち着かないと。
肩に抱きかかえている金髪の少女を、足から床に下ろし、人形のように壁に寄りかからせる。
フィアはただうつむき、何も言わない。その手が硬く握り締められて真っ白になり、手のひらにつめが食い込んで血が流れているにもかかわらず、だ。
「早く来い…天樹錬…その時こそ、オレがお前を殺してやる!!」
天へと叫ぶ論。その声は洞窟の中に反響する。
刹那、
(攻撃感知、背後、回避可能)
I−ブレインからの抑揚の無い声での警告。
「来たかっ!!!」
声を荒げて論は垂直に跳躍する。
同時に、
(『運動係数変化』並行起動。運動係数を二十五倍、知覚係数を八十倍に定義。聴覚を変換』
脳内に響く抑揚の無い声。
同時に、論は腰にかけている二本の騎士刀の内の片方である一振りの刀の柄を握り、鞘から剣を抜き出す。黒い刀身は時代劇に出てくる刀そのもので、唾の部分まで時代劇に出てくる刀にそっくりだ。
いや、『刀にそっくり』ではない。『刀そのもの』なのだ。
『剣』ではない。戦国時代などに主に使われた武器『刀』すなわち日本刀である。
さしずめ『騎士刀』といえばいいのだろうか。日本刀は独自のフォルムを持ち、剣に比べるとやや重い反面、『斬る』ことを目的とした武器の中では、右に出るものが存在しない種類の武器。
その名は『菊一文字』。
そのまま振り向きざまに上段から一閃。
ガキィィィン!!!
金属同士がぶつかり合う激しい音。
目の前にいるのは自分と同じ顔。
「…ッ!!!天樹錬!!!」
キィン!!
もう一度響く、金属同士がぶつかり合う激しい音。
お互いの距離が、十五メートルほど開く。もともと避難場所として作られたこの洞窟は、天井がかなり高い上、縦横ともに天井と同じくらい広い。
「…フィアを…返せ!!!」
論理構造の組み込まれたナイフの切っ先を論に向け、怒りを込めた錬の声。その顔が、本気で起こっていた。
だが、論は冷静さを崩さない。
フィアの両腕にずっしりと重そうな腕輪を付けて、
「この腕輪は特注製でな。オレ以外の人間が触れたら即座に大爆発する代物だ。つまり錬、お前がオレとの戦いを放棄して一瞬でもフィアに触れれば、フィアは即座に死ぬ。
もちろん。お前が勝ったらフィアは返してやるよ…まあ、ありえないと思うがな…ああ、安心しろ錬。お前が負けた暁には、このオレがお前の後釜に座ってやる。だから安心して永眠するがいい」
「ふざけるな!!!」
錬にとってまさに怒りを買う発言を平然とかます論の応対に、必然的に錬の声のトーンが上がる。
「そんなくだらないことの為に、フィアに怪我をさせておいてよくもそんな事を!!!」
「くだらない…だと」
ぴきり、論の額から、そんな音がした。論のすさまじい眼光に、錬は一瞬たじろいた。
「知ったかぶりをするな!!!」
先ほどの冷静さはどこへやら、怒気を孕んだ声で、論は叫んだ。
その心にあるのは、氷河のように冷たい感情と、煉獄のように燃え盛る熱い感情という、一見相反するようでその実合理する感情。
感情のコントロールが出来ていないわけじゃない。
口先の言葉と論の感情は常に一致している。
怒りをぶつけるべき相手がいることにより、知らずのうちに感情の暴走を防いでいる。
「見つけられた時から幸せな家族がいたお前に何が分かる!!オレとてお前なのに、オレは生まれたときから一人だった!!そして、軍に追われて生きてきた!!!生まれたときから家族に守られていたお前にくだらないことなど言われる筋合いは無い!!!お前さえいなければ、オレが『錬』として生きられた!軍から狙われることも無かった!!
…なのにお前は、オレが辛い思いをしている間にものうのうと平和に生きている!!
これを不公平と言わず何と言う!!!!オレ達が両方とも救われる都合のいい答えがあるなら―――言ってみろ!!!」
最後の言葉と共に、論は『菊一文字』を正眼に構えた。
―――【 天 樹 VS 天 樹 】―――
〜THE REN&RON〜
錬はとっさに後方に跳躍し、脳内に命令を送る。
(I−ブレイン起動。『分子運動制御デーモン』、『運動係数制御デーモン』常駐)
論の能力が分からないこの状況下では、とにかく論の攻撃を見切って回避するのが最も適切な防御手段になる。論の攻撃の正体が分からなければ、「打ち落とす」事も「受け流す」ことも出来ない。まずは、攻撃点を正確に見極める事と、攻撃より早く動く足が必要だ。
どこから来るんだ?
かつてエドと初めて会った時と酷似した状況。
ナイフを構える右手が汗に濡れ、心臓が鼓動を増していく。小さく息を吸い込み、吐き出し、視線を論に向けて離さない。
論は動かない。
様子見の為に、錬は一歩後退した。
その瞬間、錬は自分の間違いに気がついた。
正しい選択肢は「後退する」ではなく「前進する」であった。
―――論の攻撃は、錬の背後からやってきた。
刀を両手でしっかりと持って、大地を蹴り跳躍する。
次の瞬間には、論は十五メートルの距離を飛翔しすでに錬の背後にあった。
薙ぎ、突き、払い、斬り上げ。一秒の千分の一にも満たぬ四連携攻撃がことごとく窒素結晶の盾に受け止められ、砕けた氷欠片が一瞬光を反射したときには、論の体は既に錬の正面にあり、次なる攻撃の態勢に入っていた。
かすかに体を引き、体ごとぶつけるように音速の突きを繰り出す。
錬の頬に一筋の線が走り、うっすらと血が凍る。
何とか首を傾けて致命傷を避けた錬は、氷の槍を撒き散らしつつ後方へと跳躍。距離を取り、仕切り直しを図る。
錬がナイフを正眼に構える。
論が躊躇なく踏み込む。
そのまま上段から一閃。空気中に出現した窒素結晶の盾が、これを受け止める。
(騎士刀『菊一文字』情報解体・情報分析発動)
刹那の間を置いて、『菊一文字』が窒素結晶の論理構造を完全に破壊する。これまで幾多の魔法士の『情報』を打ち砕いた刀。その中に記録されている論理構造のパターンは多種多様。
今の錬の窒素結晶の論理構造は、偶然にも、論が過去に戦ってきた相手が使ってきたモノと同じパターンがあった。よって、一度破壊した論理構造なら、刹那の時さえあれば破壊できる!!!
(『分子運動制御デーモン』、熱量移動を開始)
同時に、錬が交代する。砕け散った窒素結晶の盾に熱を戻し、水蒸気爆発を引き起こす。
論はそれをぎりぎりで回避。同時に、発生源たる『分子運動制御デーモンの悪魔』の正体を突き止める。
「…成程、『炎使い』の能力か!!」
錬が苦い顔をしたところを見ると、どうやら正解らしい。
先ほどのぶつかり合いで飛び散った錬のナイフの欠片を手に取り、論は目を瞑る。欠けたばかりのナイフの欠片には、今しがた使った錬の能力のデータが残っている。
そう、
論もまた、錬と同じく『悪魔使い』。
全ての力を取り込み、無限に成長する『自己進化能力』。
今の錬との戦い、このナイフの欠片、それらを元に、自分の内に錬の能力を再現する。
(能力創生開始。「熱力学第三法則のサタン」作成。ファイル名「インファーノ」)
I−ブレインの中に全く新しい構造が浮かび上がり、ナイフの欠片が自分の体の一部になっていく感覚。
(『熱力学第三法則のサタン―――――『インファーノ』』生成完了)
流れ込む新たな力。
湧き上がる命の鼓動。
そして…確実になっていく勝利!!!
「さあ、どちらかが倒れるまで殺しあおうか!!存在の為に!」
論は叫び、騎士刀を構えて跳躍した。
見えなかった。
見切れなかった。
熱量移動を感知しきれなかった。
背後に前触れ無く登場した論の存在は、錬にとっては全くの予想外の事だった。
錬とて魔法士、それも『悪魔使い』だ。論という名の熱量が動けば、それが当然ながらI−ブレインに記録されて、次に論がどこに来るかが予測できる。そもそも、存在という概念を完全に消さない限り、熱量の動きは絶対に存在する。空間を移動するなどの物理法則を完全無欠に無視するような動きをとった時意外は。であるが。
だが、今の論からは、熱量移動を感じなかった。
科学の法則を根本から覆すような、論の先制攻撃。
まるで、「熱力学第三法則の破れ』が発生するのも、そう遠くではないかもしれないみたいに。
それほどまでに、今の論の攻撃は意外過ぎた。
まるで、本当に空間を移動したみたいに。
だが、錬とて百戦錬磨の戦士。こんなところで倒れられない。
『黒沢祐一』『マザーコア暴走体ゲシュタルト』『ヴァーミリオン・CD・ヘイズ』『暴走した世界樹』等といった強者と戦ってきたのだ。
さらに、今の錬には、姉、兄、街の人達―――――そして、フィアがいるのだから。
一瞬だけ、錬はフィアへと視線を向ける。
フィアはただ、錬を見つめている。
お城で助けを待っているお姫様のように。
その瞳に涙を浮かべて。
――――待っててね、フィア。
胸への決意を、フィアへ頷き返すことで何とか伝えようとしてみる。
「余所見かっ!なめるな!」
その間にも論の一撃は止まってはくれない。横からのなぎ払いをぎりぎりで切り払う。
そして何より、論は速い。
論の速度を見て、錬はまず第一にそう思った。
――――一度切り返すかっ!!!
だから、刹那の間に錬は距離を離した――――話した途端、
「……」
論が、目を瞑った。
何のつもりだろうか。戦闘中の挑発にしてはひどく控えめな挑発だし、かと言って戦闘中に瞑想するわけでもあるまい…しかし、どこかで見たことある光景だな…と思いながらも、
(肉体制御、自動回路に移行。脳内容量開放。全力起動準備)
目の前の一点を中心に、視界が裏返る、周囲が闇に包まれ、文字列に埋め尽くされた無数の『窓』が浮かぶ。思考の主体を『I−ブレインの中の錬』に移行。ナノセカント単位に引き伸ばされた極限まで濃密な時間の流れの中で、思考が研ぎ澄まされていく。
正面の最も小さな窓を指差す、窓が弾け、いくつかの銀色の球体が出現。 その後、銀色の球体が無限に連なる文字列の紐になった。最後に、二つの銀色の妖精が文字列の紐に分解し――――――、
(『短期未来予測デーモン』常駐。肉体が感覚復帰。『分子運動制御デーモン』と並行起動。容量不足。『運動係数制御デーモン』強制終了)
思考の主体が再び『現実の錬』に戻る。
目を開けて、正面から、論が突っ込んでくるのを確認。
肉体が反応するよりも早く、意識が反応するよりも遥かに早く、I−ブレイン内部に常駐した
『短期未来予測デーモン』が起動する。それにより、錬は三秒先までの未来を予測し、
(『分子運動制御デーモン』エントロピー制御開始。「氷盾」発動)
振り上げた右手を振り、手のひらを通過させた一角にて気温が低下。生み出した空気結晶で盾を作成。今度の盾の論理構造は先ほどの窒素結晶の盾とは違う。
―――来い。
目の前には、論の姿。
錬は「氷盾」を正面に構える。
だが次の瞬間、予測だにしない出来事が起こった。
論が「氷盾」に手を触れると、「氷盾」はあっさりと溶けて蒸発した。
―――炎使い!?
とっさにナイフを振り回す。
神速の空間の中で、三度、金属同士がぶつかり合う音。そしてまた、小さなナイフの欠片が散る。
論はそれをキャッチし、すかさず後退。
錬もまた、金属同士がぶつかり合い、弾きあった衝撃で後退する…と思いきや、今度は地面を蹴って切り込んできた。
空中でナイフを上段に構え、飛び掛ってくる錬。
すかさず論はI−ブレインに命じる。
(『熱力学第三法則のサタン』常駐、『氷河の槍』発動)
刹那、論の下した命令によって周囲の空気中の水分が凍りつき、氷を生成する。
それらに命令を送る。一ナノセカントの時間を置いて、無数の氷の槍が論の背後に出現、音速で錬に襲い掛かった。
飛び掛ろうと跳躍したところ、氷の槍が襲ってきた。
しまった、と思ったときには、とっくに手遅れだった。
一度ついた慣性の法則は消えず、錬の体は山なりに飛翔していく。かつて昔のアクションゲームをやったときに、間違ってジャンプして十字キーの後ろを入れたものの、健闘空しく帽子をかぶった髭の生えたおじさんが穴の底へと落っこちて、―――画面が暗くなり、白く「GAME OVER」と出てきた時と同じ悔しさ。
『分子運動制御デーモン』で「氷盾」を作ろうにも、間に合わない。ましてや、『空間曲率制御デーモン』など、発動できるはずが無い。
…こんなとき、どうすればいいんだっけ?
千分の一秒ほど考えて、とりあえず、反省だけはしておいた。
刹那、腕が弾かれるように動き、顔と腹をガードした。
いわゆる、人間の持つ防御反応というものだろう。
そして襲い掛かる、無数の氷の槍。
(――――これじゃいけないっ!!!)
咄嗟に嫌な予感を感じて、錬はナイフを神速で嵐の様に乱舞させる。論が放った無数の氷の槍のうち、とりあえず当たれば致命傷となるものは全て破壊する。
だが、無数の氷の槍はまだまだ残っている。これではある程度のダメージは免れない。
「くっ―――――!」
「錬!!!」
歯噛みする錬。
悲痛の声で叫ぶフィア。
だが、刹那、
(I−ブレイン、背後、攻撃感知)
錬は反射的に振り向いた。
背後より迫り来るのは、論が放ったものとは全く異なる氷の槍。
それらは錬に触れることなく、反対方向から飛んできた新たな氷の槍と相殺した。
「錬!!空中でナイフを握りなおせ!!」
それに続いて、錬にとって聞きなれた白髪の少年の声がした。
(…でも、どうしてここにッ!?)
頭の中では疑問を抱きながらも、言われたとおりに錬はナイフを構えなおし、論に切りかかる。
同時に脳の中で(『空間曲率制御デーモン』常駐。容量不足、『短期未来予測デーモン』『分子運動制御デーモン』強制終了)
重力方向を変えて、重力と慣性の法則を無視しつつ切りかかる。これで四度目の衝突。またもナイフが少し欠ける。
同時に、論が真横方向へ飛翔する。もちろん、欠けた錬のナイフの欠片を回収する。が、錬はそれに気がついていない。
一秒足らずの間をおいて、論がいた場所に氷の槍が飛翔する。無論、論はその攻撃が来る事などお見通し。氷の槍が飛翔する前にとっくに攻撃範囲内から脱出している。
「…誰だッ!!!」
口を開きつつも、論は警戒態勢を崩さない。
「錬が急いで走っていくのが見えたから追ってきたら、こんな事になってるとは…錬…お前、つくづく災難を呼び寄せる体質だな」
「そして好きな子の為に痛い目を見るタイプですね」
「ほっといて」
痛いところを突かれて、ぶすくれた錬は口を尖らせる。
それが戦闘中であるにもかかわらず、だ。
でも、心の中では感謝していた。
―――正直、この二人が来てくれた事は嬉しかった。
白髪の少年――――ブリード・レイジ。
銀髪の少女――――ミリル・リメイルド。
シティ・モスクワでの戦いで知り合った、戦友。
「お前ら…何者だっ!!それに錬、オレは一人で来いと言ったはずだが」
突如の乱入者に怒りと驚きを隠せない論。その様子はまるで、遊んでいた玩具を取られた子供のようだ。
だが、ブリードは何気なく答える。
「事情は分からんが、俺達は錬が必死の形相で走っていたから気になって後を付けてきただけだ、お前の事など知らん…って、錬、今更言うのもなんだが、お前、双子だったのか?」
「…僕にも信じられないけど、あいつの名前は論!!何でも僕のクローンらしいんだ!!」
「…でも、あちらの方がかっこいいし、何より錬より背が高いですね…」
「ぐはっ!!!」
ザ・ブロークンハート。
ミリルが何気なく言い放ったその台詞に思いっきり痛いとこを突かれて、錬はその場に崩れ落ちる。これでスポットライトがあればより完璧だ。
で、戦闘中という状況下にかかわらずに妙なコントを演じる三人に対しいらつきを覚えた論が叫んだ。
「…なら説明してやる…錬もフィアももう一度聞け!!!オレが錬を殺そうとする理由を!!!」
全てを語り終え、論は大きくため息を衝いた。
ブリードとミリルは、ただただ呆然とするばかりだった。
説明だけで論の憎しみが分かったわけではないが、その境遇の不幸さには共感した。
だが、
「…だからって錬を殺すのか!!!どうしてだよ!!同じ人に作られたのに、どうして殺しあわなきゃいけないんだ!!」
耐え切れなくなった様子のブリードが叫んだ。
「理由はオレが言ったとおり、それ以外に言う事などない」
論の返答の次に叫んだのは錬だった。
「…君を不幸にした理由が何であれ…」
ここで一区切り、
「フィアを傷つけた事は許せない!!!」
「安心しろ、オレも許してもらうつもりなど無い…何故なら…お前を殺すんだから!!!」
そう叫びつつ、論は目を瞑る。
今の錬との戦い、さらにさらに手に入ったナイフの欠片、それらを元に、自分の内に錬の能力を再現する。
(能力創生開始。「見えざる光のサタン」作成。ファイル名「ライト・オン・ライトニング」)
I−ブレインの中に全く新しい構造が浮かび上がり、三度目の、ナイフの欠片が自分の体の一部になっていく感覚。
(見えざる光のサタン「ライト・オン・ライトニング」常駐。容量不足。『熱力学第三法則のサタン』強制終了)
そして論は気づく。
気づいた時には、知らず、口元が緩んでいた。
『熱力学第三法則のサタン』――――「炎使い」
『見えざる光のサタン』――――「光使い」
そう、
錬は、自分が持っていない能力ばかりを持っている。
そして、錬は気がついていない。
自分が能力を披露するほど、自分が危機に陥ることを。
敵を追い詰めることに必死な錬は、自分が失っているものの大きさに気がつかない。
自分が手加減していれば、なおさらだ。
―――そう、自分は本気などではない。
錬を殺すのはもっと後。
錬が世界に絶望したその時にこそ、自分を差し置いて幸せになっているこの少年を、絶望の渦の中で殺してやる。
「どうしても引かないのですか」
ミリルの言葉。
「無論だ」
率直な論の返答。
「…やるしかないな」
「うん…」
ブリードと錬が共に頷く。
「三対一か…いいだろう、かかって来い!!」
論は高々に叫んだ。
「…錬、ミリル、俺に作戦がある」
ブリードが錬の耳元に口を寄せる。ミリルもブリードの言葉に耳を貸す。
ごにょごにょと作戦会議。
それが終った時、三人がそろって頷いた。
そして戦いは始まる。
―――【 結 末 は 戦 い の 果 て に 】―――
〜THE REN&RON&BUREED&MIRIRU&FIA〜
(作戦会議の内容、見せてもらおう)
そう考えている間にも、
(攻撃感知)
目には何も見えないのに、I−ブレインは攻撃が来たということを正確無比に論に伝える。
ありえない不可視の攻撃。
だが、それが『明確な攻撃の意思』をもったものであるなら、攻撃の方向性と嗜好性を察知するなどたやすい。
だから、論は避けた。
避けた刹那、
(攻撃感知、合わせて百八十度の角度から攻撃感知)
さらなる攻撃感知、だが、論はさらに回避。
(攻撃感知、合わせて二百九十五度の角度から攻撃感知)
またしてもさらなる攻撃感知、もちろん回避。
(攻撃感知、合わせて三百六十度全方位から攻撃感知)
「なっ!!」
これには流石に驚いた。
不可視の攻撃は確かにそこにある。
回避すべきものが見えない。
気づいたときには遅かった。論の騎士刀が嵐のごとく乱舞し、あてずっぽうで風の刃を次々と薙ぎ払う。しかし、流石に三百六十度の全包囲攻撃からは逃れられない。体や頭への致命的な攻撃こそ回避されたものの、風の刃は論の左足を一箇所、長さ二センチ、深さ一センチほど切り裂いた。
「…成程、風か」
「う、見破るの早いです…何で私の能力って、こうも簡単に見破られるんでしょうか…」
ミリルが残念そうな表情になる。おまけにちょっと泣きそうだ。
しかし、思わぬ能力者がいたもんだと論は納得する。流石はシティ・モスクワの魔法士だ。(先ほどの会話の中でブリード達の事情も聞いたから分かる)
感心している間にも絶え間なく来る攻撃。
今度は無数の氷の槍だ。
「炎使いかっ!!!」
「違うな」
今度はブリードが答える。
「なめるなっ!!このようなものでオレが止められるかっ!!!」
言うよりも早く論が飛翔する。
『見えざる光のサタン』により、時空制御により空中で方向を変えまくって踊るかのように無数の氷の槍を華麗に回避。
だが、そのすぐ後に錬の攻撃が襲い掛かる!!
まさしくもって息ぴったりの連携!!!!
ガキィィィン!!!
またも襲い掛かる金属音。
攻撃の反動を利用して、論は後方へとバックステップ。
そこにさらに襲い掛かる、先ほどの不可視の風。それを回避すると今度は無数の氷の槍。さらにそれを回避すると錬の攻撃が待ち受けている。
ミリル・ブリード・錬による、何て見事な三人連携技。
まるでサーカスでも見ているみたいだ。
だが、論は負けられない。
相手が増えたから不利などと言っている場合ではない。そう、相手が増えたなど不利のうちにも入らない。
心の中で苦笑する。そう、何も今始まったことでもない。むしろ『複数の相手との戦い』なら『いつものこと』。生まれたときから、論は一対複数の戦いを強いられてきた。
その相手も、騎士や人形使いなど様々だった。中には、予測不能の攻撃を仕掛けて来る輩も大勢いた。
楽な戦いなど無かった。
毎日が戦争だった。
論の人生は、常に死と隣り合わせ。
頼りになるのは、誰よりも死にたくないが故の意地と、何者にも真似できないはずのこの能力。
だが、お世辞にも人の枠を越えることのないこの体。人間に耐え切る事など出来ないレヴェルの攻撃を喰らえば、いくら論でもあっけなく死ぬだろう。
常時、神経をすり減らして奇襲に備える。不意打ち、光学迷彩、完全包囲など、相手の攻撃手段は多種多様。
だが、論は死ねなかった。
すなわち、論は死ななかった。
そう、論は生きた。
生き延びた。
あの地獄の日々に比べれば、この戦いなど――――――!!!
「同じ戦法が、オレに通用するとでも思ったか!!!」
そうだ、
ならば、本気を出そう。
やるかやられるか、道は二つに一つ。
「いいだろう…本気を見せてやる!!!」
(I−ブレイン、『抗える時の調べのサタン』常駐。容量不足。『見えざる光のサタン』強制終了)
「自己領域」をまとった論が、光速度の八十パーセントの速度で飛翔する。『抗える時の調べのサタン』は、騎士の『自己領域』のコピー。だが、論ほどの実力の持ち主が使えば、その速度は下手な騎士を凌駕する!!!
『菊一文字』の情報と論の『抗える時の調べのサタン』がリンクし、論の運動速度を通常の五十九倍に、知覚速度を百二十倍に再定義する。
さらにI−ブレインを起動。脳内に描いた複雑なプログラムを一瞬で処理。『抗える時の調べのサタン』発動時のみセットで起動できるこの能力なら、一見隙の無いこの攻撃を抜けて反撃に転じる事が出来る!!!
さらに、まだ脳内に余裕があることを確認した上で、並列処理で『刹那未来予測サタン』を起動して―――――!!!
(並列処理を開始。
『極限粒子移動サタン』起動)
『無限の息吹』で牽制。
(『舞い踊る吹雪』――――『形状変化』――――『番号――――槍』て追撃。
そして錬の切り込み攻撃。
後は最初に戻る。
打ち合わせどおりの、論が一切反撃できないはずの連携だった…。
だが、例外は存在した。
錬達が調子よく論を追い詰めていた時に、
刹那の時を置いて、
論の姿が『掻き消えた』
まるで、瞬間移動のように、
論の姿が、文字通り『掻き消えた』。
限りなく時空の法則を完全に無視し、
限りなく生物学的に不可能なことをやってのけ、
限りなくその存在を一時的に
無へと帰した者の名は、天樹論。
二ナノセカントの時間をおいて、
論の姿は錬の背中に出現する。
今まで論の熱量があった箇所から、論の熱量が消えた。
論が別の地点に移動している。
論が抜けられないはずの連携から抜けて約一秒足らずの時を経て、やっとそれをブリードと錬が認識した。
「どこだっ!!!」
あたりを見渡すブリード。
(攻撃感知)
錬のI−ブレインに警告。刹那、背後から『菊一文字』による一振りが繰り出される。
「ここだッ!!」
叫びつつも、錬は跳躍していた。二ナノセカントくらいの時間をかけて論へと振り向き、論理構造の書き込まれたナイフを一閃。だが、その一撃は、まるで読まれていたかのように論にあっさりと回避される。
「くっ!!!!」
(『さらなる攻撃を感知、攻撃の発生源は真正面』)
錬のI−ブレインに警告。刹那、正面から氷の槍が襲い掛かる。錬は真上に跳躍し氷の槍の槍を回避する。
その眼前に、論の持つ『菊一文字』の黒い刀身が、唸りを上げて襲い掛かってきた。
「っと!!!」
慌てて体を左に交わし、それを追う様に刀身がぴたりとついてくる。それならばと右腕を払った瞬間、まるでソレを読んでいたかのように『菊一文字』の黒い刀身が起動を修正する。どうにか刀身を切り払おうと様々な方向にナイフを振るうのだが、それに合わせて刀身が軌道を変える。それも、錬のナイフの攻撃範囲外に。
現実時間にしておおよそ二秒足らず、その間にも数十回の軌道変換が行われた。
錬は『短期未来予測デーモン』で、論の行動を先読みして攻撃に出る。
それなのに、論の動きが見切れない。
必ずと言っていいほど、錬の動きが見切られている。
常人には一つにしか聞こえない剣の舞。
一秒間に想像を絶する速さで繰り出される剣の舞。
とめどなく閃く剣閃。
だが、錬は明らかに押されている。
そもそも、『短期未来予測デーモン』はニュートン力学の範囲で計算できる三秒先の『未来の可能性』を確率の高い順に示してくれているだけで、相手の動きをミリ単位で一通りに予測するなんて不可能だ。
そう、錬は知らない。
論が『刹那未来予測サタン』という、五秒先までの未来を確率で予測する能力を保持している事を!!!
刀身が、錬目掛けて振り下ろされる。
(『分子運動制御デーモン』起動。エントロピー制御開始。『氷盾』起動)
だが――――!!!
しゅぱいいいん!!
綺麗な音がして、『氷盾』が完全に情報解体される。勢いが全く死んでいないその一撃は、錬の頭上目掛け飛翔する――――!!!!
何度目かの、金属同士がぶつかり合う音。ナイフにヒビが入り始める。もって後一回、それ以上攻撃を弾いたら、このナイフは完全に砕けてしまう――――!!!
その前に――!!
(『分子運動制御デーモン』展開完了。「氷槍艦」起動。I−ブレイン疲労率五十五パーセント)
『分子運動制御デーモン』で固体化した空気結晶が、無数の淡青色の槍となり、三百六十度の角度から論に襲い掛かる。くわえて論は今空中にいる。空中では、いかに論といえども身動きは取れまい。
分子運動の方向を一定に定められた槍の群れは、銃弾に匹敵する初速度を持ったうえで、全部が同じ方向に軍隊の行進みたく論に襲い掛かり、
再度、ありえないことが起こった。
論の姿が、文字通り『掻き消えた』。
「…またっ!!!」
すかさず、錬は論の熱量を探る。
だが、I−ブレインからは論の熱量の反応が…ない。
心を落ち着かせて、もう一度サーチ開始。
「………!!!」
……今度は、論の熱量があることを認識できた。
しかし、その位置は…錬達と距離の離れているミリルの背後!!!
すなわち…完全なる死角!!!
二ナノセカントの時間をおいて、論の姿はミリルの背中に出現する。
(背後に熱量・攻撃感知。回避不能)
刹那、ミリルのI−ブレインがそれだけを告げる。
気がついた時には全てが手遅れ。
背中を、何かが切り裂く激しい痛み。
「きゃああっ!!!!」
口から漏れる悲痛な叫び。
鮮血が、闇の中に散った。
さらに論は、その背中を蹴り飛ばす。それも『運動係数変化』により、通常の二十五倍まで強化された脚力で。
「あぐっ……」
衝撃に、息がつまる音。前方向に十メートル以上は吹っ飛ばされたミリルはそのまま前のめりになって浮いたまま地面スレスレを滑走し、茶色の壁にぶつかりそうになったところを、いつの間にかミリルよりも早く移動して待ち受けていた論にキャッチされる。
そのまま地面に背中から軽く叩きつけられた。
「あぅっ!!!」
さらに続いて、額に『ぐっ』という音。
それだけで、自分の額を靴で踏みつけられたということが、ミリルの朦朧とした頭でも理解できた。血は出ていないが、結構痛い。
…ていうか、前にも暴走したノーテュエルに額を踏みつけられた気がする。
私の額はそんなにも踏みつけがいがあるんですかと目の前の論に問い詰めたくなるが、火に油を注ぐ結果になりそうな上に、完全に論に気おされているからそんな行動は取れない。
「ひぐっ…い。痛…」
「ミリルッ!!!」
ミリルを助けるべくブリードは駆け出そうとするが、
「動くな」
「いやぁ…」
『菊一文字』の切っ先をミリルの喉元へと突きつける論。無論、ブリードは急停止せざるを得なくなる。
「…人質かよ」
「…錬との戦いを邪魔するな。邪魔しないというならこいつを解放してやる…オレと錬の戦いに決着がついてからな」
ミリルの首にずっしりと重そうな輪っかのようなモノを付けて、
「この輪っかはフィアに付けたのと同じで、オレ以外の人間が触れたら即座に大爆発する代物だ。つまりブリード、お前が一瞬でもミリルに触れれば、ミリルは即座に死ぬ」
(『擬似生命躍動サタン』起動)
さらに、周囲の無生物たる壁が生物的な動きを得て、刹那の時を置いて、壁はマントを作るかのようにミリルに覆いかぶさる。
「なっ…なにこれ!?来ないで!!」
襲い来る変幻自在の壁から何とか逃れようとしてミリルは身をよじるが、もとより論に額を踏みつけられているから動けるわけが無い。結果、ミリルは頭を残して完全に壁に包まれる。
その様は、まるで海水浴でよく見られる砂風呂状態だ。
「ブリード…」
怯える瞳でブリードを見つけるミリル。彼女の細くて白い四肢は完全に固定されていて動けない。
「くっ…錬に全てを託すしかないのか…」
何も出来ない自分に腹が立ち、歯噛みするブリード。
「そういうことだ」
それだけを端的に告げて、
論の姿が、またも消える。
だが、今度は違う!!
なぜならば、
先の攻撃で、
錬には論の『消える移動』のからくりの正体が掴めたからだ。
錬は目を閉じて、四肢をぶらりとだらしなく下げて無の構えを取る。
錬は動かない。
錬は自分の周りに、熱量となるものを一切置かない。
錬意外、完全に熱量の存在しない世界。
その中に一点、かすかな、本当にかすかな、よほど注意しなければ感知できない熱量がいきなり具現化する!!!
「そこだっ!!」
三ナノセカントの間合いを置いて、錬は左方向に身体をよじる。
その刹那において、右から飛来する物体が存在する。
漆黒の刀身を持つそれは、間違いなく『菊一文字』。
「…ほう」
自分の攻撃が見抜かれた事に、論は大して驚いていない。むしろ、そういう展開になるであろうことを予測していたみたいな口調だ。
「思わなかったよ…まさか、ある種のカメレオン戦法なんてね」
「理解力はいいが、もう少し比喩の勉強をしたほうがいいんじゃないのか?」
「余計なお世話っ!!!」
刹那、今度は錬が攻撃を仕掛ける。
論はそれを回避して、今度は『菊一文字』を横凪ぎする。
錬もそれを回避して、再度攻撃。
論がそれを避けて、反撃に転じる。
…が、
(背後に熱量を感知)
気がついた錬が振り向いた。
だけど、全てが遅かった。
生物化した壁が生成した剣が、振り向いた錬の正面から襲い掛かってきた。おそらく『ゴースト・ハック』にあたる能力(『擬似生命躍動サタン』という名前なのだが、錬は名前を知らない)で、論が壁を生物化させたのだろう
そして『菊一文字』を上段に構えた論が、振り向いた錬の背後から斬りかかる。
横に飛ぶ意外に回避方法が無い、完全なるサンドイッチ戦法。
だが、今の錬に横に飛ぶ術も余裕も無かった。
…そして、前後から同時のタイミングで、二本の剣が振り下ろされた。
論の能力の正体は、論自身の体を構成する皮膚などの元素配列を分子レベルにまで変換して移動した後に再度実体化して攻撃するというもの。
だが、生命活動を続ける以上、常に熱量というものを纏うはず。だから、熱量を完全に消しての行動など、生物学的にも物理学的にも出来るわけがない。たとえ物理法則すら読み解くI−ブレインを持ち、慣性の法則すら無視する魔法士だとしても、だ。
だが、論は熱量を破棄したわけではない。
熱量は確かにある。但し、それは非常に微弱な形で。
そう、
周りの熱量よりも論自身の熱量を圧倒的に小さくすれば、周りの熱量の大きさから論の熱量を見えなくする事が出来る。これにより、少なくとも視覚面で論の姿を感知する事は出来なくなる。
さらに、強大な熱量を持つ攻撃…つまりミリルの風…『無限の息吹』などといった攻撃をしていれば、その熱量は相当なものとなるだろう。
その時こそが抜け出すチャンスだったのだ。
論の熱量を『無限の息吹』の熱量以下に設定すれば、熱量で論の気配を悟られる事がない。『無限の息吹』の熱量がでかすぎて、論の熱量が隠れる形になるのだ。
後は、論自身の体を構成する皮膚などの元素配列を分子レベルにまで変換して論の姿を消せば、錬達にとっては、論が完全に消えたかのように思える!!!つまり、『極限粒子移動サタン』とは他ならぬ隠れ身の術!!!
これが、論の時空移動の正体!!!
生物化した剣を情報解体して振り向いた時点で、論の『菊一文字』が何かを斬る音を発した。
生物化した剣を情報解体した後に論の『菊一文字』を受け止めるべく振り向いた錬の腹部に、一つの赤い線が出来た。
その亀裂からこぼれる、赤い液体。
傷は、長く深い。縦には十センチ以上、深さは二センチ以下。だが、重症と呼ぶには十分だ。
「っ!!!」
脳を焼く激痛を必死で耐えて、錬は交代した。刹那、錬の鼻先を『菊一文字』の切っ先がかすっていった。一瞬でも判断が遅れていたら、錬の鼻は切り離されていた。
「逃さん!!!」
普通の悪役なら、このときに「では、さらなる絶望を味わせてやろう」などと言って、人質を傷つけるという余計な真似に走り、そのせいで主人公がパワーアップして負けるというケースがよくある。
自分の目的は、錬の殺害。こんなときに余計なことをして余計な敗因を作るのは愚行の極みだ。
止めは的確に刺す。『菊一文字』を振りかぶり、その刀身を錬の脳天目掛け振り下ろし―――、
(熱量感知)
ふいに論は後ろを向いた。
「ちっ!!!オレがミリルから離れたのを完全に確認してから攻撃してくるか!!!ならいい!!」
ブリードが生成して飛ばした氷の槍を、論は全て砕く。
だが、その奥から第二撃が飛んでくる。
「ここでブリードに一撃喰らわせてから戻ってくるのには一秒もかからない…なら!!」
脳内で次の行動に要する時間を、現在の論が持ち合わせている情報のみでだが完全に計算しつくした後に行うべき行動を理解した論は、
(『極限粒子移動サタン』起動)
瞬間、
論の体が文字通り、「掻き消えた」。
「来るよっ!!!ブリード!!!」
論が消えたのを確認した後に、無駄だと思いつつも錬は叫んだ。
そして次の瞬間、錬は確かに見た。
論の体が氷の槍に突撃し、そのまま氷の槍が何の障害も無いかのように突進していったところを。
次の瞬間には、論の体はブリードの目の前に出現。物理法則というものを完全に無視した動き。そしてなにより、論は氷の槍を文字通り「すり抜けていった」のだ。
三ナノセカントの時を経てやっと感知できた熱量反応、刹那、論の姿はブリードの真後ろに出現する。
「しまっ…!!!」
その言葉を、ブリードは最後まで言う事が出来なかった。
「オレが殺すのは錬のみだ。だから、部外者は殺さないでおくよ…今のところだがな…あまり邪魔するなら、容赦なく殺す」
ごすっ!!
誰が聞いても鈍くて痛いと思われるそんな音が、ブリードの腹部からくぐもるように響いた。
ブリードの腹部に論の左ストレートが直撃。「か…」と息を漏らし、ブリードは腹部を抑えてその場に倒れこむ。
「ブリードッ!!!」
そして響くのはミリルの悲痛な叫び。
だが、そんなのはお構い無しに、論は再び錬へと斬りかかる。
それに反応して錬は駆け出していた。その速さはおおよそ十五倍。
だが、どこを如何考えても論の方が早い――――!!!
「さあ、そろそろ決着をつけるぞ!!!」
すらり、この戦いにおいて、論が持つもう一本の刀がついに抜かれた。
論の左手にあるその刀は、まるで一滴の血も吸っていないように、白銀と呼ぶに相応しい輝きを持っている日本刀。
(騎士刀『雨の群雲』デバイス確認。脳内容量を一時的に追加)
単純な論理だが、騎士刀が二本あれば、単純に獲物が二つ増えたことなる。故に、一本では成せない技も、二刀流ならば発動できる。
(並列処理を開始。『熱力学第三法則のサタン』常駐)
(並列処理を開始。『抗える時の調べのサタン』常駐継続)
騎士刀を二つ装備したことにより、論の脳内容量が一時的に大幅に上昇し、普段なら容量不足になるはずのスペックを持つ能力を並列処理可能になる。いわば、記憶領域に拡張ドライブをはめ込んだ状態。あるいは、RPGツクール2にサテラビューを差し込んだ状態(古ッ!!)!!
『菊一文字』には、全てを焼き尽くす炎の能力である『熱力学第三法則のサタン』。
『雨の群雲』には、論の能力を最大限に引き出すための能力である『抗える時の調べのサタン』。
言うならば今の論は、補助魔法を最大限にかけた状態において強力な技を繰りだすとでも言えばいいのだろうか。
『菊一文字』と『雨の群雲』と名づけられた二つの刀が、同時に振り下ろされる。
錬のナイフに大きな亀裂が走る。そのままパワー負けした錬が、炎の強力攻撃を喰らうハメになった。
「がっ!!!!!!」
ぎりぎりまで回避行動に応じたために被害を最小限に抑えられたが、それでも右肩からざっくりと斬られた。
『痛覚遮断』でかろうじて耐えるが、それでも火傷のダメージは隠せない。
体が熱い。
激痛が脳を焼く。
激痛が皮膚を焼く。
何か最近の僕、斬りつけられてばっかりだ。僕の人生のフローチャートには斬りつけられることしか書いてないのかと、錬は錬自身の運命とやらをぶっ飛ばしたくなる。
斬りつけられた右肩が溶けているみたいな感覚すらする。
だけど、ナイフは決して手放さない。
これが無ければ…絶対に勝てないから…!!
逆に此れがあれば、勝てる可能性が…!!
だが、どうする。
こっちの攻撃は当たらない。あっちの攻撃はばしばし当たる。
三人がかりでも敵わない。
数字上は三対一でこっちが有利なはずなのに、それでも大きく押されている。
論は一人。ということは、俗に言う連携技と言うものは使えないはず。
こっちは三人、先ほどみたいな感じかつ強力な、それも一撃で戦況を変えられるような連携技さえ出来れば、この状況を覆す事だって可能かもしれない。
だが、そんな都合のいい話なんてまず存在しない!!
「…どうする事も…出来ないのかっ…」
打つ手の無いこの状況下で歯噛みする錬。その間にも論は斬りかかってくる。悲鳴を上げる身体のダメージを『痛覚遮断』で無理矢理押さえ込んでいるが、それでも身体というものは正直なもので、錬自身が気づいている通りに、動きが鈍くなっている。
「錬っ!!!」
苦痛に満ちた声で、ブリードが叫んだ。
「思い出せっ!!!先日の戦いの…俺が本来お前に喰らわせようと思っていたあの技を!!!」
「…!?」
錬の中にかすかに芽生える違和感。
…待てよ。
ほんの少しだけ、錬は考え込む。
(そうだ…)
そして気がつく。
そして思い出す。
ノーテュエルとの戦いの中で、ブリードが繰り出したあの技を。
錬とブリード、二人合わせて初めて出来る、論を倒せる可能性を秘めた攻撃の存在を。
論は気がついていなかった。
錬が、ブリードの言いたい事を理解した事を。
痛む腹を抑えていたブリードが、錬に対して目配せしていたことを。
それで錬は、全てを理解する。
そうだ。
自分にはあって、論にはないものがあったんだ――――。
それをすっかり忘れていた。
だから―――勝機が、見えた。
――いくよ。
最後の力を振り絞って、錬は地を蹴った。
――――まずは論に、こちらの手の内を読まれないようにするために、論の気をこっちにひきつけておく必要がある。それに、フィアの拘束を解くためにも、論をこっちにおびき寄せないと!!!
短時間のうちに錬はそう考え、論へと目掛け飛翔する。
手には今にも砕け散りそうなナイフ。
頼れるのは、世界最強クラスの魔法士能力といわれる、この能力。
『最強』という命題を破棄するべく存在する、『最強』にはなれないが、『絶対』には限りなく近い存在―――天樹錬。
論との距離、おおよそ三メートル。
刹那、炎が同時に爆ぜる。全く同じタイミングで放たれた紅き紅蓮の炎は相殺しあい、次の瞬間には、冷たくきらめく氷の刃が戦場に舞い踊る。
一瞬の間をおいて、冷たくきらめく氷の刃が衝突しあう。
全てが砕け散る音。
冷たくきらめく氷の刃は、砕かれたものから順に、空気の中に霧散する。
続いて行われたのは、両者の剣のぶつかり合い。
リーチと獲物の差で錬が圧倒的に不利。
だけど、錬は勝負を捨てない。『分子運動制御デーモン』により氷の刃を剣として作成し、獲物の数を同等にする。
双方から襲い掛かる剣戟を、奇跡とも呼べる剣さばきで錬は弾き返していく。だが、おおよそ十八撃目の攻撃を喰らった時点で氷の刃が崩壊。すかさず錬は新たな氷の刃を投影し、ぎりぎりの位置で弾き返す。
現実世界で十秒が経過。錬の投影した氷の刃は二十本目。その二十本目が砕け散ると同時に、錬は論の剣戟のリーチの外へと避難する。
―――まだ!?
ブリードの様子を盗み見る。ブリードは目を瞑り、精神を集中している。
すなわち、大技を放つための準備のために、プログラムを組み込んでいる。
「がっ!!!」
とっさに右肩を抑える錬。
先ほど論から喰らった一撃の傷が痛む。血液が胃から喉へと逆流する。
歯を食いしばり意識が飛びそうになるのを必死でこらえ、ふらつく足で体を支える。
I−ブレインは出血不足による警告を訴えているが、それよりも優先すべきことが目の前にある以上、そんな事をしている余裕は無い。
I−ブレインの疲労率は七十パーセントを超えており、いつ処理落ちしてもおかしくない。
―――だけど。
僕は倒れない。
倒れるわけにはいかない。
僕が倒れても、ブリードが倒れても、この作戦は成立しない。
そして、僕らが負けたら、きっとフィアが、そして皆が悲しむ。
「―――それだけは、させない」
錬の瞳に、熱き意思が宿る。
命を捨ててでも勝とうという信念を持つ、戦士の意思が。
そして錬は、視界の隅に見た。
ブリードが、親指を縦に立てているのを。
それを確認し、錬は勝利を確信した。
ならば、後は――――!!!
(頼むよ…ブリード!!!)
ふらつく足に力を込めて、残り少ない力で錬は地面を蹴る。長時間の無理を強い続けたために、足の健が何本が切れる鈍い音。
だけど、この位の犠牲なら―――!!!
天樹錬は、世界で一番大切なものの為に、戦う―――――!!!
錬が空中へと飛翔する。
「わざわざ空中へと飛ぶか!!なら!!」
論もまた、空中へと飛ぶ。
錬に止めを刺すために。
(『分子運動制御デーモンの悪魔』展開完了。「氷槍艦」起動。I−ブレイン疲労率九十パーセント)
『分子運動制御デーモン』の能力で固体化した空気結晶が、無数の淡青色の槍となり、三百六十度の角度から論に襲い掛かる。
「何度同じ事をやれば気が済む!!!」
だが、『極限粒子移動サタンにより、論は無数の淡青色の槍をあっさりと回避する。
だが、それも錬とブリードの計算の内!!!!
突撃してくる論の一撃を、錬は真っ向から受け止めた。
錬のナイフが完全にまっぷたつになる。砕け散ったナイフの欠片が空中で回転している。錬は見事にそのナイフの欠片の腹の部分を蹴り、地面目掛け飛翔する。
「逃がすか!!!」
論は気づいていなかった。
背後のブリードが、木刀を握るようにして構えていたことに。
よって、論が錬を追おうとした刹那、
「後方、攻撃感知、回避不能)
I−ブレインが抑揚の無い声で告げた。
論がそれに気づいた時には、もう遅かった。
ヒュオウッ!ドシュッ!!
「…な…んだと……」
信じられない…という顔で、論が吐血した。
ブリードの手にある巨大な氷の剣が、論の腹部を直撃し、貫通していた。
そう、
かつて合間見えた『狂いし君への厄災』状態のノーテュエルとの戦いでブリードが見せた大技中の大技。
その名は、『舞い踊る吹雪』――――『形状変化』――――『番号――――倍返しの剣』!!
本来受けるはずの氷属性の威力を無効化して、それどころか逆に二倍に増した剣へと具現化する能力。
『舞い踊る吹雪』を発動した時点で、ブリードの周りに、ブリードを丸ごと包み込む水色の泡が出現する。
傷だらけの体で強力な能力を発動したせいで、ブリードの体に痛みが走る。だが、歯を食いしばってそれに耐えた。
ここでやらなければ、絶対に勝てないと分かっていたから。
気づいたのだ。錬にはあって論には無いものに。
それゆえに、これは論では絶対に発動できない。
本来、論に放たれた『氷槍艦』は、『極限粒子移動サタンで回避された。よって、行き場を失った『氷槍艦』は、必然的にブリード目掛けて突貫する。
それを(『舞い踊る吹雪』――――『形状変化』――――『番号――――吸収』)により、銃弾に匹敵する初速度を持ってブリードに襲い掛かった無数の淡青色の槍の群れは、一本残らずその泡に吸収され、跡形もなく消えた。
そして後は、『舞い踊る吹雪』――――『形状変化』――――『番号――――倍返しの剣』を発動するだけ。無論、剣が刺さる位置が、攻撃を喰らうであろう論の手の届く範囲内にフィアがいるように設定する。
後は…放つのみ!!!
フィアを拘束していた錘が、音を立てて壊れた。
論の手が、フィアの右肩に触れていたからだ。この錘は、使用者が触れる事によって、使用者の意思の有無にかかわらずに壊れるタイプのものだったらしい。
もちろん、解放されたフィアは全速力で錬の元へと走る。
論はフィアを追うような事をせずに、『極限粒子移動サタン』で『舞い踊る吹雪』――――『形状変化』――――『番号――――倍返しの剣』から抜け出し、かろうじて受身をとり、論は地面へと着地する。だが、腹部に受けたダメージはかなり大きく、とても戦闘を続行できるような状況ではなかった。
「ぐ…が」
こんなのありえない。
自分より力の劣るはずの、天樹錬に。
自分より力の劣る、たかが寄せ集めに、自分が負けた。
オレはどこで間違った!?
腹が痛い。
赤い液体が、どんどん出てくる。
赤い、赤い血。
オレでも、分かる。
これが、痛み。
「ふ…はははは…」
知らず、笑いがこみ上げてくる。
無様だ。
これ以上なく無様だ。
史上最強の無様だ。
こんなことにも、気がつかないなんて。
錬にあって、オレに無いもの。
それは―――――。
「チーム・ワーク」
論の考えを知ってか知らずか、ブリードと錬が声を揃えてそう言った。
…そうだ。
錬はいつも、仲間がいた。
そして自分は、いつも一人だった。
だからこそ、こうなった。
だからこそ―――――!!!
「お前が…憎いんだよっ!!!オレに無い物をもっているお前が!」
そう、錬は持っている。
家族・友人という名の、論が手に入れることが出来なかったもの。
論がどれだけ頑張っても得られなかったそれを、錬は―――――。
最後の力を振り絞り、論は立ち上がる。
頭がぼうっとする。I−ブレインが生命の危険を訴えている。最優先で輸血しろと警告している。
だけど、それはまだ後だ。
今一番の優先順位は、錬の殺害という、障害だらけの論の目的。
心の中に渦巻く、どす黒いまでの狂気。
論を支える糧となるのは、何よりも強い、嫉妬・妬み・怒り・羨望・恨みといった負の感情。
それを無くしたら、オレは――――――。
「オレの存在意義が―――消えてしまう!!!オレが世界に不必要な存在になってしまう!!!それが嫌だから、オレは!!!」
「そんな存在意義、消してしまえばいい!!そして、新しい存在意義を探せばいい!!」
錬が叫んだ。
論の存在の、根本を打ち消すような言葉を。
「ふざけるなあぁぁ!!お前にオレの何が分か…がふっ!!」
口元より零れる紅い血。
吐血した口元を抑えながらも論が叫ぶ。
(I−ブレイン、最大起動。容量不足。現在展開している全能力を強制終了)
「オレのI−ブレインが壊れて消失しようとも、お前だけは…お前だけは道連れにしてくれる!!オレはそのために生まれてきた!!!お前を殺すためだけに生まれてきたと思って生きてきた…それが、それが無かったら…」
刹那と刹那の間の時間で、一呼吸おいて、
「オレには…何も残らないんだああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
「論…君は…」
錬はこのとき、論に対し初めて『憎しみ』以外の感情を感じた。
すなわち『哀れ』という感情を。
「…ゲホッ…全てを終らせるぞ!!錬!!」
『極限粒子移動サタン』で『舞い踊る吹雪』――――『形状変化』――――『番号――――倍返しの剣』による、先ほどの一撃が効いているにもかかわらず、吐血しながら論が叫んだ。腹部からの出血は止まってはいない。
だが、論は終われない。
自らの存在価値の為に。
ならば今こそ放とう。
全てに終止符を打つ切り札を。
今、I−ブレインを最大起動させる。脳内回路が焼ききれても構うものか。そんなことで焼ききれるような脳内回路であれば、所詮、論はその程度の人間だったということだ。
(『『そして時の流れは終結へ』起動。容量不足、現在発動している全能力を強制停止』)
発動と同時にI−ブレインが百パーセントの確率で強制終了するこの技は、論が持つ技の中で最大の威力を持つ切り札。
切り札は、最後の最後までとっておくもの。
論が巡るましく、手を動かす。激しい動きに出血がさらに激しくなるが、論にとっては汗が流れているかのようにしか感じていなかった。
論の全能力が停止したため『擬似生命躍動サタン』が終了して元の壁へと帰したためミリルが解放される。ただし、首の輪っかはまだついたままだ。故に、恐怖でミリルは動けなかった。
論の動きが魔法陣を描いていることに気がつくものはいなかった。『魔法士』が普及しているこの世界において、本物の『魔術』の存在があったとしても信じるようなフェミニストが、この場に居合わせているわけが無かった。
故に刹那の時をおいて、一同が驚愕することになる。
形あるもの全て壊れる。
それは有史以来変わらない、自然の摂理。
神々の黄昏ですら変えることの出来ぬ事柄。
ならばその事柄に従い、
我に仇なるもの全てを昇華させよ。
断罪の咆哮、
天誅の衝撃、
裁きの光よ。
今、この場に存在する我の敵に、
聖なる死の音色を解き放て!!!
論のもう一つの称号。
それは『魔術師』だった。
天樹健三が最後の最後に研究していたモノ。それこそが究極の魔法士としての頂点に立てるほどの可能性を秘めた、全くもって新しいタイプの魔法士、否、もはやそれは、『魔法士』と呼べるものかどうか―――――。
子供があこがれた夢ならここにある。
魔術師がここにいる。
魔術師が具現化している。
魔法士としての殻の中では収まりきれない存在。それが『魔術師』。
魔法士の最終進化系の一つ、それこそが『魔術師』!!!!
周囲が、おぞましい空気に包まれる。
論の体の一部に、摩訶不思議な模様が浮かび上がる。神話にしか出てきそうにない、複雑な術式を織り込んだ魔術回路。『魔法士』が物理法則を捻じ曲げるなら、『魔術師』は物理法則に介入し、物理法則を従わせるもの。
論が叫ぶと同時に、その場に居合わせた者全てが、今まで感じたことのない不安感・嫌な予感・悪寒・第六感・焦燥・寒気を感じ取った。
「魔法士の究極進化系の一つ…『魔術師』の技、見せてやろう!!」
「『魔術師』ィ!?なんだよそれ!!!あれは御伽噺の世界のことじゃなかったのか!?非科学的すぎるのにも程があるぞ!!!」
驚愕の表情で最初に叫んだのは、ブリードだった…自分自身がその『非科学的』な存在である魔法士であるにもかかわらず。だ。
「誰か…あれを止めてぇ!!!誰でもいいの!!誰でもいいからぁ!!!」
苦痛・苦悩・怯え・恐れ・恐怖・畏怖・悪寒。それら全てを宿した表情で、涙目のミリルはうめく様に叫ぶ。骨折している両腕にずきりと激しい痛みが走ったが、そんなことは気にしていられない。
論を止めなければ、とんでも無いことになりそうな気がして。
こういう時のミリルの嫌な予感は、すさまじく高い確率で当たってくれる。しかもお約束にも、刹那的に激しく致命的に嫌な方向へと向かっていって結末を迎える嫌な予感ばかりを。
だが、運命はいつも皮肉だった。
ここにいる者全てが、この世に神様などいないことを、知っていたはずだった。
「IS…THIS…KILL」
論が口走る。
切り札――――『そして時の流れは終結へ』発動の為の台詞を。
錬達に、絶望を送るための言葉を。
「やめろぉぉぉぉぉ!!!!!!」
ブリードが手をかざし、
(『舞い踊る吹雪』――――『形状変化』――――『番号――――槍』)
I−ブレインに命令を送ったブリードが氷の刃を飛ばした。
だが、遅かった。
論が二つの刀『菊一文字』と『雨の群雲』を、頭上から十字を描くようにクロスさせた。
そしてそのまま、『菊一文字』を横薙ぎに、『雨の群雲』を縦薙ぎに払い、叫ぶ!!!!!
「『そして時の流れは終結へ』!!!!」
刹那、論の目の前に、魔術に精通しているものでも理解不可能な、複雑な魔術回路が出現する。古の禁呪を髣髴とさせる魔方陣。クトゥルー神話に登場しそうな、現代文字として認識されない文字が光り輝き、模様が白く浮かび上がる。
魔方陣から、光輝く波動砲が放たれた。
全てを終焉に導く、射程無制限・直径二メートルの絶対破壊のバーストストリーム。文字通り光の速さで世界を駆け抜けて目標を消滅させる、第二次世界大戦で使われた原爆に匹敵する破壊力を持つ論の切り札にして最終奥義。その矛先は錬を確実に捕らえている。
非現実的な能力を持つ魔法士を撃破するために編み出された、非現実的な力。極限まで進化した科学力が生み出した、破滅と死と終焉への道を紡ぐチカラ。
ブリードの放った氷の槍は、光の波動砲の前に全てが無へと帰す。
「錬!!!!」
フィアが錬の前に立ちふさがる。錬のアングルからはその表情が見えなかったが、フィアから伝わってくる気配から、フィアが泣いているわけではないことだけは察知した。
「フィア!?」
錬・ブリード・ミリルが、全く同じ言葉を発する。
「どいてフィア!!!このままじゃ!!!」
「錬!!」
ちょうどその場に転がっていた錬のナイフの欠片を使い、ペンダントの綱を切る。I−ブレインが回復し、『同調能力』が使用可能になる。
「今から私の能力で、この波動砲の威力を出来るだけ削ぎます!!!!だから錬さんは動かないでください!!!!」
「なんで!!!!失敗したら、フィアは死んじゃうかもしれないんだよ!!!」
(はい。そうかもしれません)
錬の脳内に、フィアの本心が流れ込んでくる。
(だけど、私だけ守られるのは嫌なんです。さっきまで錬は頑張っていた。だから今度は、私が頑張る番なんです。)
心の中でそれだけを言って、フィアは光の波動砲に向き合った。その顔は、大切な人を守るために戦う、騎士の目だった。
(『同超能力』発動)
『抽象的な情報のイメージ』が天使の翼のような形を形成し、この世界に姿を表す。
光の波動砲の情報構造に対し、圧倒的な力で『そして時の流れは終結へ』の情報を書き換えるプログラムが送り込まれる。『そして時の流れは終結へ』とはいっても、根本としてはこれも魔法士の能力。論の『魔術』も『魔法士』の延長線上にあるといってもいいだろう。
何故なら『魔術師』は、れっきとした『魔法士』の最終進化系の一つ!!!
故に、理論的には止められない筈が無い(あくまでも机上の上での話ではあるが)!!!!
『『そして時の流れは終結へ』という存在を支える無数の情報』に対し、フィアはソレを制御すべく、光の波動砲に情報構造体を進入させる。
現実世界で一秒にも満たない時間が経過。『そして時の流れは終結へ』は弱まる気配をまったく見せず、依然変わらぬ姿で錬とフィアに襲いかかろうと特攻している。
「情報解体が…効かない!?」
「嘘!!!」
フィアと錬が驚愕する。
「いや!!待て!!」
ブリードが叫んだ。
「何!?」
論の表情がゆがんでいた。
『そして時の流れは終結へ』の速度が、遅くなった。ついでに直径百九十センチくらいに細くなった。
「効いてます!!もっと…もっと頑張らないと!!」
「フィア!!」
錬が叫ぶ、ただし今度は非難ではなく、応援の叫び。
目を瞑り、自らの力をさらに引き出すフィア。錬の愛情支援効果も上乗せして、フィアの力はさらに巨大化していく。それに反比例して『そして時の流れは終結へ』は段々と威力を弱めていく。
しかし、それでも、直撃すれば間違いなく死に至る程の威力は残っている。
「ここまでなのかっ!!!!」
錬がフィア抱きしめ、その身を挺して守ろうとしたところ、
「うわっ!!!」
急に輝きを増したフィアの翼に錬の目がくらんだ。
そして錬だけでなく、その場にいた者達、全ての目がくらんだ。
その隙を突いて錬の傍らから飛び出す陰。
すなわち、フィアが動いていた。
「フィア!!」
錬が動いた。
「やめろ!!」
ブリードも動いた。
「やめてぇ――っ!!」
ミリルも動いた。
同時に、論が笑みを浮かべる。皮肉を込めた笑みではなく、むしろ嬉しさをこめた笑みを。
(…して、やったぜ)
そのまま論は、その場に崩れ落ち、地面に仰向けになって倒れた。
だいぶ力をそがれたとはいえ、『そして時の流れは終結へ』の威力は未だ脅威のレヴェルに値していた。
反射的に、無駄だと分かっていても、フィアは両腕で体を守るように抱えて、その上に光の翼を纏い、自らの体を覆い隠し、翼の盾で光の波動砲に対し最大限の防御で立ち向かった。
まさしく、フィアは錬の盾となった。
―――私は、情報の海を狩るもの、天使。
その姿が連想するものは、天空に住まう本物の天使。
圧倒的な演算速度がフィアの脳内で次々と絶え間なく展開する。I−ブレインの披露率も急上昇していく。七十パーセント、八十パーセント、九十パーセント…。
だが、ソレに伴い、演算速度もまた、規模を拡大。
段々と、『そして時の流れは終結へ』の威力が下降していく。
『そして時の流れは終結へ』の情報が、フィアの能力に制御されつつある。
やはり『そして時の流れは終結へ』とて、れっきとした『情報の海』に位置する物質だった。
―――もう少し!!!
フィアの脳内の演算速度が最高速度に達した刹那、
I−ブレイン、疲労率九十九パーセント。
I−ブレインが限界を迎えて、一瞬、処理が中断された。
ほんの一瞬、されど一瞬。
魔法士同士の戦いにおいては、致命的ともいえる隙。
その一瞬で、情報を制御されていた『そして時の流れは終結へ』が、少しだが威力を取り戻していた。
そして、誰の行動も間に合わせることなく、
威力を大幅に殺された『そして時の流れは終結へ』が、フィアに直撃した。
「ああっぐううぅぅああ!!!くぅうううあうぁああぁぁぁ!!!」
フィアへと飛翔する光の奔流、次々と襲い掛かる激痛、肌を焼く痛み、そして段々と霧散していく皮膚感覚。
全てを飲み込む『そして時の流れは終結へ』がフィアを運んでいく形となり、錬はその場に取り残される。
錬が呆然としている間、永遠ともいえる五秒が、過ぎた。
その間、誰も動けなかった。
『そして時の流れは終結へ』はそのまま洞窟の壁に激突し、大量の砂煙をあげる。
「フィア――――――――――――――ッ!!!!!!!!」
届くはずも無い腕をフィアの方へと伸ばした錬の、大地を揺るがす咆哮が洞窟の中へと反響した。
まどろむ意識の中、論は思った。
オレは勝利した。
錬が、苦しんだ。
オレの存在意義は、果たされた。
これでオレは、この世から消えれるだろう。
これで、あの青い空へいける。
オレの役目は終ったんだ。
やっと楽になれる。恨み辛みで生きていく日々にピリオドを打てる。
さあ、今こそ…。
「嫌だ…」
突如、涙があふれた。
「こんなところで、一人で死ぬなんて嫌だ」
突如、論を襲う不安感。
自分に対しての不安感。
「何故だ…オレは生きたい…何故、こんな時にこんなことを思うんだ!?」
混乱する論。
それまでの自分では、決して到達し得なかった答え。
直視した現実。
目的を終えた虚無感。
一人で死んでいくことの孤独感。
そして気がついた。
錬の悲しむ姿を見て、気がついた。
自分が、とんでもないことをしていたのだと気がついた。
そして自分は、せっかく受けた生を、無駄死にに追いやろうとしていたことに気がついた。
同時に、忘れていた事を思い出した。
これが終ったら、あの子を探すんだった。
初めて会った時から泣いていた、あの少女を。
「なんなんだよ…これ」
論の瞳から、涙が零れ落ちる。
「はははっ…はは…はははははは…」
涙が止まらない。笑いもこみ上げてくる。
左手で顔を抑えて、論は泣いた。
「なんでだ…なんでこんなに悲しいんだ。錬の苦しむ顔が見れたのに、なんでこんなに苦しいんだ!!!」
論は地面を拳で叩く。皮膚が破れ、血が出てもかまわずに叩く。
「分からない…分からない…分からない!!この感覚は何だ!?心に穴があいたようなこの空しさは何だ!?今までいてくれた何かがいきなりいなくなったようなこの感覚は一体何なんだ!?オレは…オレは…オレは…!!!」
論は叫ぶ。
己が起こしたことを振り返っての、遅すぎる反省。
人はいつもそうだ。
ヒトという種の中にあって、いつだって同じだ。
何故人は、間違ってから、失ってから、取り返しがつかなくなってから、大切なものに気がつくのだろうか。
そしてそのたびに、絶望するのか。
これが、ヒトという種の宿命なのだろうか。
「オレは間違っていたのか!?錬を妬み、オレはただただ錬を殺すことばかり考えてきた!!他に選択肢があったのに、オレはそれを切り捨ててしまっていた!!あったんだ…今からでもいいから、一緒に住ませてくれっていう選択肢が!!機会もあったんだ…それを…オレは」
地面に両腕を突いて、論は激しく後悔した。
心の中に存在するもの、それは空虚。
全てを悟った論の罪。
砂煙が晴れていった。
その時、そこにいた全ての人間が、目を疑った。
そして、奇跡を信じた。
砂煙の中にありながらも、クレーターの中心にふらついた足で立っている。少女のシルエット。
生きている。
フィアが生きている。
光の波動砲を喰らっても尚、生きている。
「おお…!!」
ブリードが息を漏らす。
「フィア!!…良かった!無事だったんだね!!」
錬の瞳から、涙がこぼれた。
安堵した錬は、フィアに駆け寄った…駆け寄って、絶望の中に見出した希望を、再び絶望へと突き落とされた。
「…フィ…ア」
世界が、止まった。
フィアは、確かにそこにいた。
何も言わずに、その場に立ち尽くしていた。
だが、その有様はひどいものだった。天使の翼は両方とも大砲に穿たれたかのようにぽっかりとどでかい穴を開けており、その殆どが消失していた。その切り口周囲が赤茶色に焦げていて煙をあげていた。切り口からはとめどなく血が流れており、光の波動砲の威力がどれだけ凄いものなのかを再認識させる光景だった。
無論、翼だけではない。体のあちこちがすすけており、服はあちこち泥だらけの上に所々焦げている。目や髪の毛なんかは殆ど無事で済んでいるが、両足には大小さまざまな擦り傷・切り傷・火傷が出来ており、左腕にいたってはおおよそ半分の面積が焦げていた。このままでは生命活動に支障をきたすのは、明らか過ぎることである。
そして、吐血していた。口元から紅い筋がこぼれている。
光の無い瞳で、フィアは立ち尽くしている。
錬は動けなかった。
目の前の光景に対し、ただただ震えるしかなかった。
フィアの顔は、今まで見たことが無いほど、蒼白になっていた。
涙のあとが幾筋も浮き出たフィアの顔。
様子を見れない『その部分』が、一番の原因であることは明らかだ。
では、何故様子を見れないのか。
「…なんで、なんで」
錬の口から繰り返されるのは、ただ、それだけ。
「なんで」
無かった。
「なんで!」
無くなっていた。
「なんで!!」
消え去っていた。
「なんでだよ!!!」
存在していなかった。
――――肩から先にあるべきフィアの右腕が。
「錬…見ないで…見ないでください!」
服で器用に切り口を隠したフィアは、その場に座り込み、いやいやをする。右腕があった場所にかぶさっている服が、じわりじわりと紅く染まっていく。そして、紅い血が服の壁を超えて染み出し始めた。
あまりの痛みに感覚が麻痺してしまったのだろう。フィアの顔の苦痛は、それほどひどいレベルではない。
錬の頭の中の血管という血管が、全部まとめてブチ切れそうだった。
許せない。
許すわけには、いかない。
たとえ、泣いて謝っても。
神様が許しても、僕が許さない。
論が狙っていたのは僕だけのはずなのに、フィアまでまきこんで、しかもこんな目にあわせた。こうなったら…。
そこで、錬の意識が飛んだ。体中の血が圧倒的に不足していることを、錬はすっかり失念していた。
そのまま、錬の意識が飛んで、錬はうつぶせに倒れた。
「錬さん!!!」
体中が悲鳴をあげているにもかかわらず、フィアは錬に駆け寄った。一歩歩くたびに体中が悲鳴をあげるが、我慢してそれを押し殺し、一歩、また一歩と歩み、ついには錬のもとへとたどり着いた。
「錬さん…」
フィアの意識が、そこで途切れた。
錬に折り重なるようにして、そのままフィアは倒れこんだ。
ミリルもブリードも、唖然とするしかなかった。
非現実過ぎる光景。
何故。どうして。如何にして。何の因果で。誰のいたずらで。何ゆえに。
何故、フィアがここまで、ひどい目に会わなければならないのか。
シティ・神戸の件で辛い思いをした。
マザーコアのかわりとしてブリードに誘拐された。
錬をおびき寄せるために、さらに捕まった。
そして今…右腕を失ったのだから。
フィアの人生のフローチャートには、全てバッドエンドへの分岐しかないのであろうか。
否!!
そんなことがあって、たまるものか!!
「論!!てめぇ―――――っ!!!!」
開口一番、怒りをあらわにしたブリードは論に殴りかかった。
肉を殴る鈍い音がして、論はそのまま吹っ飛ばされる。論はそのまま洞窟の壁に背中からぶつかって止まり、そのまま動こうともしなかった。
「うあああああぁぁぁぁ――――っ!!」
さらに殴る、論の顔を二十発ぐらい殴り、後は色々な箇所をトータル四十ヵ所程殴る。
錬の分、フィアの分、ミリルの分、そして自分の分を込めて。
論の顔が左右に揺れる。論の体に拳の跡が出来ていく。殴りすぎて拳が痛くなってきたので、一休みした。無論、論からの反撃に備えて、常に警戒態勢を崩さない。
「…それで、お前の気は済んだのか?」
唇から流れている、一筋の赤。口の中を切っていることは明らかだ。頬の肉も赤く染まっていて、拳の後が残っている。それでも論は動くことなく、ただ、呆然とその場に座りつくしている。
「な…」
てっきり論が反撃してくるとばかり思っていたブリードは、完全に拍子抜けしたかのように立ち尽くした。
「気が済んだのかと聞いている」
そして、論の顔を見て、ブリードは唖然とした。
「何て顔してるんだよ…お前」
論の顔には、ほんの数分前の覇気が無かった。それどころか、むしろ、生きるのに疲れた人間の顔が、そこにあった。
「…オレは殴られて当然の事を犯した…それだけだ」
歯茎から血が出ていたが、それを拭おうともせず、論はその場に座ったまま動かない。
「殴りければ殴れ。オレには殴られる理由があるし、お前達には俺を殴る理由がある。正当防衛なら適用されるさ。殴りたいだけ殴れ…この処理をさせてもらってからな…」
ふらふらした足取りで、論が立ち上がる。
そして論は、錬とフィアのところへと歩く。
「な…何をするつも…」
「けじめをつける」
そう言って、論はフィアの右肩に右手で触れる。
(I−ブレイン起動…疲労により本来の五十パーゼントまでしか出力不可能…『癒しの輝き』起動)
論の右手から『身体治療の促進化』をうながす命令が発動。フィアの身体はその命令を受け入れ、瞬く間に失った腕を再生、次の瞬間にはあちこちの火傷を神速で治療。その様はまさに回復魔術。創造の世界でしか存在しないと言われたモノの一つ。
…最も、物理法則すら打ち破る魔法士ならば、このような事が出来ても不思議じゃないのが当たり前なところだが。
続けて錬の身体の治療も行う。ほっとけばこのまま死に至るのは容易だと思われるからだし、そもそもの原因は論にある。
予想してなかった論の行動に、ブリードは唖然としている。当たり前だろう。今まで戦っていた者が、急に味方になったような、そんな状況なのだ。
拳の先から血が流れているが、汗が流れているみたいでなんとも思わなかった。
「これでよし…さて、と…後は」
論はポケットをまさぐって何かを取り出し、それをブリードに投げつける。放物線を描いて飛ぶそれをブリードはそれを地面に落とすことなくキャッチ。
見てみると…それは何かの鍵のような形をとっている。
「こいつはあの輪っかの解除キーだ。これを当てればミリルは解放される」
「!!!」
弾かれたように顔を上げるブリード。視界の先に傷だらけのミリルの姿を確認後、一秒ちょいでその場所まで駆け出し、解除キーで輪っかを破壊した後に、大切な人を抱きしめた。
年相応のやわらかい体には、十分な体温があった。
一瞬湧き上がる邪な考えを何とか振り切って、
「…ごめん…戦闘中に離れなきゃ、こんなことにはならなかったかもな」
精一杯の謝罪と後悔をその一言に集約して、
「…こんなことには、ならなかったかもしれないのにな…すまないな…怖い思いをさせて」
ただ、それだけを言う。
「大丈夫…だよ…だって、結局私は殺されなかったし…だからブリード」
ありがとう。の形に唇が動いて、一筋の涙が零れると同時、ミリルの目が閉じられた。
「寝るな!!起きろ!!」
反射的にミリルの体をゆさぶって、ミリルの意識を現実へと引き戻させる。張り詰めた緊張のせいで、ミリルは相当参っているようだ。
「…あ」
飛びかけた意識を何とか保ち、ミリルがうっすらと目を開けた。
「…勘弁してくれ、寿命が縮む」
ふう、と安堵の息をつき、ブリードはミリルを抱えたままいきなり立ち上がる。掟破りのお姫様だっこだ。
「きゃあ!!ちょっと…ブリード…こんなとこで…」
顔を紅くしてミリルはもがくが、ブリードは男でミリルは女。その力の差は歴然である。
よって、ミリルにはブリードのお姫様だっこに抗いきるだけの力は無かった。そのため、すぐに諦めて全てをブリードに任せることにした。
「…お前はどうするんだ」
一応、ブリードは論に問うた。
答えは、一秒弱で返ってきた。
「とりあえず錬とフィアを運ぶさ…そしたら後は姿をくらます。いずれにしろオレにはまだ目的があるしな…こんなところでのんびりしている猶予は無いらしい」
「そうか」
それだけを言い残し、ブリードは天樹家の方向へと加速した。
錬を右肩に、フィアを左肩に担いだ論も、ブリードの後を追った。
―――【 天 樹 は 旅 立 つ 】―――
〜THE REN&RON&BUREED&MIRIRU&FIA〜
フィアが三日間の昏睡から冷めたときに、真っ先に目に入ったのは見慣れた天井だった。
論との戦闘中だったのに、どうして自分がここにいるのかが分からずに、フィアは両手で頭を抱えた。
両手で。
それで違和感に気づく。
腕があった。
右腕が会った。
論の『そして時の流れは終結へ』で昇華したはずの右腕が、底にあった。
「なんで…!?」
その事実が、フィアを混乱させる。
まずは、状況を整理しよう。ここはいつも見慣れた場所、弥生お母さんの家のベッドの上。これはいい。
脳内時計を起動、あれから三日が経過している。
がちゃり、正面の扉が開いて、弥生お母さんが入って来て、
「フィアちゃん!!目が冷めたの!!!」
思いっきり、お母さんに抱きつかれた。
ちょっと苦しかったけど、それが嬉しかった。
目を覚ましたフィアは、ブリードから全ての事情を聞いた。
あの後…満身創痍のフィアが気絶してから、傷を癒してくれた論がここまで運んでくれたのだという。
論については、完全に消息が不明ということしか、分からなかった。
ただ、ブリードが言うには、論はもう錬の命を狙ってくることは無いだろう。ということだった。錬がすかさず反論したら、ブリードは落ち着いた口調で話してくれた。
「あいつは囚われていたんだ。激しい嫉妬の心に。
そして、あいつは、自分の居場所を探していたんだ。錬を殺すという目的の元、自分の居場所を保っていたんだ。
フィアをあんな惨状にしてしまって、そしていざ自分が死のうとしたら、皮肉にもソレに気がついたらしい。すなわち、自分の戦いの愚かさに。
ヒトはいつも、やってから後悔して生きていくもの。だけど、失敗し、反省し、後悔したからこそ、人間は次に進めるんだ。誰一人死ななかったことだし…難しいだろうけど、あいつのことを許してやってくれないか?オレが本気で何十発以上も殴っておいたからさ」
心の中に何かすっきりしないものが残るが、ブリードが何十発も殴ってくれたらしいので、今はそれで我慢する。
事件が起きたのは、その翌日だった。
がちゃ。
「…何これ!?」
玄関を開けた錬が、最初に目にしたものは…野菜の山だった。
どこから持ってきたのかと言いたくなるほどの量だった。
寝ぼけた頭にはいささか衝撃が強い情景。数瞬の間、錬の意識がどこかに飛ぶ。
そして現実回帰。
ふるふると頭を振って、現実を見つめなおす。
野菜の山の中に、一切れの紙を見つけた。
「…?」
いぶかしげにそれを見つめた錬は、とりあえず引っ張り出してみる。
『天樹錬へ。
だいたいの事情はブリードから聞いたと思われる。だけど、オレは今、お前の前に姿を現すわけにはいかない。オレはしばらく、忘れていた探し物を見つけ出すために、世界を周ることにした。
ここだけの話、正直、当てはあるしな…。
フィアのことは、謝って済む問題ではないだろう。だが、今では本当にすまないと思っている。これしか言う言葉が思いつかないけど…本当にごめん。
もしなんらかの縁があって、オレ達が再びめぐり合うようなことがあれば、その時は共闘したいものだな。
オレはこれからとある少女を探しに行く。それが終るまでは死ねない。
最後に・・・フィアとうまくやれよ。
―――天樹論より』
それだけの文。
本当に、ただそれだけの文。
だけど、錬の中に生まれた感情は、怒りや憎しみではなかった。
錬には分かっていた。
論もまた、運命に遊ばれた者だということを。
彼が、根っからの悪人ではなかったということを。
復讐の空しさを、論は知っただろうから。
事情を聞いて、論に対し、殴ろうとした相手がいきなりぶっ倒れたような感覚を、錬は覚えたから。
「…僕らにも相談してくれれば良かったのに…論、いつか、必ず会おう…」
むしろ、抱いたのは期待だった。
「…あれで完全な罪滅ぼしになるとはとても思えないが、今、オレが錬の前に姿を現すわけにはいかないからな」
蒼穹の空の下、天樹論は空を見上げて一人ごちる。
あの野菜は、先日のワイスの懸賞金で買ったものだ。ちなみに、まだ懐は暖かいから大丈夫。
天樹家から二キロほど離れた場所で、論はもう一度錬の家を振り返り、その情景を目にしていた。
一見貧乏だが、誰もが笑って過ごせるところ。
論の手には、決して手に入らなかったもの。
今までの自分のような咎人が、手に入れる資格があるのかどうかも疑わしいもの。
だけど、これからなら、手に入れられるかもしれない。
自分にも、家族や友達を手に入れる機会が、めぐり合うかもしれない。
一分ほどそうしたところで、論は踵を返し、
「もう行くのかよ」
真横から声がした。振り向いた先には、一人の白髪の少年。フィアも錬もミリルも無事だということを教えてくれた人物。
「ああ」
論の返事はそれだけだった。それだけでことが足りた。
「お前がここにいたことは、錬には黙っておくよ…だけど、最後にこれだけは言わせろ」
一呼吸おいて、
「絶対に死ぬんじゃねえぞ」
「善処するよ」
最後にブリードに手を振って、
運命の時に向かって、未来に向けて、論は歩き出した。
…とか言っておいて、実はすぐ後にブリード達と再開する羽目になるという事を、この時の論が知っているはずは無かった。
―――【 続 く 】―――
―――――【 お ま け 】―――――
「DESTINY TIME RIMIX」に登場した主なキャラのイメージ声優さんリスト』
レシュレイ・ゲートウェイ……緑川光。
セリシア・ピアツーピア……堀江由衣。
ラジエルト・オーヴェナ……五十嵐亭。
ヴォーレーン・イストリー(故)……坂野茂。
ゼイネスト・ザーバ……岸丘大輔。
ノーテュエル・クライアント……永井のあ。
シャロン・ベルセリウス……草柳順子。
ブリード・レイジ……石田彰。
ミリル・リメイルド……桑島法子。
クラウ・ソラス……ひと美。
イントルーダー……森川智之。
天樹論……野島健児。
ヒナ・シュテルン……柚木涼香。
ワイス・ゲシュタルト……保志総一郎。
シュベール・エルステード……川上とも子。
謎の橙色の髪の人物……増田康之。(正しい漢字忘れた…)
※もっと声優さんの知識が増えたら、変更する可能性もあります。
「このキャラはこの人の方がいいだろ!!」とかいう意見があったらどうぞ。
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<作者様コメント>
ついに錬との戦いが終りました。
論の能力はやたらとルビを使いまくるものばっかしで、正直これに容量の大半を取られているといっても過言ではないでしょう。
いや、ルビを入れたほうが何となくかっこいいからなんですが。
物語もやっとここまで進みました。
論とブリード達の出会いの次は、如何なる出会いがあるのか。
そして次回、誰もが望まない展開が…。
以上、画龍点せー異でした。
<作者様サイト>
NASI
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