脳内時計が『午前10時』を告げた。
「……さて、そろそろ僕らも向かわなくては」
今の今まで、無機質な机へと向かい、目の前に映し出されていたディスプレイの電源を消し、ハーディンは立ち上がる。
ディスプレイに映っていたのは、シティ・ニューデリーの会議の準備風景。35000席全てを綺麗に清掃し続けるのは、専用の掃除ロボ達だ。
現段階でほぼ9割方の机と椅子が綺麗になり、後1割を終えれば、市民の入室を待つだけとなる。
そして、会議が始まる前に、ハーディンらはそれぞれの立ち位置についておかねばならない。
「……『賢人会議』は絶対に来る。だけど邪魔はさせません…シティに住む人達を守る為にも……」
決意の言葉と共に、両の手を強く握りしめる。
「……力を持つ者は、えてして独裁行為に走る……自分達が選ばれたエリートだと勘違いし、自分達こそがルールだと勝手に決め付けて行動を起こし、多くの人を苦しめる……」
心の中に、黒いなにかが、渦を巻いて湧き上がる。
「だから、強い力を捌く為の、さらなる強い力が必要なんです……この力は、このためにあるのだと、僕は、そう信じて戦う!」
エメラルドグリーンの瞳が凛とした輝きを放つ。それはハーディンの意思の表れというべきか。
ちょうどその時、コンコン、とドアがノックされる。
「どうぞ」
「ハーディンか?おれや。幻影No.17や。時間的にそろそろ会議場に向かわんとあかうんとちゃうの?」
「ええ、ですから、今向かうところです」
がちゃり、と扉を開けると、扉のすぐ向こうにイルは立っていた。
白いジャケットに身を包んでいる為に細身に見えてしまうのだが、実はその下には鍛え抜かれた肉体をもっている。よくよくみれば肩幅ががっちりしている為、初対面の人間でもガタイがいいという事はすぐに分かるだろう。
3年前、ハーディンがシティ・モスクワで仕事をしている時に、シティ・マサチューセッツから輸送されてきたと言われる『規格外』の魔法士。
当時のイルはとてつもなく荒れていた。その時は、ハーディンはイルとの直接的な接点はなかったが、噂だけは聞いており『なんという不良だ』という印象すら抱いていた。
だが、とある事件をきっかけに、イルは突然、他人のことを考えられる心優しい青年へと生まれ変わった。
今のハーディンは、イルがシティ・マサチューセッツで何があったかは知っている。そして、他人のことを考えられる心優しい青年へと生まれ変わった理由も知っている。
全ては、ハーディンが、シティ・モスクワでの巡回中に、とある犯罪者を捕まえる時にイルと協力した。
その時のハーディンは、イルの事を『周囲に迷惑しかかけない不良』だと思っていたのだが、とある犯罪者を捕まえる時に協力したイルは、ハーディンのそのイメージとはかけ離れた人物だった。
結局、とある犯罪者は、誰一人犠牲者を出す事無く捕まえることができたが、ハーディンには、噂に聞いていたイルと、現実に目にしたイルに対し、あまりにも大きな相違を感じ、イルがいつもお世話になっているというセラフィム孤児院の院長に、説明を求めた。
院長は、全てを話してくれた。もちろん『この事を打ち明けたというのは、あの子には絶対に内緒よ』という言付けつきである。
当時、ハーディンはセラフィム孤児院には直接的なつながりはなかったが、シティ・モスクワの治安維持に努めている事が広まっていたことが幸いし、信用してもらえたのだろう。
……その時初めて、ハーディンはイルの事を『信用できる人物だ』と確信した。
世界中の何もかもが嫌いでたまらなくて、全てを壊したがっていた少年は、一人の少女の想いによって生まれ変わった。
ハーディンとて、自己犠牲を絶対に正しいと思うわけではないが、それでも、そのエピソードは、ハーディンの心を強く打つものがあった。涙こそしなかったが、心の中には、あつい感情がじーんと残っていた。
それ以来、ハーディンは、イルに積極的に話しかけ、イルの信頼を勝ち取ることに成功している。イルとしても『弱者を守りたい』というハーディンの気持ちに共感するものがあったらしく、それほど時間をかけずに打ち解けることができた。
―――それが、ハーディンと、目の前の少年との出会いだった。
「時間とか規則に厳しいはずのお前にしちゃ、ずいぶんとルーズやな。体の具合でも悪いんか?」
「気遣いはありがたいのですが、そのような心配は無用ですよ。イル。ちょっと、考え事をしていただけです」
「……『賢人会議』のことやか?」
「……やはり、わかられてしまいますか」
あまりにも図星だったので、ハーディンは思わず苦笑いをしてしまう。
「分かるも何も、顔にでとるで。『賢人会議』を必ず倒すっていう強い意志がや」
「ええ、なんとしても『賢人会議』を倒さねばなりません。そうしなければ、罪も力もないもっと多くの人達が『賢人会議』によって苦しめられてしまいます。力なき人々を苦しめるような組織が、この地球上に存在していい理由がありません」
「相変わらずの正義感バリバリっぷりやなぁ。ま、そーでなけりゃ、お前じゃあらへんけどな」
「ほめ言葉として受け取っておきます」
「…んー、やっぱりそれは、あれかいな?ハーディン、お前がマザーコアになれなかったこ……あっと、すまへんな。今の言葉は忘れてくれへんか?」
途中で言葉を止めたイルの発言だったが、それでも、その発言の中に含まれた単語を聞いて、ハーディンの胸の内に、つきん、と、かすかな痛みが走る。
ハーディンのマザーコア適性値は、通常ではありえないといわれたランクE。それは、コアとして適用した場合、マザーコアとしての役目を果たすどころか、最悪、マザーコアの稼働を停止させてしまうほど、マザーコアには致命的に相性が悪いI−ブレインを所持しているという烙印だ。
故にハーディンは決めている。マザーコアになれないなら、生まれ持ったこの力でシティを守ると。それが、自分にできる事だと。
「ええ、そうします」
笑みを浮かべて、返答。その直後に、ハーディンは扉を後ろ手に閉めて、一言。
「―――さて、それでは行きましょうか。最後の審判を下す為に」
「……んぅ?」
真っ暗な景色の中に白い光が走った感覚と共に、目が覚める。
意識こそはっきりしているが、頭がちょっとだけずきずきする。変な時間帯に寝るとそうなると、昔、おかあさんにそう言われたことがある。
「……ここ、どこですか?」
小さな左手で頭を抑えながら、セレスティ・E・クラインは目を覚ました。
周囲を見渡すと、小さなテーブルと、いくつかの椅子と、机が一つあるのが確認できた。
続いて、視線を下に下げると、半分ほどめくれた白い毛布が、腰の部分にまでかかっている。両手を後ろにつくと、ふわっとした感触。そこで初めて、セラは、自分が仰向けで布団で眠っていた事を確認する。
着ているものは、先ほどまで自分が着ていた服とは全く違うもの。ピンクと白のしましま模様の入ったパジャマだ。
「そうです、時間…」
なんでこんなところにいるのかとか、なんでパジャマを着せられているのかとか、なにかいろいろと大切な事は山積みになっている事は明確なのだが、それよりは、今が何時なのかを知ろうとする方が先だと判断しI−ブレインに命令を送ってみる。
「…あ、あれ?なんにもつながらないです」
だが、I−ブレインは一言も反応を返さず、沈黙を保つ。
同時に、うなじに何かが刺さっている感覚を認識。
右手を首の後ろに回して、それにちょんとふれてみる。
「―――っ!」
刹那、すさまじいまでの痛みが神経をかけめぐり、一瞬、瞳に涙が溜まる。
どうやら、I−ブレインが反応しないのはこれ…すなわち、ノイズメイカーのせいで間違いないと判断。それも、非常に強力なタイプのようだ。
「……完全に、止められてるです……」
諦めの感情が心の中に浮かんだ。
それと同時に、セラは、今まで忘れていた大切な事を思い出した。恐怖が蘇り、背筋に悪寒が走り、小さく震える体を両手で抱きしめるようにして縮こまる。
―――真昼に言われて、シティ・ニューデリーの街を歩いてくるように言われたこと。
―――そのさなか、フェイトとなのる、シティ・ニューデリー側の魔法士に遭遇。
―――セラの右肩を、荷電粒子砲が貫いた。
―――後は意識を失い、気がつけばここにいた。
とても簡潔にまとめると、このようになる
「……あれ?そういえば……」
違和感を感じた。先ほどダメージを負った筈の右肩に、痛みが全く無いのだ。
「ど、どうなっているんですか?」
セラは恐る恐るパジャマを脱ぎ、右肩へと視線を向ける。すると、右肩に負った筈の傷は、傷跡一つ残らず完治していた。
「…ど、どうして?わたし、確かに…あの時…」
そう、あの時セラは、右肩に、出血を伴うほどのダメージを負っていた筈だ。だが今、それが傷跡一つ残っていない。現状で存在する最大の疑問。
セラの脳内が困惑で埋め尽くされるのと同時に、コンコン、と、ドアをノックする音が聞こえた。
「はい、どうぞです」
ついつい反射的に答えてしまったと、答えてから気がついた。
がちゃ、と扉が開き、一人の人物が部屋の中に入ってきた。
「よかった、起きたのね」
姿を現したのは、茶髪のボブカットに、金色の瞳の少女――――クレアヴォイアンスNo.7だった。
―【 キャラトーク 】―
クラウ
「…あれ?短すぎないかしら?」
イントルーダー
「今回は完全にインターミッション的な話だったな」
クラウ
「イルとハーディンのつながりと、シティ・ニューデリー側に捕らえられたセラのその後、ってところかしら」
イントルーダー
「しかしなんでまた、こんなところで区切るんだ?ハーディンとイルは、これからシティ・ニューデリーの会議に赴くって事で区切りとしてはちょうどいいかもしれないが、セラとクレアについては、この二人がどんなことを話したのか、書いてもいいと思うんだが…」
クラウ
「んー、話の流れ的にまだ書けない、って説が有力じゃないかしら?」
イントルーダー
「…要するに『後の展開で説明します』って奴か?」
クラウ
「そう、それ」
イントルーダー
「まぁ、そうであることを祈ろうか。では次は『そして出会う、彼ら、彼女ら』で」
<作者様サイト>
Moonlight butterfly
◆Close With Page◆