FINAL JUDGMENT
〜血の流れない戦い〜
























シティ・ニューデリー、マザーコア推進派の所属する建物の一室であり、戦いとはほぼ無縁だったはずの狭い部屋の中は、一瞬にして小さな戦場と化した。

外部から来ている筈の電源が通らなくなり、逃げ場を失った天樹由里は、突然現れた来訪者にして『賢人会議』の長、サクラとの戦闘を余儀なくされていた。

サクラがどうやって由里の居る場所を当てたのかは、由里には分からない。もしかしたら偶然かもしれないし、あるいは裏で何らかの策があったが故の出会いかもしれない。

だが、それは今考えるべき事ではない。

何とかしてサクラを討つか、最低でも追い払わねばならないと、『ゲイヴォルグ』を握り締めた由里は、覚悟を決めていた。

勿論、最初から戦うつもりだったというわけではない。サクラと対峙した時に由里の頭の中に浮かんだ考えは『逃げる』事だったのだ。

だが、逃げようにも、数少ない外部との連絡通路の境目である扉は、押しても引いてもIDカードを通してもびくりとも反応しない。

窓から逃げようにも、窓にはサクラが立ちふさがっている。それに、そもそもここは12階。こんなところから降りるのは危険極まりない事なんて、幼稚園児でも分かる事だ。

扉を破壊して逃げようとも思ったが、そんな事をしたらマザーコア推進派の所属する建物全体に何らかの被害が及ぶ可能性もある。そうなってしまったら、由里にはどう責任を取ればいいのかなんて、きっと分からない。

故に、選択肢など無いに等しかった。

ハーディンは由里に戦うなと言っていたけど、最早、そんな事を言っていられる状況ではない。

由里に出来るのは、目の前に立ちふさがる一人の少女をどうにかする事。それ以外に道は無いのだ。

無論、今まで生きてきた中で戦闘経験などほぼ無いに等しい由里が、どこまで出来るのかなんて分からない。だけど、だからといって、何もしないでサクラの思うがままにされるのだけは、どうしても避けるべきことだと、それだけは絶対だと、脳が理解していた。

(―――きっと、ここで会ったが百年目ってやつですっ!)

生まれながらにして由里にあうように調整を施された白銀の槍―――自らの相棒・ゲイヴォルグを、両手で構える。

『I−ブレイン、戦闘起動』

刹那、脳内でI−ブレインを戦闘態勢に入らせた由里は床を蹴った。















【 + + + + + + + + + 】
















(全く、あの男は…)

心の中だけで、サクラは悪態をつく。

刹那、サクラの脳内に、地獄の悪魔のようないやらしい笑みをうかべた真昼の顔が浮かんだので、10発ほど、脳内イメージでだがその顔をぶん殴っておいた。そのお陰で苛立ちが幾分か晴れたので、脳内に浮かび上がっている、ボロボロな表情の真昼の顔の映像を強制的に消去する。

本当なら今すぐ本物の真昼の横っ面を1発だけでいいから殴っておきたかったが、今のこの状況下でそんな事が出来るわけも無いので、サクラにはこうやってストレスを発散するしか道はなかった。

『―――もしかしたらそこに、誰かいるかも知れない。だけど、絶対にその子を殺しちゃ駄目だよ』

今から1時間前、作戦を告げた時、真昼は確かにそう言っていた。

―――よくもまあ、そんな事が言えたものだ、と、今更ながらに思う。ほぼ間違いなく、真昼は最初から、こうなる事が分かりきっていたのだ。

目の前にいる少女は、間違いなく『賢人会議』の放送の時に乱入してきた少女だ。そして今、その少女がこのシティ・ニューデリーにいるという事を確信したが故に、真昼はあのような作戦を出したと考えて、ほぼ間違いないだろう。

いつも思うのだが、一体全体、真昼はどこからそんな情報を手に入れてくるのか、さっぱり分からない。悪魔の申し子とは、まさに真昼のような輩の事を言うのだろう…もちろん、皮肉の意味を込めて。

……それと、その後に、真昼はこんな事を言っていたはずだ。

「僕が今まで見てきた限りだと、サクラにとって、手加減っていうのは物凄く難しい事だって分かってるけど、それでも、なんとかして手加減してあげてね」

……図星だったのと、真昼につっこまれたのがなんか悔しかったので、先ほどは意図的に記憶の端からとっぱらった台詞だったが、それが今、目の前の出来事が原因で思い出され、サクラはちょっとだけ腹ただしい気持ちになった。

現実時間にして2秒足らずにしてその考えを打ち消し、サクラは改めて目の前に向き直る。

(それにしても、参ったな)

今ここにある『戦場』を見渡し、サクラは心の中でぽつりと呟く。

シティ・ニューデリーのマザーコア推進派の建物の一室は、おおよそ10畳ほどの、本当に小さな部屋。

もし、こんなところで馬鹿でかい破壊力を持つ能力など使った場合、シティ・ニューデリーのマザーコア推進派の建物にどれだけの被害が出るか分からないし、何より、また、力なき人達を大量に殺めてしまう危険性が十二分にありえる。そうなってしまっては、シティ・ニューデリー内部で『賢人会議』への協力者を募る事など無理な事態を招いてしまう。

そして何より、今のサクラには、目の前の少女を殺してはならないという絶対条件が存在している。つまり、サクラの持つ『魔弾の射手』のような、攻撃範囲の広い能力や、殺傷能力の高い能力は一切使えないという事だ。そうなると、自然と使える能力は限られてくる。

純粋な接近戦を挑み、なんとかして少女の戦闘能力を奪う―――これ以外の選択肢など、きっとない。

脳内でうだうだと考えていても仕方がないので、とりあえずは目の前の事態を何とかすることを最優先と考える。もちろん、目の前の少女を必要以上に傷つける必要が無いことなど、十分承知の上での行動を、I−ブレインを使用して模索する。

(―――やってみるか)

現実時間で由里に遅れることコンマ5秒で、黒い外套の懐から2つのナイフを取り出し、それを構えたサクラは床を蹴った。















【 + + + + + + + + + 】
















現実時間にして一秒足らずにして、二人の少女の互いの得物がぶつかりあい、キィン、という、金属同士がぶつかりあう音がし、火花が散る。

牽制としてゲイヴォルグの一閃を放ちつつ、サクラとの距離を離す由里。サクラの武器がリーチなら由里に分がある。そして、そのリーチを活かす為には、サクラの攻撃の範囲外から攻める事がまず第一で、出来ることならその距離を維持し続けようと、由里は脳内で一瞬でまとめる。

3歩ほどバックステップ、そこへ、すかさずサクラが追うように飛び込んでくる。由里のI−ブレインがはじき出したサクラの速度は、おおよそだが通常の4倍。

サクラの追撃に対し、由里は真正面へとゲイヴォルグを突き出し、鋭い一撃を放つ。槍という武器は人類最古の刺突武器で、剣や棍棒を持った相手のリーチ外から攻撃する為、戦場において主兵装として長らく活躍した武器だが、反面、騎士剣が普及している今ではめったに見られない武器でもある。

しかし、由里が放ったその一撃は、サクラの胸に吸い込まれんとした瞬間に、目標を大きくそれた。由里が狙いを外したわけではない。サクラは一瞬のうちに左へと飛び、由里の突きの一撃を易々と回避したのだ。

「……ふむ、ただの泣き虫かと思っていたが、少しはやるようだな―――しかし、私には、貴女について解せない事がいくつかある」

由里から見て左側、距離にして3メートルほど離れた位置に立ち、不敵な笑みを浮かべたサクラが、由里へとナイフを突きつけるようなポーズを取ると同時にそう告げた。

「…何が、解せないって言うんですかっ。それに、私だって、あなたに聞きたい事はたくさんありますし、私にも、あなたに対する不信な点がありますっ」

由里もまた、神経を集中させて警戒しつづけながらもゲイヴォルグを構え続け、サクラがどんな行動をとってきてもいいようにと備えながら、言い返す。

「どうやら、互いに言いたい事があるようだな。折角の機会だ。この場を利用して、意見交換といこうではないか」

「意見交換?この場でですか?……でも、反論する理由は無いですっ」

サクラの行動に不可解な何かを覚えた由里だったが、由里として、サクラに聞きたい事があるのは事実なので、その考えには一応同意しておいた。

勿論、だからってサクラに対する警戒心は緩めない。それどころか寧ろ、より警戒度を高めた。サクラが、いつ、由里の予測だにしない行動をとるか見当がつかないこの状況では、いざという時にあらゆる対応を取れるようにしておくことが重要だ。

物事は常に最悪の状況を想定しろ…と、誰かがいっていた気がする。そして、由里はただ、それに従っただけ。

口の端に笑みを浮かべたサクラが、先手を切り出す。

「―――そう来なくては。では、早速だが私から聞かせてもらおう。個人的には、貴女の容姿がどうして私を真似たものなのかを真っ先に聞きたいのだが、それは後回しだ。今更聞くのもなんだと思うが…貴女は魔法士なのだろう?」

「あ、当たり前ですっ」

「なら続けて聞こう―――今、世界では、シティを、多くの人間を生かす為に多くの魔法士が犠牲となっている。貴女は同じ魔法士として、この事態をどう受け止めている?」

その問いに、由里は一瞬だが、う、と唸ってしまう。この世界の心理に触れているが故に、返答に困る質問だ。だが、落ち着いて考えると、返すべき答えが頭の中に浮かんだので、由里はそれをそのまま口にした。

「……よく、分からないけど……それでも、多くの人が生きてくれるなら、私としては、仕方ないって思います。もちろん、何とかしなくちゃいけない問題だって思ってるけど、でも、私、どうしていいかわからないから……だから、こういう答えを出すしかないんですっ」

「なるほど、それが貴女の考えか…私とは間逆だな」

「間逆…ですって?」

「そうだ。間逆だ―――私の信じた道は、同胞である魔法士を守るために立ちふさがる敵を、魔法士だろうが人間だろうが一切合切の例外なく殺す。時には1を救って99を殺す―――無論、正義など一欠けらもなく、間違いしかない修羅の道だが、それでも、私はその道を歩むと決めた」

一欠けらの迷いすら見せず、サクラは堂々とその言葉を口にする。まさしく、自分はこの道を信じているという自信を持ったものの口調。

そして、その言葉は、由里の心に憤りを持たせるには十分なものだった。

「……じゃあ、あなた自身、自分のやっている事が正しくないって知っていて、それでも尚マザーコアの撤廃を叫んでいるっていうの!!」

ゲイヴォルグを握り締めた由里の両方の拳が震える。

「だから、そうだと言っている。何度も同じことを言わせるな」

「じゃあ、人間達はどうなるっていうの!」

「――その答えは簡単なことだろう。今までのしっぺ返しが訪れるだけだ。マザーコアの正体を知らなかった、あるいは知らされていなかったのは仕方がないとしても、それでも、人間達に非がないとは決していえない…それだけだ」

にぃ、と、口の端が張り裂けそうな笑みを浮かべるサクラ。その顔を見た途端、由里の中に、怒りの感情がふつふつと浮かび上がってきた。

(―――負けられない。そんな事を平然と言うような人に、私は負けられないっ!)

刹那的にそんな考えが浮かぶと同時に、脳内で言いたいことが一瞬にしてまとまり、それは口から一気に紡ぎだされる。

「…だからあなたは、魔法士だけの世界を作ろうっていうの!?あなたのやっている事も、シティのやっていることも、私から見れば殆ど一緒なのは確かです……けど、力を持っていながら、何の力も持たなくて、シティがないと一日も生きていけない人を平然と殺すような真似がどうしてできるのか、私には理解できないですっ!」

「それは誤解だな。何も私は魔法士の楽園を作りたいなどとは思っていない。今日明日でマザーコアを撤廃しろ、というのも無理な話だとわかりきっている。
 私は、ただ、魔法士の子供達が平和に暮らせる世界を作りたいだけ…そして、それを邪魔するなら何者であろうとも殺すだけ……それ以外の何者でもないといっているだろう」

刹那、ゲイヴォルグを握り締める由里の両の手に、力が篭った。かっ、と頭に血が上るのを感じた由里は、次の瞬間、感情のままに叫んでいた。

「……だから、自分の目的の為ならどんな事でもやってのけるっていうんですかっ!?
 ……なんだかんだ言って、結局、あなたの瞳には魔法士しかうつっていないじゃないですかっ。あれだけの大きな戦いをしてきて、学んだものがそれだったなんて―――あなたに殺された幾千幾万の人達が…とても、とても可哀想ですっ。まだ、やりたいことがいっぱいあったはずなのに!!その可能性は、あなたの勝手気ままな行動で全て奪われたんですっ!」

「勝手気まま…だと…」

ギリ、という音がした。それがサクラの歯噛みの音だと気づくのに、一秒の時間もいらなかった。

「本当に勝手じゃないですかっ!!
 何の力も持ってない、多くの人達の命を、孤児院の子供達を―――そして、私からお爺ちゃんとお婆ちゃんを奪ったあなたを、私は許さないのですっ!」

由里の脳内に思い出されるのは、半年も前の光景と、一年前の悲劇の場面。

直接は見ていない、けれど、お爺ちゃんとおばあちゃんを失ったその時にハーディンから聞いた話。『賢人会議』がシティの住民を虐殺しているというその真実は、由里に多大なる衝撃を与えた。

偶然とはいえ通りかかった孤児院で、たくさんの小さな子供達の死をみたあの時。

由里はただ平和に暮らしたいだけだったのに、突然、家族と引き離されたあの時。

その時から、由里の決意は固まっている。

自分のような犠牲者や、孤児院の子供達のような犠牲者をこれ以上出させてはならないと、心の奥底に、確固たる形でそれは存在している。

刹那、サクラが、黒い手袋に包まれた手で前髪を払うと同時に、ふ、と小さく息を吐くのが見えた。

「―――なるほど、過去に私が殺してしまった人間達の中には、貴女の肉親も混じっていた、という事か。ふむ、これでやっと、貴女が私を討たんとする理由が、私をそこまで嫌う理由がようやく理解できた。だがな、私もまた、貴女に負けるつもりは欠片もない」

一呼吸おいて、サクラは続けた。

「―――故に来い、甘い幻想しか知らない天樹由里!!」

サクラの声は、凛としていた。由里は一瞬だけびくっとしてしまい、あやうく気圧されそうになり、視線を下に向けて―――反撃の為の言葉を一瞬で思いつき、即効で口に出す。

「言われなくてもそのつもりです!あなたが、サクラがこれ以上の罪を重ねる前に―――あなたを倒しますっ!そして、あなたみたいなぺったんこなんかに負けないですっ!」

「―――また、それを言ったな」

一瞬の沈黙の後に、サクラの額に、ぴしり、と、青筋が走ったのが、確かに見えた。

由里は視線を下にずらし、サクラの胸元を改めて見る。見れば見るほど発育が遅れているですっ、という言葉は、心の中だけにしまっておいた。これ以上口にしてサクラを刺激してしまうと、何かまずそうな予感がしたからだ。

ふと、視線を感じた。由里は自分の視線をちょっとだけ上に向ける。

すると、サクラがわずかに、由里の胸元へと視線を向けているのが理解できた。

ちなみに由里のプロポーション…というか発育はかなりいい方である。自分で言うのもなんだが、白い服の胸元が窮屈そうに大きく膨らんでいるのがその確たる証拠。

「……勘違いするな。別にうらやましくなどない」

思いっきり『うらやましい』と言っているに等しい言葉が、サクラの口から零れ落ちた。

ついでに、サクラの顔にかなりの陰りが生じているのを確認する。

(…あ、チャンスですっ)

卑怯とか不意打ちとか、そういう単語が頭に浮かんだものの、それよりも『サクラに一矢報いたい』という気持ちが強かったのか、由里は迷うことなくゲイヴォルグの一突きを繰り出す。

一瞬にして迫る、白銀の槍の牙突。だがサクラはその一瞬で我に返り、由里の放った一閃を、体を後方に逸らし、最小限の動きで回避する。

「―――なるほど、やはり、油断は出来ぬか。その突き、その速さ。貴女もまた、並みの魔法士では無いと言うことだな」

ふわり、と、風に乗っているかのように、サクラのツインテールがたなびく。同時に、サクラは口の端にわずかな笑みを浮かべ、先ほどまでの暗い顔はどこへやら、ここに入ってきた時と同じ表情を作り上げる。

「だが詰めが甘い。その程度では私は倒せないぞ―――さて、今度はこっちの番か」

言うや否や、サクラは両手を外套の裏に忍ばせ、次の瞬間には六本のナイフを取り出す。

「さぁ、避けきれるなら避けてみろ」

かすかな微笑を浮かべつつ、その台詞を言い終わると同時に、サクラは6本のナイフの内、5本を由里目掛けて投げ飛ばし、それと同時に

「えっ、ちょっとっ!」

予期せぬサクラの行動に度肝を抜かれ、由里は大きく目を見開いてしまう。心の中で『どうしようどうしよう』という迷いの感情が生まれたが、それでもまだまともな判断をくだせる程度の理性は残っていたようで、同時に脳内でI−ブレインを起動し、サクラのナイフによる遠距離攻撃、およびそのすぐ後に待ち受けているであろう近距離撃に備え、最も最善と呼べる策を、現実時間にして0.5秒足らずで答えをだす。

(I−ブレイン戦闘起動。『彼女の世界レディ・ワールド』稼働。稼働率、オリジナルの40%)

無機質な答えが、大脳皮質の裏側にあるI−ブレインから返ってきた。刹那、由里の目の前の速度が急激にゆっくりしたものと化す。

だがそれは、あくまでも『由里から見た世界の状態』でしかない。なぜなら、サクラから見れば分かるだろうが、サクラが投擲したナイフの速度は、初速から一向に減速する事無く、由里目掛けて飛翔している。

I−ブレインを持つ魔法士だからこそナイフを『見る』余裕があるのであり、I−ブレインを持たない普通の一般人であれば、サクラが手を動かしたと思った時には、既にナイフに貫かれているだろう。

つまりこの現象は、由里自身の速度が変わったが故におこった現象。

『彼女の世界』――――世間一般では『自己領域』と称される能力。分かりやすくいえば『とっても早く動ける能力』と形容できる。

厳密には、光速度、万有引力定数、プランク定数を改変し、自分の周囲の空間を『自分にとって都合のいい時間や重力が支配する空間』に改変し、重力制御による空中移動と並行して亜光速(但し、I-ブレインの能力・騎士剣の性能により差が生じるらしい)で動ける能力なのだが、そう説明するとなんだか堅苦しいので、由里は敢えてそう呼んでいる。

シンプルイズベスト。何事も分かりやすいのが一番である。

『由里にとって都合のいい時間や重力が支配する空間』となった世界の中で、先ほどに比べてひどくゆっくりになった5本のナイフを見据え、由里は迷う事無くゲイヴォルグを振るい、現実時間にして3秒足らずの間に、迫りくる5本のナイフを全て叩き落す。

ちなみに、現在のこの状況では、由里が『自己領域』の世界の中で1分動く間に、外の世界では凡そ30日が過ぎる計算だ。最も『彼女の世界』はI−ブレインにかける負担がかなり大きく、現実的に考えた場合、1分間も発動させ続けるのは非常に厳しい。オリジナルの騎士なら可能なのだろうが、由里のI−ブレインの性能では先ず無理な話である。

因みに、由里の『彼女の世界』で得られる速度は光速の50%程度が限界だ。

(良かった!防げたですっ!)

サクラのナイフ捌きはすさまじいものがあると、戦闘に関しては素人とも言える由里でもそう思えた。そして、その事態を乗り越えられたという事実から、由里の顔に、ほっ、と安堵の色が浮かんだ。

―――だが、その安堵の色は、次にサクラがとった行動によって、一瞬のうちに掻き消えることとなる。

(―――うそっ!)

サクラは、ナイフを一本片手に握り締めて、由里目掛けて文字通り跳ぶ。その顔にはうっすらとだが笑みが浮かんでおり、言葉にせずとも『思い通りに行動してくれた』と言っている様に見えてままならなかった。

思えば、サクラが6本あるうちのナイフの中から、5本を投げ、1本を手元に残した時点で、その可能性まで見通すべきだった。だが、不意を打たれたということ、複数のナイフを相手にしたこと、由里が戦い慣れしていないこと(これをサクラが知っているわけは無いと思うが)などのさまざまな要因があったせいで、由里は、サクラがナイフを手元に1本残しておいたということに対する意識を、すっかり忘れてしまっていた。

(このままじゃいけないですっ。懐に飛び込まれたら、私じゃきっと勝てない…じゃあ、こうするしかないのっ)

『彼女の世界』の中では、サクラの速度も『由里にとって都合のいい時間や重力が支配する空間』となってしまう。それはまさに『自己領域』が抱える未来永劫の弱点。

すかさず由里は『彼女の世界』を強制的に終了させる。由里の周囲の時間が『由里にとって都合のいい時間や重力が支配する空間』ではなくなり、通常通りの時を刻む空間へと戻る。

目の前には、ナイフを構えて飛びかかってきているサクラの姿。

(I−ブレイン起動『速度上昇スピーディア』稼働)

騎士の『身体能力制御』に当たる能力を一瞬で発動させる。先ほどの『彼女の世界』とはまた違う感覚が由里を包み込む。

運動能力と知覚速度の加速数値を一瞬で設定。運動能力は通常の17倍、知覚速度は51倍に設定する。本来ならさらに速度を増強させることも可能なのだが、ただ単純に速度を増加させただけではサクラには敵わないだろうと判断する。ハーディンから聞いた話では、サクラはA級カテゴリーの騎士を複数相手にしても勝ち残ったほどの猛者との事だ。そんな相手に、ただ単純に速度を増加させただけで敵うと思うような短絡的思考など、由里は持ち合わせてはいない。

因みに『身体能力制御』は、最高レベルの騎士が最高レベルの騎士剣を使ったとしてもその倍率は100倍ほど。加えて、不自然な動作から発生する衝撃などを打ち消す演算も必要であり、運動能力を加速し過ぎると、反作用で体を壊してしまうらしい。由里程度の速度では体を壊す心配は無いから、そんな心配をする必要性は全く無い。

そのまま、I−ブレインの性能に任せっきりの状態で、由里はナイフによる攻撃の全てを捌いて、ゲイヴォルグでの反撃に転じる。だが、その時には既にサクラは由里との距離を置いており、ゲイヴォルグによる反撃の一撃はむなしく空を切った。

由里は使おうと思えば『炎使い』の能力も使えるが、このような場所でそんな能力を使ってしまって、万が一火事にでもなったら大問題だという考えが浮かんでしまい、どうしても『炎使い』の能力を使おうとは思えなかった。

―――なら、こちらを使うという手がある。

(I−ブレイン、能力複数起動要領確保。『人形のワルツダンシングドール』稼働)

部屋の隅っこにおいてあった、空っぽのがらくた入れにゲイヴォルグの先端を触れさせ、情報回路を通して命令を送る。

刹那より短い時間で、空っぽのがらくた入れがゴーストハックを起こし、剣の形へと変形を起こす。生成された剣は、そのままサクラ目掛けて一直線に飛翔する。

『人形のワルツ』は、由里が生まれた時から脳内にプログラムされていた『人形使い』の能力のコピー。

だが、所詮は複製。それ故の劣化の悲しき宿命なのか、その程度ではサクラの足止めにすらならなかった。ナイフの一閃、ただそれだけで、由里が作り上げた剣型のゴーストは情報解体されて霧散し、元の空っぽのがらくた入れに戻る。表面に一つ、鋭くて痛々しい傷跡ができていた。

もともと由里としても、この『人形のワルツ』にたいした期待はしてなかったが、こうもあっさりと破られると、さすがに少しは堪えるものがあった。

「『人形使い』…そして『騎士』…やはり貴女は」

かすかな戸惑いの入り混じった、サクラの声。

「その先は、言わなくても分かるんじゃないですかっ」

「……そうだな。そして、続きは、貴女を負かした後で聞かせてもらおう」

「それは無理ですっ。私、負けないからっ」

二人の少女は、再び、そして同時に疾走を開始した。















【 + + + + + + + + + 】
















戦闘開始から、現実時間にして1分が経過した。

刻んだ歩数は数千をゆうに超えたが、それでも建物内部にほとんど損傷は無い。互いに、建物に対して損傷を与えない手段をとっているからだ。

サクラとしては、大きな損傷は起こせない筈だ。万が一大きな損傷が起これば、それなりの爆音や瓦礫の崩壊が起こり、由里のいるこの部屋で異常が起こっているということが外部に知れ渡ってしまうし、シティ・ニューデリーに対しても損傷を与えてしまったという事実が出来上がってしまい、そうなれば、シティ・ニューデリーに協力を取り付けることが難しくなる。

しかし由里としても、下手に爆音や瓦礫の崩壊を起こすことは出来ない。下手をすれば自分が巻き込まれてしまう可能性があるし、何より、由里が家族と過ごしたこのシティの建物を破壊することは、どうしてもしたくなかった。

幾度と無く剣戟を繰り返し、考えうる限り(もちろん、建物を破壊しては拙いという前提があるから、強大な破壊力を持つ能力を封印している為に、選択肢の幅が限られてきてしまっているのだが))の手段を用いて戦闘を行った。

由里とて、最初から全力で飛ばしているわけではない。ある程度、サクラの戦い方が分かった上で、切り札を出して決着をつけるつもりだった。故に、わずかに余力を残した戦いをしている。

だが、だからといって手を抜いているつもりは全く無いし、抜くつもりも無かった。殺されてしまったお爺ちゃんやお婆ちゃん、そして、孤児院の子供達の敵を討つという確固たる信念の中、由里はこの戦いに挑んでいた。

……そして今、由里の頭の中に迷いが生じていた。

「どうして―――」

ただの妄想女だと、そう思っていた。

世界を敵に回してまで、人間を平気で殺して魔法士を生かす―――ある意味では貴族主義のような、魔法士による絶対王政を行うという事に等しき行動を平然と行う、これ以上ないほどにふざけた考えしかもっていない少女だと思っていた。

くだらない考えしか持たないオリジナルだと、蔑んでいた。

こんな分からず屋が自分のオリジナルだと考えるだけで嫌気が差したことだって、何度もあった。

世界の現実と向き合うことを放棄し、夢物語しか唱える事を知らない愚者だと、由里は、サクラの事をそう思っていた。

一人の魔法士の為に、一人の少女の為に大勢の人間を見殺しにしてもいいなどという曲がりきった理屈がこの世界で通用する訳なんてない。

そんな理想の為に数え切れないほどの人間を殺して、それで他者への共感を得られるなどと思っている方がどうかしてる。

サクラの願いは、あまりにも一人よがりすぎる、世界で最高かもしれない我侭。

あまりにも理不尽で身勝手で不条理で非常識で非道徳で、カバーグラスよりも薄っぺらなまがい物の筈の正義。

…だけど、そうだというのなら、どうして。

由里の持つこの能力が、この戦闘技術が、そして、殺されてしまったお爺ちゃんやお婆ちゃん、そして、孤児院の子供達の敵を討つという確固たる筈の信念は、なぜ、そのカバーグラスよりも薄っぺらなまがい物の正義さえ貫けないのか―――!!

「なんで―――、なんでなの―――っ!!」

困惑の中、感情を抑えきれずに、叫んだ。

「―――だから、言っただろう」

由里の言葉に答えるようにサクラが口を開く。その態度はまさに冷静そのもの。

「例え100億の憎悪が私を包み込もうとも、この道を歩むのだと」

静かな口調で、淡々と告げる。

「だから、私はそれが理解できないって……」

「理解してもらおうなど、欠片ほども思っていない。貴女には貴女の生き方が、私には私の生き方がある。それに、今まで養ってきた価値観の違いというものもあるだろう。
 だが、だからこそ、今一度、ここで告げよう」












「―――この世界が私を認めないというのなら、私は、喜んで世界の敵になろう」












……サクラのその言葉を聞いた時、由里は、畏敬の感情を抱かずにはいられなかった。

そして、ここにきて、初めて、気づいてしまった。

後世において、例え世界に名を連ねる大悪党として、反逆者として、愚か者として名を連ねる事になろうとも、それでも、己の信念を曲げない事が『強さ』なのだと。

由里には到底真似など出来ない事だから、理解できなかった。

…しかし、だからといって、ここで易々とサクラに負けるわけにはいかないという気持ちもまた、大きく、強く膨れ上がる。サクラの考えには同意できる点があったが、それでも、同意できない点の方がまだまだ多い。

大好きな家族と、このシティ・ニューデリーで平和に過ごせればそれだけでよかった。あるいは、孤児院に住む可愛い子供達が平和に過ごせればそれでいいと、ずっとそう思っていた。

その思いは、全て、目の前の少女のせいで破壊された。それは確かな事実。

(―――そろそろ、切り札を出すんですっ!)

サクラの台詞を一時的に脳内から追い払い、由里は眼前のサクラを見据える。

今までの戦いで、サクラの戦い方はあらかた把握できた、最も、まだ何かを隠し持っている可能性はある。

だが、それを出される前に勝負をかけるなら今しかないと判断した由里は、I−ブレインに命令を送る。

(『―――原型再現オリジナルレシーヴ稼働。I−ブレイン、急速疲労警報発生―――ALL ON』)

I−ブレインへの急激な負荷により、頭が重くなり、一瞬だけ視界が揺らいだ。

だが、この症状は一時的なものだから大丈夫だと言い聞かせ、由里はそのまま、プログラムの実行を続行する。

由里の周囲を、半透明のゆらぎが包む感覚を、全身をもって確かに感じた。

(『速度上昇』再起動。『原型再現』補助選択。得られる速度を通常の90倍へと設定……前方に攻撃を感知)

設定を構築している最中に、I−ブレインが警告を発した。

「…えっ!?」

見れば、由里の目の前には、既にサクラの姿。右手にナイフを構えて、由里へとまっすぐな突きを繰り出した。

(そんな!どうして!)

疑問が浮かんだが、それよりも先に、サクラの攻撃を防ぐほうが先だと判断し、サクラが取った突然の行動に、由里はギリギリで反応する。ゲイヴォルグを振るい、顔面への攻撃を防ぐ。

だが、由里にはそれが限度だった。ほとんど戦闘経験など無い由里と、百戦錬磨のサクラの経験の差が、ここで如実に出たと言っても過言ではない。

言うなれば―――腹の探りあいに負けた、ということ。

サクラの黒い外套が、まるでゴーストハックされたかのように生物的にうごめく。

あっ、と思った時には、由里の右手に握られた白銀の槍『ゲイヴォルグ』が、まるでゴーストハックされたかのように生物的に動く黒い外套にからめ取られていた。

「返して!返して―――っ!」

一瞬で我に返り、両手を前に振って、由里はゲイヴォルグをとりかえさんとを追うものの、サクラが外套を動かす事によって、由里の手の届かないところに取り上げられたゲイヴォルグを取り返すことはできなかった。

由里のI−ブレインは、外部から能力を使用する為のデバイス―――ゲイヴォルグの補助を得ることにより、オリジナルの90%ほどまで能力を再現可能とする。

そのI−ブレインは非常に特殊な構造をしている。分かりやすい言葉を使うならば『能力を動かすためのハードウェア』と『最低限の能力の基礎となるソフトウェア』は存在するのだが、その代償として『ソフトウェアの機能を向上させる制御プログラム』と『ソフトウェアの起動に必須なプログラム』が入っていないという事になる。そして、後者二つの要素については『ゲイヴォルグ』の力を借りて実行するしかない。

とどのつまり、ゲイヴォルグを奪われてしまうと、外部から能力を使用するためのデバイスが無い為に、何の力も発揮することが出来ないという事。

よって、今の由里は、なんの『魔法』も使えない、ただの一般人と同じレベルに成り下がってしまったのだ。

「さて、チェックメイトだな」

目の前には、勝ち誇った笑みを浮かべるサクラの顔があった。

ぱぁんっ、という音と同時に、頬に衝撃が走る。

サクラが放った平手打ちが、由里の右頬を直撃したという事実に、痛みを覚えてから気がついた。ほぼ反射的に由里の右腕が動き、痛む頬を掌で抑える。涙が一粒、目から零れ落ちた。

続いて、体が持ち上がるような感覚。

「……か、はっ」

白い服の胸倉を掴まれて、由里自身でも意図しない声が喉からもれた。

身長の差はあまり無い為か、足は地面についたまま。しかしそれでも、一瞬、息が詰まるような感覚を確かに感じた。

しかし、それでもサクラに負けたくないという思いと気迫だけはまだ残っていた。故に、由里は心の中にわずかに残った勇気を振り絞り、一言。

「……だんがいぜっぺき」

「ほう、まだそんな口が聞けるのか」

サクラは白い服の襟首をより強く掴み、由里の体をぐい、と引き寄せる。サクラの額に青筋がぴくぴくと浮かんでいるのを確かに確認した。

「貴女を殺しはしない。だが……一緒に来てもらうぞ」

「……どこへですかっ」

「シティ・ニューデリーの『賢人会議』の拠点だ。少々、話したいこともあるのでな」


























<To Be Contied………>















―【 キャラトーク 】―









ノーテュエル
「あ、由里負けちゃった…」

ゼイネスト
「まぁ、ある程度は予測された結末ではあったけどな。
 由里がサクラに勝てる理屈がほぼないのは、今までのエピソードを見ても明らかだっただろう?」

ノーテュエル
「戦闘経験殆ど無いって言ってたからね。でも、由里は逃げようにも逃げようが無かったから、戦うしかなかったわけで……あそこに居るように指示された事自体が拙かったかもしれないわね。まぁ、ハーディンもこうなるとは思ってなかったんでしょうけど。
 あれ?そういえばブリードとミリルと論とヒナは?」

ゼイネスト
「ゲスト召還ボタンの効果切れだ。どうやら1〜2回でランダムに切れるらしい。1回ってのは『呼ばれた回のキャラトーク』も入るから、せっかく呼ばれても、下手すれば次回はいつの間にか出れなくなっている…こう説明すれば分かるか?」

ノーテュエル
「……なんかものすっごく『今考えました』って感じなんだけど!これが噂の後付け設定ってやつね!?」

ゼイネスト
「そこは言わないでおいてやれよ」









ノーテュエル
「うーん、ますます今後の動向が気になるわね」

ゼイネスト
「まぁ、殺されるとは思わんけどな。たぶん、真昼からのいくつかの質問で済むだろ。真昼としても、由里の事は気になっていたはずだからな」

ノーテュエル
「もしかしたら、真昼は気づいているかもね。由里がサクラを元にして作られたコピーだってことに」

ゼイネスト
「ま、由里も文中でそれを公言していたしな」

ノーテュエル
「それにしても、サクラの『世界の敵になろう』発言は、いつ聞いても凄みがあるわね」

ゼイネスト
「そこは全くもって同意かな………まぁ、ある意味では現実逃避の開き直りという解釈も出来なくは無いのだが」

ノーテュエル
「真理だけど、それは言わないほうがいいかもよ」

ゼイネスト
「む、そうか、これは失礼した」




ノーテュエル
「二人きりだと早く終わるわね…」

ゼイネスト
「そうだな…。んじゃ、今日はこの辺かな」

ノーテュエル
「そうね…んじゃ、また次回に、かな」










<To Be Contied〜>









(※キャラ達が言いたい事を言ってくれたので、あとがきはお休みします)
















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