FINAL JUDGMENT
〜戦う理由、守りたい人〜




















シティ・ニューデリーの中央病院は、白を基調とし、てっぺん付近に赤十字が描かれているという、20世紀から全く変わらぬデザインを遵守している建物だ。

入り口はかなり広く、車椅子や松葉杖を使っている患者でも通りやすいように出来ていた。自動ドアの閉じる速度も、デパートなどの其れに比べればかなり遅い。それに、冬という概念の無いシティ内部では、寒さを懸念する必要もない。

一日も早く退院するためにリハビリに徹する人々の姿は、病気持ちであるにも関わらず、とても生き生きとしているように見える。

実際、生きようという確固たる意志を持つ人間は、医者も驚くほど病気が治っていくという話はかなり有名だが、全くもってその通りなのだろう。

そしてその日、病院の自動ドアが開くと同時に、やや急ぎ足で病院内に駆け込む一人の人間の姿があった。

しかし、その見た目は病院内の他の患者や看護婦や医師達と比べると、酷くズレているような格好である。

シルクハットのてっぺんがギザギザになったような、異形の青色の帽子を被り、着ている服の襟の部分には毛皮のようなふさふさがついている。

コートのように長いその服は一部分だけが突出して長く、先端にボタンがついている事から、そうやって止めているという事がかろうじて分かる。

しかし実際、真似してみたいとは思いにくい服装である事は間違いないだろう…とは誰もが思っていたが、その本人の手前、こんな事など口が裂けても居えない。

そして、その人間は、男だった。

紫色の瞳は鋭い目つきを伴っているが、どこか、ほんの少しだけ優しさを帯びた瞳。

紫色の髪の毛は長さが一定しておらず、うなじの辺りで切っているものもあれば、肩より下まで伸ばしているものもある。

そんな外見だから、病院内の人間は自分から彼に積極的に関わろうとはしなかった。最低限の仕事さえ終えればそれでいいと、そう思っていた。

―――だが、彼にとっては、別にそれでも構わない。

他人にどう思われようが、この格好を変えるつもりなどない。人様のファッションなど好きにさせろという事だ。

薬の匂いがするソファのある中央ホールの壁際にある受付所は、カード状の受付証を入れることで受付を済ます事のできるタイプだ。

彼は相当焦っているらしく、受付を終えたカードが機械から吐き出されると同時に、待ってましたとばかりにそのカードをひったくるかのように抜き取り、懐へ入れるのと同時に駆け出す。

向こうから歩いてくる看護婦の脇をすり抜けるように駆ける。風圧で看護婦のスカートがめくりあがったらしく「きゃああ!」という声と、ちょっとした歓声(専ら野郎達によるもの)が上がったが、彼はそれを無視して突き進む。

丁度空いていたエレベータに乗り、七階のボタンを押す。

ボタンの点滅から四秒の間を置いてエレベータのドアが閉まり、上方向へと移動を開始する。

重力が逆転したかのような感覚に襲われるが、彼にとってはそんな事はどうでもいい。

何故なら、今、彼の頭の中にあるのはたった一つの事だけだから。

故に彼は、焦燥に近いものに襲われている。

早く目的地に着きたいというそれだけの気持ちが、彼に焦りという感情を纏わせている。腕を組んで足先でこんこんとエレベータの地面を叩きつつ、口では『まだか、まだか』と小さく呟いている。

三階。

四階。

五階。

六階。

―――七階!!!

ピーン、と、エレベータが目的の階へと到着した事を示すコール音。

エレベータのドアが開くと同時に、脇目も振らずに彼は駆け出した。一応、目の前に人がいない事を確認した上でのスタートダッシュ。因みに、もし曲がり角で誰かとぶつかったら…まあ、そいつに運がないだけだ。おれは悪くない、という、なんとも自分勝手な理論を脳内で展開していた。現実にならなかったのは本当に幸いだった。

目的となる部屋は、720号室。そこを目指し、病院に入った時よりもさらにペースを上げる。

これでは早歩きというより小走りだが、何、気にする事はない。

途中で何人かの看護婦とすれ違い『ちょっと、君!』とかいう声がかかってくるが、そんなものに構っている猶予など無い。

ただ目的地に向かうだけ。他の患者に迷惑をかける心算はない―――最も、フローリングされた病院の廊下を走る事自体が一種の騒音公害なのかもしれないが、これはこの際どうでもいい、と、心の中で勝手に決め付ける。

まあ、後に怒られたらその時はその時だ。

それよりも、彼にとっては優遇すべき事があるのだから。

「…716…717…718…」

視線を上よりにし、部屋の上部にあるナンバープレートに書かれた数字を思わず口に出す。

「…719……720!」

そうしている間にも、目的地に到着。

キキ――ッ、と急ブレーキをかけて、立ち止まる。

病院の床というものは、滑って転倒する事を防ぐために、フローリングではあるものの、それほどぴかぴかには磨かれていない。

故に、彼の急ブレーキの際にも、滑ってすっころぶという間抜けな事態を招かずには済んだようだ。

ドアの前に立ち、胸に手を当ててふぅ、と軽く息を吐く。

そして数秒置いた後に、コンコン、と、白を基調としたドアを叩いた。

数秒置いた後に『入っていいよ〜』という声。

確認の後に、がちゃり、とドアノブを捻って部屋の中に入ると―――。












「やっほー、フェイト、来てくれたんだね!」











―――まるで来るのが分かっていたかのように、名前を呼ばれた。

フェイトと呼ばれた男の目の前には、一人の少女が居た。












その少女の外見年齢はおおよそ十六歳くらい。因みに、本人曰く、実際の年齢は17歳だとの事。

肩口まで届いていない髪の毛の色は黒。その瞳の色はピンク色。

着ている物は、上下とも薄い水色の入院服。その右足には幾重にも包帯が巻かれており、その上から白いギプスでしっかりと固定されている。

さらに、少女は車椅子に座っている―――つまり、少女はそういう病気を持っているのだ。

「今日も来てくれたんだね。フェイト」

聞いているだけで元気っ子だと分かるような声と共に、白い歯がしっかりと見える、嬉しそうな笑みを浮かべる少女。

その笑みが本心からのものだという事は、少女と一緒に居たこの数ヶ月間ですっかり分かってしまった。

「ああ、エルに会うために急いできたんだ。
 …今日は土産は別に良かったんだよな。この前持って来すぎちまったからさ」

ははは、と、少しばかり乾いた笑い。

そう、三日ほど前のお見舞いの時には、近場の店でバーゲンセールが行われていた為に、気がつけば買いだめをしてしまっていたのだ。

下手な主婦顔負けの根性を遺憾なく発揮してしまったようだ―――或いは、ただの負けず嫌いなのかもしれないけれど。

「でもそのお陰で、ボクはしばらくはおやつに困らなくて済んでるから助かってるよ。
 病院内のお菓子って基本的に割高だから、基本的に買わないのがベストな選択肢なんだよね。
 …ところでフェイト、『急いで』って事は…まさか、また病院の廊下を走り飛ばしてきたの?」

エルと呼ばれた少女は頬をむぅ、と膨らませて、ちょっとだけ眉をしかめる。

「ああ、その通りだが、何か文句でもあるのか?」

「大有りだよ〜!もぉ、また廊下走って〜。他の患者さんに迷惑がかかったらどうするのさー」

続いて、ちょっとだけ頬を赤らめての非難の声。

で、病室内で立って行動しているフェイトと、車椅子に座っている少女とでは、当然ながら目線の高さという物が違う。よって、少女は常にフェイトを見上げる形で発言しているのだが、フェイトにとってはその様子がなんだか少しばかりおかしく見えて仕方がない。

例えるなら、年の近い妹を見ているような、そんな感じと似ているのかもしれない。フェイトは兄妹持ちではなく一人っ子でこの世に生まれたから、あくまでも『感じ』でしかないのだけど。

「七階なんかに入院してるからだ…まあ、こればっかりはエルが決める事じゃなくて、病院側が決める事だからな」

このまま少女…エルと目線のあわない状態で会話するのもアレなので、近くにあった据え置きのパイプ椅子に座って手をひらひらと振ってみる。

それを見た少女の顔には、少しばかり諦めの混じった表情が浮かんでいた。

「はぁ…しょうがないじゃないのさ。ボクだって望んで七階なんかに部屋をとった訳じゃないんだしさ…」

溜息を一つ吐いた後に、車椅子の少女―――エルことエルシータ・トゥラムはぽつりと呟いた。

「だけど…それってさ、ボクを待たせたくなかったんでしょ?」

その顔が俯いている。エルがそういう行動を取るという事は、嬉しい、という感情が表に出たときの癖だという事を、これまでの経験とエルとの付き合いで、フェイトは十分に理解していた。

「ああ、その通りだ」

だから、フェイトは即答していた。

エルを待たせたくないというその想いは本当の事だ。たとえ、他の何が間違っていようとも。

フェイトのその発言に、エルシータの頬が緩む。

「嬉しい事言ってくれるね。やっぱり、フェイトは優しいね」

『優しいね』というその単語が耳に届いた刹那、フェイトの心の中に妙な感情が浮かんできた。それが『こっぱずかしい』という感情だと気づくのは直ぐだった。

「エルに嘘はつけないさ…つーか、おれが優しいって…なーんか、そう言われるとすっげーむずがゆいんだが」

少しだけ照れを含んだ表情で、フェイトは右手で後頭部をぽりぽりとかく。

「なんで?ボクは自分が思ったままを言っているだけだよ」

きょとん、とした表情で、エルがそう告げる。

「いや、なんて言うかよ…おれの過去の事は知ってるだろ。
 あっちこっちのシティで戦わされて、たくさんの人を殺してきた。
 それでも…おれが優しいっていえるのか?」

…それは、フェイトの今までの人生だった。

大戦中に生み出されたフェイトは、マザーコアになれない…厳密には、生まれながらにして、I−ブレインがマザーコアとして使用されそうになると特殊なプログラムが発動し、接続している機械全てにウイルスのようなものを撒き散らすようなプログラミングが埋め込まれていたのだ。

故に、フェイトは専ら前線で戦い続けた。『電磁使い』という酷く特殊なカテゴリの魔法士として生み出されたフェイトの能力は、誰が見ても戦闘に特化した仕様だったからだ。

外見年齢弱冠11歳にして、フェイトは圧倒的な力を用いて、敵対するシティの連中を次々と葬っていった。

殺す事は、自分が生きていく為には仕方の無い事だと割り切って生きてきたあの日。そして、戦争が終わっても、フェイトは常に孤独だった。

そしてある日、一瞬の油断から背中に重傷を負い、そこをエルシータに助けられて今に至る。

いくらフェイトが『おれの事はほうっておいてくれ』と言っても、エルシータはフェイトから離れようとしなかった。そんな生活がしばらく続いた後に、フェイトの中に、今まで感じる事のできなかった感情が沸きあがってきた。

それからはフェイトもエルシータに対して好意的になり、その時になり、嫌われるのを承知の上で、フェイトは自分がどういう人間だったのかを話した。だが、それを知っても尚、エルシータはフェイトに対する態度を全く変えなかった。それが嬉しくて、フェイトはそれ以降、エルシータだけは信じようと思った。

ただし、大戦中のフェイトの事はエルシータには断片的にしか話していないから、エルシータにはフェイトの持つ能力の正体なんてわからない。

―――だけど、それでいいと思う。

この忌わしい力の事なんて、エルシータには知ってほしくなんて無いと思うし、何よりエルシータは『そんな過去の事なんて忘れようよ!』と言ってくれた。

その時からだったのだろう…フェイトの心の中から、いつも抱いていた枯渇したような感情が、少しずつ消えてなくなっていったのは。

…しかしそれでも、やっぱり、多くの命を殺めてきたという事実はそこにあるわけで、そう簡単に忘れ去る事など出来る訳が無い。

今のフェイトの発言も、そういった思いが発せさせたものだった。

―――で、フェイトがそう思い返している間にも、現実世界ではエルシータの思考は続いていた。

顎に左手をあてたエルシータは、うーん、と、少しばかり考える仕草を取って、

「言えるよ」

真顔であっさりとそんな事を告げた。

「なに?」

あっさり過ぎるその答えに、一瞬だが驚き、そして聞き返す形になった。

「前にも言ったでしょ。ウジウジ悩むなんてフェイトらしくないよ。
 だって、それはもう『過ぎ去っちゃった事』じゃん。
 事実は事実。だけど、どう頑張っても取り返すことなんて出来ないものだし、それよりも、今を、そして、これからを気にするべきなんだとボクは思うよ」

その台詞を言い終わった時には、ふわりとした笑顔がそこにあった。

「…ああ、そうだな」

まいったな、と思った。

それと同時に脳裏に浮かぶのは、エルはえらいな、という考えだった。

(全く、エルの方がよっぽど大変な事態だっていうのに…どうして、どうして、こうも前向きでいられるんだかな…でも、そのお陰でおれは救われてるんだけどな)

…口に出すのはかなりこっ恥ずかしい台詞なわけであるから、心の中だけに止めておいた。

「…リンゴ、食べよっか?」

前置き無しに聞かれる、今までとは全く別方向の質問。

だがそれは、この空気をなんとか変えたいと思った、エルシータなりの気遣いなのだろう。

一人称こそ『ボク』で、外で元気に遊ぶ事が好きなエルシータは運動が得意で、足に怪我を負う前は毎日のようにあっちこっちを走り回っていたらしい。

だが、世間一般で言うお転婆とは少々違い、こうやって他者を、そして場の空気を気遣う事が出来る人間なのだ。

「ああ」

フェイトとしてもその意見を拒む理由など何処にも無いので、素直に受け取っておく。

「うん、じゃあ…そうだね。これがいいかな?」

枕もとの小さなスチール製の白い机に上がっているのは、器用に積み上げられた八個くらいのリンゴ。

どれも真っ赤に熟しているが、その中でも一番美味しそうなのがてっぺんに乗っている。

エルシータはそれを取ろうとして、車椅子から身を乗り出そうとして、

「痛(つぅ)っ!」

立ち上がろうとした一瞬の内にバランスを崩し、痛みを含んだ声を上げ、エルシータの顔が激痛に染まる。

「馬鹿!立つんじゃねぇ!」

刹那の間に、血相を変えたフェイトもまた立ち上がり、倒れかけたエルシータの身体を抱きとめた。

エルシータの身長は157センチメートルと、女性にしてはちょっとだけ高いけれど、フェイトに比べればその身長差は歴然である。ちなみに、フェイトの身長は180センチメートルだ。

少し力を入れて抱きしめた為に、腕の中から暖かな温もりが伝わってきた。

ついでに、女性特有のふくらみが、フェイトの胸に押し当てられているのは気のせいでも何でもなく、紛れも無い現実であろう。

―――が、当のフェイトとしてはそれどころではない。

胸が高鳴る気持ちを何とか抑えて、エルシータをゆっくりと車椅子へと座らせて、汗を拭うような仕草で一息吐く。

「…やっぱり、無理みたい」

再びフェイトの顔を見上げる形になるエルシータ。車椅子に座りなおした後に、えへへ、と力の無い笑みを浮かべた。

その本心が分かってしまうフェイトには、穏やかな顔なんて出来ない。

普通の人間としての生活が失われたあの日から、エルシータの顔には陰がかかっている。

「リハビリはまだまだ先でいいって先生も言ってただろ。だから、エルシータも無理なんてすんなよ。
 無理してまた怪我が酷くなったら、元も子もないんだからな」

「…う、うん。
 でも、やっぱり、早く前みたいに歩けるようになりたいよ。
 そして、フェイトの隣を歩きたいよ」

「おれだって…おれだってそうしたいさ…」

「…うん」

途端に、陰鬱な空気が漂った。

それは最早、今では失われてしまったもの。二人で並んで『隣同士で一緒に歩く』事。

他の人間がやる分には非常に簡単な、たったそれだけの事。

だが、今のエルシータにはそれすらも出来ない。

走る事が大好きだった少女から、走る事が奪われてしまった。そして、この先、何時治るかも分からない。きちんとリハビリを続けても、元通りに走れるようになるには更なる時が必要だろう。

「ねぇ、フェイト…」

「ん?」

「…ここ2、3日間ほど病院に来なかったみたいだけど、何してたの?」

不安を帯びた表情で、エルシータが問うた。

その質問が告げられた刹那、フェイトの顔が僅かに曇る。フェイトが敢えて沈黙を保っていると、エルシータは俯き、次の言葉を告げた。

「…寂しかったんだよ。ボクの知っている人は今じゃフェイトしかいないのに…お願いだから、ボクの傍にいてよ…。でないと、ボク…」

エルシータの小さな声に、フェイトの胸が締め付けられる。そして耐え切れず、フェイトは歯を食いしばった。

だが、それでも、エルシータに真実を告げることは出来ない。

誰が言えるだろうか―――『賢人会議』という、マザーコアにされる魔法士達を救う為にテロ活動を繰り返す、平和な世界の静寂を打ち破ったテロリスト。フェイトはこれから、そいつらと戦いに行く、などと。

そんな事を言ったら「なんでそんな事してるの!!」とか怒鳴られたりするのが関の山だろう。

それに、エルシータには『賢人会議』についての事は黙っておきたかった。エルシータは『賢人会議』による犠牲者ではあるが、それでも、エルシータを此方の世界には巻き込みたくなんて無いのだ。

エルシータは自分を襲った悲劇を引き起こした犯人を知っているが、それでも、フェイトの前ではそんな事は言わない。何故なら、それはフェイトを再び戦いに動かす事だと気づいているからだ。それは、エルシータの望むところではない。

だが、エルシータの知らないところで、フェイトは再び戦いに身を投じてしまった。

フェイトにとって、今度の戦いは避けられないものだと、そう思うから。

(…………)

しばしの思考を重ねた後に、フェイトは答えた。

「…ああ、ちょいと足を伸ばして探し物を、と思ってな」

…我ながら無理がある回答だな。と思った。

「…そう、なんだ…いいものあった?」

しかし、それでも、エルシータは微笑み、表面的には納得してくれたようだ…つまり、エルシータはそれだけの信頼をフェイトにおいているという事になる。

そう思うと、少しばかり心が痛んだ。

だけど、仕方が無いと割り切るしかない。

「…でも、無理しないでよ。ほんとに」

そんなフェイトの心境も知らずに、エルシータは心配の言葉をかけてくれる。

「…ああ、分かってるさ。
 それが、おれが最も優先すべきことなんだろ」

「そうだよー。
 もし今度、何にも言わないでボクの前から居なくなったりなんてしたら、ボク、絶対に許さないんだからね!」

先ほどまでとは違う、強さを籠めた口調。

ああ、そうだったな。と、フェイトは改めて思い返す。

今のフェイトはエルシータにとってかけがえのない存在になっているも当然だと、前に言われたその時から覚えているし、覚悟も出来ている。

どうしてフェイトなのかは…まあ、思い返すと結構こっ恥ずかしいのでやめておこう。

兎にも角にも、その約束を守るだけ。











【 + + + + + + + + + 】













フェイトにとって全てが変わったのは、あの日、あの時だった。

マザーコアになれないが故に背負った宿命は、フェイトに別な役目と別な少なくともフェイトにとっては目的の無い殺戮。

シティを転々とし、とにかく生きる事に固執した。

他者の命などどうでもよかった。

最早人を殺すことに慣れすぎたこの身体は、命を奪っても何も感じなかった。

ただ、陳腐な脱力感に襲われる―――それだけだった。







大戦が終わっても、虚ろな瞳のまま、真っ白な頭の中のまま、あちこちを気ままに歩んで生きてきた。







一瞬の油断で背中に大怪我を負い、気がつけばシティ・メルボルンまで来ていたあの日。

出血多量で意識を失いそうになったフェイトは倒れこみ、最後が訪れるのをただひたすらに待っていた。

だが、最後は訪れなかった。

何故なら、その時、フェイトに声をかける者が居たからだ。









「お―い、生きてるかぁ」








フェイトが目を開くと、そこに居たのは一人の少女だった。

肩まで届いていない、やや短めの髪の毛。

服装は白いジーンズに黒のカーディガン。何故に相反する色のコーディネイトを行っているのかをつっこむ気になど到底なれなかった。

誰だ、と思った。

人が折角楽になろうとしているところに邪魔をするな、と、悪態の一つでも吐いてやろうと思い、口を開こうとした刹那、

「あ、なぁんだ、生きてるじゃないの。
 こんなところで寝てたら風邪引くよ?」

…ものすっごく能天気な単語を用いた答えが返ってきて、フェイトの中の反論しようという気力が一気にダウンする。

心の中に湧き上がってきたものはやるせなさ。とりあえず、ものすごく億劫だが説明すべきだと判断したフェイトは、背中を指差して一言。

「…お前、この背中の傷が見えないのか?」

「背中の…傷?
 え?ウソ?キミ、背中を怪我してるの?た、大変じゃない!!
 だって、仰向けになってるし、血も何も見えないから気づかなかったんだって!」

「…何?」

驚愕に染まった少女の声を聞いて、フェイトはその時になって初めて、自分が仰向けで倒れていたという事に気がついた。

そもそも、フェイトが倒れる原因となった外傷は背中の傷以外には存在してない。これでは目の前の少女がフェイトの倒れている理由に気づくわけが無い。

「う、うわぁっ!」

少女は目を見開き、ちょっとだけ後ずさる。

フェイトの背中が血塗れだった事に対しての驚きとみて、ほぼ間違いないだろう。

だが、少女は驚きもそこそこに、すぐにフェイトの元に寄り添った。

「ねぇ!?ほんとに大丈夫なの!?
 手遅れにならないうちに早く病院に行こうよ!ボク、腕のいいお医者さん知ってるからさ!」

フェイトの左腕に触れる、白い小さな両手。

かすかに籠められる力が、その左腕を引っ張った。

だが、それはフェイトにとって、他ならない余計なお世話でしかない。

敢えてドスを効かせた声で、告げる。

「…なんでだ」

「え?」

両手に籠めてる力はそのままに、少女はきょとんとした表情になる。

「なんでおれなんか助ける?
 背中にこんな大怪我負ってる奴を見て、なんとも思わんのか?」

「…ええっ、何を思えばいいのさ?」

おいおい、とフェイトは思った。

普通、そんな怪我をするのは『そういった』職業の人間だと相場が決まっている―――少なくとも、この世界では。

だが、目の前の少女はそんな事すら分からないらしい。

それに、見て見れば分かるが、少女の服装にはおしゃれ感があるとはいえないが、その顔には少々だが化粧の後が見られた。

ふと心に浮かんだのは「どれだけのお嬢様な人生送ってきたんだ」という思い。

そんな思いと、フェイトが先ほどから思っていた『うざったい』という気持ちが合わさって、フェイトにさらなる台詞を放たせた。

「いいか、この際だから教えてやる。
 こういう怪我を負ってるって事は、戦いを生業としている人種。で、おれはちょっとした油断からこうなったんだ。
 そんで、おれにとっちゃ、お前は出会ったばかりのただの他人。そしてお前から見ても、おれはただの他人。
 …だからほっといてくれ。そんな奴の事なんかよ」

吐き捨てるように、告げた。










―――刹那、ぱぁん、という音がした。

平手で頬を叩かれたと気づいたのは、一秒ほど経ってからだった。










「―――な」

フェイトにとっては、頬の痛みなどあまり関係がなかった。

寧ろ、目の前の少女がそういう行動に出た事の方が意外だった。

「関係なくないよ!目の前で倒れそうな人が居るのに、それを放っておくほどボクは人でなしじゃない!」

叫ぶような声が、真正面から浴びせられた。否、実際に叫んだのだろう。

その時点で、フェイトは反論する気力を完全に削がれてしまった。












その後、少女はエルシータという自分の名前をあっさりと明かした。

持ち合わせのタオルでフェイトの背中の傷に対してとりあえずの止血をした後に、フェイトの右腕を掴んで一言。

「ほら、病院に行こ!」

「…あー。分かった分かったからよ、そんなに急かせんな」

物凄くぶっきらぼうに返答をし、エルシータの言うとおりにすることにした。

視界はおぼつかないし、気力も失せてしまってなにもかもがどうでもよくなってしまい、エルシータに連れられて病院へと足を運んだのだった。





それから先の事は、頭がぼうっとしていたのでよくは覚えていない。I−ブレインの記憶領域を使って、その記憶を思い出そうとすればきっと思い出せるのだろうけれど、それはいつでもできそうな事なので、敢えてやろうという気にはなれなかった。

確か、フェイトを一目見た病院の人間達に驚かれて、その後にすぐに大人しく怪我の手当てを受けて、フェイトは横になった筈だった。

その時は、全くもって動く気がしなかった。

全身を襲う無気力感と脱力感のせいで、思考は果てしなく鈍っていた。頭に靄がかかっているような感覚が常々にあるような、そんな感じ。

エルシータが何か言っていたが、殆ど耳に入らなかった。

言うべき事を全て言い終えたらしいエルシータが『じゃあ、大事にしてるんだよ!』と言い残して帰った後も、ただひたすらにぼうっとしていた。

その内に眠気に襲われて、気がつけば、泥のように深い眠りについていた。










その後も、エルシータは毎日のように病院へと通ってきてくれた。しかも、決まって毎日同じ時間帯に。

必ず、手荷物として何かを持ってきていた。それは

今まで誰にもされた事のない、怪我の手当て。そして、誰かが毎日、自分の事を訪問してくれるという事。

それは、フェイトにとって、とても新鮮なものだった。

『いちいち来なくていい』と、エルシータの事を邪険に扱ったフェイトだったが、それでもエルシータはフェイトの態度に対して怒る事は無かった。それどころか、『だーめ、最初に言ったでしょ。ボクは怪我人を放ってなんかおけない性格だって』と、寧ろ笑顔を浮かべてきたほどである。

フェイトがどんな態度を取っても、エルシータは態度を変えなかった。

ナイフでりんごを切ってくれたり、部屋の窓を開けてくれたりと、まるで入院患者の身内みたいな事をしてくれた。勿論フェイトは『おれでも出来るからいい』と否定したのだが『だーめ、病人は大人しく寝てて』と、エルシータにあっさりと諭されるのであった。

因みに、フェイトとしても、早いところ怪我を治したいという気持ちはあったので、包帯を取り替えたり薬を飲んだりと、病院から言われた事には逆らう事無く従っていた。2,3日程度ならベッドの上で横になっていても平気だったのだが、それを過ぎると流石に身体を動かしたくて仕方がなくなってくる。そういうわけで、早いところ動けるようになりたかった。

それでも、久々に訪れた安らかな日々は、フェイトの心の渇きを、少しずつ癒していった。











それから数日がたったある日から、変化は起きはじめた。

(…なんでだ…)

朝、鉄パイプベッドの上で目を覚ましたフェイトが、真っ先に考えた事はそれだった。

目が覚めた途端、意識が覚醒し、頭にかかっていたもやが取り払われるような感覚に陥る。二度寝など到底不可能な状態だ。

かといって朝食はまだだ。病院では食事の時間が決まっている。

それ以外に特にやる事もないので、しっかりと見開いた目で、まだ暗い天井を見上げながら、心の中だけでフェイトは自問自答することにした。

(最初の頃はあいつの…エルシータの事がうっとおしかったはずのおれが、このごろはエルシータが来てくれることを、心のどこかで楽しみになっている…認めたくねぇが、間違いなくそうだ)

ここまで考えて、フェイトの心の中に、確実な変化が起きていることに自分で気づいた。

毎日決まった時間に病院に来てくれて、フェイトにいつも笑顔を向けてくれていた少女の顔が、忘れられなくなってきたことを素直に認めた。

そして、その感情は表面にも影響を及ぼし始めたことにも気づいていた。先日から、病院の中で行動するエルシータの姿を目に止めるたびに、フェイトの意思に関わらず自然と目つきが優しくなる点に、フェイトは自分で気づいていた。

そして、どうしてそうなるのかも、今のフェイトであれば、全て分かった。己の心に嘘をつくわけにはいかず、ふ、と、小さく息を吐いた後に、脳内で一つの言葉を告げた。

(試しに、優しくしてみるか…エルシータと一緒にいる時間は、嫌いじゃないからな)












「―――あれ?今日はなんだかいつもと目つきが違うよ、どうしたの?」

ナイフで梨の皮をむくエルシータをぼうっと見ていたところ、即効でエルシータに指摘を喰らった。

「べ、別になんでもねぇよ」

なんとなく気まずい気持ちになり、フェイトはぷい、とそっぽを向いた。

「そ、それよりよ…」

次の瞬間、フェイトの口から出た言葉は、フェイト自身も考えた事の無い言葉だった。否、ただ単に心のどこかで考える事をしようとしなかった言葉なだけであって、出そうと思えば出せた言葉だったのだろう。そしてそれが、ふとした弾みから出てしまったのだ。

「…い、いつも来てくれて、ありがとうよ、とだけは言っとくぜ」

「あ、フェイトがボクにお礼を言った。うわー、初めて会ったときからは想像もつかないねー」

ちょっとばかりからかうような口調で、エルシータがそう告げる。

「…なんかしらねぇが、お前のお陰ですっかり変わっちまったみたいだぜ、おれ」

「うわぁ、それって褒め言葉?
 でもさ、実際問題、ボクと出会ってから、フェイトって雰囲気変わったよね」

フェイトの口から、さらにぽろりと一言がこぼれ落ちた。

「ああ、そうだな………エル」

「…え!?」

それは、フェイトが昔得た知識から起こした行動。

女の子は、自分の名前を略して呼ばれたりすると喜ぶ……どこかで誰かに言われた、どこか間違っている可能性もある格言。しかし、この場合、そしてエルシータという少女にとっては、この行動は間違いなんかではなかったようだ。

エルシータの瞳が、驚きによって大きく見開かれた。同時に、ナイフを動かす手もぴたりと止まった。

「フェイト、今、ボクの事、エルシータじゃなくって『エル』って呼んだ!?」

剥きかけの梨と、梨の皮を剥いていたナイフをお皿において、エルシータはフェイトに駆け寄って、予期せぬ事態に対応しきれない人間のような口調で、フェイトに問いかけた。

「な、なんだよ。別にいいじゃねぇか。お、俺もよくわからねぇけど、おれが呼びたくなったからそう呼んだんだしよ…あ、やっぱイヤだったらやめるぞ。決定権はエル…じゃなくてエルシータにあるんだからよ」

二秒ほど間を置いて、エルシータが答えた。

「…う、ううん!いいよ!ボクの事、エルって呼んでいいよ!
 …でも、なんかそんな風に言われるのって初めてだから、ちょっと恥ずかしいかも…あ、でも、やっぱり嬉しいって気持ちの方が大きいよ!」

両手に握りこぶしを作り、僅かに頬を赤らめたエルシータは、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべながら。

その笑顔を見たとき、フェイトの心の中で、一つの決定的な答えが生まれた。

同時に、心の中で、こんな事を思ってしまっていた。

(…可愛いじゃないか――――――)










背中の怪我が完治したその時、フェイトの心は、それまでと違って、何か憑き物が取れたような、さっぱりとした感じだった。

この日も、エルシータは決まった時間帯に来てくれた。いつもと違い、右手に、中くらいの大きさのお弁当箱を二つほど持っていた。

「退院おめでとー。じゃあ、お祝いに膝枕したげるね」

「なんでおれがお前に膝枕されなきゃならねぇんだ!」

「もー、恥ずかしがっちゃってー」

「いやまぁ、確かに恥ずかしいのは変わりないんだけどな…って、納得してる場合じゃねぇっての」

「…むー、まぁいいや。
 その代わり、お外でお弁当食べよ」

「…ん、エルの料理?そういえば、エルって料理できたんだっけ?」

「あー、ひどーい。出来るよー、失礼だなぁ」

ぷー、と頬を膨らませ、エルシータはへそを曲げた女の子の態度を取った。

「あー、悪かった悪かった。
 んじゃ、早速行こうぜ。腹減っちまってよ」

「…うん!いこ!」

さっきまでへそを曲げていたかと思えば、立った一言ですぐに機嫌が直るあたり、思ったより単純なんだなと苦笑しながら、フェイトはエルシータに手を引かれながら、外へと向かった。










涼しい風の吹く、公園へとやってきた。

周囲にはそれなりに人がいる。ベンチに座って昼寝している老人、砂場で遊ぶ子供達を見守る母親、きーこきーこと前後に揺れるブランコに乗って、嬉しそうな声をあげている幼い子供。

それぞれが、それぞれの時を過ごしていた。

周りの様子を横目に、フェイトとエルシータは空いている白いベンチに腰掛ける。

弁当箱の包みをあけると、ピンク色の蓋と白い容器の、いかにも女の子向けですといった感じの弁当箱の姿が露になる。

ぱかっ、と蓋を開けると、色とりどりの野菜や果物や肉が姿をあらわした。

「ご飯は下のお弁当箱に入ってるよ」

「いちいち説明するのかよ」

「あははっ、いいじゃないの〜」

ふんふん、とご機嫌に鼻歌を歌いながら、エルシータは箸をとりだして、おかずの入った弁当箱の中からタコの形をしたウインナーをつまんで、フェイトの方へと差し出した。

「はい、あーん」

笑顔で、あっさりと告げられた。

「…するか!んなこと!」

「ちぇーっ」

ぷー、と頬を膨らませるエルシータ。この仕草を見るたびに『本当に子供だな』と思うが、当然の事ながら口には出さない。

しかしながらこれで引き下がるエルシータではなく、んー、と、空いている左手の人差し指を頬に当てて、僅かに視線を空へと逸らして何かを考える仕草をとる。

三秒ほどして何かを閃いたらしいエルシータは改めてフェイトの方へと向き直り、告げる。

「じゃあさ、せめてボクが膝枕してあげてる状態で食べて」

「…まだ『あーん』された方がましだろ、それ!」

「どっちがいいのさー」

「まて、選択肢はその二つしかないのか!」

「無いよ」

「あっさりと断言したなお前」

…とりあえず、他の人の目を考えると『あーん』されたほうがまだマシだと判断し、フェイトは諦めてエルの我侭に答えてあげる事にした。

「そうそう、そうやって素直になってくれればいいの〜」

「あのな、おれの方が年上だって分かってるか?」

そう、そうなのだ。

外見年齢の話とはいえ、フェイトは21歳で、エルシータは17歳。普通に考えればフェイトの方が年上なのは明らかである。

ただし、実年齢となると話は別となる。外見こそ大人のそれだが、フェイトの実年齢は10歳。そうなると人間であるエルシータの方が年上になってしまうのだが、フェイトはまだエルシータに自分の実年齢を告げていないので、そのあたりの心配は今のところはなさそうだった。

「分かってるよ〜」

絶対にわかって無さそうな口調だった。

無理をせず、ゆっくりと、タコの形をしたウインナーがフェイトの口に運ばれる

ゆっくりと咀嚼する―――お弁当の味は、絶品だった。

「ねぇ、どう?どうかな?」

文字通りに瞳をきらきらさせて、エルシータはフェイトの答えを待つ。

「んー、そうだな…」

以前までのフェイトであれば、きっと、捻くれた答えを返していただろう。

だが、今では既に、フェイトの性格の棘は取れてしまっていた。少なくとも、このエルシータという一人の少女の前では、素直な自分であるべきだと、フェイトはそう決めていた。

晴れ晴れした気持ちで、フェイトは告げた。

「ああ、最高の弁当だ!」

「―――やった―――っ!!!」

大げさじゃないのかと思うほどに、エルシータはとびっきりの笑顔でバンザイをした。

その時のエルシータの顔を、フェイトは一生忘れる事は無いだろうと、素直にそう思った。

「で、で!
 次は何がいい?ほうれん草の胡麻和え?ふっくら卵焼き?
 お肉もあるよ。豚肉と野菜の肉野菜炒め!あ、そういえばフェイトは白菜の漬物が好きだったよね?はい、あーん」

「あれだけ選択肢出しといて勝手に自己完結すんじゃねぇ!…でも喰うけどな」

「最初から素直にそう言えばいいの!」

ぱくっ、と、白菜をくわえる。しょっぱすぎず甘すぎず、まさに丁度いい塩加減だ。

尚、周りのごく一部からの視線が痛かったが、全くもって気にならなかった。突っかかってきたら突っかかってきたでその時だ、問答無用で返り討ちにしてしまえばいい。












―――この時、フェイトは決意した。

これからは、エルシータの前で素直に生きるだけではなく、先すら見えない地獄のような世界から自分を救い出してくれた、この少女を守る為に生きよう、と。

それを成し遂げられるだけの力を、フェイトは備えているのだから。










【 + + + + + + + + + 】













だが、ある日、『賢人会議』が引き起こしたシティ・メルボルンでの戦いが原因で、全てが変わった。

シティ・モスクワとシティ・メルボルン跡地の連合軍に喧嘩を売った『賢人会議』とかいう組織が、シティ・メルボルン内部で反乱を起こしたのだ。

この事件により、シティ・メルボルン跡地の五分の一ほどが崩壊し、その際に多くの死者が出た。

後に、この事件で、全てを失った人も数多かったと聞いた。









そして、何かを失ったのはエルシータも同じだった。

あれは、フェイトがエルシータへのお土産に何か果物でも買っていこうかと思った、その時だった。

突如として爆音が耳をつんざき、店内が一気にパニックに陥った。

丁度会計を終えたタイミングだったので、何事かと思って大急ぎで外に出てみたところ、目を疑った。

辺り一面はまさに地獄絵図だった。うずたかく積みあがった瓦礫の山がどこまでも連なる、廃墟のような光景だった。まともに原形をとどめている建物は一つとして無く、舗装タイルの砕けた通りはそこかしこで陥没していた。

炎の残りかすは街のいたる所でくすぶり続け、噴きあがった黒煙は街の天井を覆っていた。

弱々しく響く苦悶の声と、肉のこげる嫌なにおい。

家を出て直ぐ前にある通りの両側には、助けを求める怪我人と、既に動かなくなった黒い墨の塊が幾つも転がっていた。

今までの人生で人間の死を見慣れたフェイトにはそれが特に気持ち悪いなどと感じる事は無かったが、それでも、エルシータによって戦いを忘れる事の出来ていた今では、心のどこかに、何かがこみ上げるものがあった。

哀れな、と思った。

可哀相だ、と思った。

嘗てのフェイトであれば、このような場面に遭遇しても、何も感じなかっただろう。或いは『弱いから死んだんだ』と思ったかもしれない。

だが、今この時、慈悲を示す言葉をフェイトは考えてしまった。

己の心の中に人間らしい感情が戻ってきているのを実感せずにいられない。人間らしい感情を取り戻させてくれたのは、間違いなく一人の少女のお陰である事にも気づいていた。

さらに周囲を見渡すと、まともに動ける者は大半が逃げ去ってしまった後らしく、足を怪我したものが多かった。

自治組織の兵士達が戦闘を放り出して救助に当たっていたが、とても人手が足りないようだった。

泣き叫ぶ力が残っている者はまだましな方で、大半の怪我人は通りの隅にぐったりと横たわり、あるいは膝を抱えてうずくまっていた。

路地の陰で、六歳くらいの少女が一人、動かなくなってしまった母親の遺体にすがって泣いていた。

そこで初めて、少女の泣き声がフェイトの意識を現実へと引き戻す。

「―――エルッ!!」

脳裏に浮かんだのは、一人の少女の顔。

明るい笑顔で、周囲を、そして、フェイトのすさんだ心すらも癒してくれた少女―――エルシータ。

そのエルシータが危険な目に遭ったのではないのか、という嫌な予感は一瞬にして胸のうちの全てを支配する。

無意識のうちに、刹那の間を置いてフェイトは全力で駆けだした。向かうのは、シティ・メルボルン跡地の街の外れにある彼女の家。

(無事でいてくれ…エル!)

―――胸の内でざわめく嫌な予感が外れてくれる事を祈りながら、フェイトは滅亡の街の真っ只中を駆けぬけた。













―――嫌な予感は、当たった。

そこには、元型を止めていない家と、その下敷きになっている一人の少女がいた。

少女の頬には五寸釘が浅く突き刺さっており、白い頬を赤い血が滴っていた。

だが、それより何より、少女の華奢な体の上に覆いかぶさっていたものを直視した瞬間、フェイトの意識が一瞬どこかに飛びかけた。

それは、砕けた壁。

それは、ひび割れた屋根。

それは、折れた柱。

それは、割れた窓。

それは、壊れた家具。

いずれも、少女の家を構成する物体。

それらが、少女の下半身に、まるで少女を押しつぶさんとばかりに容赦なくのしかかっていた。

「―――ッ!!!」

最早、選択の余地は無い。

フェイトの脳内で、今、再び【力】が呼び起こされる。フェイトの能力なら、この瓦礫、細腕の人間でもぶっ飛ばせる程度にまで破壊する事が可能だ。

きっ、と目を見開き、右手を、少し前までは家だったモノへと向ける。

一瞬で、戦場に居る時とほぼ変わらぬ集中力が脳を支配した。

コンマ下二桁、ずれる事無く照準を合わせる。

脳内に命令を送り、フェイトが生まれながらに所持している能力が、今、放たれた。

(I−ブレイン起動。『鮮血の宴ブラッド・カーニバル)』発動)

フェイトが手をかざした途端、瓦礫の周囲の空気に異変が起こる。ぴりぴりという音がして、次の瞬間には強力な電磁場がなんの前触れも無く出現した。

『電磁力学制御』を用いて、空間に干渉して電磁場を発生させる―――これこそがフェイトの能力。大戦時代に数多くの命を奪ってきたこの力が、今ではとても力強いものに感じた。

現実時間にして二秒とたたないうちに、がらがらがらんという大きな音をたてて、エルシータに覆いかぶさっていた、少し前までは家だったモノの大半が跡形もなく消滅。

通常、人間が強力な電磁場に触れると、血液中の鉄分が反応して、血液が一瞬にして沸騰し身体が爆発してしまう。

だが、エルシータにはフェイトの能力によるダメージは欠片ほどもない。ダメージがいかないように上手く調整した為だ。

「このクソ瓦礫!邪魔だっ!どきやがれ!」

僅かに残っていた少し前までは家だったモノを、全力を込めた左足の一撃で一蹴し、五メートルほど吹っ飛ばす。

フェイトはこれでも運動能力に自信はあるから脚力はあるし、履いている靴は防御性能と軽さを両立した特別製のものだから、瓦礫を蹴飛ばしたところで、フェイトの足にはダメージが来ない。

邪魔だった瓦礫が吹っ飛んだ事により、今まで遮られていた部分が明らかになり―――フェイトは息を呑んだ。

…エルシータの細い右足が、血で濡れていた。

医学にそれほど詳しくないフェイトでも、この状態が危険だという事は十二分に理解できる。即座にしかるべき治療を施さなければ取り返しのつかないことにもなりかねない、そんな状態。

だが幸い、左足には殆ど外傷は無いように見える。

だから、急げば何とかなると信じたかった。

「――エルッ!起きろ、エル―――ッ!!」

大声を張り上げ、フェイトは少女の身体を軽く揺さぶる。心のうちによぎる不安を取り除く為にも、エルに意識を取り戻させる事から始めなければならないと判断したからだ。

数秒の時を要して、やっと、エルシータが目をうっすらと開けた。

「エルッ!」

安堵の気持ちと共に、叫んだ。

「…う、あ、ふぇ…フェイト…痛っ!」

意識を取り戻した事で、右足の激痛がようやく痛覚として認識されたらしく、エルシータの顔が痛みに歪む。

「待ってろ!今、おれが病院に連れて行く!」

フェイトの二の腕の中に、さして小さくもないエルシータの体が収まる。俗にいうお姫様だっこだが、その時のフェイトにはそんな事まで気にしている余裕などなかった。

「…ま、待ってよフェイト…。
 こ、これは一体何の冗談なの?
 ボクの街、どうなっちゃっ…つぅっ!!あ…うぁう……」

改めて周囲を見渡したエルシータが、小さな声で疑問を口にする。が、右足を襲うあまりにも残酷な痛みが、その疑問すらエルシータに最後まで言わせてくれなかった。声を出すたびに、耐え難い痛みがエルシータを襲う。

「…何も、何も口にすんじゃねぇ!おれが…おれが絶対に…エルを病院まで連れてってやるから、それまでずっと黙っていろ!」

痛みを肩代わりできればどれほどよい事か、と思っていたが、現実的にそんな事が出来るわけもなく、フェイトは最小限の言葉でエルに一喝した後に、ただひたすらに、前を向いて走り抜ける事しか出来なかった。













病院に運ばれたエルシータは、シティ・メルボルンの病院の集中治療室へと運ばれた。

そして全ての治療が終わり、フェイトが見たものは、右足に包帯を幾重にも巻きつけた、痛々しい姿だった。

診断の結果、エルシータの症状は複雑骨折だった。

全治には三ヶ月以上もかかると言われており、無論、走る事などご法度だというドクターストップまでかかってしまった。

片足だけとはいえ、今は動かすのもよくない状態であるが故に、松葉杖を使えるわけも無い。

故に、エルシータは病院の中で過ごすことになった。それも、状況が混乱しているシティ・メルボルンではなく、エルシータが元々住んでいたシティ・ニューデリーの病院で、だ。















因みに、このような手配をしてくれたのが、人々の間で『聖騎士』と呼ばれる青年、ハーディン・フォウルレイヤーだった。

後に知った事だったが、フェイトがエルシータの救助に当たっていた時は、ハーディンもまた救助活動で別の場所で人間達を助けていたのだ。

フェイトが病院へ向かう時に二人は同じ場所に鉢合わせをしたのだが、その時のハーディンは非常に多忙な状態にあったので、フェイトの姿はその眼には入らなかったらしい。

然しながらフェイトはハーディンの姿をその眼にきっちりと収めており、それと同時に、過去の記憶を思い出した―――というより、緑の青の異色眼をどこかで見たような気がして、I−ブレインを起動して過去の記憶を洗いざらい探し出したところ、十年前に自分の三つとなりの培養層にいた、青と緑のオッドアイの少年の顔を思い出した。

そして、その時、フェイトを作ったマスターから言われた言葉が脳裏をよぎった。

『―――もし、この子と出会ったら、仲良くしてあげてね。あなた達には、いいお友達であってほしいから』

それは、今までの人生の流れのせいで、忘れていた言葉だった。

とどのつまり、フェイトがハーディンを知っていたのは、こういうわけだったのだ。













二人は、直ぐに病室に案内された。

部屋は一人用の小部屋で、窓は中くらいのが一つだけという、どこにでもありそうな病室だ。

一通り説明を終えた看護婦が部屋を出ていった後、二人だけが残された。

数秒の沈黙の後に、沈んだ表情で、ベッドに腰掛けていたエルシータが小さな声でフェイトに告げた。

「ねぇ…フェイト…」

「…ん?」

「ボク、お願いがあるんだ」

「なんだよ?何でもいいから言ってみろって」

「うん…あのさ」

一呼吸おいて、続ける。

「…ボク、泣いていい?」

「――――ああ、気が済むまで、泣いていい」

「そう、じゃあ、その言葉に甘えるね」

そこまでが、エルシータの限度だった。

刹那、エルシータは迷う事なくフェイトの胸に飛び込んだ。

「うわあああああ――――――ん!!うあああぁぁあぁあぁあぁぁぁん!」

大声で、子供のように、エルシータは泣きじゃくった。

溢れて止まらない涙が、次々とフェイトの服にしみを作っていくが、そんなものは全く気にならなかった。

フェイトは無言のまま、自分よりも遥かに小さくて細い身体を、ぎゅっと抱きしめていた。

『助かってよかった』などという台詞は、到底言えなかった。











元々、エルシータはシティ・ニューデリーにて一人暮らしをする少女だった。

両親は当の昔に他界しており、エルシータは誰もいない空き家で生活を営んでいた。

因みにそれまで何をしていたかというと、シティ・ニューデリーにある孤児院の一つ『ユニコーン孤児院』で過ごしていて、つい四ヶ月ほど前に独り立ちを始めたという事だった。

今回、シティ・メルボルンに来ていたのは、シティ・メルボルンに住んでいた祖母が他界した為に、お葬式に来ていたためだった。そのお陰で、フェイトはエルシータと出会うことが出来た。

だが、そのお葬式に来たことが、エルシータの悲劇の始まりでもあったのだ。

エルシータは家族を失っただけではなく、自分の足さえも一時的にだが奪われた。帰れる場所も、自分にとってのアイデンティティも奪われた。















先にも述べたが、エルシータには肉親が一人もいない。よって、フェイトはエルシータの保護者という扱いになり、エルシータにつきっきりで看護する役目を担う事になった。右足を失った心のケアも必要で、その為にはあんたが必要だ、と、エルシータの主治医は言っていた。

フェイトはつい最近までこの病院にお世話になっており、退院後はシティ・メルボルン跡地にあるエルシータの家で世話になっていた為に、自分の家など持っていなかった。

…いらぬ誤解を招かないようにする為に先に説明しておくが、所謂『ヒモ』ではない。フェイトの預金口座には大量の蓄えが存在するので、それで二人分の食費や光熱費などを全て払っていた。

因みに、フェイトの預金は、3人家族が1年間働かなくても暮らせる額にまで達していた。

尚、エルシータの入院費だが、祖母が残してくれた遺産のお陰でなんとかなりそうだ、との事らしい。














その夜、泣きつかれたエルシータがすっかり寝入ったのを確認した後に、フェイトはゆっくりと立ち上がった。

―――どうしてだ、とフェイトは思った。

どうしてエルのような子が、こんな目に遭わなければならないのかと思った。『少し散歩してくるわ』と書き置きを残し、空っぽの心のまま、外へとぶらりと出たフェイトは、気がつけば瓦礫と化したエルシータの家の前にいた。

胸の奥から激情が湧き上がり、感情に任せるままに天を仰いで叫んだ。

「――何故だ!」

両手の拳に力が篭る。怒りという感情のなせる、それは最も人間らしい行動。

「――なんでエルシータがこんな目に遭わなきゃならねぇ!エルシータが何をした!」

自分にこんな人間らしい感情が何時の間に戻ってきたのか、そして、そうなるきっかけが何にあったのか―――フェイトは今になって、それを実感した。

全ては、光のような笑顔を浮かべてくれる、一人の少女のお陰だった。

そして今、フェイトを助けてくれた少女は、慈悲も情けも無く、地獄へと突き落とされた…皮肉にも、そんな表現がよく似合う状態にされた。

続けて、感情のままに、しかし、自分でも驚くほど覚めた声で、フェイトは告げた。













「――許さねぇ。
 おれはこの事件を引き起こした犯人を絶対に許さねぇ。たとえ地獄の果てまで追いかけても―――殺してやる」














心の中にふつふつとした、それでいて確かな怒りが沸きあがってくるのを、フェイトは感じていた。

怒り―――こんな感情が訪れた事自体、本当に久しぶりの事だと思う。

だけど、この時は、本当に何かが違った。

嘗ての頃のような無気力さなど微塵もなく、体全体に力がみなぎるような感じ。

感情が全てを突き動かす。確かな意思が心の底から沸いてくる。それは殺意に等しき憎しみだ。










【 + + + + + + + + + 】













それが、フェイト・ツァラトゥストラが『賢人会議』を憎む、最大の理由。

そして今、フェイトはついに『賢人会議』と戦おうという同志に出会うことが出来た。














―――ロケットペンダントの蓋を開ける。

そこには、フェイトとエルシータが、仲良く並んでいる姿がうつっていた。

(エル…)


















(おれは、戦うよ―――――――――お前の為に)























<To Be Contied………>















―【 毎度おなじみキャラトーク 】―










ゼイネスト
「―――以上、フェイトの過去編をお送りいたしました」

ノーテュエル
「うわわー、まさかフェイトにこんな過去があったなんて想像もできなかったわ!」

ゼイネスト
「そうだな、この話で、読者のフェイトに対する見方が少しは変わるのかもしれないな。因みに作者としては、フェイトは早めに伏線を明かしたかったようだ」

ノーテュエル
「んー、でも、そもそもフェイトって、登場してからまだ日が浅いから、下手したらフェイトというキャラの特徴を掴んでない人の方が多い気がするんだけど」

ゼイネスト
「そういえば、その可能性も十分に考えられるんだったな…」

ノーテュエル
「まあいいか。んじゃ、気を取り直して本題へいくわよー。
 なんていうか…愛に目覚めて性格が柔らかくなった…ってケースよね。それも、デスヴィンとはまた違う形でさ。
 うんうん、WB世界における女性の力は強いのよ!」

ゼイネスト
「WB世界じゃなくても強い気がするけどな」

ノーテュエル
「茶化さないの」

ゼイネスト
「おっと、悪かったな」

ノーテュエル
「エルシータもまた、今までにいないタイプよね。
 ってか、ここで初めてボクっ娘が出てきたわね…。
 しかも、ボーイッシュかと思えばそうじゃないし…うんうん、実に斬新だわ」

ゼイネスト
「作者も新しい境地に挑戦してみた、という事か。
 …しかしまあ、またしても対『賢人会議』派の魔法士か…どう考えてもシティと『賢人会議』の割合がつりあってない気がするぞ」

ノーテュエル
「まあ、この物語、オリキャラ勢が総じて中立派だからね。マザーコアがどうのこうのよりも、自分達の身の回りの大切な人達を守ろうってキャラが大多数だしさ。
 それに次いで、反『賢人会議』派が多いのかな。
 一応、一部に『賢人会議』に流れようかとしたキャラは居たけれど、それもままならなかったみたいだし」

ゼイネスト
「作者としては『賢人会議』につくキャラも出したかったそうだが、もう既にキャラ数がインフレしてるからやめたそうだ。
 ま、それに、天樹真昼がいるんじゃ、増援を出す必要もない、と考えているらしいけどな。あれ以上『賢人会議』側に味方がついたら、シティは完全に勝てなくなってしまう」

ノーテュエル
「今更キャラ数がどうのこうの言ってもねぇ…って気もするけどね。
 後、実は私も、天樹真昼は何を相手にしても…それこそ某ウィズダムと対峙しても勝ち抜くキャラだと思うから、助けなんて要らないと思うんだけどねー」












ゼイネスト
「…さて、今回は早めに切り上げるか」

ノーテュエル
「もう、早くない?」

ゼイネスト
「語れる事は殆ど無いだろ」

ノーテュエル
「そうね。早く寝ないと美容に悪いわ」

ゼイネスト
「では、読者の皆様…次の『集う役者』で、またお会いしましょう」















<To Be Contied>




















<あとがき>



キャラトークにもあるように、フェイトというキャラクターの『戦う理由』を書いた一話でした。

一人くらい、早めに伏線が明かされた人物が居てもいいんじゃないかな、と思い、もう一気に書ききりました。





とどのつまり、フェイトは『たった一人の人間の少女の為に戦う』という、WBにいそうでいないタイプのキャラですね。

最も、WBでその手のキャラがいないのは、魔法士が不条理を強いられる世界では、人間は比較的恵まれている立場にあるからかもしれません。




さて、フェイトは、フェイトが『敵』だと認めた『賢人会議』に一矢報いる事が出来るのでしょうか。

……しかし、もし報いる事が出来ちゃったら、読者の皆さんにブーイングされるのは間違いないでしょうねぇ^^;。



ではでは。








※校正担当。昴さん、デクノボーさん、ありがとうございました。

<作者様サイト>
Moonlight butterfly


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