長きに渡る会議が終了した後、会議に参加していた子供達組はホールに集まり、疲れを労いながらも会話をしていた。
「…ふぅ、これからはさらに大変になるんやなぁ…ま、しゃーないか。偽もんの提携でも、シティ・マサチューセッツとシティ・モスクワが協力するのは事実やからな。
それに、あれだけ育っちまった『賢人会議』を相手にするんやから、この程度で根を上げるには早すぎるっちゅーもんや」
後頭部で手を組み、イルはどっかりとホールのイスに足を組んで腰掛ける。背もたれに全体重を預けて、ふう、と息を吐いてリラックス。
「…でも、どんな形であれ、ひとまずは終わったんですっ。イルさんの言うとおり、後は、これからが大事なんですっ」
かすかな笑顔を浮かべるのは、イルの向かい側にいる黒髪の少女―――天樹由里。
由里もまたイスの背もたれに身を預けて、天井を仰ぎながら息を落ち着かせている。
その額には玉のような汗が浮かんでいた。なんでも、あのような大人数が入る場所には今まで入った事がなく、入る前から緊張していたけれど、いざ入るとさらにかちこちに緊張してしまったらしい。
会議が終わった今でも由里の顔色はちょっとだけ悪く、疲れているというのが見て取れる。だけど、それでも、自分が疲れているという事は決して他人には明かさない。由里がそういう少女だという事を、イルは出会ってから初めて知った。
他にも、孤児院の子供達の面倒を見ているという彼女のその様を見ていると、自分の分のクッキーをイルに分け与え、空腹でお昼を過ごしていた少女―――イリーナの事を思い出すのだ。
雰囲気的にも微妙に似てなくはない…だが、イリーナはイリーナ、そして由里は由里だ。一緒くたにするのは双方に対して失礼であろう。
…尚、由里と一緒にいたシャロン・ベルセリウスという少女だが、彼女は今回の会議には顔を出したくないとの事だったので、不参加という形になっている。何でも、狭い空間に人がぎっしりと詰め込まれているのは生理的に苦手らしい。
そういう訳で、今、この場所にはシャロンという少女の姿が無いのだ。由里もその点については心配していたが、シャロンが『心配ないなの』と言っていたから信じてあげる事にしたらしい。
「ええ、でもそうやって休んでいられるのも今のうちよ。シティ・モスクワからの新人さん」
僅かながら嫌味を含めた発言をするのはクレア。彼女はテーブルに肘をつき、組ませた手を口元に寄せている。
彼女のトレードマーク或いはコンプレックスと呼べる眼帯も、未だにつけたままだ。
由里が初めてクレアに会った時曰く「その眼帯は怖いけど、クレアさんからは怖いっていう威圧感が感じられないんです」との事らしい。
その後イルがちょっとした悪戯心から『シュレディンガーの猫は箱の中』でクレアの眼帯の止め具を掠め取ると、眼帯の下には金色の澄んだ瞳があった。
その瞳を見た瞬間由里は「き、綺麗な瞳…」と、目をきらきらさせて見入っていたという。その時、イルはクレアに「イル、後で覚えてなさいよ…」と、呪詛を含んだ言葉で脅されたのだった。もしかしたら、それを根に持っているのかもしれない。
で、今のクレアの言葉を聞いた由里の反応は、「むー」という一言と共に、ちょっとだけ頬を膨らませるというものだった。
「相変わらず厳しいんやな、お前」
「あたしは間違った事を言っているつもりはないわ。
…でも、こんなところに来る位なんだから、当然ながら覚悟くらい出来てるわよね」
「…も、勿論ですっ!
そして『賢人会議』を討つ覚悟だって出来てますっ!」
「それは言い換えれば、人を殺す覚悟よ。
でも、だからって人を殺す事が義務づくような人間にはならないほうがいいわ」
「そ、そんなの私からお断りですっ!それじゃ『賢人会議』となんら変わらないじゃないですかっ!」
ちょっとだけ顔を赤くして由里が反論する。その様子がなんだか可愛らしくて、イルは笑いを漏らしそうになるのを必死で堪える。もしここで笑ったりなんてしてしまったら『なんでイルさんまで笑うんですかっ』とか言われそうだ。うん、間違いなく。
「ええ、それでいて。
人を殺して、人を殺す事を戸惑わなくなるようにはならないで。あたしが言うのは、それだけ」
ふ、と、クレアはどこか遠くを見るような仕草をとる。
それと同時に、眉をしかめて、むぅー、と唸った由里が、イルの方を向いて口を開く。
「…イルさん、クレアさんって過去に何かあったんですか?どうすれば、こんな風につっけんどんに育つ事ができるんですか?」
……怖いもの知らずというものは、時には恐ろしいものである。
その質問は、由里にとっては極々自然なものであっただろう。だが、クレアにとっては物凄く怒りを煽るであろう発言だ。事実、クレアの頬が僅かにぴきっと引きつっているし、手が僅かに震えてもいる。
だが何よりも、由里はクレアの過去を知らない。
何より、これから由里はシティ側のパートナー。イルとしては隠し事の類はしたくない…が、流石にクレアの許可もなしにそんな事を話すわけにはいかない。まあ、イルが話さなくても話してしまいそうな人物が約一名ほど脳裏に浮かぶのだが…そう、イル達に由里を紹介し、妙に由里に入れ込んでいる銀髪の青年が。
そういうわけで、イルは由里に偽の答えを返す事にした。眼帯に隠れて分かりにくいが、クレアの視線がこっちに向かっているのも気のせいではないだろう。返答次第では、戦闘中に背後から黒『うっかり誤射』という名の計画的射撃で殺されかねない…主に由里が。
「…んー、それはな、乙女の秘密ってやつなんやと思うで。
由里やて聞かれたくない事はあるやろ。それと同じや。だから、クレアのその事についてはなるべく触れてやらんほうがええわ。
…あと、本人の目の前で『つっけんどん』なんて言わない方がええで。そいつは失礼ってもんや」
「そういうものなのですか…。
…クレアさん、ついさっきはつっけんどんなんて言ってごめんなさい」
頭を下げて平謝りする由里。クレアの態度に目に見えた変化はないが、少々戸惑いの色がうっすらと感じられる。おそらく、そこまで真っ向から謝られるとは思っていなかったから、内心では動揺しているのだろう。
(って、信じるんかいな)
かなり誤魔化した感が否めない返答だったが、由里はそれでも納得はしてくれたようだ。イルは由里の事を純粋な少女だとは思っていたが、ここまでだったとは少々予測できていなかった。
まあ、純粋だからこそクレアの目の前で『つっけんどん』なんて言えるのかもしれないけれど。
(けどまあ、ええか…)
だが、それでこの場が収まってくれるならそれでいい…と、イルが心の中で安堵の息をついたその時だった。
「あ、ハーディンさん、それにデスヴィンさんも」
由里がぱっ、と顔を上げて、左手をあげて左右に振る。その視線の先には二人の男性の姿があった。
そのせいかどうかは分からないが、由里がかなり嬉しそうな表情をしている。
イルもクレアも由里も、その二人の事については知っている。
銀髪の温和そうな青年と、青色の髪の寡黙そうな青年―――ハーディン・フォウルレイヤーと、デスヴィン・セルクシェンド。
ハーディン・フォウルレイヤー…第三次世界大戦を生き抜いた中で今の人々の立場を理解し、シティの現状を少しでも良くしようと努力し、また、シティの為に戦う『聖騎士』。
デスヴィン・セルクシェンド…ハーディンと同じく第三次世界大戦を生きぬき、その後は流れ者かつ凄腕の傭兵として過ごしていた『騎士』としての能力を持つ男。ルードグノーシスという特殊な鎌を使用して戦うと聞いたが、その能力の本性は依然として知れないし、彼自身も話そうとはしない。
「よう、お二人さん、お疲れさん」
由里に続く形で、イルは片手をあげて、何時もの調子で挨拶をする。
ハーディンも片手をあげて、それに答えてくれた。因みに、ハーディンの隣に居たデスヴィンは、小さく頷くだけどいう、至極消極的な反応を返してきた。
イルにとってハーディンは、信頼できる仲間の一人だ。因みに、デスヴィンも信頼できるといえば信頼できるのだが、普段の態度のせいで、どうしても心底から信じる事が出来ないのが現状だった。
嘗て、イリーナの死後にハーディンの噂を聞いたイルは、シティの為にならその命を賭けても戦うという信念の強さに共感を覚えて、何の気なしに話しかけてみたのだった。
そして、イルがシティの為に戦う旨を告げると、ハーディンは己が戦う理由を包み隠さずに教えてくれた。
第三次世界大戦を久逆という魔法士の下について戦い抜いたその時、戦争でたくさんの人が死んだと知った。
そしてハーディンは悟った。このような事の犠牲者となるのはいつもいつも弱き者達であるのだと。有史が散々告げてきた警告は、今のこの時を持ってしても全く理解されていないのだと。
大戦時代の上司である久逆那智という魔法士の影響もあってか、ハーディンは魔法士でありながらも、そんな弱い人達を守れる存在になりたいと決めたらしい。
そして今も尚『賢人会議』の横行により、失われる必要の無い命がたくさん奪われてしまった。ハーディンはその事に対して激しい怒りを覚えている。
魔法士を犠牲にする事しか手段が残されて無いと知っていて、ハーディン自身もまた己が魔法士だと知っていて、でも、それでも弱い人達を助けようと賢明に努力する…そんなハーディンだからこそ、イルは彼と知り合う事が出来たのかもしれない。
「随分と長引いたわね…何かあったの?」
クレアはハーディンに眼帯越しで視線を向けて口を開く。
「ええ、この期に及んでまだ決断を下せない輩が一部に居たので、ハッパをかけてきましたよ。その結果、渋っていた連中がやっと決断してくれました」
「…」
ハーディンのその発言に、イルの背筋に僅かに冷たいものが走る。
そう、これがハーディンの恐ろしいところだ。
その戦績と能力により、今やハーディンはシティ内部でかなりの力を持つ存在となっている。そう、ともすればシティ上層部など相手にならないほどに。
六つのシティの現状の把握、そして改善案を出す事を主な仕事としている。何故なら、シティ上層部だけではアテにならないからだ。
故にハーディンは五年ほど前から世界を渡り歩く事にしているらしい。
―――この世に生きる人々の為に、何かやらなければいけないと思ったんです…それが、ハーディンの行動原理。
そして、ハーディンとデスヴィンも椅子に腰掛ける。
デスヴィンは物凄く寡黙で、必要な事以外は喋らない…そんな雰囲気を醸し出している。
嘗てイルがコンタクトを取った時も、本当に必要な事しか喋らなかった。だが、イルの事を邪険に思うような発言や気配は一切感じられなかった。
結論としては、とりあえず悪人ではないという事にしておいた。
だが、あの時のデスヴィンと今のデスヴィンとでは、何かが違う感じがする。
そう、なんというか…少し、暖かくなっている。最初に会った時の冷血さと無関心が多少だが取り除かれている。そんな感じ。
おそらく派遣先のシティ・神戸近くの街にその鍵があるのだろうけれど、それについて追求するのは流石に野暮なものだろう。
「…ハッパをかけたって…あんた、何者なのよ」
クレアの声が、僅かに震えていた。
「クレア、その質問は野暮ってもんや…ハーディンはな…」
イルがフォローに入ろうとした時、当のハーディンが口を開いた。
「僕が話しますよ。イル。
僕は、第三次世界大戦が終わってからのこの十年…いえ、厳密にはおおよそ六年ほどですね。
最初の四年は、自分の評価を上げることに徹していましたから。
そして今、僕は、その力と能力をかわれて、シティ上層部に命令できる権限も所持しています。シティの受け入れ人口の増加も、僕の案です」
「ええっ…あ、そっか、だから…」
驚きの声をあげた由里は、しかし次の瞬間にはふむふむ、と納得していた。
そもそも、そこまでの地位がなければ、由里をこんなところにつれてくる事自体が不可能な事だ。そう考えれば、ハーディンが如何に高い地位を持っているかがよく分かる。
「…」
先ほどから会話を続けているハーディンと違い、デスヴィンは椅子に腰掛けて目を瞑って腕を組んだまま、未だに無言を保っている。
「…で、そこの…デスヴィンだっけ?あんた、さっきっからひとっことも喋らないのね」
そんな彼に、クレアがずばりと指摘をくらわせる。
だが、当のデスヴィンはめんどくさそうに目を開けた後に、
「ああ、俺はどうにも騒がしい空気が苦手でな。戦場の殺伐とした空気なら慣れているから平気だが」
あっさりと告げた。その後、また目を瞑る。その様は、まるで、瞑想にふける修行者のようである。
「ま、デスヴィンはそういう奴なんや。でも、実際の戦場なら頼れる事は間違いあらへん…そうでなければ、あの第三次世界大戦を生き抜くこと自体が不可能やからな」
「そういえば、デスヴィンさんはイルさんが『賢人会議』探しを依頼した相手でしたよね。なら、大丈夫ですっ」
「や、そこまで無条件に信じられても困るんやが」
屈託の無い笑顔を浮かべた由里。肩を竦めるイル。
「まあ。べらべら喋るよりは寡黙な方がマシだと、少なくともあたしは思うわね」
それに続くように、頬に手を当てたクレアが口を開いた。
「…しっかし、ここだけで五人かいや…『賢人会議』が小規模な組織であっても容赦なくつぶすんなら、人数だけは多くしとけってやつかいな」
イルのその台詞に、ハーディンが反応し口を開いた。
「いえ…先日連絡が入りまして、一人の男が『賢人会議』を倒すのに協力してくれるという申し出があったのですよ。
だから、六人ですね…今のところ」
「――何?」
「なんですって?」
「ええ?」
「ほう…」
イル・クレア・由里・デスヴィン…一言だけとはいえそれぞれの反応だ。それも、各々の個性が良く出たものとなっている。
「…で、そいつは何処にいるんや」
「確か、そろそろ来る頃だと思いましたが…」
ハーディンが顎に手を当てて、うーん、と唸った刹那の事だった。
―――コンコン、と、少し遠くにあるホールのドアがノックされる。
立ち上がった由里がたたたっ、と駆け出し、ホールの入り口のドアのノブを掴み、がちゃり、と扉を開ける。
「どうぞです」
その向こうに立っていたのは、当然ながら人影だった。
だが、その姿は会議中に見た覚えの無い姿だった。一同がいぶかしげな表情をする。
そして、ドアが完全に開ききったとき、一人の人物がホールに足を踏み入れた。
「――よ、初めまして…ってところか?」
…物凄く、傍若無人な男だった。
その人物の姿は、紫系の服に身を包んだ20代前半と思しき男だった。
だが、一点ほどおかしな点がある…室内であるというのに、青系のシルクハットの、それもてっぺんの方がぎざぎざに尖った帽子を被っているのだ。
目つきが非常に鋭い。まるで、近づくもの全てを切り裂くような、氷のような目つきだ。
部屋の中には、一転して険悪かつ緊張感のある空気が張り詰めた。
「…なあハーディン、もしかしてこいつが『『賢人会議』を倒すのに協力してくれるという申し出』をした男かいな?」
そんな中、緊張した面もちのイルが口を開く。
「…ここにいるという事は、検問を通れた証だと思いますが…とりあえず聞いてみます。
―――予め知らせてあった合言葉は?」
こちらもやや緊張した面もちで、ハーディンは目の前の男に問うた。
すると、目の前の男は、実にあっけらかんとした様子で言い返した。
「んなの決まってんだろ――――――『運命』だ」
正解の合言葉を。
ふう、と胸を撫で下ろしたハーディンは、一同のいる方を振り向いて答えた。
「…正解です。
間違いなく『賢人会議』を倒すのに協力してくれるという申し出をしてくれた人物と見て間違いないでしょう」
「あなたが言うなら信じるけど…間違いだったらシャレにならないから、そこのところを覚えておいてね」
相変わらずクレアは厳しい態度を崩さない。最も、クレアの場合は普段からこうなのだから、慣れている人にとっては自然に感じるだろう。
「…それで、あなたはどうして『『賢人会議』を倒すのに協力してくれるという申し出』をしてくれたんですか?」
ハーディンが男に問うた。すると、男はちょっとだけ不機嫌っぽい態度で答える。
「ああ?決まっているんだろ?
どうにもこうにも、今の『賢人会議』は人類を滅ぼす世界の癌だろーがよ。つーかよ、そんな危険因子を今の今まで何で放置していやがったんだ?」
「それは僕としても少々迂闊だったと思ってます。
カール・アンダーソン…彼の介入のお陰で手間取ってしまっていたんですよ。まさか彼が『賢人会議』の味方だなんて思ってもいませんでしたから」
「ああ、あの食えない野郎の事か…んじゃ仕方がねえかもしれねぇな。
おれもあいつに会ったことがあるんだが、何ていうか、心の奥底で何を考えているのかが分からない奴だったな。
そして、あの男は人々の人望を集めてやがった、だから、だれも疑おうとしなかった。そして、その最中、見事なまでの隠れ蓑を形成していたわけだ」
カール・アンダーソン。
その単語に、皆、少なからず驚いた…約一名を除いて。
カール・アンダーソン…それは、シティ・メルボルン跡地にて神父をやっていた人物だったが、その裏では『賢人会議』を助けていた男でもある。
シティ側のあらゆる拷問にも口を割らなかった神父は、最終的には10月のシティ・メルボルン跡地での騒動で、この世に髪の毛一本残さないで焼死した。
「そ、それより貴方は何者なんですかっ!!そして誰なんですかっ!!」
で、そんな中、突然の来訪者を相手にしても怯む事無く思うがままを告げるのは由里。ただ、台詞にいつもの口調が混ざっているという事は、由里の感情が高ぶっているという事だ。
もちろん、由里はカールという名前を知らない。というより、由里にとっての問題は、カールという人物がどうのこうのという事よりも、シティ上層部かそれ以上に位置するハーディンにタメ口を聞いているという点の方だ。
とどのつまり、由里にとっては『私の恩人になんて口を聞いてるんですか』的な感じ。
だが、男はそれを見ても至ってすまし顔のままである。
ふぅ、と息を漏らした後に、男は続けた。
「ああ、そうか。
おれはディスプレイ越しに嬢ちゃんの姿を見た事があったが、こうして出会うのは初めてだ。
そうだな…おれの名前だが…一部の者はこう言えば分かるんじゃねぇのか?
―――殺戮王子。ってな」
―――周囲の空気がざわついた。
イルも、クレアも、ハーディンも、デスヴィンも、由里も。
「…殺戮…王子?」
最後の単語を反芻した由里の頭に疑問符が浮かんだ。への字に曲げた眉をみても分かるとおり、由里は間違いなく殺戮王子という単語に聞き覚えがないのだろう。
「…由里、あなたまさか『殺戮王子』を知らないの?」
「知らないです。クレアさんは知っているの?」
「もちろんよ…ただ、あたしの口からは説明したくないけどね」
「なんだよ、本当に知らないのか…ま、一部でしか知れ渡っていない名だ。知らなくても無理はない」
男は「ふ」と軽く息を吐いた後に語りだした。
「ああ、そうだ。
十年間も経っちまったから、もう、あの頃の面影なんて無いだろうから覚えている奴なんて滅多に居ないだろうな。
いや、おれみたいな奴の事など忘れたいのかもしれんな。
おれの名はフェイト…フェイト・ツァラトゥストラ」
その名を聞いた時、半数の者が驚愕したのを、フェイトは見逃さなかった。
「…ふぇいと、つぁらとぅすとら…やっぱり、知らないですっ」
目の前の黒髪の少女がふるふると首を振る。思いっきりひらがな読みだが、つっこんではいけない。
「…ま『そういった世界』に首を突っ込んでないと知らないであろう事だからな。そりゃしゃーねーわ」
フェイトは『別段気にしていない』という感じで返答しておいた。
(それに、知らない方がいいと思うしな)
心の中だけで、呟いておく。
「…聞いた事があるな。
シティ・アフガニスタンに所属していたものの、シティ・アフガニスタンが滅んでから、以後は消息を絶っていた魔法士の話を」
立ったまま腕を組んでいた男…デスヴィンが静かに告げる。
「お、知っている奴もいたのか。
…まさかお前、第三次世界大戦の生き残りだったり?」
少しばかり挑発的な口調でそれとなく聞いてみた。
「―――その通りだ。俺はデスヴィン・セルクシェンド…さて、この名前に聞き覚えは無いか」
それを聞いたフェイトの頬を、冷や汗が一筋伝った。同時に心の中で己の直観にちょっとだけ感謝する。
「―――知ってるぜ。
若くして、その圧倒的な戦闘能力で、戦場の死神を髣髴とさせる男が、世界のどこかに居るって。
んだが、こうなった今、お前と戦わなくて済んでよかったって思ってる…正直、お前と戦って無傷でいられる自信がねぇ」
それは本心からの言葉である。
「…その前に、名前くらいは紹介せえへんか?」
白い髪の少年が、そう告げる。
ちょっとした自己紹介が、幕を開けた。
イリュージョンNo.17。
クレアヴォイアンスNo.7。
天樹由里。
ハーディン・フォウルレイヤー。
デスヴィン・セルクシャンド。
―――これが、この場に居合わせた五人の名前だ。
自己紹介終了後、各々が大きなテーブルを取り囲むようにしている椅子に座る。フェイトもそれを真似て、適当な椅子に座った。隣に居あわせているのはイルとデスヴィンだ。
心のどこかで、どうせなら女の隣に座りたいという言葉が聞こえたが、敢えて無視した。この場に雑念は必要ない。
―――正直、クレアとしては、このフェイトという男に対し、あまりいい感情は抱けなかった。
多少おしゃべりなところはイルに似ているかもしれないが、それよりも、フェイトの心の中にある『何か』が酷く気になった。なんというか、表面上は能天気な顔をしているものの、その心の中では何を考えているか分からない―――そんな感じ。
目が見えないクレアは、そういう面に関しては非常に敏感である。だからこそ、この直観にまず間違いは無いだろうと踏んでいた。
クレアがそんな事を考えている間にも、会話は進んでいく。
「…で、さっきまでは『賢人会議』を倒すべく会議をしていたんだろ?
だったらおれも混ぜてくれ…いや、混ぜてほしい。おれもちょいと訳ありでな、『賢人会議』の奴らに一泡吹かせたいところなんだ」
フェイトのその発言に、イルが少しの疑念を覚えて口を開いた。
「…シティを守るっちゅー大義名分やなく、あくまで個人個人の私怨で戦うっていうんか?
まあ、この中には『賢人会議』に身内を殺されたヤツも多く居るしな。全体の活動の邪魔さえしなければ大丈夫やと思うけど…ほんまにそれでいいんか?」
「おれはそういう大義名分ってのが、どうにも性にあわなくてよ。そーいうおもっくるしいモンは苦手なんだよ。
ま、『賢人会議』さえ倒せば結果的にはシティの人間達を救うのと同意語になるみてーだし、そんなに変わらねえと思うけどな。
…んで、結局、『賢人会議』の奴らは皆殺しでいいんだな?」
「――それは駄目よ」
フェイトの発言に対し、クレアは即座に反論した。感情が高ぶりそうになるのを押さえ、かろうじて普通の声のトーンで口にする。
何故だ?といった顔で、フェイトがクレアの方を見る。そこにイルがフォローする形で口を開いた。
「…ま、色々あるんや。だから、この件についてはあまり突っ込まんでくれへんか?」
「…とりあえず、色々あったって事でよしとしとくぜ。とりあえず、その…ディーとかは殺すなって事だな」
「そうよ。それだけ」
詳しく追求されなかった事に対し、クレアは僅かな安堵を覚える。
…一秒後に安堵が消え去った。人の話を真面目に聞きなさいよと言おうとして踏みとどまる。クレアはこの手の人物があまり好きでは無い。
いつか戦闘中に背後から狙撃してやろうかしら、と、クレアの心の中にそんな考えが浮かんだ。
「ええ、いずれにしろ、ディーは『森羅』を使えます。ですから、正面切っての戦闘を挑むのは自殺行為と言えるでしょう」
少々険悪になったこの空気を変えるためにハーディンが横から口を出す。ハーディンのその発言を聞いた刹那、フェイトの顔に険しさが浮かんだ。
「森羅…だと!
馬鹿な、何故あんなものを使えるんだ!」
「あら、フェイトも森羅について知っているの?」
クレアは感情を表に出さず、平常心を保ちながら口にした。
『賢人会議』との戦いの前に、ここで騒ぎ立てて問題をおこしても何にもならない。クレアとて、そんな事くらい分かってる。
「当然だ。あの黒沢祐一が使っていた筈の剣だろ。
一度抜けば相手を生きて帰さない剣―――おれはあの剣をこんな感じに解釈していたが、大まかな意味ではそう変わらないだろ?
しかし、なんでそんな代物が、黒沢祐一以外の奴に使われているんだ?」
どうやらフェイトも、森羅がディーの手に渡った経緯は知らないらしい。また、流石にこれ以上の問題を起こす気も無いようだ。
「………えーと、森羅ってなんですか?」
で、そんな中、申し訳無さそうに由里がおずおずと口を開く。
それを聞いたフェイトが顔をしかめた。
「……なあハーディン、こいつ、もしかして森羅も知らんのか?」
「なっ!こ、こいつってなんですかこいつって!」
意に介さない『こいつ』よわばりに、由里は弾かれたように顔をあげて抗議する。
「フェイト…女性に対してその言い方は失礼ですよ」
「ああ悪い。性分でな」
そう言いながらも、フェイトにはちっとも悪びれた様子は無い。
「あ?基本的におれは思うがままを言うだけだよ」
「…じゃあ質問を変えるわ。口から先に生まれたんとちゃうか?」
「あー、否定はしねぇな」
…これ以上フェイトとやりあうのは時間の無駄と考え、イルは早々に会話を打ち切ったようだった。
「…あ、すみません、私、皆さんの分のお飲み物を取ってくるのですっ」
一時間前、話が微妙に混乱してきたところだったのだが、ハーディンによる命令で真面目な会話が再会された。そして会話がひと段落したところで由里が立ち上がり、そう告げたのだった。
「ええ、お願いします」
「はーい」
ハーディンに承諾を貰った後、少し離れた給水所へと駆け足で向かっていった。
「…それ、自分が喉渇いたからじゃないのか?」
フェイトがぽつりと呟いた。
「まあ、いいじゃないですか」
で、ハーディンがフォローを入れる。
「ま、そこまで細かく突っ込む事じゃないだろうしな」
ふ、と小さく息を漏らし、フェイトは納得の言った顔で返事を返した。
「で、話の続きだが…結局『光使い』セレスティとやらに対しての処遇はどうするんだ?」
今まで傍観を決め込んでいたデスヴィンが、ここに来て口を開いた。
「なんか、上の方じゃ生かせだの殺せだの、どっちつかずな意見になってるからな。
…でもまあ、だったらおれはその二つの意見を混ぜ合わせて、こうしよう。
―――生け捕りにしろ、と言う事にしておくぜ」
「そうしてもらえると、僕としても助かりますね。
『光使い』は『天使』ほどではないにしろ、マザーコアとしても優れた逸材です。どうせ失われるかもしれない命なら、人々の役にたってもらうほうがいいかもしれませんから」
クレアがはっ、と顔を上げた。
「―――驚いたわ。意外とドライな考え方をするのね、あなた」
ハーディンの温和そうな表情からは出ると思わなかったその言葉に、少なからず驚いたのだろう。
シティ・マサチューセッツに住んでいて、ハーディンとの面識が殆ど無かったクレアでは仕方の無いことかもしれない。
「何を言いますか。甘い考えでは戦場は生き残れませんよ。それは当然の理屈でしょう」
「ごもっともやな…そして、今の話、由里に聞かれてなくてよかったやな…いや、寧ろ由里がいない今だからこそ、この話が出来たんとちゃうか?」
「――ええ、その通りですよ、イル。
由里さんにこの話はしたくありません。由里さんがこんな汚い世界を知るには、まだ早すぎる」
「朗らかな顔してくえない奴だな。お前も」
「汚い世界を知った大人の慈悲と言ってくださいよ、フェイト」
「…だが、そうだな。俺達は汚れている。そしてそれは、誰もが通る道だ。
―――だが、その道を通るのは、少しでも遅いほうがいいだろう。ましてや、彼女のような人生を歩んできたのであれば―――な」
(そう…今の由里さんには、汚い世界を知ってほしくない)
カール・アンダーソンの名前が出た時、驚いたのは由里以外の面子だった。
…無理も無い、あの場でその事を知っているのは由里以外のメンバーなのである。
由里の場合は『そういう単語』を聞かせるのは酷だと判断したハーディンが、うまく誤魔化して説明したのだが、由里はその事に気づいていない。
だが、ハーディンとて騙そうとしているわけではない。
個人的な思いから、由里にはまだ汚れた世界を知ってほしくなかった為である。
「皆さん、お待たせしましたですっ」
そこに、丁度良く由里が戻ってきた。
両手で支えてるお盆の上には、水の入った六つの紙コップが乗せられている。
「お、おつかれさん」
「気が聞くっていいやなぁ。誰かさんにも見習ってほしいもんや」
「…イル、それはあたしが気の聞かない女だって言いたいの?」
「い、いえ、決してそのようなことではないと思いますよ。そもそも、イルはそれが誰なのかという事を特定していませんから、それがクレアさんだとは限らないわけだと僕は思います」
「…いただこう」
「…ハーディンさん、それ、フォローになってない気がします…。
あとデスヴィンさん、本当に我関せずって感じです…」
フェイト・イル・クレア・ハーディン・デスヴィン・由里。
それぞれの個性が良く出た…かもしれない会話だった。
「ちゅーか思ったんやが、ハーディン、お前さん、随分と女には優しくあらへんか?
由里はともかく、クレアまで庇うところを見る限りじゃ、そう見えるで?」
「あたしとしては、その逆の意見を言いたいわね。
イルに足りないのは紳士的な態度なんじゃないかって、核心をもって言えるわ」
「嫉妬もそこそこにしないと嫌われるぜ」
「そこでお前がその台詞を言うかやフェイトっ!それに、おれは別に恋愛なんかどうでもええんやっ!
そんなんに現を抜かして大事なもんを見失ったら本末転倒やしな。
それに、そういうフェイトはどうなんや!?」
「んー、そうだな…この戦いが終わったら、一片の嘘偽りもなく教えてやるぜ」
「それ、教えてもらった感じだと、確かいわゆる『捨て台詞』ってやつだった気がするのです」
「そんな事を言うのはこの口か」
むに。
フェイトのその両手が、由里の頬をつまんだ。
「…にゃ、にゃにふるほ〜」
両のほっぺをつねられてるので、思うように声がでない由里。因みに今は「な、なにするの〜」と言おうとしたらしい。
「…少々、やかましくなったな」
腕を組み、静かにつげ、相変わらず我関せずを決め込むデスヴィン。
「フェイト、女性の頬で遊ぶものではありません」
ぴしゃり、と音のしそうな声が、ハーディンの口から告げられた。
フェイトもこれ以上は拙いかもしれないと直観で悟ったのか、直ぐに手を離す。頬の痛みから解放された由里が、白い両手で両の頬を押さえた。その頬が僅かに赤くなっている…そりゃ、引っ張られれば頬が赤くなるのは当然とも言える理屈なのだけど。
「うう、どうして私はいつもほっぺたで遊ばれるんですか」
くるり、と誰もいない方向を向いて拗ねる由里。
「…それは、どういう事だ?」
今の台詞に、デスヴィンが僅かながら興味を持ったらしい。
「ああ、由里さんは知り合いのルーエルテスって方にも、よく頬を引っ張られるんですよ。
ルーエルテスさんとしてはそれは遊び、またはちょっとしたお叱り程度らしいんですが、それを理由に何度もやるものですから、その内に伸びやすくなってしまったのではないでしょうか?
最も、これは僕の脳内での勝手な推測に過ぎないのですが…」
「伸びやすく…っていうのが凄く余計ですっ!」
ハーディンの説に、由里が再びこちらを振り向いた。その顔はちょっと怒っているように見えるけど、悲しいかな、その顔は完全にへそを曲げた女の子のもので、怖いというよりは可愛らしいという部類に入っているようにしか思えない。
これはハーディンだけではなく、この場に居合わせた者達の共通見解だっただろう。
「でも、それ以外は当たっているって事になるのよね」
此処に来て、クレアが口を開いた。
由里が、う、と声を詰まらせる。
「ま、あんまり由里を苛めるのも可哀相やし、この辺でやめといた方がええんとちゃうか?」
「おや、イルが助け舟を出すとは珍しいですね…」
「何、お前の真似をして、紳士的になってみただけや」
「…似合わん気がするのは俺だけか?」
「デスヴィン…そこであなたがそう言いますか。そしてこの場合、その発言は『火に油を注ぐ』結果になると僕は思いますよ」
「ぬがー!お前らグルか?グルなんか!?」
おおよそ戦いの前とは思えないほどの、のんびりとした空気。
だけど、逆に言えば、これは今しか味わえない空気とも言えるだろう。
戦い慣れしているであろう大人陣までもが、笑顔で語り合える、この空気が。
―――そして後は、戦いの時を待つだけになった。
最も、それは直ぐに訪れる事になるのだけれど。
―【 おまけどころじゃない存在感になっちゃってるらしいキャラトーク 】―
…ええ、六人詰め込みましたとも!!
んで今回、会話をメインとした流れを組んでみました。
WB六巻の流れをそのまま汲むとこの物語自体がありえない事になってしまうので、こういう流れでいかせて頂きます。
まあ、二次創作だし、そこまで気にする事は無いのでしょうけれど。
<作者様サイト>
Moonlight butterfly
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