「――ふう」
朝食を終えたラジエルト・オーヴェナは、パソコンの前に座る。
毎日の日記をつけるためにだ。
台所では四人の少年少女が楽しそうな会話を繰り広げながら、食器洗いをしているところだ。会話にばかり集中していて本来のやるべきことを忘れていたりなんてしたらちょっと問題だが、あの子達はそんな子達ではないという事を、ラジエルトは分かっている。
だから、安心して任せられるのだ。
「…んじゃ、続きでもやるかな」
淡い光を放つディスプレイに向き合い、ラジエルトは日記の続きを作るべくキーボードに指を走らせる。
ラジエルトの手元のカレンダーは『十一月八日』を告げていた。
『ここのところ、忙しくて更新が出来なかったから、今日、まとめてやろうと思う。
『もう一つの賢人会議』との決着がついたあの日から、おおよそ一ヶ月が過ぎた。
そろそろ、埋葬したエクイテスが眠る墓に、お花を添えに行かなくてはならない。
また、その隣の墓にはシュベールが眠っている。だから、そちらの分も合わせてだ』
エクイテスの名前が出た時に、ラジエルトの心の中にずきり、と痛みが走った。
何故、エクイテスが死ななくてはならなかったのか。
何故、エクイテスを殺すのがセリシアでなければなかったのか。
全ては過ぎ去った事であり、考え直しても無駄だと分かっていてもどうしても後悔してしまう。
ましてや、その悪夢が過ぎてからまだ一ヶ月ほどしか過ぎていない。目を閉じればあの時の出来事が鮮明に思い出せてしまうほど記憶に焼きついてしまっている。
「…くそっ!」
ぶんぶんと頭を振って、嫌どころではない考えを一時的にだが振り切った。
無論ラジエルトとて、エクイテスの事を忘れる訳が無い。
だが、四六時中そんな事を考えていては精神が持たない為に、そういう処世術を取らざるを得ないのだ。
パソコンに向き直り、予期せぬエラーに備えてここで上書き保存。
また、ラジエルトの日記の書き方は、最初はあちこちをばらばらに書いてから最後にまとめるというタイプのようで、次はかなり行を空けてから書き始めた。
『あれから、戦闘とは無縁の日々を送ってきた。
シティ・メルボルンの復帰作業に多少の協力をしたり、五人分のご飯を作ったり、家の中を改装したりなど、この一ヶ月間で色々な事があった。
元々狭いこの家に、さらに二人の同居人が増えたのだから仕方がない。
ちなみに食事当番の件なのだが、論は一人での生活が長かった為に、標準程度の料理は作れた。この調子なら、鍛え上げればもっといい料理を作れるだろう。
意外だったのがヒナで、今まで料理などやったことも無いはずなのに、初めての調理実習にして綺麗なオムレツを作り上げるなど、料理人としてのスジはいいようだ。
―――ちなみにこの後、一人だけ料理の出来ないセリシアがショックで部屋に閉じこもってしまい、レシュレイが二時間の説得と慰めの末に解決した』
そして、デフォルメの入ったイラストを描き始める。
ラジエルトの絵はプロには及ばないレベルであるが、一概に下手とも言えないレベルでもある。まあ、そこらへんによくいる『イラストレベルが発展途上国』と言った所か。
ペンタブレットを使って、少しずつ絵を描き上げて行く。
着色ならともかく、マウスで絵を描くなんて不可能に近い。
オムレツを持って♪マークを出して喜んでいるヒナ、それを拍手で褒める論、しょぼくれて膝を抱えて泣いているセリシアを慰めるレシュレイの構図。
それらを一枚のイラストに纏める。
続けて日記にアップ出来る設定を施して、上書き保存。さらに行を空けてキーボードに手を走らせる。
『世界情勢の事も、書いておかなくてはならないだろう。
シティ・メルボルンを襲ったテロリストは、未だに捕まっていない。
シティ・モスクワとの共同前線を用いても捕まえられなかった。
軍の極秘情報にアクセスした結果、どうやらそのテロリストの名は『賢人会議』――というらしい。
この瞬間、俺の背筋に悪寒が走った。
『賢人会議』といえば、今、世界を騒がせているテロリストに他ならない。
やつらは、一体何を考えているのか――――』
ここで一旦上書き保存。
不慮の事故はいつ起こるか分からない。こまめな上書きは必須だ。
そしていざ作業を再開しようとして、キーボードに指を乗せたその瞬間に、
背後から、そんな声がした。
テレビのスピーカーから飛び出したノイズ交じりの、聞いたことすら無い声。
「―――何だ!
一体何が起こった!」
気がつけば、ラジエルトは反射的に振り向いていた。
そして、この日を境に、静かだったこの世界が大きく動き始めることとなる。
食器洗いを終えて居間に戻っていたレシュレイとセリシアが、その光景を第一に目撃していた。
視線はテレビのディスプレイに集中している。
海賊放送によって流れていた百年位前の歌謡番組の映像が、突如、耳障りなノイズを残して消失し、映像が暗い色調に切り替わる。
…というより、レシュレイとセリシアは今しがたテレビをつけたばかりだったのだが。
どこかの会議室と思しき暗い部屋が、ディスプレイいっぱいに映し出される。
画面の中央には大きなイスが一つ。
その上で足を組む、レシュレイやセリシアより少し年下ぐらいに見える少女が一人。
長い黒髪を頭の両側にリボンで束ね、黒ずくめの服に身を包み、ディスプレイの向こうから鋭い視線を投げ、少女がゆっくりと口を開く。
『賢人会議』という単語に、二人は息を飲んで反応した。
信じられなかった。
『賢人会議』という謎の存在が、今、その目の前にいる。
『もう一つの賢人会議』とは違う、本物の『賢人会議』。
「…こ、これはどうなっているんだ!?
あの襲撃からまだ一ヶ月しか経っていないのに、何故『賢人会議』が出てくる?
『賢人会議』のバックには何が居るというんだ!?」
レシュレイは驚きを隠せない。隠せるはずも無かった。
一ヶ月前にこのシティ・メルボルンを襲撃し、逃走した『賢人会議』が、一ヶ月という短い期間で準備を整えて目の前にいる。
今のレシュレイの発言は、これほどの短時間で準備が出来るという事は何らかの後ろ盾が在ったのではないのか。と考えたが故のものだった。
「…レシュレイ、一体この子…何を言っているの?
シティの秘密を暴露して、一体何を使用としてるの?」
セリシアもまた、テレビから目を離す事が出来なかった。
小さな肩がふるふると震えている。
今のセリシアは、それこそまさにしがみつくようにレシュレイの首元に両腕を回していた。
「…これが『賢人会議』なんだ…シティ・メルボルンの街をこんなにした、諸悪の根源にして、世界の敵―――」
気がつけば、レシュレイはその言葉を口にしていた。
「何が起こったっ!?」
「どうしたんですかっ!?」
続いて、論とヒナも居間に集合。
「…レシュレイ、じゃあ『賢人会議』は…」
レシュレイと同じようにディスプレイに見入っていたセリシアが声をあげた。
「ああ、表舞台に出ることを決意した…」
答えるレシュレイの顔には、険しさが浮かんでいた。
「『賢人会議』…噂には聞いていたけれど、こうして目にするのは初めてです…」
呆然としたヒナが口を開く。
「待つんだヒナ。
今『賢人会議』の女が何かを喋るみたいだな。黙って聞いておこう」
同時に、ディスプレイの中の少女が何かを喋ろうとしたので、論が口元に指をあてて静かにするように促した。
「…おいおい、一体何が起きやがったんだよ……」
そして今、ラジエルトが居間へと到着した。最も、会話は全て耳に入っていたようで、それほど慌ててはいないようだが。
しかし、ディスプレイを一目見た途端、彼の顔に明らかな変化が訪れた。
「あの顔は――目覚めていたのか―――サクラ!!!」
その顔は明らかに『驚愕』と呼べるものである。
生まれてからずっと一緒に生きてきたレシュレイやセリシアですら、殆ど目にする事のなかった顔。
だがそれよりも気になったのは、ラジエルトの口から出た一つの名前。
「サクラ…!?
…何故だ?父さんがどうしてそんな事を知っているんだ!?」
レシュレイが思わず聞き返したが、ラジエルトは答えない。
そして、何の前触れも無く突然舞い降りた新たな情報により混乱が加速する。
今の言葉は、ラジエルトが『賢人会議』について、或いはサクラという人物について何かを知っているという事を表すものなのだから。
「その話は後で話すから、まずはディスプレイに集中しろ!!」
だが、その次に放たれたラジエルトの一喝で、レシュレイだけではなくその場にいた全員がディスプレイへと視線を集中させた。
――――――そうして、少女は語り始めた。
シティの、マザーコアの、この世界の仕組みの事を―――。
「―――由里さんっ!!これ見てなの!!」
シティ・ニューデリーの教会の一室で、シャロン・ベルセリウスはその映像を見て驚愕した。
今の今までシティが必死で隠蔽していた事実が、ディスプレイの向こうで暴かれている。
それこそ、シティに住む人達が聞いたら、その立場がとても危うくなるようなものを。
シャロンに呼ばれてディスプレイを見て、たちまちのうちに血相を変えた黒髪の少女がシャロンの近くに座る。
ディスプレイの中の少女ととても似た容姿を持つ少女―――天樹由里。
「…ついに始めたのね。サクラ」
サクラ。
それが『賢人会議』の長の名前。
以前、ハーディン・フォウルレイヤーによって聞かされた名前。
たった一人の魔法士の為に数万人を殺すような、途方も無く狂ったような事を平然とやってのける殺人鬼。
「…こいつの為に、お爺ちゃんが…お婆ちゃんが…子供達が…」
今の由里は、忌々しげにディスプレイの中の少女を睨みつけている。
彼女の心の中には、様々な思いが蔓延している事だろう。
マザーコアとなる運命を逃れた子供達を全て奪われても尚、懲りずにこんな事をする『賢人会議』を見て、こんな奴の為に子供達が死んだ悔しさも、その中に含まれている。
だが、最大の思いは、二度と帰ってこないであろう、由里の育ての親であるお爺さんとお婆さんの事―――。
「シャロンちゃん、私、行くます」
「…行くって、どこに行くんですか?由里さん」
「―――地下ですよ。
『賢人会議』にばかり、好き勝手を言わせてちゃいけない。
それに、このまま放っておいたら、絶対に取り返しがつかないことになる予感がするの。
だから、私がやらなくちゃいけない。
私が、人間達に、魔法士達に間違った道を歩ませないように、せめてもの努力だけでもしておかなくちゃいけないのですっ」
「…ぐ、具体的にはどうするんですか?」
おそるおそる、シャロンはその策を聞いてみた。
「その作戦は、ルーエルテスさんが考えてくれました。
前もって準備していたかのように、由里は即座に言い返した。
シティ・神戸の跡地付近にあるプラントの一軒家。そこには、ブリード・レイジとミリル・リメイルドが住んでいる。
無論この二人の家にも『賢人会議』の放送は流れていた。
「おい…これってどういう事だよ」
砂糖を二個入れたコーヒーを飲み終えたその瞬間に、突如、ディスプレイの映像が変化した。
そして現れた『賢人会議』と名乗る少女。
ブリードの手からコーヒーカップが傾いて、落ちそうになるところを何とか押さえた。中身を飲み干していたのが幸いして、コーヒーが床に零れる事は無かったのが幸いか。
「ブ、ブリード!?」
二つの意味でミリルが驚く。
一つは、突如起こった目の前の怪奇現象に。
もう一つは、ブリードの狼狽ぶりに。
始まりは本当に突然だった。
目の前のディスプレイに写っていた、百年前のロックバンド集の映像が耳障りなノイズと共に消失し、映像が暗い色調に切り替わって、どこかの会議室と思しき暗い部屋が、ディスプレイ一杯に映し出されたのだ。
画面の中央には大きなイスが一つ。
そして、長い黒髪をリボンで束ねたツインテールの少女。
今、二人の視線はディスプレイに釘付けだった。
刹那、テーブルの上の無線機から呼び出し音。
『もう一つの賢人会議』との決着がついた後に、連絡用にラジエルトからもらっていたものだ。
「俺だ!ブリードだ!!」
一秒でそれを手に取り、そのまま、叫んだ。
『ブリードかっ!!そっちのディスプレイはどうなってる?』
無線機の向こうから聞こえたのは、ちょっと高めの聞きなれた声。
あの戦闘の中出会った、蒼髪の少年のもの。
「――レシュレイ!?
ディスプレイ―――って事は、まさかお前らの所にも『賢人会議』の放送が流れたのか!?」
『ああ、そうだ!!
そして、やっぱりお前達のところも…!!』
「―――とりあえず話を聞くのに集中したいから、一旦切るぞ!!」
『了解!!』
がちゃり。
反応の無くなった無線機を机の上において、ブリードは再びディスプレイへと視線を戻す。
レシュレイ達のところに『賢人会議』の放送が流れたということは、おそらく、錬やフィアもこの放送を聴いていることだろう。
だが、あちらの事はあちらに任せるしかない。そこまで気にしていられる状況ではないのだ。
そして、こちらはこちらで考えるのみだ。
その為には、目の前の『賢人会議』の長らしき少女の発言を、一言も漏らさずに聞く必要があるだろう。
そのまま、意識をディスプレイへと集中させる。
同時に、I−ブレインを起動させてデータチェックを開始。
あの黒髪の少女のデータは、どこかで得た記憶があったのだ。
ブリードは視線をディスプレイから逃さずに、かつ脳内では記憶領域を一つずつチェックしていく。
その内に、黒髪の少女のデータを発見した。
―――笑いがこみ上げてくるのを、必死で堪えた。
「…くっ、くく…はははは…」
「ブ…ブリード?い、いったいどうしたのっ?いきなり笑い出すなんて、何か悪いものでも食べたの?」
きょとんとした顔で、ミリルはブリードの方へと振り向いた。
いきなり笑い出したのだ。疑問に思うのも無理は無い。
しかし、それはどう見ても乾いた笑いだった。お笑いなんかを見て笑うのとは訳が違う。
ブリードは笑いを堪えて、息を落ち着かせて口を開く。
「あ、ああ、悪ぃ…。
いいかミリル…落ち着いて聞いてくれ…ていうか悪いものって何だよ。
…背後に居るのはあの天才頭脳の持ち主『天樹真昼』で正しいはずだ。
もう一人の銀髪の少年は、今現在シティ・マサチューセッツから逃亡したデュアル.No33…の筈だ。
そして…あの黒髪ツインテールの少女は―――サクラ、だ!!」
ブリードの脳内から思い出されるのは、かつて得た様々な情報。
それを元に、ブリードは次々と人物達の名前を明かしていく。
流石は元シティ・モスクワのエリート魔法士といったところか。その情報収集能力は伊達ではない。
そこまで言い終えた時には、ブリードの頬を一筋の冷や汗が伝っていた。
「…笑いごとにもならねえ…何でこうなるんだよ…まあ、心の準備が出来ていてもきっと驚いたかもしれねぇけどよ」
「ブリード、どういう事!?」
ただならぬ様子のブリードの様子に気づき、嫌な予感を覚えたミリルは、ブリードの肩を揺すって問うた。
あ、と声を上げたブリードはミリルの方へと振り向き、深呼吸した後に告げた。
「…そうか、そういや…ミリルは知らなかったんだっけか…。
サクラってのはな…あの『悪魔使い』天樹錬と同じ能力の持ち主なんだよ!!」
一瞬の間を置いて、ミリルの表情が変わった。
『―――我々『賢人会議』は、すべてのシティに対し、宣戦を布告する―――』
目障りな音を立てて、映像が途切れるまさにその時だった。
そこに、さらなる変化が訪れた。
刹那、消えかけていたはずのデュスプレイから、可憐な少女の声が響いた。
全ての人間の、全ての魔法士の視線は、再びテレビへと注がれる。
モニターに映し出されたのは、黒髪の少女。
だが、先ほどのツインテールの少女とはまた違う少女だった。
ツインテールの部分が長くなっており、着用しているのは白を基調としたケープとスカートだ。
見れば見るほど先ほどの『賢人会議』と名乗った少女にそっくりなのだが、雰囲気が絶対的に違った。
『賢人会議』と名乗った少女は、全てを凍てつかせる絶対零度で冷血な印象を受ける少女。
今名乗った少女は、優しい表情で、穏やかな空気を纏っている少女。
「な―――っ!これは!?
真昼!これは一体どういう事だ!?
それに、この少女は一体誰だ!?」
「僕に言われても困るよ!
…だけど、やってる事は自体は分かる。
きっと、僕達と同じ事をしているんだ!
おそらくだけど、僕達がこう来ると分かっていて、そして、僕達の発言が終わるのを見計らって、さらなる発言のための準備を済ませていたんだ!」
「そんな馬鹿な!なぜ、そんな事が出来る!」
『…確かに『賢人会議』の言っている事は、確かに魔法士にとっては正しく聞こえますっ!!
だけど、残された人間達は、シティ無くしてどうやって生きるの!?
シティが無ければ、弱い一般市民は元より、シティに依存して生きている魔法士だって生き延びれない!!
マザーコアが一日でも止まれば、シティの人達は、みんな死んじゃうんですよっ!!
だけど、そんな世の中にあっても尚『賢人会議』は魔法士だけを、それを死に行く少数の魔法士を助けると公言したわ!!
そしてその代わりに、世界中の人間全てを殺すつもりよ!
―――『賢人会議』がやろうとしているのはそういうことなの!
自分達だけが助かって、味方にならない他の魔法士は全て見捨てるつもりに決まっているわ!!自分達のやっている事こそが完全なる正義だと思い込んでいるんだからっ!
『賢人会議』は紛れも無く、やっと均衡の取れてきたこの世界に亀裂を埋め込むテロリストでしかないんですっ!
そして『賢人会議』は人間の命なんてそこらへんの石ころ程度にしか見ていないんだから!!!
その証拠に、一人の魔法士を助けるのに、それこそ何千人、何万人という人を殺してるのですっ!!
そしてなにより―――私を育ててくれた人も、何もしてないのに『賢人会議』に殺されたんですっ!!
…だから間違わないで!
お願いだから間違わないで!みなさんっ!!』
少女の言葉の途中から、涙が混じり始めていた。
否、瞳の端からこぼれ落ちたそれは、まさしく本当の涙だった。
『…っく。ひっく………』
発言を終えた直後に、黒髪の少女は鼻をすすって泣きじゃくり始めた。
そこに横から小さな手が差し伸べられ、ティッシュが差し出された場面が写った刹那、ノイズと共に映像が消えた。
「――嘘、だろ…なんで、この声がこんな」
白い服を着た少女の声を聞いたその瞬間に、論の顔が蒼白に染まった。
何故なら、論にはその声を聞いた記憶があったからだ。
そう、シュベールとの戦いの中で論に助言をしてくれた声と寸分違わない、あの、懐かしくも暖かい声。
「…ッ!」
ずきり、と、何の前触れもなく頭痛がした。
脳に何か衝撃を加えられたような感覚。
だが、それはすぐに収まる。
それを確認した後に、論は気づかぬうちに、誰にとも無く独白していた。
「…あの声…あの声は、オレを励ましてくれた声と同じ…。
じゃあ、目の前にいるこの娘(こ)が、あの時の…」
「…論、どうしたの…声って…何?」
まるで独り言のように言葉を発した論の顔を怪訝そうに覗き込むヒナ。
刹那、ヒナの顔に頭がぶつからないようにして論は素早く立ち上がり、
「ラジエルト!この放送の逆探知を…」
「分かっている!!この放送が何処から行われているのか逆探知しろってことだろ!!その作業はもうやってる!」
テレビの前ではなくいつの間にかコンピュータの前まで移動し、パチパチとキーボードを打つ音と共にラジエルトが答えた。
「論…どういうことなの?」
座ったまま、不安げな瞳で論を見上げるヒナ。
レシュレイとセリシアの視線も、論に向かっている。
今の論の発言は、それほどまでの力があった。
この中でたった一人、見知らぬ少女の事を知っているというファクター。
軽く息を吐いて、論は口を開いた。
「…それを今から説明するから、みんな、落ち着いて聞いてくれ…」
そして論は、全てを話し始めた―――――――――。
あの日、シュベールとの戦いの中で何があったのか。
あの場で論を奮い立たせたものは何だったのか。
主すら告げなかった声は一体誰のものなのかが、今の今まで分からなかった事。
しかし今、目の前の少女が発したその声は、まさにあの時聞いた声と同じだったという事――――――。
「…くっそ、何がどうやっていやがる…」
ブリードは頭を抱えて、思考を重ねていた。
サクラと、サクラに良く似た少女。
この二人の関係が分からない。
否、それ以前に、どうしてこうもタイミングよく二つの発言が現れたのかが分からない。
「…分からない…けど、これだけは言えるよ…」
試行錯誤に苦しむブリードの横で、ミリルが静かに口を開いた。
「――――これから、何かが始まっちゃうんだ…」
そう言ったミリルの口調には、不安の色がありありと含まれていた。
「…どうやらイルとの依頼を果たす前に、『賢人会議』は動き出したようだな」
落ち着いた手つきで、中身を飲み終えたコーヒーカップをテーブルの上において、デスヴィンはゆっくりと席を立つ。
「…だが、まだだ。
『賢人会議』の長、サクラを生け捕りにすれば、依頼は達成となる」
その瞳には、諦めの色など微塵も浮かんではいなかった。
そのままデスヴィンは窓へと歩んでいく。
窓から見た景色の中には誰もいない、そんな街の昼。
人々は皆、各々の家で『賢人会議』の発言に恐れおののき、どうすればいいか迷っているのだろう。
「そういえば…」
ふと、雑貨屋の事が頭に浮かんだ。
厳密には、人の良さそうな女将と、その傍らに居る、いつも周囲に笑顔を振りまきながらも魔法士である事を隠し続けていた一人の少女。
「これを見て大丈夫なのか?…アルテナが」
―――刹那、心の中を言い知れない焦燥感が駆け巡った。
其れが合図になったかのようにデスヴィンは立ち上がっていて、次の瞬間にはドアを開け放って、街へと向かって駆け出していた。
昨日の件以来、デスヴィンはアルテナと話していない。
日付が昨日から今日に差し掛かった時、心の中に浮かぶのは、唯一人の少女の顔―――それも、泣き顔。
このままでは拙いと、心の中で思っていた。
「帰って!帰ってください!!!」という言葉が脳裏に蘇る。
あまりにも強い否定の言葉に、デスヴィンはそのまま無言で踵を返した。
―――だが思えば、あの時のデスヴィンは迂闊だった。
おそらく、あの事はアルテナにとっては触れてほしくないことだったのだろう。だが、心の中に生まれたいらぬ探究心のせいでそれに触れてしまったのだろう。
そして何より―――謝罪の言葉一つかけずに、帰ってきてしまった。
…謝ろう。
そこまで考えて心の中に浮かんだのは、とても素直な感情だった。
「……」
『賢人会議』の映像と、その後に出てきた少女の発言を全て見た後に、銀髪の青年は無言で立ち上がる。
その顔には、一目見れば分かるほど、失望感がありありと浮かんでいた。
それは一言で言うならば、期待していた者に裏切られたと形容するのが相応しい。
「『賢人会議』…あの騒動を得ても尚、あなた達はそういう結論に至りましたか。
あの騒動で流された者達の血を、全て無駄にするつもりですか!!
…いいでしょう!ならば僕は、民を守る騎士として動こうではないですか!!
あなた達の魔の手から人々を守る為に、あなた達という『癌』を取り除く!
―――聞こえていないでしょうが、それが僕の答えだ!」
例え当人達に聞こえていなくとも、青年は叫びたかった。胸の内に抱えた様々な感情を吐き出したかった。
そうでなくては、青年は自らの心のうちに抱えた、まさに心を押しつぶされるような思いに堪えられなかったかもしれないからだ。
『賢人会議』は様々なシティで悪行を働き、罪も無い人々の命を大量に奪い去った。
たった一人の魔法士を助けるために、という、あまりにも割りのあわな過ぎる命の計算。
一人に一つしかない命を大切にするならば、お前が奪ってきたその何倍、何十倍もの命は一体なんなのか。
魔法士を犠牲にしてシティが生きているというならば、お前達のやっている行動はどれだけの矛盾を抱えているのか。
魔法士が生きるのに人間が邪魔だから殺す。ただ、それだけではないのか。
否、『賢人会議』が抱えているのは矛盾だけではない。開き直りと自己満足と利己主義もだ。
そしてこれで、全てがはっきりしてした。
このまま『賢人会議』の横暴が働けば、マザーコアを無くした人類は死に至る。
魔法士の為ならば、全ての人間の命を犠牲にするという意思を確かに感じ取れた『賢人会議』の発言。
―――ふざけるな、と青年は思った。
今現在のこの世に在る最大の罪、それは―――『賢人会議』の存在だと、今確かに確信を持つ。
ならばその罪は正さなくてはならないと、青年は思った。
罪人は裁かれねばならない。唯一人の例外も無く。
そこまで考えた後、青年は立ち上がり、踵を返して部屋を後にする。
準備をしなくてはならない。人間達を守る為の、正義の戦いの準備を。
そして思い出されるのは、人間達に、魔法士達に対して『賢人会議』のやっている事の本質を伝えてくれた少女の姿。
涙を流して、ただ真実を告げた少女。
彼女の言葉が嘘偽りでない事を、銀髪の青年は知っている。
そう、彼女は『賢人会議』が表舞台に出てくるのを待っていたのだ。
マザーコア用の子供達を奪われたと知れば『賢人会議』には焦りが生じる。
ならばいっその事『賢人会議』の存在を表に出して、それと同時にシティのマザーコアの真実を暴露し、魔法士達が自分の方から『賢人会議』に赴くように仕向けるだろう。
そこを狙って由里が発言する事により『賢人会議』の長――サクラによく似た少女が反対意見を述べたという事になり、世界に更なる混乱を招く。
おそらく、サクラに似ていない者があの発言をしても、全く持って説得力に欠けただろう。
人々に余計な混乱を招くのはよろしくないのだが、それでも、魔法士達が考え直す時間を作ろうとするなら仕方が無いと思う。
因みに、『賢人会議』が全世界に報告するだろうと推測したのも由里が全国に放送するという作戦の考案者もルーエルテス・オルフェリーアだ。
流石は『ミッションコンプリーター』だ、と改めて思う。同時に、味方でよかったと本気で思わざるを得ない。少なくとも、彼女は絶対に敵には回したくないタイプだ。
だが、それよりも、今回の件で一番頑張ったのは、他ならない一人の少女。
「―――由里さん、良く頑張ってくれましたね」
例え聞こえていなくても、そう言いたかった。
今度再開したら再びこの言葉を口にしようと、青年は決めた。
そして最後に、彼は告げる。
「―――僕は…ハーディン・フォウルレイヤーは…『聖騎士』として、守られるべき秩序と命の元に、『賢人会議』を裁くのみだ!!」
シティを守ると信じて、これからを戦い抜くために。世界に予測不能な損害をもたらすであろう『賢人会議』の全てを抹殺する為に。
「せんせ―っ!!由里お姉ちゃんが!!」
「どうして――!?」
「なんで――!?」
映像を見たラクシュミ孤児院の子供達の驚きは当然だった。
『賢人会議』という、聞いたことも無い組織からのテロ発言。
そして、子供達がよく知る少女が、『賢人会議』を否定したという、何がどうなっているのか分からない状態。
だが、そんな中にあってもルーエルテスは落ち着いていた。
その胸の中には、怖くて泣きじゃくっている子供が二人ほど。
そして、これ以上子供達を悲しませない為にも、ルーエルテスは大きく口を開いた。
「由里―――頑張ったね。
…みんな、よく聞いて!
由里はね、みんなを『賢人会議』っていう悪い人達から守る為に頑張ってるの!!
だから、みんなも決して諦めないで、由里を見守るのよ!!」
「うん!!分かった!!」
「は―いなの―」
全部の子供達が泣き止んだわけではなかったけれど、それでも、自分達の好きな人が、自分達の憧れの人が頑張っていると聞いて、子供達の中にも勇気が生まれてきたようだった。
「あんれま―――、なんか、とんでもないことになってるね―――」
雑貨屋の主、宇都宮恭子は暗くなったディスプレイを見て、いつもの陽気な調子であっけらかんと言い放った。
「…そんな、どうして、こんな事が…。
なんで、この子がこんなところに居るの?
とんでもないどころじゃない。一体、世界はどうなっちゃうの…」
休憩時間の真っ最中だったアルテナが、不安げにディスプレイを見つめている。
その顔は見て分かるとおりに真っ青だ。
「ん?今のどういう意味?」
刹那、恭子の言葉に疑問が混じる。
その疑問は明らかにアルテナに向けられたものである事を、二人しか居ないこの状況下で理解するのは簡単なことだった。
「え?」
「いや、今さ、アルテナちゃん『どうしてこの子がこんなところに居るの』って言ったじゃない。
…もしかして、今の放送に映った誰かの事を知っているのかい?」
「…い、いえ。違います。
どこかで見たかもと思ったんですが、人違いみたいでした。
ほ、ほら、世界は広いんですから、黒髪ツインテールの子って結構居るじゃないですか…だから、それで…」
所々で言葉がつっかえるが、それでも何とか言い通す。
「…だよねぇ。
だって、アルテナちゃんがこんな物騒な奴らと知り合ってたら、いろんな意味で怖いわよ」
「そ、そうですか?」
「うん」
恭子の返事は、即答だった―――怖いくらいに。
(…デスヴィン…さん)
表情こそいつもの笑顔だったが、アルテナの心の中に広がっていたものは―――わだかまりだった。
その原因は十中八九、昨日のデスヴィンとのやり取りのせいだ。因みに、このやりとりは恭子には黙っていた。
アルテナにとって触れてほしくないところに触れてしまった、一人の青年。
その時はつい感情的になり、「帰って!帰ってぇ!!!」と叫んでしまった。
だけれど、後々に考え直すと、あそこでヒステリックになってまで叫び、追い返す必要なんて無かったんじゃないのかと。
暴漢の手からアルテナを助けてくれたデスヴィンに対し、その態度はあまりにも酷いものなのではないのか、と。
そう考えると、今度デスヴィンに会った時に言うべき言葉が自然と出てきた。
―――ごめんなさい…って、言わなくちゃ。
「でもさアルテナちゃん、ほんとに世界はどうなっちゃうんだろうね」
「大丈夫。きっと軍の人達が何とかしてくれますよ」
「おやま、随分と軍を過大評価してない?」
「あ、失礼しました。
それ以外にも、ここの街の人とかですね。
皆さんと一緒なら、たぶん大丈夫ですよ」
「それだけ〜?
もしかしたら、心のどこかでデスヴィンに会える事と、デスヴィンが助けに来てくれることを期待してるからじゃないの〜?
昨日事件みたいにさ〜」
「えっえっ、ええ〜っ!ち、違います〜っ」
デスヴィンの名前が出てきて、何とか否定しようとするものの、どうしても言葉がしどろもどろになってしまうアルテナであった。
加えて、その顔がちょっと赤みを帯びているとなれば、いくら言葉を濁そうとも本音が分かってしまうというものだ。
あまりにも分かりやすすぎるアルテナの反応に、恭子は必死で笑いをこらえていた。
ちなみに『昨日の事件』とは、アルテナが危うく暴力沙汰に巻き込まれてしまいそうになってしまった事件の事。
デスヴィンにお届けものをさせたのが幸いして防ぐ事が出来たが、まさかそうなるとは恭子も予測すらしていなかった。
人生とやらが偶然の連続と無限の選択肢で構成されていることを認識させられたと言っても過言ではない。
尚、犯人は内部の人間で、所謂ストーカーという奴らだった。
「ふ〜ん、何が違うのやら…」
にやにやと笑みを浮かべる恭子がさらなる言葉を発しようとしたその瞬間、
「――失礼する。
店主、そっちでもあの放送は流れたのか?」
店頭の方から、恭子とアルテナにとって聞きなれた声が聞こえてきた。
すかさず恭子が店頭の方へと向かうと、予測どおりというかなんと言うか、思ったとおりの姿がそこにあった。
「店主って…あんたね―――、二週間も付き合いがあってもまだそう呼ぶ?
他人行儀が過ぎるのよ。もうちょっと気楽に成りなさいな」
恭子の目の前に居たのは、先日にアルテナを助けてくれた男――デスヴィン・セルクシェンド。
つい最近この街にやってきた魔法士で、街の人達とは結構うまくやっている様子。
「…そうは言っても今までの人生が人生だったものでな…人はそう簡単には変われないというやつだ」
頭に手を置いて面倒そうに呟くデスヴィン。
今まで見てきたから分かるが、彼は筋金入りの朴念仁なのだ。
第三次世界大戦という、一瞬の油断が死に繋がる世界で生きてきたとなれば仕方のないことかもしれないが、第三次世界大戦はもう十年も前に終わっているのだから、少しくらいは角が取れてもいいのではないのか、と恭子は思う。
この調子ではアルテナが密かに向けているであろう想いに気づいている訳も無いだろう。と思うと、恭子はため息を吐きたくなった。
いくらなんでも鈍いにも程がある。
「あ、こんにちは。ここ、開いてますよ」
恭子がそんな事を考えている傍ら、誰も座っていない椅子を指差すアルテナ。
「…どうも。
と、また会ったな―――アルテナ」
椅子に座ると同時に、デスヴィンはそんな事を口にした。
「…ふぇ?あ、あたしの事、今、名前で…」
予期せぬデスヴィンの行動に、アルテナは目を見開いてきょとんとしてしまう。ついでにその頬が紅潮している。
謝らなくちゃと思っていたのに、それが中々口に出せない。
そんな中、いつもと違うデスヴィンの様子に違和感を覚えた恭子はつかつかとデスヴィンに歩み寄り、胸ぐらを掴む…とまではいかないが、その顔を目と鼻の先にまで近づけて、口を開いた。
「…ちょっとアンタ、何時からアルテナちゃんとそんなに親しくなったのよ」
ちょっとドスの入ったその言葉は、シスコンな姉が妹の彼氏に詰め寄るような、そんなシチュエーションを髣髴とさせる。
だがデスヴィンは動じることなく、ただ淡々と答えを告げる。
「…いや、ただ単に、いつまでも『君』じゃ不便だと思っただけだが。
俺はアルテナからさん付けで呼ばれているから、こっちからもさん付けで呼ぶのはどうにも不自然だし。
と言うわけで名前呼びに至ったわけだが、何かまずいことでもあるのか?」
「…はぁ―――、アンタってほんとに朴念仁なんだから…」
魂が抜けそうなほどのため息を吐く恭子。その溜息には色々な思いと意味が込められている。
「言っていろ」
で、いつもながらの抑揚のない返答。
「…でもまあ、その言い方にも一理はあるわね。
だけど、それが本当に正しいかはあたしじゃなくてアルテナちゃんが決める事。で、当のアルテナちゃんとしては、こいつに名前呼びされるのはどんな気持ちなの?」
アルテナがどんな反応をするだろうか、という疑問をこめて、話の矛先をアルテナへと変えてみる。
するとアルテナは、しばしの沈黙の後、
「――ほんとの事を言うと、嬉しいの」
頬をちょっとだけ赤らめて、微笑みを浮かべてそう答えた。
「…へぇ〜」
にやにやと笑みを浮かべながら、恭子はデスヴィンに対して物凄く意味ありげな視線を送っている。
デスヴィンはそれを無視して、沈黙したディスプレイへと向き直った。
「…しかし、とんでもないことになったものだな」
はあ、とため息を吐いて、デスヴィンは天井を見上げる。
「全くだよ…静かに暮らしているあたし達の事とか考えてほしいもんさね。
…ところで、せっかく来たんだからお茶でも飲む?」
「俺は別にかまわないが…店のほうはいいのか?」
「こんな状態じゃあお客さんなんて来ないって。
まあ、それでも一応お店は開けておくけどね」
「あ、あたし手伝います」
そう言ってアルテナが立ち上がり、台所のほうへと歩いて向かう。
「…俺は何をすればいいんだ?」
「じゃあ、急須にお茶っ葉を入れておいてほしいの。あたしは湯のみを持ってくるから」
言い終えると同時に、恭子は急須とお茶っ葉の入った缶を差し出して、テーブルの上に置いた。
この時点で和風と洋風が混じっているけど気にしてはいけない。恭子だって出来ればコタツがほしかったのだが、如何せんこの付近では扱っていなかったからテーブルにせざるを得なかったのだから。
「了解した」
その一言だけで了解の意を示したデスヴィンは、すぐに行動に移った。
「―――昨日は、ごめんね」
その大きな背中を見て、ぽつりと一言。
勿論、デスヴィンに聞こえないように小さな声で呟いた。
アルテナとしては、タイミングを見計らってきちんと謝ろうと思っている。
だけど、その前に、どうしても今のうちに謝っておきたかった。気持ちに整理をつけるために必要な事だと判断したから。
「―――聞こえた…俺こそ、すまなかった」
……………しかし、アルテナの放った一言は、デスヴィンの耳にしっかりと入っていたようだ。
小さくも確かなデスヴィンの謝罪の声が聞こえた時、アルテナの心の中に、嬉しいという感情が浮かんだ。
―――『賢人会議』の宣言があったというのに、シティ・神戸付近の街の中の一つの店で行われるお茶会。
だけど、それもまたいいと思う。
少なくとも、下手に現実を直視して、絶望に浸るよりは遥かにましだと思うから。
「まさか、こんな事が起ころうとはな…つくづく人生とは分からないものだ。
どうやら世界は、魔法士達を、そして俺達を戦いの渦に巻き込みたいらしい」
『もう一つの賢人会議』の一室で、沈黙したディスプレイを前にして、イントルーダーはため息と共に呟いた。
「まあ、それは私も同感ね。
…で、今回のこの件について貴方はどう思うの?イントルーダー」
その隣で、クラウが口を開く。
「そうだな…」
クラウの疑問に対し、イントルーダーは少しばかり考え込む。
その間にも、脳内では、今しがた起こった事が再現されていた。
『もう一つの賢人会議』のデータベースを調べている最中に、異変は起こった。
たった今しがた、研究所跡の中の巨大ディスプレイに映し出された『賢人会議』の宣言。
そしてその後に現れた、『賢人会議』の長と酷似した外見を持つ白い服の少女の発言。
―――これらが何を意味するのかを全て理解するのは流石に無理だが、ある程度だけなら理解は出来る。
少しの間考えた後に、イントルーダーは口を開いた。
「…現時点で明確な結論を出すのは無理だな…あまりにも情報が少なすぎる。
だが、それでも予測の出来る事はある。
さっき、ツインテールの少女は確かに言ったな…『賢人会議』と」
答えたのはイントルーダーで、その顔には怪訝な表情がありありと出ていた。
「…私達『もう一つの賢人会議』などの偽者とは違う、本物の『賢人会議』ね。
じゃあ、あれが『サクラ』って事になるのかしら。
そして、サクラと入れ替わるように現れた、サクラそっくりの少女――。
あの少女が所属する組織名は分からないけど、『賢人会議』とは間違いなく敵同士と考えていい訳ね」
「分かっているじゃないかクラウ。
だが、あの少女の名前が分からなかったのは少々残念だ」
「あら、あの子が可愛い女の子だから言っているのかしら?」
「そうじゃない」
イントルーダーは即座に否定した。
「名前が…よくて組織名さえ分かれば、協力しようと思っただけの事だ。
『賢人会議』の発言には一理あるが、それでは、今現在シティに住んでいる人間達を全て皆殺しにするといっているのと同意義だ。
マザーコア無しでは、シティの住民は一日たりとも生きられない。
つまり『賢人会議』は、人々の息吹を刈り取るつもりらしいという事だ―――こんなこと、許せぬだろう。
そもそも、あの様子では、ただ単にマザーコア撤廃を叫ぶのがどういう事だか分かっていないらしいからな。
―――いや、分かっていて敢えて言っているのかもしれないが。
…何より、シティにはこの戦いで知り合ったあいつらがいる…そんな事、絶対にさせる訳にはいかないからな」
「うん…あの子達、今何してるのかな…」
虚空を見上げるような視線で、ぼうっと思い出す。
白髪の少年と銀髪の少女と蒼髪の少年と桃色髪の少女の姿が、四人まとめて二人の脳裏に思い出された。
しかし、感傷にひたってばかりもいられないので話を戻す。
「…まあ、それはそのうち調べればいいのではないのかしら?
焦っても仕方ないと思うわよ」
「同感だ。違いないな」
そして、二人は苦笑を交わした。
「…ところで、イントルーダー」
「ん?」
「…とりあえず、たまには外に出てみない?」
苦笑を交わしてから数分後、クラウは唐突にそう言った。
「―――外?
どうした?データベース解析ばかりで疲れたから気分転換でもするのか?」
いきなりのクラウの行動の意図がつかめず、疑問で返すイントルーダー。
臆することなくクラウは答えた。
「それもいいわね。
だけど、私が言いたいのはもっと別な事。
…一回くらい、地面の下で眠るあの子達に謝りに行かないと―――」
そう言ったクラウの顔は、どこか影がさしていた。
それだけでクラウがどこに行きたいのかを察知したイントルーダーは、何も言わずに無言で頷いた。
天井の蛍光灯が、頼りにならない白い光で部屋を照らしている。
適当な番組を写していたテレビのディスプレイが、突如、全く違う画面を映し出した。
初めは故障か何かだと思ったが、それは大きな間違いだと気づくのはすぐだった。
―――画面に映し出されたのは『賢人会議』の姿だった。
…そして今、全てを語り終え、ディズプレイは再び沈黙した。
真っ暗で何も写さないディスプレイを、憎しみの瞳で睨みつける一人の男がいた。
年齢は二十代前半で、紫の髪の毛を雑に切っている。
服装は、まるで毛皮のような襟のついた特注製の戦闘服。後は、どこかの放浪者をイメージさせるようなテンガロンハットのような形状をした帽子。
「…『賢人会議』め…ついに始めやがったか…」
沈黙したディスプレイに向かって、男は呟くように言い放つ。
「これでこの世界は、いよいよもって滅びに向かっていく事になるな。
人間とはなんと愚かなもんかねぇ。自らが生み出した魔法士に反逆されるなんてな。
…まあ、仕方ねぇか。これはある種の因果応報という奴なんだからよ」
その場にいない誰かに語りかけるように、男は告げた。
「―――だが、『賢人会議』はもっと許せねぇ…。
色んな奴からたくさんの大切なものを奪っていって、それでいて当然とばかりに平然と存在してやがる。
…だが、今この時があるという事は、待っていた甲斐があったという事か」
口の端に、笑みを貼り付ける。
男の心の中には、歓喜という感情が渦を巻いていた。
やっと見つけた。ついに見つけた。
探し続けて、ついぞ見つけることが出来なかった奴らを、ついに見つけることが出来た。
同時に、心の中に浮かんだ感情は『賢人会議』に対しての純粋な怒りだった。
「待っていやがれ『賢人会議』…てめえらの知らないところでどんな犠牲が出ていたかってのを思い知ってもらうからな…!!」
怒気を孕んだ声で、ゆっくりとそれを口にした。
その後、腰をゆっくりと上げて、強化カーボンの床を強く踏みしめる。
老朽化が進んでいる床はぎしり、と音をたてたが、男はそんな事は気にする素振りすら見せなかった。
「…にしても、あの少女は一体何者なんだ?」
先ほどから脳内に残っていた疑問を口にして、顎に手を当てて「ふむ」と考えてみる。
『賢人会議』の事ばかりに頭が向いていたが、それと同じくらい、忘れてはいけない事があった。
気になるのは、『賢人会議』の後に発言した、黒髪の少女の事だ。
あの言いようからすると、間違いなく『賢人会議』と敵対している組織に違いない。
(涙まで流して説得するとは…あの涙が偽りとは思いがたい。となれば、本当に人間達が大好きな少女なんだな)
と思いながら、金属製の扉に手をかける。
「…と、いけね。これが無きゃはじまらねぇってのに」
その時、忘れ物を思い出して引き返す。
その視線の先には、一つの大きな鞄があった。その概観は、まるで、ギターをそのまま入れるようなショーケースだ。
さび付いた壁に立てかけてあった『相棒』をかつぐ。
とある事件の後から、とある目的の為に『賢人会議』を探し続けた。
だが、彼一人の力では『賢人会議』を探し出すことなど出来なかった。その為に、今の今まで歯がゆい思いをしていたのだ。
しかし、それも今日で終わる。
奴らは姿を現した。
故に、断罪の時は今から始まる。
その為にも、協力者が必要だ。『賢人会議』を憎む協力者の存在が。
「さってと…んじゃ、数年ぶりにあいつの顔でも見に行くとするかな」
言葉を継げた後に、金属製の扉を開けて、極寒の世界へと足を踏み入れる。
ゴゴゴン…という重たい音と共に、金属製の扉は静かに閉まる。
一粒の雪の進入すら許さぬ、強固なる扉。
少しの間だけだが、男の生活を支えてくれた、たった一つの住処。
(もう、ここに戻ってくることは無いだろうな。これからは、おれはあそこに居なくてはならないから)
刹那、心の中に、とある一人の人物の姿が思い浮かぶ。
男の首にぶら下げられているロケットペンダントが、風に乗って軽く揺れていた。
―【 おまけどころじゃない存在感になっちゃってるらしいキャラトーク 】―
ノーテュエル
「おおおおおおおっ!!
つ、つ、つ…ついに物語が大きく動き始めたわね!!」
ゼイネスト
「ああ!!
そしてここから、作者がこの物語で何を言いたいのかを告げる為の戦いが始まる」
ノーテュエル
「つまり早い話が『賢人会議』の意見には納得できない、って事ね」
ゼイネスト
「…まあ、それもあるな。
だが、実は作者にはもう一つ別に『表現したい事』があるらしい。
しかし当面は『賢人会議』絡みで話を進めていくだろうから、今言う必要は無いと思うので省略させていただく」
ノーテュエル
「ふーん、それはその時のお楽しみって訳ね。
しかしまあ…よくよく考えたらこの物語、とことん『賢人会議』への敵対キャラが多いわね。
一人くらい味方するのが居てもいいと思うんだけど…」
ゼイネスト
「まあ、一時とはいえ『サクラ撲滅委員会』でも作ろうかと考えてしまうような(もちろんいまだに未成立)作者の作品だからな」
ノーテュエル
「身も蓋もないわね―」
ゼイネスト
「しかし、現段階じゃあ何もいえないのが現状だ。
この先、既存のキャラから『賢人会議』に味方する奴が出てくるかもしれないからな」
ノーテュエル
「何でそう思うわけ?」
ゼイネスト
「そうだな。例をあげるなら…ブリードはミリルがマザーコアにされそうになったから、シティから逃げたわけだが…」
ノーテュエル
「あ、そっか…。
じゃあ、あの二人はもしかしたら…」
ゼイネスト
「ああ、場合によってはその可能性もありえる。
…そして、論やレシュレイはどうするんだろうか…」
ノーテュエル
「うーん、こういう時は相談する為の人数を増やすに限るんじゃないの?」
ゼイネスト
「…ご自由に、な」
ノーテュエル
「そう来ないと!!」
(ポチッ)
シュベール
「…あら、今回はあたしなんだ」
ゼイネスト
「久しいなシュベール。
相変わらず、天国からあの二人を見守っているのか?」
シュベール
「ええ。リリィと二人でね」
ノーテュエル
「ちょ、すっごい自然に会話してるのは何で?私達本編じゃ面識無いのよ!」
シュベール
「こうなってしまっては、出会ってないとかそんなものは一切の意味を持たないわ。
それに、前にリリィだってここに着たんだし。
本編じゃあなた達はリリィの事を知らないのに会話できたんだから、今、こんな会話が成立しているのも無理はないと考えるのが妥当よ」
ノーテュエル
「…ま、そういうことにしておくわ。
それにしても、あの子と一緒にねえ…。
大変じゃない?九歳も歳の差があるって」
シュベール
「確かに、時折ちょっとした話の食い違いはあるけれど、それでも何とか仲良く出来てるわよ。
でも皮肉ね…死んでからやっとリリィの笑顔が見れるだなんて…。
そして悔しいわ…苦しむあの二人に何も助言できないこの状況が…考えても仕方の無いことなんだけれど」
ノーテュエル
「シュベール…」
ゼイネスト
「―――まあ、咲夜とやらがこの世界に居れば、彼女の能力で死んだ筈のシュベールを呼び出して、論やヒナとも会話できるんだろうけどな」
シュベール
「作者が七祈さんの許可をもらってクロスオーバーものでも書いてくれないかしら?」
ゼイネスト
「…期待はしない方がいいかもな」
ノーテュエル
「そーね。
でさ、そろそろ本筋に戻らない?」
ゼイネスト
「そうだな。
確か、論やレシュレイはどうするんだろうか…ってところで話が止まっていた筈だ」
シュベール
「あたしの考えが正しければ、論は絶対に『賢人会議』には走らないと思うわ」
ノーテュエル
「その根拠は?」
シュベール
「『賢人会議』に回ったら、多くの人達と戦わなくちゃいけない。
で、『賢人会議』は圧倒的人員不足に陥ってるから、下手をしなくてもまたヒナが戦わなくちゃいけない。
そうなったら、ヒナはまた人を殺めないといけない。
―――論ならそんな事、絶対にさせない筈だわ」
ゼイネスト
「なるほど、実に的を得ている発言だな。
レシュレイは…俺が思うにたぶんシティ側だろうな」
シュベール
「理由は?」
ゼイネスト
「現時点でレシュレイが『賢人会議』側になるメリットがどこにある?
寧ろ、下手に『真なる龍使い』の事を公にしてしまう事になってしまうし、さらに多くの命を殺めなくてはならなくなるというデメリットしかない」
シュベール
「でしょうね」
ノーテュエル
「…ねぇ、さっきから『殺める』とかそういう単語多くない?」
シュベール
「何か間違いでもあるの?
『賢人会議』は、どんな大義名分を掲げようとも、つまるところは大量殺戮犯じゃないの。
WB五巻(下)に、一人の魔法士の為に何万人も殺したって書いてあるわ。しかも、何の力も持たない一般人を含めてね。
つまり『賢人会議』になれば、シティの人間全てを敵にするって事になる。
目的達成の為に、皆殺しを決行しなければならない時もあるかもしれない。
…この世界での最大の犠牲者が魔法士なのは否定しない。だけど、それは力の無い弱い一般人達もそうなのよ。まさに戦争時代そのままだわ。
だからこそ作者は『賢人会議』を憎んでいるんだけど」
ゼイネスト
「ああ、なるほど…」
ノーテュエル
「作者は戦争が嫌いだからね…ってか、戦争が好きな奴なんていないと思うけど」
シュベール
「そういう事。
…さぁて、この後は一体どうなるのかしらね。
ハーディンや由里が『賢人会議』との本格的な戦いをどうやって行うかも、最後に出てきた謎の男の存在も気になるし」
ゼイネスト
「ああ、あの男か…」
ノーテュエル
「まさか今度こそ『闇使い』だったりして。
根拠は…なんか雰囲気がそれっぽいってだけなんだけど…はずれかもね」
ゼイネスト
「情報量が少なすぎて断定はしきれないから、ありえない話ではないと思うけどな」
シュベール
「それはこれからのお楽しみって事でしょうね。
…と、そろそろ時間みたい。次の予告と行きましょうか
――次は『賢人達』よ」
ノーテュエル
「しーゆーあげいーん!!」
<作者様サイト>
Moonlight butterfly
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