DESTINY TIME RIMIX
〜賢人〜
どの選択が正しくて、
どの選択が間違っているのか。
正しい答えは一切合財不明故、
自分が信じた道を、ただ行くのみ。
―――【 譲 れ な い 戦 い 】―――
〜THE REN&FIA&BUREED〜
シティ・モスクワの地下牢を支配するのは、闇夜を思わせる漆黒の空間と肌寒い空気と二人の魔法士。
一人は『天使』にして最強の『同調能力』の使い手である金髪少女・フィア。しかし、彼女は今、泣き疲れて眠っている。二日後の自身の運命を呪っての事なのか、それとも、低い可能性ではあるが、彼女が大好きな彼が助けに来てくれるのを待っているのか…おそらく真相としては後者の方が可能性が高いだろう。
もう一人は、シティ・モスクワの最強の『氷使い』ブリード・レイジ。
依頼先の研究所跡において天樹錬と戦闘し、結果、ある種のだまし討ちに近い方法でフィアを手に入れた者。
全ては、このシティの存続の為に。
…否、それは厳密に言えば間違いだ。
正直なところ、姉をマザーコアとして失ったブリードにとっての今の支えは、幼馴染のミリル・リメイルドしかいない。むしろ姉の命を奪ったこのシティ・モスクワが憎くてたまらない。だが、ここにミリルがいる以上、ブリードの居場所はここしかないのだ。
故に、ブリードの目的が「ミリルの為に」であることが容易に伺える。
「…出来る事なら、錬には来て欲しくないんだけどな」
顔をしかめて、めんどくさそうにごちるブリード。
あの研究所の戦いにおいて錬に止めを刺さなかったのが正しかったのか間違っていたのかは、今のブリードには判断がつかない。後味が非常に悪くなるからできる事なら殺さないほうがいいかなと思って、あえて錬を生かしておいたのだが。
「…しかし、ほんとにあそこに犯人がいるのか?」
先ほどの出撃警報の理由は、シティ・ニューデリー方面で黒髪ツインテールの少女を見たという情報が流れ込んできて、今すぐにでも全軍出撃せよという命令だった。シティ・ニューデリー方面で
だが、ブリードは上官に掛け合って、出撃命令を免除してもらった。
シティ・ニューデリー方面で黒髪ツインテールの少女を見たらしいが、それは多分、自分達の注意をそちらに向かわせて手薄になったシティ・モスクワを攻めに来る者達のたくらみの可能性がある。と公言した。シティ・モスクワの上官もそれには賛成し、結果、実力も発言力もシティ・モスクワの魔法士の中でも最高クラスのブリードは、ここの警備を任された。
ちなみにミリルには『出撃するな』の命令が下された。理由は単純で、ただ単に成績が悪いだけだった…と言っていた。ブリードとしても、正直、それは助けだった。
しかし、喜んでもいられない。
このままでは、成績最下位のミリルは、近いうちにマザーコアにされてしまうかもしれない。
それだけは、絶対に防ぐ。
だから今、フィアを死守しなければならない。
フィアがここのマザーコアになれば、しばらくはミリルは安全なのだから。
そう、ブリードの大好きな少女が。
ならば自分は、来客のためにここにいる。
おそらく、否、『必ず』やってくるであろう人物の為に。
フィアを取り戻すために人物の為に。
黒髪に黒目の東洋人の少年。今のところ分かっているのは、依頼達成率百パーセントの便利屋であることと、複数の異なる系列の能力を操る特異なI−ブレインを有しているということ。
七ヶ月前のシティ・神戸崩壊事件にも関与したと噂される、おそらく世界で最高レベルの魔法士の一人――――通称『悪魔使い』――――――天樹錬!!!!
ここまで悩むならあの時錬を殺さなかったのは失敗だったかもしれないとブリードは再度後悔したが、それはそれ、これはこれ。今度こそ倒してやればいいだけだ。
それも、錬が好きなフィアの前で完膚なきまでに。
刹那、
(後方に熱量感知)
I−ブレインが抑揚の無い声で告げる。
「…」
だから、無言で振り向く。
そこにいたのは、黒髪に黒目の東洋人の少年。
「…予想は正解だな。やはり錬、お前だったか」
「今度は不意打ちやクロロホルムを使わないんだね」
「減らず口を…」
ブリードの声に疲れが混じっていた事に、錬は気づかなかった。
脳内時計が『午後四時』を告げた。
あの後、錬はシティ・モスクワのフライヤーが大量に飛び立つのを見た。それで、ゼイネスト達の作戦が成功した事を確認した。
後は、あの軍隊が戻ってくるまでに、フィアを救出しなければいけない。すかさずシティ・モスクワへと潜入した錬は、地下へと向かった。事前情報でシティ・モスクワの地下牢の位置は知っている。だから、迷うことなくたどり着いた。
十メートルの距離を置いて、二人の魔法士は同時に身構える。
互いの手の内をある程度は知る魔法士同士の戦いでは、勝敗は短時間で決する。相手の予測を何センチ外せるか、何ナノセカント早く動けるか、そのわずかなズレが勝者と敗者を決める。
故に、二人は動かない。脳内シミュレートの中では一秒間に何千回以上の攻撃を行いつつも、現実の肉体は一ミリたりとも動いていない。対魔法士戦闘の本質は予測演算にあるからだ。
行動を起こすのは、勝利を確信した時。
「なぁ」
唐突にブリードが口を開いた。
「お前は、どうしてそこまでフィアにこだわる?」
「くだらない質問だね…」
あくまでも平静を保つブリードとは対照的に、錬は怒りを前面に表している。その目つきは鋭いが、いかんせん顔が童顔だけにあんまり怖くない。
「今ここで、そんな事を聞いて何になるのさ」
「お前といい『賢人会議』といい、どうしてそこまでシティを滅ぼそうとして行動する?シティが無ければ人類は生きていけないというのに!!シティこそが人類最後の砦でしかないのに!!!」
『賢人会議』の名が出てきたことに錬は一瞬反応するが、即座にブリードを睨み返して、
「こんなことが正しいと、本当に思っているの?誰かを殺して、それでも尚生きるつもりなの?犠牲の上の平和がそんなに欲しいの?」
「現にこのシティは存在している!!!」
ブリードが叩きつけるように反論。
「大量の人間が生きるためには、少量の犠牲はやむを得ないだろう!!どうせ取るなら多い方がいいだろう!!!」
「とりあえずさっきの質問の答えも踏まえて言わせてもらうよ…色々理屈はつけられるけど、結局、僕はフィアが好きだからだ。フィアを見捨てて生きたって、死んでるのと同じだ」
「結局自分だけのエゴか。相当な自己中だな。お前」
「言いたければ言えばいいさ。大切な人を守る事のどこが悪いのさ。それが僕の正義だ」
「なら、お前は弱者に死ねと言うんだな。老人、子供、病人…このシティには、シティの助け無しには生きられない者が数百万人いる…シティ・神戸の時と同じように、フィア一人を助ける為に数百万人を犠牲にすると、お前はそう言うんだな!!!!」
怒気を孕んだ声で、ブリードは叫んだ。
まるで、かつての黒沢祐一のように。
「じゃあ、君はどうなんだ?」
「何…?」
過去に似た経験をした錬には、その対処法が分かっていた。
「まさか、自分の肉親が死んだからこのシティを守りたいってこと?祐一さんと同じで!!」
「…祐一…まさか、『大戦の英雄』黒沢祐一か!?
…ま、それは後にして答えさせてもらう」
祐一の名が出たことに一瞬狼狽するブリードだが、すぐに平静を取り戻す。
「ああそうだ。姉さんが守ったこのシティだ。だから守りたいんだ!!!しかも姉さんは、七瀬雪と違い強制的にマザーコアにされた!だから、俺は姉さんが守ったこのシティを守るんだ!それが俺の義務だ!!
それに、このシティには、俺の大切な少女がいる!!フィアがマザーコアにならなければ、あいつが…ミリルがマザーコアにされてしまう!!姉さんだけじゃなく、ミリルの笑顔まで失われてしまう!!!もう嫌なんだ!!俺の周りで大切な人が死んでいくのは!!!」
「君はその姉さんが死んだ事を正当化しただけじゃないのか!!…それに、偉そうな事を言った割には、君も僕と変わらないんだね」
「ああ、そうだ!!!…だが、お前は一人、俺は大衆。第三者はどっちを支持するかな?」
「多分どっちも支持しない。僕も君も、根本は変わらないよ…正直、僕は君とはあまり戦いたくない…君は、僕に似ているから…」
「…こんな展開じゃなければ、俺達、結構気があった友達になれたかもな…。
そして、第三者はやはりそう答えるのが当然だろうな。
…皮肉だな…錬。
俺達が生きるのにもマザーコアが必要。…でも、フィアは錬、お前の大切な人。
そして、俺にも大切な人がいる。
どうして、皆が幸せになる答えって無いのかな…」
「僕らが…神様じゃないからだよ」
疲れきったブリードの表情に、錬は気づいた。
彼は、似ている。
黒沢祐一に、かなり似ている。
「…ああ、誰かが泣けば誰かが喜ぶ。世の中は、そういった均衡のとれたバランスの上によって成り立っている。自然界において弱肉強食の掟が存在するようにな…じゃあ今度は、その『誰かが泣けば誰かが喜ぶ』の覇権の取り合いだな。俺はなんとしてもその子をマザーコアにしてみせる。ミリルをマザーコアにさせないために、姉さんのしてきた事を無駄にしないために!!!!」
「…錬さん」
ブリードが叫び終わると同時に、突如、牢屋から声がした。その声の主は、泣きはらしてすっかり赤い目になったフィア。
「フィア!」
「フィア!?」
錬とブリードが同時に叫ぶ…発音と意味はかなり違うが。
腫れぼったい瞼をこすりながら、フィアは口を開いた。
「…さっきから聞こえていました…錬さん…この人…ブリードもかなり苦労してきたはずです。お姉さんには先立たれて、大切な人はマザーコアにされる…だから、否応無しにもこのシティを守らなければならない…たとえ、不本意だとしても。
だってそうでしょう…お姉さんを殺したシティ・モスクワを、ブリードが本当に許しているわけがありません。むしろ、ブリードはシティ・モスクワを憎んでさえいると思います。だけど、そのミリルって子がいるから逃げられない…シティ・モスクワがミリルをマザーコアにしないのは、あなたの裏切りを防ぐためなんじゃないかと思うんです」
「ぐ…」
ブリードが歯噛みした。どうやら図星らしい。
そして、頭をクールダウンさせた錬も理解する。
大勢の人間の為に犠牲になった、数多の家族の平和と幸せと未来。それが、あちこちのシティにあった。
そして、ブリードとてこれの犠牲者である。と。
だけど、
「それでも、フィアは渡さない!!」
「やはりそう言うと思ったよ…だから、白黒はっきりさせようぜ」
「フィア、大丈夫、僕が守りきってあげるから」
「でも錬さん、武器が…」
「ううん、武器ならここにある」
そう言って錬が取り出したのは、刃渡り五十センチ程のナイフ。
「何!?あのナイフは確かに俺が奪ったはず!!!」
驚愕の表情で叫ぶブリード。そう、イギリスでの戦いで奪った錬のナイフは、今確かにブリードの手元にある。しかし、錬の手にあるのも寸分たがわぬサイズと外面をしたナイフ。
「…スペアだよ。ブリード」
「…味な真似を…」
得意げに言う錬と、歯噛みするブリード。
フィアにも言っていなかった事実。
切り札は、最後まで隠し持っておくもの。
錬の実の姉、天樹月夜から受け取っていたスペアのナイフ。もちろん、天樹月夜がこのような展開を予測していたわけではない。ただ、万が一、錬のナイフが欠けた時のためのスペア程度の理由で渡されていたに過ぎない。
それが今、違う理由とはいえ役に立った。姉の配慮の良さに錬は心から感謝する。
論理構造の書き込まれたナイフを握り締め、錬はブリードを正眼に睨みつける。
それでも尚、ブリードが言い返す。
「天樹錬…正直、お前は強い…運が無ければ勝てない相手だが、あの時俺はお前に勝てた…思うんだが、あの時、お前はフィアを巻き込むことを恐れ、勝負を急いだ…違うか?」
「あれは僕が弱かっただけ。フィアのせいじゃない」
錬は、はっきりとそう答えた。
だが、事実は違った。
しかし、ここで頷いては、フィアはそのことで悩んでしまい、自分を追い詰め、下手すればとんでもない結論を出してしまうかもしれない。
それを恐れた錬は、あながち嘘ではない答えを出した。あの時ブリードを倒し損ねたのは、間違いなく自分のミスだということは、錬自身が理解していたからだ。
今度は勝つ。否、勝たなければならない。
ここで勝てば、ブリードは僕を恨むだろう。
ミリルとか言う子も、マザーコアにされてしまうだろう。
だけど、僕も負けられない。
大切なものを守るためにも。
お互いが守るものを持つ、大儀の存在する戦い。
「DUEL…LET'SLOCK!!」
歯切れの良い英語で放たれたブリードの叫び声が、戦いの始まりの合図だった。
(『運動係数制御デーモン』常駐。運動能力を五倍、知覚能力を二十倍に定義)
錬の周りの景色が、流れるように後ろへと移動する。
額の裏側にシステムメッセージが表示され、世界が急激に速度を減じる。運動速度と知覚速度の比率は一対四。自分の体までスピードを失ってしまったような錯覚。肌にまとわりつく空気がひどく重く感じられる。
流れる水のような緩やかな動きで、一歩目の跳躍。
同時に、二十倍速の視界の中で、ブリードが疾走を開始する。
「あの研究所跡とかと違ってここは広い。だから加減する必要など無い。…本気を見せてやる」
(『氷使い』常駐。『氷下の調べ』発動。運動係数を二十、知覚係数を八十に設定。
並列処理を開始。『氷使い』、『舞い踊る吹雪』発動)
額の裏側にシステムメッセージが表示され、世界が急激に速度を減じる。運動速度と知覚速度の比率は一対四。自分の体までスピードを失ってしまったような錯覚。肌にまとわりつく空気がひどく重く感じられる。
だが、こんなのはもう慣れっこだ。
同時に、『舞い踊る吹雪』発動により、ブリードの周りに絶対零度の無数の結晶が出現。絶対零度の無数の結晶はブリードの周りをたゆたうようにワルツを踊り、マスターであるブリードからの命令を待っている。ブリードが一つ命令を下せば、絶対零度の無数の結晶達はブリードが望む姿にその形状を変え、錬に襲い掛かる。
目を奪われる美しさと極悪な破壊力を兼ね備えた、ブリードの奥義の一つ。この絶対零度の無数の結晶はら放たれた攻撃を回避できたものは、ブリードが覚えている限りでは殆ど存在しない。この能力があったからこそ、ブリードはシティ・モスクワの最強の『氷使い』だと呼ばれるのだ。
錬にとっては初めて見るこの能力。攻撃されなければその能力の正体を掴めない。
だが、先日の戦いから察するところ、ブリードに先手を打たせるのはあまりに愚行!!!!
しかし、この相手に正面から突っ込むのもまた明らかな自殺行為。先ほどの戦いでブリードの戦い方をある程度理解した錬は、それを理解していた。
なら、しばらく様子見に徹するか?
否!!!離れたら離れたで、強力な氷の飛び道具が降り注ぐことになる。飛び道具があるということは、こちらが空中にいては絶好の的になってしまうということだ。
だが近づこうにも、先日の戦闘で使ってきた強力な氷の槍による牽制と、ブリードの周りをたゆたうようにワルツを踊っている正体不明の無数の結晶の存在により、近づくなど無理も甚だしい。
無論遠距離戦闘も駄目だろう。但し、遠距離攻撃の手段が無いわけではない。『分子運動制御デーモン』の『氷槍』が錬の放てる遠距離攻撃で、その性能は高いほうだと思う。しかし、それを見越してもあちらの飛び道具の方が性能が高すぎる。これじゃブリードの死角など存在しないのではないかという考えが、錬の脳裏をかすめる。
だが、錬はその不安要素を、頭を横に振ることで打ち消した。
ここで迷っていてはまずい。勝機も見えてこない。
相手は氷――――なら!!!!!
戦闘の方針を決めた錬は、
(『分子運動制御デーモン』常駐。『炎神』発動)
氷の属性と対極にあたる属性…炎により牽制を行う。次のブリードの反応しだいで、戦略を編み出さなければならない。だから、『炎神』を放たれたブリードが如何対応するかが勝負の分かれ目!!!!
灼熱の炎がブリード目掛け飛翔する。だが、ブリードに驚いた様子は無い。むしろ、この攻撃が来る事を見越していたかのような表情。
そのままブリードは、I−ブレインに命令を送る。脳内の『情報の海』を駆け抜ける『命令』という名のプログラムがそのまま大脳皮質にあるI−ブレインへと到達し、
(『舞い踊る吹雪』――――『形状変化』――――『番号――――盾』)
それまでブリードの周りをたゆたうようにワルツを踊っていた絶対零度の無数の結晶の存在達が一つに集まり固体化してゆく。それらは縦百五十センチ、横百センチの、中世の騎士が持つ巨大なリミットシールドを彷彿とさせる。
(『分子運動制御デーモン』より生まれでた炎―――『炎神』は、中世の騎士が持つ巨大なリミットシールドを象った氷の盾に激突する。
……だが!!!!
しゅうしゅうという、炎が水によって消える音。その後に続くのは白煙。
『分子運動制御デーモン』より生まれでた炎―――『炎神』は、中世の騎士が持つ巨大なリミットシールドを象った氷の盾に傷一つ負わせることすら出来なかった。
(…冗談でしょ…)
…こうなると、錬としてはどうやって対策を練るかに困る。まさかノーダメージだとは、予想外もいいところだ。錬としては結構へこむ。
だが、ブリードは錬に考える暇を与える暇なく、
(『舞い踊る吹雪』――――『形状変化』――――『番号――――槍』)
お返しとばかりに、現実時間にして一秒足らずで具現化した、論理回路を刻みこんだ無数の氷の槍を飛ばしてきた。
「!!!!」
(『分子運動制御デーモン』、エントロピー制御開始。『氷盾』発動)
同時に錬は脳に命令を送り、周囲の空気を低温下。
『舞い踊る吹雪』により生み出された、論理回路を刻み込まれた『槍』は、十センチ先の標的――――錬に到達することなく運動を停止する。
氷の槍を防ぐために出現した、淡青色の結晶体。
『分子運動制御デーモン』の能力で情報の海に展開された仮想情報体『分子運動制御デーモンの悪魔』が、空気分子の運動を強制停止させて固体化させ、『槍』を受け止めていた。
刹那、『槍』は全て砕け散る。
『槍』が、一方向から来ていたのが幸いだった。もしも三百六十度全方向から来ていたら、防ぎきれなかっただろう。
ブリードからの追撃は来ない。
(『分子運動制御デーモンの悪魔』、『氷槍』発動)
さらにお返しとばかりに、氷の槍を具現化させて今度はこちらから氷の攻撃を試みる。
…が、氷同士の戦いにおいてはやはりブリードの方が数段以上上手だったようで、やはり防がれて終わり。『氷槍』はブリードの持つ巨大なリミットシールドを象った氷の盾に全て防がれて、全てが完全に砕け散る。
しかし、『炎神』の時とは違い、今度は巨大なリミットシールドを象った氷の盾に少しだけだがダメージが行った。おそらく、氷槍がぶつかった時に衝突の衝撃で砕けたのだろう。よく見ると、巨大なリミットシールドを象った氷の盾に少しだけ欠け目がある。
しかし、とにかくよく防ぐ。
牢屋の中にフィアがいる以上、『仮想精神体制御デーモンによる『ゴースト・ハック』も出来ない。下手をすればフィアを巻き込む可能性がある。たとえ、それが一パーセント未満だとしても。
「…ならっ!!!」
(『空間曲率制御デーモン』常駐。容量不足、『短期未来予測デーモン』『分子運動制御デーモン』強制終了)
『槍』による遠距離攻撃が来るなら、回避しながら近づいて接近戦を挑んで対抗するまで!!
光使いの『時空制御』のコピーであるこの能力は、荷電粒子こそ打てないが空間を縮めて相手の攻撃をかわしたりする事が可能。能力を制限している余裕は無いし、『短期未来予測デーモン』『分子運動制御デーモン』はこの戦いにおいては殆ど無意味だということを理解している。
だが、
「甘い!!!」
その奇策も、ブリードには通じなかった。
飛来した『槍』は、直線状に飛んでいたのがいきなり百七十度くらい方角を変えて、正確無比に錬に襲い掛かった。
「そんなっ!!!」
驚愕もそこそこに反射的に後退。
後は無数の『槍』を必死で回避する。当たれば痛すぎるこの攻撃、絶対に喰らうわけにはいかない。『分子運動制御デーモン』という形でこれの劣化版に近い能力を持っている錬は、その事を理解していた。
全力回避の甲斐あってダメージは無かったが、結局、錬はブリードに近づく事が出来なかった。
近づく事の許されない、徹底して遠距離戦を強いられる戦い。
まさしくあちらの思うツボ。
…待てよ。
錬の頭に、ある案が浮かぶ。
そして、これまでのことをまとめてみる。
まず、先ほどの通り、『分子運動制御デーモン』による『炎神』の攻撃ではあちらにダメージを与えられない。「目には目を、歯には歯を」の論理で、氷攻撃の方が効率はよさそうだ…と、思いたい。
さらに、先ほどの二つの能力や、先日の戦いで、ブリードに存在するある共通点の仮説を編み出す。
それは、『ブリードのI−ブレイン能力は、一方向にしか攻撃できない』という結論だった。あの巨大なリミットシールドを象った氷の盾にしろ論理回路を刻みこんだ無数の氷の槍にしろ、 全方位を守ったり全方位から攻撃したりすれば、ブリードにとってもっと戦いは有利に進むはずなのに、何故かそれをしてこない。
しかしこちらには、全方位から相手を攻撃出来る手段がある。それを盾にしてつっこめば、接近戦に挑めるかもしれない。
わずかな光明を見い出し、編み出したての作戦を試す。
(『分子運動制御デーモンの悪魔』展開。『氷槍艦』起動)
『分子運動制御デーモン』の能力で固体化した空気結晶が、無数の淡青色の槍となり、瞬時にしてブリードを取り囲む。
これが、錬の最大級の攻撃の一つ。
あの巨大なリミットシールドを象った氷の盾が一箇所だけしか防御できないものであれば、全方向から攻撃すればきっと――――。
分子運動の方向を一定に揃えられた槍の群れは、銃弾に匹敵する初速度を持って全方位からブリードに襲い掛かり、
しかし、だれが気づいただろう。
この、『氷属性の最大級の攻撃をするという選択肢』
こそが、この後の展開にも大きな影響を与えるということに。
『氷槍艦』の発動を見たブリードの口が、
にやり、と動いた。
―【 『狂 い し 君 へ の 厄 災』の な く 頃 に 】―
〜THE NORTHUEL&MIRIRU〜
空を切る音が、ここまで聞こえてきた。
I−ブレインが、圧倒的な質量の移動を計測。光速度の九十五パーセントには達していると思われるその速度は常人にはもちろんの事、魔法士でもそうそう見切れるものではない。
目の前の少女―――――ノーテュエル・クライアントの先ほどまでの陽気な雰囲気は、遥か彼方へと飛んでいる。
凶悪な形相で、ノーテュエルはミリル・リメイルドへと襲い掛かる。
「速いっ!?」
その速度は、先刻よりも遥かに早い。その速度は、もはや光速を超えて神速の域へと達している。
だが、魔法士としての経験と直感と能力を生かして、その速度にミリルは反応する。空気のわずかなズレがノーテュエルの位置を教えてくれる。あとは――――――――。
(『無限の息吹』発動)
周囲の風から『風を操るための情報』を見つけ出し、それに命令を送り、不可視の風の刃を飛ばす。命令は無論『目の前の金髪のお下げの少女を切り裂け』である。
色素を持たぬ透明の刃がノーテュエル目掛けて飛翔して…ノーテュエルに傷をつけるどころか、一矢報いる事すら出来ずに完全に霧散する。
「愚かな!!!そんなチャチな風で、私を傷つけられると思うな!!!」
声色も、先ほどとは打って変わって違う。例えるなら、それは『咆哮』にも等しいトーンの高さ。
「ならっ!!」
(『無限の息吹』発動)
周囲の風から『風を操るための情報』を出来る限り見つけ出し、それら全てを『無限の息吹』にして連発。
(百八十度の角度から攻撃感知)
「ふっ!!」
ノーテュエルはさらに回避。
(二百九十五度の角度から攻撃感知)
「あははは!!!」
ノーテュエルはもっと回避。
(三百六十度全方位から攻撃感知)
「目障りよ!!」
ノーテュエルは回避行動を取らないで、ひたすらにミリル目掛けて駆け抜ける。もはや二人の距離は一メートル程しか離れていない。だが、その射程なら『無限の息吹』の範囲内にとっくに進入している。
刹那の時を置いて、『無限の息吹』が三百六十度全方向から幾重にもノーテュエルに襲い掛かる。この距離であれば、不可視の風の刃を避けるのは不可能だとI−ブレインが確信と共に告げている。
当たった!!とミリルは思った。
その瞬間だけ、ミリルは安堵した。
だから、次に起きた現象は、ミリルの目を疑わせた。
三百六十度全方位からノーテュエルに襲い掛かった『無限の息吹』は、大理石すら切り裂く透明な風の刃である。それは確かにノーテュエルに当たった。
否、当たっただけだった。
全ての『無限の息吹』は、ノーテュエルの周りの見えないバリアにでもかき消されたかのように、ノーテュエルにあたる直前でその一切合切全てが消滅。無論、ノーテュエル・クライアントには傷一つ付いていない。
「何でですか!?」
我知らずミリルは叫ぶ。
その間にも、ノーテュエルの姿はミリルの目と鼻の先まで到達していた。
「…追ーいつーいた」
身の毛もよだつ様な、獰猛な笑み。
ミリルの顎に右手を触れて、ノーテュエル・クライアントが唇の端を吊り上げて笑う。
「可愛い顔…だからこそ、傷つけたくなるのよ!!!」
「うぐっ!!!」
刹那、ノーテュエルはミリルの細い首へと右手を伸ばし、ミリルの首を掴む。同時に左手を使ってミリルの両手首をその掌の中に一つにまとめて、ミリルの頭上へと持っていく。
それから右手を離す。結果、ミリルは両腕を頭上で交差する形になる。
ノーテュエルがかなり高く左腕を上げているためにミリルの体は浮いている。足に大地を踏みしめる感覚が無い。
続いて、息をつく暇も無いほどの迅速さでノーテュエルは行動を続ける。
ミリルは動けない。
恐怖が彼女を支配する。
最初のノーテュエルの身の毛もよだつ様な獰猛な笑みは未だにミリルの脳内に残っており、それが醸し出す恐怖により、ミリルはろくに動く事すらままならない。
その間にも、状況はより悪い方向へと進んでいく。
ズボンのポケットをまさぐったノーテュエルは、その中から小さなものを取り出す。一見するとそれは小さな黒い塊。
だが、ミリルはその形に嫌というほど見覚えがあった。
刹那、ミリルの顔が青ざめて、
「い、嫌!!やめて!!」
ちょっと涙目になって首を振って抗議するも、
「残念だけど、その抗議は受け付けるわけには行かないわ」
ノーテュエルの手は止まらない。
―――――なら!!
(『無限の息吹』発動)
先ほどと同じく、周囲の風から『風を操るための情報』を出来る限り見つけ出し、それら全てを『無限の息吹』にして連発。
(この至近距離なら!!)
遠距離が駄目なら、近距離で直撃させるまで。近距離が駄目なら、さらに近距離で。
大量の『無限の息吹』が、ノーテュエル目掛けて飛翔する。
ミリルに残された、最後の希望。
(お願いっ…!)
小さな祈りと共に、ミリルは一瞬目を瞑って祈る。
『無限の息吹』がノーテュエルに直撃する爆音が全て掻き消えた後に目を開けた。
だが、すぐに希望は絶望へと変わる。
「無駄」
三百六十度全方位からノーテュエルに襲い掛かった『無限の息吹』は、ノーテュエルの周りの見えないバリアにでもかき消されたかのように、ノーテュエルに当たる直前でその一切合切全てが消滅していたのだ。
そしてノーテュエルには傷一つ付いていない。
「そ…んな」
ミリルの声が震える。目からはうっすらと涙が零れる。
自分の全力の一撃が、目の前の相手には全くと言っていいほど効いていない。
こんなのあんまりだ。あまりにも、部の悪すぎる戦いだ。
だが、そうしている間にも、ノーテュエルはズボンのポケットから取り出した小さな黒い塊をミリルの首の裏側に押し当てた。
針が刺されたようなちくっとした感覚と同時に、ミリルの体がびくりと痙攣した。
体中から力が抜ける。
首の裏側に押し当てられた小さな黒い塊の正体は、言うまでも無くノイズメーカー。それも、かなり強力な代物だ。
ミリルの目の前に「最大の恐怖」が迫る。
ミリルの顔の前で、ノーテュエルは残酷な口調で言った。
「貴女の能力、命中精度はいいけれど、肝心の威力が完全に不足しているようね…それでは私は止められないわ。この『絶対防御障壁』は、とどのつまり『馬鹿でかい質量の情報防御能力』に値するもの。生半可な攻撃では、この『馬鹿でかい質量の情報防御能力』に傷一つ負わせる事すら不可能よ!!
…それで、止めは何がいい?…貴女、それなりに善戦はしたから、特別に選ばせてあげるわ。
心臓一突き?それとも、四肢を切り取って欲しい?あるいは切り裂き刑を希望?なら場所はどこ?鼻?顔?耳?首?乳房?女の大事なところ?
それとも圧死?焼死?爆死?安楽死?
…早く答えなさいよ。
あなたの好きなように処刑してあげるわ」
刹那の空白。
ミリルの頭は、恐怖一色に塗り替えられている。
それでも、何とか思考能力は動く。
「ど、どれも嫌です!」
恐怖一色に塗り替えられた状況下で、ミリルは何とかそれだけを口にする。
「…無駄な言い分ね…どうせ八つ裂きにされるのに…。まあいいわ」
恐怖と怯えで一杯のミリルの心情とは全く持って相違点の無い様子のノーテュエル。しかしそれは、例えるなら、いたずらをする子供のような残酷な発言とトーンに満ちていた。
初めて会った時の脳天気さが微塵も感じられない今のノーテュエル。
どうして彼女がこんなになってしまったのかを、今のミリルが知ることは無い。
「さて…」
そう呟いて、空いている方の手で握り拳を作り、
「とりあえず、抜き打ち耐久力のテストでもしてみるわ…貴方の身体でね…」
「やだっ!!!ブリードッ!!!」
何をされるかを瞬時に理解したミリルは、身をよじって逃げようとする…が、両手首を思いっきり握られているために、その手を振りほどく事ができない。
そしてその時に、ついうっかり、とある人物の名前を口にしてしまった。
それは間違いなく、今この時に、その人物に助けに来て欲しいと願った彼女の希望が言葉となって出たものだろう。
そしてそれは、この状況を良くも悪くも機転へと導く言葉だった。
「…ブリード!?」
ノーテュエルの眉が、ぴくりとつり上がった。
「ブリード…ていうと、やっぱりアレかしら。フィアをさらった張本人であって、氷の能力を使うとか。
で、貴女は今、彼の名前を呼んだ…ってことは、こういったケースのパターンからして…」
一秒ほど考えるノーテュエルだが、すぐに答えに行き着いた。
「…もしかしなくても貴女、そのブリードって奴に惚れてるのね?だって、今の貴女の表情は、恋する乙女のものだもの。
で、正直に答えたら、とりあえずぶたないでおいてあげるから、白状しなさい」
「う…」
自分の顔が紅くなっていることに、ミリルは気づく。
ノーテュエルの言う「とりあえずぶたないでおいてあげる」という発言も、今のミリルの心に安堵と油断を持たせるには十二分な要素だった。
だからミリルは、正直な言葉だけを口にした。
「うん…私…ブリードの事が…」
所々とぎれながらも、何とかそれだけを口にする。
「あー、すっごく初々しいわね…気が変わったわ…」
身の毛もよだつような、獰猛な声。
「え!?」
いきなりの事にミリルは顔を上げる。まさか、気に食わないからやっぱり殴るとかそういうことをするんじゃないだろうかと思ってびくびくしていると、
「私が、貴女の恋のキューピッドを勤めてあげるわよ」
「…え?」
予想外すぎるその言葉に唖然とした。
思い出した。
ミリルという名前には、見覚えがあった。
シティ・モスクワのデータライブラリに不正アクセスして引き出した情報の中に、ある記述と共に彼女の名前があったのだ。
何かとてつもなく楽しい事をしているような感覚。
湧き上がるのは快楽の鼓動。
心の中で、ノーテュエルは歓喜する。
そう。
こんな楽しい事、どうして無視する事が出来ようか。
ただの殺戮も悪くないが、たまにはこういう趣向のものがあってもいいだろう。
ミリルのあの、恋する乙女の表情を見たときに、ノーテュエルの脳内にフラッシュバックするものがあった。それは今のノーテュエルには禁忌に等しきものであり、同時に忘れがたい記憶でもあった。
理由は至極簡単だ。
自分にも、ああいう時期があったからだ。
だが、ノーテュエルにとって、それは思い出したくない内容だった。だから、脳内の記憶領域にある程度の制限をかけて、その名前だけを思い出す。
(…アースバルド)
その名前は、ノーテュエルにとって、最も大切だった名前…。
―――【 片 付 け 屋 】―――
〜THE RESHUREI&SERISIA&RON&WAISU&SHUBEERU〜
「…誰だ、お前」
今の今まで黙っていたロン―――論が、真っ先に口を開く。
天井から飛来した水色ツインテール。その服装を分かりやすく言うとブリティッシュロリータ。だが、人を外面だけで判断してはいけない。服装はともかく、だまし討ちなどしないでいきなり天井を崩壊させての堂々とした登場などをやってのけるくらいだ。それ相応の実力者だと思っていた方がいいだろう。
(I−ブレイン、戦闘能力サーチ起動)
I−ブレインを用いて、水色ツインテールの戦闘能力を測る。
「…」
目の前の突如の来訪者の持つ潜在能力を、I−ブレインを使って読み取って一瞬で察知。
論の頬を伝うのは一滴の冷や汗。
その意識容量の塊ははるかに巨大。しかしその力は内向き。だが、彼女の戦闘経験、技術、意思力がどれほどのものかを完全に理解するには実際に戦闘して見なければ分からない。
だが、不思議と論には焦りは無かった。
そうだ。何を恐れる事がある。
こんなところで朽ち果てる命なら、あいつを倒す事など出来るわけがない。
だから…勝たねばならない。
「…拙いな…」
レシュレイもまた、論と同様に相手の水色ツインテールの少女の意識容量の塊を感じ取ったらしく、常に緊張を貼り付けているようだ。ノイズメーカーから開放されたセリシアも同じようで、常に相手の水色ツインテールの少女から目を離さない。ましてや、今のセリシアは丸腰状態。騎士は己の武器を持ってこそその力を発揮する。よって、戦闘になった場合、まず真っ先にセリシアが狙われるのは目に見えている。
「…その前に、私は私の用を済ませてもらうわ」
レシュレイを一瞥した後に水色ツインテールの少女はくるりと踵を返し、ワイスと向かい合う。
「ひ…ひぃ…」
先ほどまでの威勢のよさはどこへやら、目を見開き、歯をがたがたと震わせて、怯えきった表情をその顔に貼り付けたワイスは、手を突いたまま後ずさる。
「…ふーん、全て分かってるみたいね…これからお前がどうなるのかってことを。
…お前は失敗した。欲を張りすぎて失敗した。お前は私たちの顔に泥を塗った」
さもつまらなそうに、水色ツインテールの少女は淡々と言葉を繋げる。
しかし、その裏にあるのは怒り。
「…だから…」
「ま、待ってくれ!!!次は…次はうまくやるから!!」
ワイスは顔の前で両手をあわせて、必死の形相で目の前の水色ツインテールの少女に懇願する。
だが、やはり世界は残酷だった。
「否ね。あたしは『片付け屋』としての使命を全うさせてもらうわ。悪く思わないでね」
刹那、
ごぶしゃぁッ!!!!
肉を切り裂く嫌な音と共に、紅い液体と肉片と臓器だったものの肉片と胃液とグロテスクな形の大腸小腸などが辺りに散らばる。その様子が、ワイスが声すら上げることなく絶命したことを物語った。
「いやあああああああぁぁぁぁぁっ!!!!」
その様子を目の当たりにして、頭を抑えて絶叫するセリシア。すかさずレシュレイが右手でセリシアの両目を隠す。人の死に対して人一倍敏感なセリシアには、この光景はあまりにも残酷すぎる!!!
「一撃だと…一体、どんな能力を使ったんだ!?」
内心の焦燥を隠せぬまま、レシュレイは呟く。水色ツインテールの少女は、ワイスの胴体を一撃で真っ二つにした。それも、武器というものを一切合切使用せずに、文字通り素手だけで。
その証拠か、水色ツインテールの少女の指先が血に濡れている。
だが、ここに一人、驚いていない者が存在する。
「…レシュレイ、その子を連れて逃げろ」
ずい、と目の前に左足を一歩踏み出したのは論。
「…な!?待てよ!!お前、まさかあいつに一人で挑むのか!?」
「…だが、その子も守ってやらなくてはならないだろう。ましてやその子は丸腰だ。戦闘になったら真っ先に狙われるだろう…ここはオレが引き受ける。何、ワイスの賞金は後で届けてくれればいい」
「そういえば、ワイスには賞金がかかっていたな…まあ、好きにしていいと思うわ」
その会話を聞いていたらしい水色ツインテールの少女が、近くにあった麻袋にワイスの遺体を入れて投げ飛ばす。それをキャッチしたのはレシュレイ。麻袋に紅い染みが出来ているが、あえて無視する。
「…後は任せたぞ…ロン!!!」
「賞金忘れるなよ!!!」
そのまま、レシュレイとセリシアは闇夜へと向かって駆け出した。だが、先ほどの光景のせいでセリシアの足取りはおぼつかない。可哀相なくらいにがたがたと震えている。故に、移動だけでかなりの時間を食っている。
その瞳に浮かぶのは涙。歯もがたがたと震えている。
そんなセリシアにレシュレイが「俺がここにいる!!だからしっかりしてくれ!!」と、セリシアを励ましながらサポートする。周りの状況も何も気にしないでそんなことを言えるのはある意味では凄いことだ。
その姿が消えるまで、現実時間にしておおよそ十秒足らず。
結局、水色ツインテールの少女はレシュレイ達に攻撃しなかった…まあ、攻撃しようとしたら論が即座に止めるつもりでいたのだが。
「…よし、これで遠慮はいらない」
すらり。と響く綺麗な音。
携帯していた刀の鞘から日本刀を取り出す論。その刀身は銀色に輝いている。まるで、人を斬ったことが無いかのように。
銀色の刀身は時代劇に出てくる刀そのもので、唾の部分まで時代劇に出てくる刀にそっくりだ。
いや、『刀にそっくり』ではない。『刀そのもの』なのだ。
『剣』ではない。戦国時代などに主に使われた武器『刀』すなわち日本刀である。
さしずめ『騎士刀』といえばいいのだろうか。日本刀は独自のフォルムを持ち、剣に比べるとやや重い反面、『斬る』ことを目的とした武器の中では、右に出るものが存在しない種類の武器。
その名は『菊一文字』。かの伝説の刀の名を持たせた論の武器。
「…ふむ、随分と古風な武器を使うわね」
「…日本刀をなめるな。単純な切れ味では、日本刀の右に出る武器は無い。お前の肉体を骨ごと切り裂くのにわけないくらいにな」
「そうなんだ…まあ、あなたなんかに切り裂かれるわけにはいかないけど」
「御託はいい、来い!!」
「面白いわね…ああそうそう、お互いの自己紹介がまだだったわね…あたしはシュベール」
「オレは論だ」
軽い自己紹介をした直後に、
戦いが、始まった。
(I−ブレイン、戦闘起動。『刹那未来予測サタン』簡易常駐。演算効率依然として変わらず。『運動係数変化』並行起動。運動係数を二十五倍、知覚係数を八十倍に定義)
I−ブレインの抑揚の無い声を聞いた刹那の瞬間から行動を開始。鞘という殻から開放された『菊一文字』を正眼に構え、論は突撃する。
「その命、オレが貰い受ける!!!」
空気抵抗すらものともせずに、論は飛翔する。次の瞬間には論の体は三メートルの距離を完全に無視して既にシュベールの目の前にあった。
…来たわね。
目の前に突如として現れた論の姿を確認、論は今すぐにでも騎士刀『菊一文字』をシュベール目掛けて振り下ろさんと腕を動かす。
だが、シュベールの心境に焦りの二文字は無い。
(具現:『滅亡の爪』)
その命令が下された刹那、シュベールの右手の爪が生物学上ありえない速さで伸びる。その爪はおおよそ八十センチメートルまで伸び、硬度二十まで硬質化した後に論の騎士刀『菊一文字』の一撃を受け止める!!
「何!!!」
思わぬ武器で自分の一撃を防がれた事に、少なからず論は驚きを覚える。まさか『爪』を武器にしてこようなどとは、予測の範疇外もいいところであっただろう。
だが、論は止まりはしない。すぐに次の手を打ってくる。
(具現:『速度上昇』)
シュベールは脳内で瞬時にプログラムを展開し、運動速度を通常の二十七倍に、知覚速度を通常の八十二倍に再定義する。上体を大きくのけぞらせて、論の騎士刀『菊一文字』の突きによる鋭すぎる一撃をかろうじて回避する。
まあまあ自身のあるシュベールの胸が揺れた感覚がしたが、まあ、気にしないでおいて…と。
油断はしない。
油断など出来ない。
論は速い。
論は本当に速い。
運動速度と知覚速度はおそらくこちらと同等。しかし、論は騎士刀『菊一文字』による攻撃しか展開していないため、論がどのような能力を隠し持っているかは未だに分からない。もしかすると自分――――シュベールが知らない未知の能力すら保持している可能性だってある。
減速した視界の中で左腕にも『滅亡の爪』を適用。右手と左手に同じ装備。おそらく、世界中でシュベールしか使えない能力。その一つだ。
右足を強く踏み出して体勢を整えた後に、すかさず切り込み反撃を行う。横薙ぎに放った一閃は、しかし論にたやすく回避されて空振りに終る。その間にも論の騎士刀『菊一文字』による反撃。これを左手の『滅亡の爪』で弾き返す。弾き返した後は今度は右手の『滅亡の爪』を振り下ろすように反撃。これも受け止められる。さらに襲い来る反撃。今度はかなりぎりぎりで受け止める。気のせいか、論の速度が時間経過と共に高まっているような気さえする。
得物の数は一対二な上に、運動速度と知覚速度がほぼ同じであるという条件下にあってこっちの方が有利なはずなのに、有利どころか不利な空気すら漂ってくる。
―――考えない!!
心の中で深呼吸を一つ、余計な思考を追い払う。そう、難しく考える必要など無い。まだ戦いは始まったばかりだ。これからの展開しだいでいくらでも巻き返せる。
ならば―――!!
(具現:『滅亡の爪』)
右足と左足の爪にも『滅亡の爪』を付加。合計で二十本の得物が完成するが、人間の身体構造の都合上それらは合わせてたった四本の得物でしかない。だが、これでさらに得物の数の上ではこっちが有利になった。
右手と左足を同時に振るう、二箇所からの同時攻撃。
これを回避できるなら―――――!!!
自身満々の表情でシュベールは体を動かした。
だが、一刹那の次の瞬間には、その自身は打ち砕かれた。
右手からの一撃を、論は右腕でこっちの右腕を抑えることで防いだ。左足からの一撃は、靴の部分だけを左足で踏みつけて防いでいた。
(攻撃感知:回避不能)
――――右足を貫く感覚。焼けるような痛み。
いつの間にか空いた左手に持ち替えていた論の騎士刀『菊一文字』の切っ先が、シュベールの膝関節に容赦なく深々と突き刺さった。
痛覚を表す数値データの列がI−ブレインを駆け巡り、同時に激痛が神経を駈けずり回る。
うかつだった。
ここ最近、歯ごたえのある相手がいなかったから、殆ど発動する必要性の無かった『痛覚遮断』を発動するのをすっかりと忘れていた。
完全に、シュベールのミスだった。
だが、それに気づいた時にはもう遅い。
しかし、遅すぎるというわけではない―――――!!!
「…まだまだ!!!!」
全力を込めて、唯一自由になっている左手を横薙ぎに払う。だが、その一撃は論にたやすく回避される。しかし、その回避のおかげで、論が踏みつけていた左足が自由になる。
刹那の間に、シュベールは論との距離を空ける。距離にして約一メートルと少しだが、それでも今は間合いを離さなければいけないと思った。
体勢を立て直すためにも。
あの仕掛けを放つためにも。
…彼女―――シュベールの名誉のためにも補足しておくが、決してシュベールが弱いのではない。論が強すぎるだけなのだ。
そもそも、シュベールの力は内向きに温存されているから、今の彼女は本来彼女が持つ力を発揮できない状況下にある。最近はまともに戦闘する機会すらなかったから尚のことである。俗に言う『勘が鈍る』とでも形容すればいいのであろうか。
さらに、シュベールは自らの相棒ともいえる武器を持ってきていなかった。そんな彼女が今この場で本気を出せるはずが無い。そもそも、今回はワイスを殺しに来る事が目的だったのだから。
つまり、今のシュベールが論に勝てないのは至極当然という事だ。
「どうした、最初の威勢の良さはどこへ行った?」
騎士刀『菊一文字』をシュベールの鼻先へと突きつけ、論は言い放つ。
シュベールの左足のつま先が、指一つ前進する。
「…一つ聞き忘れていたけど」
小さく、息を吐く。
「今この場で、あたしを見逃すつもりは」
「無いな。生かしておけば、この先、お前は厄介な存在になりそうな気がしてしょうがない」
「そう…」
シュベールは決めた。
この場は一旦撤退する。
次の機会まで、論との決着はお預けにする。
これほどの強い者と戦えたのは本当に久しぶりなのは事実。だが、今のシュベールには論は荷が重い。そもそも、論は自分の能力を殆ど披露してない。にもかかわらず、これほどの苦戦だ。これは一旦出直したほうがいいだろう。
元よりワイスを処刑するためにやってきたのが元々の任務だ。これ以上、無駄なダメージを負うのは避けたい。
シュベール自身のメインウェポンも持ってきていないし。
「…一つ、言っておくことがあるわ」
「何だ、冥土の土産に聞いておいてやる。その後、問答無用で斬るがな」
「そう…ならば言うわ」
(具現:飛翔の爪)
刹那、シュベールは右手を後ろに回して、
「あたしは…否、あたし達は『賢人会議』よ」
爪を一気に五メートル以上に伸ばして、先ほど自分が天井に空けた穴に爪先を食い込ませて、ヘリコプターに救助されるかのように天井まで上り詰める。
「逃すか!!!」
刹那の速度で論はシュベールを追いかけようとするが、
「また会いましょう、論」
シュベールのその言葉と共に、教会が崩壊した。
ワケはない。シュベールは元よりこの教会を破壊するつもりだった。故に、あらかじめあちこちに切れ込みを入れておいて、『特定の場所を切れば教会全てが崩壊する』ように仕向けていたのだ。
……立ち込める土煙が、目の前を漂っていた。
論はかつて教会だった瓦礫の山を見下ろして、ため息をついた。
「やってくれたな…」
教会の崩壊と同時に、論は最短距離となる脱出経路を瞬時に割り出して、教会が完全に崩壊する一瞬前に命からがら脱出した。
「『賢人会議』か…」
シュベールが残した最後の言葉。
今、世界中で魔法士についての情報を盗み続ける正体不明の大規模暗躍組織。
それの一員がシュベールだというのなら、あの特異な能力にも納得がいく。『賢人会議』の魔法士達は化け物だと、どこかで聞いた覚えがある。
仕留められなかったのは残念だが、シュベールは『また会いましょう』と言っていた。それはすなわち、次があるということだ。
ならば自分はその時まで、二つ残っている自分の目的を果たす。
今は、シュベールのことは後回しだ。
「おーい、ロン!!!」
聞き覚えのある声に反応して振り向くと、そこにはレシュレイの姿があった。無論、パートナーの少女の姿も。
その手に握られているのは袋。多分、ワイスの賞金だろう。
路銀の約束の事を、戦いのせいですっかり忘れていた。
これで財布が少しは潤うと思うと、論の心は少し穏やかになった。
―――【 続 く 】―――
―――――【 お ま け 】―――――
論
「さて…期待されてるんだかされてないんだかよく分からないこのコーナーが、やっとやって来たな」
レシュレイ
「今回でやっと、『賢人会議』のメンバー達が明らかになったな…しかし、『賢人会議』ってのは、魔法士の味方じゃなかったのか?それが、何で俺達と敵対しているんだ?」
論
「それはもう少ししたら明らかになるさ…そう、今まで誰も思いつかなかったであろう展開と共にな…」
セリシア
「す、凄く意味深な言葉です…」
レシュレイ
「誰も思いつかなかった展開かはともかく、とりあえずもう少し待とう」
レシュレイ
「で、論。後二つあるお前の目的って何なんだ?」
論
「企業秘密だ」
セリシア
「ええ――!?」
レシュレイ
「教えてくれてもいいだろ」
論
「いずれにしろすぐに明らかになるんだ…そう、すぐにな…」
セリシア
「何か論さん、謎めきキャラが板についてきましたね」
論
「我は面影を巣と張る…」
レシュレイ
「今分かった!!お前の元ネタは七夜志貴か!!!!」
(注意:本当です)
シャロン
「ていうか、ついにノーテュエルが…」
ゼイネスト
「ああ、ワルテュエル覚醒か」
シャロン
「ええ!?…というか、いつの間にそんな名前が定着してるの?」
ゼイネスト
「それはノーテュエルの元ネタがアル○ェイ○だからだ」
シャロン
「じゃあ、ワルテュエルってのはワ○クェ○ドから…」
ワルテュエル
「可愛らしい命…粉々にしてあげる…」
シャロン&ゼイネスト
「逃げろ!!!!」
ブリード
「…今回のこのコーナー、趣旨が全くつかめないんだが…ただ行を埋めているだけだよな」
ミリル
「強いて言えば、一部キャラの元ネタ暴露ってとこですね…つくづく、ネタが無いって辛いですよね」
ブリード
「なら、次回予告といこうか!!
えー、次のお話では、シティ・モスクワの極秘計画が明らかになります…ってもそんなに大げさなものじゃないんだけどな…以上!!!」
ミリル
「というわけで続きます〜…でもこれでも短いですよ」
ブリード
「あまり言うとネタバレになるからだ。オブラートに包まないと」
<こっちのコーナーも続く>
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