今ここに彼は生きていて、悩んで考えて苦しんでいる。
立ちはだかるのは、先の見えない大きな問題。
それを一身で抱え続ける少女。
だから、絶対に見つけたい答えがある。
世界でたった一人の、大切な少女の為に。
――― * * * * * * ―――
シティ・メルボルンの『ラジエルト・オーヴェナ』と書かれた表札のある家の床は、白い強化カーボンで出来ている。
そこを今、蒼髪の少年が歩いていた。
彼は今、朝ご飯を終えて部屋へと戻るところだ。
入り口でスリッパを丁寧に脱いでから、――レシュレイ・ゲートウェイはドアを開けて、人口太陽の光が差し込む部屋へと足を踏み入れた。
部屋に入ったその一瞬だけ視界が白く染まり、反射的に目を瞑ってしまった。
しばらくしてから目を開けると、窓越しに空が目に入った。
窓から見上げる空は、水色の偽りの快晴。
シティの中では、『雨が降れ』と命令しない限り、雨が降ることは殆どありえない…はずだ。
そのまま木目調のベッドの上に仰向けになって寝転がり、天井を見上げてため息をつく。
全身に乗りかかっていた疲労感がす―っと抜けていくような感覚と共に、幾分か楽になる。
ぼ――っとしたまま、しばし天井を見つめていると、頭の中で様々な考えがぐるぐると回る。
それらは一つ一つがとても漠然としたものであり、確かな形を持ち合わせてなどいない。
だが、時間がたてば、やがてそれらは一つの確たる形を形成する。
「…」
現実時間にして四秒が経過。
脳内で形成されたイメージは、桃色の髪の少女の泣き顔だった。
そして、ついさっきまで、その当の本人であるセリシアを部屋まで送っていたところだった。
―――こうしていると、自然と思い返す。
あの『もう一つの賢人会議』を巡る戦いから、一週間近くが経過していた。
戦いの中、セリシアは兄を――エクイテスを殺してしまった。
あれほど人殺しを嫌っていたはずの少女が、だ。
帰ってきてからずっと、セリシアが人前で泣く事はなかった。
そして、セリシアは周囲に笑顔を振りまいていた。
―――それこそ、不自然なくらいに。
周囲を心配させたくないが故の、悲しみに耐え続けて振りまく偽りの笑顔。
ずっとセリシアと過ごしてきたレシュレイには、それが嫌でも分かってしまった。
分かっていたからこそ、その時は敢えて追求しなかった。
戦いが終結してから二日目の夜に、突如、セリシアがレシュレイの部屋を訪ねてきたのだ。
ドアを開けた次の瞬間には有無を言わさずに胸に飛び込まれて、その勢いでこけそうになったものの、何とか倒れずに耐え切った。
ちなみに、それと同時にとても柔らかい感触がレシュレイの胸に触れたが、何とか理性を保ち続ける事に成功する。
…その感触は年頃の男の子にはいささか強烈な感触だった為、心の中での理性との戦いは熾烈を極めたものだったが。
――ここで話を戻そう。
その時は、いきなりの出来事に何事かと思った。
だが、セリシアのその青い瞳から流れ続ける涙を見て、レシュレイは自分の考えが間違っていない事に気がついた。
毎晩、眠りにつくたびに悪夢に襲われる恐怖。
兄の幻影が恨みつらみをぶつけてきて、そこで目が覚めるという。
その時レシュレイは、こう言った筈だ。
「…やっぱり、そうだったのか。
殺したくないのに殺さなければいけなかったという矛盾があって、でも、ああなってしまって…。
そして、それでも尚、セリシアは笑顔を浮かべていたんだよな…周りに迷惑をかけないようにしてさ。
だから、俺も触れなかったんだ。
きっと、触れてほしくなかっただろうから黙っていたんだけど…」
レシュレイのその言葉を聞いたセリシアはこくん、と頷いて、
「…ねぇ、レシュレイ」
頷いたまま首を上げないで、セリシアは呟くように問うた。
「それって…私が兄さんの事で苦しんでいるって…分かっていたってことだよね」
「…?」
一瞬、その質問の意図が分からなかった。
だが、ここで黙っていても話しが進まないのではないかと思い、思うがままを口にする。
「…ああ――気づいてた。
だけど…」
その言葉を最後まで言う事は出来なかった。
何故なら――、
セリシアが泣き叫ぶように口に出した、悲痛な声にかき消されたからだ。
正直、びっくりした。
一瞬、何を言われたのかすら理解できなかった。
そんなレシュレイにかまわずに、はぁ、はぁ、と肩を上下させたセリシアは、次の瞬間には瞳に涙を溜めて、
「――私、待ってた!!
レシュレイが、私の様子の異変に気がついて、一言でもいいからその事を気遣ってくれるのを待っていたの!!
だけど、あれから二日たっても、レシュレイは兄さんの件に触れようともしてくれなかった!!
私を気遣ってくれたのは分かります!!
だけど、これじゃあ…兄さんが最初から居なかったみたいで、兄さんが可哀想です…!!」
泣きじゃくりながら、普段なら出さないような、感情を込めた声で叫んだ。
その言葉は、とても強い痛みを伴ってレシュレイの心を抉った。
エクイテスの話題に触れない―――それはつまり、エクイテスの存在を根本から否定する事に他ならないのではないのだろうか。
そして、それまでの行動を思い返して、気づく。
言われてみればその通り、セリシアが傷つく事を恐れるあまり、なるべくエクイテスの話題は出さないようにしていた。
セリシアにエクイテスの―――兄の話題を出す事は、ダブーだと思っていた。
もし口に出してしまえば、もしかしたら取り返しがつかないことになってしまうのではないのかという懸念が付きまとい、結果、適当にやり過ごしていた。
でも、今気づいた。
それら全ては、間違いだったという事に。
…だが、それと同時に一つの疑問が浮かび、
「…じゃあ!!
じゃあ何で、セリシアから言い出してくれなかった!!
そうしてくれれば、俺だって最初から気づけたのに!!こんな事にならなかったのに!!」
気がつけば、感情的になって怒鳴り返していた。
びくり、とセリシアが身をすくませたのを見てすぐさま我に返り「あ…」と口を塞ぐが、もう遅い。
セリシアは俯き、ひっくひっくと嗚咽を繰り返しながら、
「…だって、怖かった」
先ほどとは打って変わってしおれたようになり、消え入るような声でそう告げた。
両腕で涙を拭うものの、それでも涙は止まってくれない。
「ごめんね…いきなり叫んじゃって…。
だけど、私、怖かったの。
私の口からこの事をレシュレイに話して、そうして、レシュレイがその事でさらに悩んじゃったらどうしようって、とても不安だったの。
だってそうでしょう!!
ただでさえ兄さんの事で悩んでいたのに、これ以上悩みを増やしちゃったら…そうしたら…、
――それから、どうすればいいのか悩み続けた。
同時に、悔しかった。
戦場では無類の強さを誇る『真なる龍使い』としてのこの能力は、レシュレイの誇りだった。
だが、人間的の内面的な面に関しては、ここまで無力だったなんて初めて知った。
所詮、戦いの為の能力は、戦い以外の用途に対しては無力なのだろうという絶望感。
―――否、戦闘用の能力をこんな用途に合わせて考える事自体がおかしいのかもしれない。
だけど、考えずにはいられなかった。
どうにかしてセリシアを助けたかった。
―――考えた末に、答えが出た。
セリシアが悪夢で目を覚ましたら即座に駆けつけることができるように、センサーを設置する事にしたのだ。
他にも方法はあったのだが、まあ、それは考えるとちょいと問題のある方法だったのでやめておいた。
レシュレイは、兎にも角にも、彼女の力になりたかった。
彼女の支えになりたかった。
ただそれだけの、純粋な願いと想い故の行動だった。
―――だが、レシュレイのその様子は、父親であるラジエルトはばればれだったようだ。
あの戦いからシティ・メルボルンに戻ってきて四日目の夜中、つまりはセリシアの様子を見に行った二日目の帰りにラジエルトとばったり出会った。
…いや、ばったりどころではないだろう。
おそらく、ラジエルトはずっと起きていて、レシュレイがセリシアの部屋から戻ってくるのを待っていたのだろうから。
そして最初に聞かれたのは「その目の下のくまは何だ」だった。
隠せるわけがないと、直感で気がついた。
だから、話した。
あの日から、セリシアはずっと苦しんでいて、辛い思いをしていて、それでも尚、まわりを心配させたくないから笑顔で振舞っているんだと。
その苦しみを少しでも楽にしてあげる為に、レシュレイはセリシアの傍にいてやると決めたのだと。
そこまで話しきって、三秒が経過。
ふぅ、というため息と共に返ってきた最初の言葉は「…やっぱりそうだったか」だった。
その一言で確信する。
ラジエルトもまた、セリシアの異常に気づいていたのだ。
「あの年頃の女の子ってのは難しいものだった聞いたからな…俺も迂闊に口出しできなかったんだ…。
しかし、敢えて傷つけまいとしていたのが逆効果だったとはな…お前もまだまだ女心への勉強が足りないなぁ」
「よ、余計なお世話だ」
図星だった。
そのせいでちょっとどもってしまったが、何とか言い返した。
「悪い悪い…で、今の事態への対処法だが…」
むーん、とラジエルトは顎に手を敢えて考えて、
「一番いいのは、一緒に同じ部屋で寝る事じゃねえか?というか、それが一番手っ取り早いだろ」
…とんでもない事をあっさりと言ってのけた。しかもそれは、レシュレイが最も考えたくなかった方法だった。
勿論、色々な意味で。
刹那、赤面したレシュレイは噴き出す。
「い、いいいいいきなり何を言い出すんだ父さんっ!!」
加えて動転してしまったようで、思うように言葉が言い出せない。
が、そんなレシュレイを見ても尚、ラジエルトはあっけらかんとした様子で続けた。
「あ?何言ってる。
お前達、恋人同士だろーが」
「そ、それはそうだが…その…なんというか…」
思い通りに言葉が出てくれなくて、歯切れが悪い。
ラジエルトの案は確かに正解だ。それならば、センサーを仕掛けておくとかそんな面倒な真似をしなくてもすむし、すぐ近くに居られるのセリシアの心の安らぎの為にもなる。
だが、レシュレイの脳内では『一緒の部屋で寝る』とかそういう考えが脳内に浮かぶたびに、自動的に排除してしまうのだ。
その理由は、以下の通りである。
レシュレイもセリシアも特殊な生い立ちをしているが、何故か『そういうこと』には敏感なのだ。
『好き』という言葉だけで顔を赤くして恥ずかしがるし、レシュレイとしても『好き』と言われるとかなり恥ずかしい。
嬉しい時にレシュレイに抱きかかった後に周りの視線に気づいて、二人して互いに顔を赤くしてぱっと離れてしまう。
で、間違ってセリシアの着替えを見た日にはとんでもない目にあう…というか、過去にラジエルトがセリシアの着替えの最中に運悪くドアを開けてしまったところ(ノックはしたのだが、間を置かずに入ってしまったらしい)、問答無用で『光の彼方』で攻撃されたという事実がそれを物語っている。
当のラジエルト曰く『本気で死ぬかと思った』だそうだ。
…というわけで、『一緒の部屋で寝る』という行為に踏み切る事が出来ない。
もしかしたら無意識のうちに、一線を越えるのを恐れているのかもしれない…自我を強く持てばそんな自体に陥る事はまず無いと思いたいのだが。
―――で、そこにラジエルトが追撃をかける。
気のせいでもなんでもなく、その口の端には、悪戯を思いついたような子供の如き笑みが浮かんでいた。
で、次の瞬間には、予想通りの台詞を述べてくれた。
「だーかーら、前にも言ったろ、俺としては別に大丈夫だと。
…だが、もしそうなったらな、何よりも大切なのはムードだ。あ、もちろん基本は優しくな。
後はな、最初は電気を消すんだ。じっくり見たい、という気持ちは分かるが、そこは我慢だ。
押し倒したりしてはいけない。もちろんアレだ。双方合意の上ならば何の問題もないし。で、その時はちゃんとひに」
「―――その話はもういい!!」
過去に言われた事のある話題に思わず赤面してしまった。
同時に、鋭い叫びと共に放たれたレシュレイの突きは、ラジエルトのみぞおちへとクリーンヒット。
「うごぁ!」といううめき声と共にみぞおちを押さえたラジエルトは、
「…ったく、じょ、冗談が通じな…い奴だ。
と、父さんはな…この重い空気を何とかし…ようとして…だな…」
言葉絶え絶えに、本当に苦しそうに告げた。
確かに、ラジエルトの言う事にも一応だが理はある。
先ほどから重たい空気のみが支配しているこの空間を、少しでも紛らわせようとしてくれたのだろう。
だが、それはそれ、これはこれ、というわけで、
「―――時と場合を考えてくれ」
すかさず、返しの刃の如き鋭い一言を放っておく。
正直、紛らわせるのにその言葉は相応しくないと直感で思ったからだ。
「…すまん、悪かった」
で、これに関しては、ラジエルトも素直に認めた模様。
――もしかしたら、発言してしまった後に初めて気づいたのかもしれないが。
「…で、脱線した話の続きだが…」
コホン、と咳払いを一つした後に、ラジエルトは打開策を思考し、結果、人生三十年近くを生きてきたというにはあまりに単純な、一つの結論をだした。
その内容は、以下の通りである。
「―――これまでどおりセリシアの傍にいてやれ。焦ったところで何にもならない。
これは完全にセリシアの問題だから、お前がどうあがいても、最後に解決するのはセリシアの心だ。
だから、それまで精一杯サポートしてやれ。
今、セリシアに一番近いのはお前だけなんだからよ」
―――その言葉は、レシュレイの心に強く刻み込まれた。
根本的問題を最終的に解決するのはセリシア自身の問題。
それは、どうあがいても覆せない事実。
だから、レシュレイがやるべき事は、セリシアの心を癒す事に全力を尽くすという事。
それが、最善の策だということを改めて確信した。
そして方針が決まり、あれから毎晩のようにセリシアの部屋へと赴く日々が続いた。
毎晩、睡眠時間を削っていた。
頭がふらつく事が幾度もあった。
昼寝で睡眠時間をカバーする生活が続いた。
生活サイクルが狂い、体の一部が不調を訴えた事もある。
―――だが、それでも、守りたいものの為には、そんな事など些細な事に思えてくる。
レシュレイにとっての絶対優先順位は、二年前のあの時から決まっているのだから。
そして、今がある―――――。
…そこでやっと、回想は終わる。
「―――ああ、またか」
第一声がそれだった。
全身から力が抜けていく。
まただ。
また、考え込んでしまった。
気づかぬうちに、はぁ、とため息が出る。
この焦燥が襲うたび、レシュレイは己の無力さを悔いる。まるで抜け出せない無限回廊だ。
自虐して何かが変わるわけではないが、それでも考えずにはいられない。
―――そして、ふと思う。
…今日だけでため息を何回吐いただろうか。と。
ため息一つ吐くだびに幸せが一つ逃げると聞いた事があるが、もしそれが本当なら、きっと今頃自分は不幸しか残っていないんじゃないかと思ってしまい、知らずのうちに苦笑する。
だが。次の瞬間にはいつもの真面目な顔に戻り、
「…今頃、また泣いているのかもな…」
誰にともなく、レシュレイは独白する。
泣いているかもしれないと思ったのは、もちろんセリシアの事だ。
本当ならセリシアの事が心配で仕方が無く、こうしている余裕など無い。
心の中では不安感だけが増徴し、今すぐにでも彼女の傍にいなくてはならないという焦燥に駆られている。
だが、『これからちょっとシャワーを浴びてくるから…』と言われては流石に付き添うわけにはいかない。
ちょっとだけ慌てふためきながら、赤面したレシュレイはセリシアの部屋を後にしたのを思い出した。
シャワーの水と共に、涙を流しているかもしれないという懸念を残しながら…。
しかし、そのままセリシアの部屋の前にいてもやれることなど無いわけなので、自室に戻ってきたところ、急激に疲れが襲ってきて今に至る。
おそらく、セリシアの前で、セシリアを気遣っていた時に張り詰めていた緊張の糸が切れたのだろう。
…思えば、ずっと気を張り詰めっぱなしだった。
エクイテスを――――兄を殺してからのセリシアは、見ていて本当に辛かった。
セリシアは、命を奪う事を人一倍嫌っていた。
だから、その分、レシュレイは一人で頑張っていた。
自分達に危害を加える存在を、全て斬り捨ててきた。
無論、レシュレイとて辛くないわけがなかった。
だが、それよりもセリシアの悲しみの涙を見る事の方がもっと辛かったから、心の痛みを全て覆い隠して、なんでもないと見せかけて頑張ってきた。
だけど、セリシアは気づいていた。
そして、あの戦いの中で、罪も痛みも全て背負っていこうと言ってくれた。
その時は、とても嬉しかった。
「―――っ!!」
そこまで考えた時、気がつけば歯を食いしばって、拳を握り締めていた。
無意識のうちに、体が心のうちに生まれでた憤りに反応していたようだ。
「―――今更言っても仕方が無いって…分かってる…だが…」
今でも、思う。
どうして兄を殺すのがセリシアでなくてはならなかったのか。
誰よりも人を殺すのを嫌っていた彼女でなくてはならなかったのか。
どうして自分ではなかったのか。
いくら後悔しても意味などないが、それでも、口に出さずにはいられなかった。
他人の命と肉親の命とでは、その人にとっては重みがまるっきり違う。
それはレシュレイだけではなく、セリシアにも分かってたはずの事だ。
だが、それでも、セリシアはその道を選んだ。
兄を――エクイテスを救う為に。レシュレイだけに、辛い思いをさせたくなかったが為に。
―――そして、返ってきたのはこの結果だ。
今ここにある、変えようの無い事実。
だが、こうなった事を後悔してももう遅い。
過去を変えることなんてできない。
だからレシュレイは…今の、そして、未来の為に頑張らなくてはならないのだから――――。
そのままたっぷり十秒、眠気と疲労でぼうっとしていると、
「…そういえば」
何気なく、今朝見たセリシアの顔が脳内に浮かんだ。
そして、今日のセリシアは、いつもと違ったと思ったのを、きっちりと覚えていた。
いつもなら、目を覚ました後はどんよりと沈んだ顔で、廊下をとぼとぼと歩いている筈だった。
その原因は、悪夢にさいなまれたのと、睡眠不足から来る二重のダメージのせいである。
そして、それはレシュレイにとっても見慣れた表情となっていた。
…しかし、今日見たセリシアの表情は、疲れこそまだ残っているようだが、顔色が少しよくなっており、まるで、絶望に疲れた人間が、ほんの少しだけではあるものの、希望の光を見つけたような、そんな感じだった。
…昨日と今日で、何か違いがあっただろうか?
即座に疑問符が浮かぶ。
一日でそんなに変われる人間など、そうそういない。
それが変わったとなると、よほど、セリシアの心を動かしたものがあるに違いない。
「…」
原因を模索するべく考え込んでいると、ふああ、と欠伸が出た。
そういえば、この後は午前十時過ぎから買い物が控えている。
だから、それまでに少しだけでも休憩が欲しかった。
疲れきった体が休息を、安堵を求めている。
今はそれよりも考えなくてはならない事があるというのに、レシュレイの体はただただ眠りを求めていて―――。
三時間も寝ていない体が耐え切れなくなり、ついに眠りに落ちた。
「…ん」
瞳を開くと、寝る前と同じ景色があった。
まどろみにつかっていた意識が目覚める。
眠りについていた体が重たく感じる。
意識はぼうっとしていて、靄がかかったような感じ。
窓の外は明るくて、日もそれほど高くない。
脳内時計を起動させると、時間は午前十時半ちょうど。どうやら、一時間ほど眠っていたらしい。
そろそろ買い出しに行かないと、昼ご飯用の食材が無いまま昼を迎える事になる。
外食という手も無くはないが、割高なのでなるべくご遠慮願いたいのが本音だ。
あれから一時間もたてば、セリシアのシャワーも終わっているはずだ。今日のお昼の献立も決まらずじまいだったので、何がいいか聞いてみようかと思い、早足でセリシアの部屋へと向かった。
「もう、うどんでいいって言ったじゃないですか」
ひび割れた街路を歩きながら、セリシア・ピアツーピアは、はにかんだ笑顔でそう答えた。
あの後、レシュレイがセリシアの部屋をノックしてから訪ねると、セリシアはとうの昔にシャワーを終えていた。
最も、レシュレイはおおよそ一時間ほど寝ていたために、シャワーが終わっているのは当然といえば当然なのだが。
故にセリシアの髪の毛は大分乾いていたが、それでもセリシアの顔が近づくたびに、桃色の髪の毛からはシャンプーのいい匂いがする。
時折、風が吹くたびにふわっと舞う彼女の髪が、とても綺麗なものに見えた。
そこまで考えて、心臓が高鳴る。
自分が守ってきた娘が、こうも可愛くて素敵な娘だったのかと改めて思い返していると、
「…レシュレイ?レシュレイってば!」
耳に飛び込んでくるセリシアの声。
急速に現実に引き戻されるのは、少しの間だけとはいえ、ぼうっとしていた意識。
「ああ、ごめん。その後に論から鋭く突っ込まれていたから、うやむやになってしまってた」
咄嗟に笑顔を貼り付けて何とか誤魔化した。
だが、内心はどきどきしていた。
もし嘘だと見破られたら、本当の事を言わない限り、セリシアは納得しないだろう。
だが、そうなってしまってはまさに顔から火がでる思いをしなくてはならないだろう。
―――つまり、こんな昼間から「セリシアに見とれていたんだ」なんていう、歯が浮きまくりそうな台詞を言う羽目になりかねないということだ。
「もぅ、レシュレイったらー」
ぷう、と頬を膨らませてセリシアはそっぽを向く。
だが、その仕草がなんだか可愛らしくて、レシュレイは思わず苦笑してしまう。
「もぅ、私がそっぽ向いたからって笑わないで下さい」
「な…ばれたのか!?」
これには素直に驚いた。
「これでもいっしょに住んでますから、それくらいはお見通しです」
とかいう割にはレシュレイの本当の心情を見抜けていないのだが、この場合はそれでよしとしよう。
話を続けようとしてレシュレイがふと振り返ると、その先には目的の店。
「おいセリシア、ふてくされている場合じゃない。店に着いたぞ」
「え!?もう?嘘じゃないですよね?」
つい先ほど膨れたのはどこへやら、頭に疑問符を浮べてレシュレイの顔を見るセリシア。
「俺がこんな事で嘘を言ってどうするんだよ」
「…それも、そうですよね…」
そのまま辺りを見渡して、
「―――あ、本当です」
それでやっと、セリシアは納得する。
事実、目の前には行き着けのお店が確かに存在している。
いつもなら、この店に到着するのは早くてもあと五分ほどはかかるはずなのだ。
だが、今は状況が状況だけに『いつも』とは異なるという事に気づいていないらしい。
それに感づいたレシュレイは、セリシアの疑問に答えてあげた。
「こんなに早く来れたのは、建物が崩壊したせいで緊急用の非常連絡道路が出来ているからだ。
最も、セリシアは俺と話していたから中々気づかなかったかもしれないけどな」
「あ…」
そうだったの、と続けて、セリシアは改めて周りを見回した。
きょろきょろ、と小さく首を振って確認するその仕草がとても女の子らしい。
「…本当です」
そのまま五秒ほど時間をかけて景色を確認し終えたセリシアは、レシュレイと話すのに夢中で周りの景色など見てなかった事を再確認したようだ。
「…私、注意力無いですね…」
今まで明るかった顔が途端に暗くなる。
またか、とレシュレイは直感で理解した。
今まで一緒に生きてきたから分かるのだが、自分の失態に対して、セリシアは必要以上に自分を責めるとこがある。
だから、彼女にかけてあげるべき言葉は、慎重に選ぶ必要がある。
最も、レシュレイには長年の経験という武器が存在するのだから、それほど考え込む必要も無い。
一秒足らずの思考で、最も最適と思われる言葉を選び出して口にした。
「…ま、まあ、俺達はしばらくの間ここを離れていたんだしさ、仕方がないんじゃないか?」
「で、でも…」
「それに、いつもの事だが、そうそう自分を責めるもんじゃない。誰だって間違いはあるだろうが」
「うぅ…そ、それはそうだけど…」
レシュレイの言葉に、セリシアは目を泳がせてたじろいだ。
ふう、という軽い息と共に、レシュレイの自然と笑顔が浮かぶ。
ここまでくれば、後一歩。
続いて心の中に浮かんだのは、真っ先に口に出すべき言葉。
だから、今正にそれを口にする。
「…まあ、それがセリシアのいいところなんだけどな」
セリシアの顔に、ぱぁっと花が咲いた。
二人の横、距離にしておおよそ四十メートルのところでは、黄色いヘルメットと作業着に身を包んだ工事員が休む間もなく動いていた。
その見た目から、一発で工事専門家や軍の人間達だと分かる。
彼らの手により、あちこちで復旧作業が行われていたのだ。
『賢人会議』の襲撃事件から一週間以上も経っている為か、大部分の建物は元型に近い形にまで修復されていた。
『もう一つの賢人会議』の件があったために『賢人会議』の襲撃事件の時にレシュレイ達は居合わせなかったわけだが、今考えると、逆にそれは幸運だったろう。
下手をすれば、巻き込まれてとんでもない事になっていたかもしれないからだ…そう考えるだけでぞっとする出来事である。
目的の店に入る前に再び街を見渡して、レシュレイは思う。
ちなみに、その顔に浮かんだのは苦笑だ。
レシュレイの視線は、今日も元気に自分の店と品物をアピールする店員達に向けられている。
どんな状況下にあっても人間というのは商魂
『賢人会議』の襲撃事件のせいで物資が不足しており、結果、食料を中心とした商品が飛ぶように売れるので、安売りセールを行うのも忘れていないあたり、しっかりしていると言えよう。
そして、シティ・メルボルンの町並みは、今日も人で溢れかえっている。
老若男女、様々な人間がいて、みんな笑顔を浮べている。
つい先日に悲惨な事件があったのだから、その心情は決して穏やかではないだろう。
だが、これがこの時代の、人々の処世術。
心は暗くとも、笑顔で居れば、自然と心も晴れやかになる。
一時的な応急処理としか言いようが無いが、それでも、暗い顔で日常を過ごすよりは絶対にマシなはずだ。
その多くは先に述べたとおりの通り、食料を求めてやってきている。
わいわい、がやがやという喧騒は、街が賑わっている証拠だ。
ちなみに、暗みがかった路地裏に昼間っから酔いつぶれていびきをかいている酔っ払いの姿が見えたが、意図的に視界から外した。
ある程度歩くと、突如、耳元に甲高い声が響いた。
「よこしなさいよ―――」
「それはあたしのよ!!」
「勝手を言わないでよ!!」
「いーだだだだっ!足踏んでるのは誰っ!」
声のしたほうへと振り向けば、一つの戦場がそこにあった。
安売りセールと書いてある看板の下の商品コーナーに、文字通りに飛びつく婦人の方々の姿。
奇声を上げながらお互いをののしりあい、器用にも口を動かしながら手も同時に動かしている。
その外で子供達は立って、あるいは座って「お母さんガンバレー」「負けるなー」などと、面白がって応援している。
恥とかそういうのをまだ知らない歳だからこその反応とも言えるだろう。
手に握られた特価品は引っ張られたり奪われたり奪い返されたりで、酷い有様だ。
何世紀も前から見られた、バーゲンセールという魔性が起こす、ある一定の歳を取った婦人の方々が引き起こす醜い戦い。
その様子を何かに例えるならば、まさしくもって『砂糖に群がる蟻状態』という言葉が似合うだろう。
「…」
「…え、えーと…」
その様子に完全に呆れ返ったレシュレイは無言で視線を逸らし、苦笑いを浮べたセリシアは目の前の光景を呆然と見つめていた。
「…そんな事より、さっさと用件を済ませた方がいいみたいだな…」
ため息一つ、レシュレイは踵を返して一歩を踏み出そうとして、
少女がバーゲンセールに突如参戦してから一分が経過。
並みのご婦人を押しのけて次々と商品をその手に抱えていく姿は、人々の視線を集めていた。
そんな戦場に無言でつかつかと歩み寄る、勇者とも形容すべき人物が居た。
その姿は、これまた自分達とそう歳の変わらない少年そのものである。
それほどの時間を必要ともせずに、少年は少女との距離を詰めて、
「…恥ずかしいからその辺でやめろ」
静かな声でそれだけを言って、婦人に混じって品物の取り合いをする少女の襟首をぐいっと掴んで引きずり出した。
で、当然ながら、後ろに引っ張られた洋服が少女の首を圧迫する。
「ちょっと何するのよ!!あと一品くら…ぐえっ…ちょ、し、閉まってる!!首絞まってる―――!!」
酸素欠乏に陥った少女は足をばたばたさせて、それでも左腕に戦利品をひとまとめにして、空いた右腕をぶんぶんと振り回して、少年の手を振り払おうとする。
「…なら離そう」
有限実行。ぱっ、と少年はいきなり手を離した。
で、当然、少女は引きずられているという不安定な姿勢のままで手を離されたわけだから、そのまま背中から思いっきり倒れこむ。
どたん、という音と共に「痛―――っ!!」という声が響いた。
が、それでも戦利品を一品たりとも離さない所を見ると、大した根性だと言わざるを得ない。
その少女は、開いている右手で背中を擦ってから起き上がった後に、
「…いきなり離すなぁ―――っ!!」
当然ながら、少女は少年に向かって大声で非難。
「離せと言ったり離すなといったりどっちなんだ」
「時と場合によりけりでしょーっがっ!」
ここが公衆の前面であることにもお構い無しで、大声で叫ぶ。
はたから見れば、それはまさに恋人同士の痴話喧嘩に見えるだろう…というか、そうとしか見えない。
(あんな二人組、このシティ・メルボルンにいたか?)
が、そんな二人を見て、レシュレイの脳内にちょっとした疑問が浮かぶ。
自分らと同い年で、しかもそれなりに似たような境遇にいるならば、今まで幾度も買い物に来たこの場所で一回も出会ってないはずが無い。
しかし、I−ブレインのデータベースに検索をかけた結果、あの二人は今初めて目にした人物だという検索結果が返ってきた。
もしかすると、他のシティからの避難住民かもしれない。
…ただ、外部からの避難民を受け入れられる状態どころではない今のシティ・メルボルンにおいて、どうやって入ったのかは知らないが。
と、レシュレイがそんな事を思っていると、
「ちょっとー!!見世物じゃないんだからあっちいった!!」
甲高い声により、意識が現実に引き戻された。
見れば、少女は近くに居た髭を生やしている中年男に詰めより、じいいっと睨みつけていた。
外見的年の差は明確だというのに、男は少女の剣幕に完全に押されていた。
どうやら、外見と違って意外と気が弱いタイプらしい。
「…くすくす。なんか、いろいろとおかしいけど…でも…」
隣を見ると、セリシアが手で口を隠して小さく笑っていた。
その時、レシュレイの心の中に、僅かな安堵が訪れる。
例え一時の笑いでも、セリシアの笑顔が見れたのは嬉しかった。
一人ぼっちで泣いているよりは、絶対にいいのだから。
同時に、目の前の少女にちょっとした感謝を贈りたかったが、思うところがあって自粛した。そうでなくても、相手は顔も知らぬ赤の他人なのだから、余計な接触はしない方が身のためである。
少女は中年男に一通り怒鳴りつけたあとに、一瞥を残して視線を逸らした。
次いで辺りをきょろきょろと見渡している。おそらく、他に笑った輩がいないかどうかを調べているのだろう。
―――どうやら、とばっちりを受ける前にここから離れたほうがよさそうだ。
脳内でそう結論付けて、レシュレイはセリシアの方を向き、一言。
「…行こうか、セリシア」
「…その方がよさそうですね、このままじゃ、私達まで巻き込まれてしまいそうですし…」
見れば、先ほどまであれほど少年と少女に視線を向けていた人々は、少年と少女から視線を逸らしてぎこちない買い物を続けている。
そして、当の問題である少年と少女は、またもいがみ合いを始めたようだ。
「…早くしないと、すぐに昼になってしまうしな」
「そうなっちゃったら、みんなからブーイングをもらっちゃいますよね。それはちょっと嫌です」
かくして二人の意見は一致し、最優先で当面の目的を果たすことにした。
少女と少年のやりとりは見ていてとても面白いものなのだが、ずっと見ていては先ほどの中年男のように睨みつけられるかもしれないし、早く帰らなければラジエルトが待っていることだろう。
論とヒナは今日はアルバイト―――というより、この近くの診療所のお手伝いに行っている。
居候する身として二人なりに考えて見つけてきた短時間バイト―――というべき仕事で、報酬の方もまあまあらしい。
で、今日はそれが休みらしく、データライブラリに調べ物をしに行くと行っていた。
が、昼時には戻ってくるらしい。というより、そういう門限を決めたのはラジエルトなのだが。
―――どうやら、ますます急がねばならないようだ。
色々と考えて買い物を終えて店先に出てきたときには、人口太陽が作りものの青い空へと高く上りそうなところだった。
脳内時計が『午前十一時二十分十三秒』を知らせる。
久しぶりの買い物で、しかも人数が二人も増えている。
その為に、今までどおりの買い物では足りないと判断し、時間はかかったが、とりあえず食材の類を多めに買い込んでおいた。
やはり今までが三人生活だったために、急に二人増えると、食料配分に少々悩むのは仕方の無い事だった。
レシュレイの「合成肉はこれくらいでいいのか?」という問いに対し「もうちょっと多くてもいいんじゃないですか?」とセリシアが返答する時もあれば、セリシアが「じゃあ野菜はこれくらいですか?」と聞いてきたので見てみると「…なんかフルーツの割合が多くないか?」とレシュレイが思ったがままをつっこんだところ、セリシアがちょっと気まずそうに視線を逸らしたりと言った事があったが、それでも、楽しい買い物であった事は事実だった。
帰り際に、そういえば、と思って周囲を見渡したが、あの少女と少年の二人は忽然と姿を消しており、シティ・メルボルンの街にはいつもどおりの喧騒が戻っていた。
居たら居たらでさらに面白そうな事になっていたかもしれないが、そうなると周りへの被害もより増していたかもしれない。
先ほどの中年男の前例を見れば、そんな懸念が浮かぶのも無理は無かった。
だが、結果的にその懸念は回避されたようだ。
それを確信したレシュレイは、安堵して胸を撫で下ろした。
ちなみに、肝心の食費の心配は今のところは無い。
先の通り、居候という身になっている論とヒナが、決められた日に店の手伝いに行っているからだ。
「…」
それを考えると、心の中にちょっとしたわだかまりが浮かぶ。
レシュレイはラジエルトがどこからか仕入れた任務をこなす事で報酬を貰い、セリシアは少しでも家計を楽にするためにアルバイト…というべき事をしていた。
だが、ここのところは仕事の依頼も来ないし、セリシアが勤めていた店はこの前の戦いで炎に包まれて閉店してしまったらしい。もちろん、今のところは復旧の見込みもないようだ。
だから、今は収入を得ようにも得られないのが辛いところだ。
マザーコアを使用しているシティ・メルボルンだが、それでも、何かがあったときの為にお金は欲しいところだから。
この問題は、今はまだ解決の目処がたっていない。
だが、悠長にそんな事を言っていられない。
いつまでもあると思うな親と金。という諺もある。
手遅れになる前に、この問題に対しても、手を打たなくてはならない。
もちろん、二人はそれを分かっていた。
―――だけど、今はその前にやることがある。
レシュレイがそこまで考えて顔をあげたのと同時に、セリシアが振り向いた。
水色のスカートがふわっと小さく舞い上がるが、レシュレイの視線は彼女の顔に注がれていたため、そこには気づかなかった。
「行きましょう、レシュレイ。
みんな、お腹をすかせて待っていると思いますから」
「そうだな」
どうやら、セリシアもレシュレイと同じ結論に至ったようだ。
最も、二年も一緒にいれば、それくらいの意思疎通は簡単な事ではあるのだが。
そして今、帰路につく。
舗装された道路を、二人で並んで歩く。
セリシアと話しながら、レシュレイは思い返していた。
あの戦いを終えてから、久々の買い物だった。
今日の午前中だけで、色々なものを見れた。
いつもと違う、街への道。
焼け崩れて、修理される建物。
いつの時代も変わらない、バーゲンセールの光景。
見知らぬ少年と少女の漫才。
―――そして、セリシアの笑顔。
そう、久しぶりにセリシアは笑っていた。
名も知らぬ少年と少女の漫才に、心の底から、小さくではあるが笑っていた。
今までのセリシアは、どこかぎこちなくて、周りを心配させないようにと無理矢理作った仮初めの笑顔しか見せていなかった。
加えて、その笑顔の裏ではいつも泣いていた。
笑いながら、涙を流していたようなものだろう。
だから、思った。
レシュレイが悩んで、考えた答えが、きっと正解だったのかもしれないということに。
今日みたいに、セリシアの心を少しずつ癒していけばいい。
急がなくてもいい。
生きている限り、時間はある。
ゆっくりと、確実に進んでいこう。
「ねぇ、レシュレイ」
二人で並んで歩きはじめてからおおよそ五分が経過して、周りに人気が無くなった時にセリシアが声をかけてきた。
「ん、なんだ?」
「…今は周りに誰もいないから、言いたい事、言うね…」
上目遣いの視線で、小さく告げる。
その頬が僅かに赤いことに、レシュレイはすぐに気づいた。
それから二秒の時をはさんで、セリシアはにかんで口を開いた。
「―――いつも一緒に居てくれてありがとう…だから、大好き」
―――レシュレイの心に、熱い何かがこみ上げた。
体温が徐々に上昇するような感覚に、
「―――ああ、どういたしまして…そして、大好きなのは俺も…だ」
セリシアの笑顔は、幸せをくれる笑顔だった。
だから、レシュレイも笑顔で返す。
言葉はすごくぎこちなくなってしまったが、それでも、今できる最高の言葉を選んだつもりだった。
だが、レシュレイは気づいていた。
そこに、以前ほどの無邪気さは無い。
そして、その原因もレシュレイは分かっている。
兄の―――エクイテスの事が引っかかっている。
肉親を殺したという事実が、消えるわけはない。その事がセリシアの顔に、心に影を落としていることは、もう十分に分かりきっている事だ。
だから、セリシアは今、それと戦っている。
そして、レシュレイに出来る事は、それを手伝ってあげること。
今まで何度も考え、そして結論を出した『自分に出来ること』だ。
―――そして、どうしても願わずにはいられなかった事が、一つあった。
―【 お ま け の キ ャ ラ ト ー ク 】―
ノーテュエル
「終わったね」
ゼイネスト
「終わったな」
ノーテュエル
「…ねぇ、ゼイネスト」
ゼイネスト
「何だ?また涙腺に何か来るものがあったのか?お前は何でかそういうのに弱いみたいだしな」
ノーテュエル
「…まあ、確かにそれはそうなんだけどさ……とりあえず、真っ先に思いっきり叫んでいい?」
ゼイネスト
「耳栓の準備は出来ているから、勝手に叫んでくれ」
ノーテュエル
「じゃっ、お言葉に甘えまして〜。
…うぁ―――!!なにこのおアツイお話は!なんかこの話だけめっちゃWBとかけ離れてない!?」
ゼイネスト
「―――叫びすぎだ!!耳栓をしてなかったら鼓膜がやばい事になっていたぞ!
そして頭を掻き毟ってまで叫ぶかお前。
…というか、錬とフィアも結構なバカップルだろ。何を今更」
ノーテュエル
「いや、それはそうなんだけどね、なんていうかこう…あれだけの戦いを終えた後だって言うのに、ちょっと拍子抜けするみたいな…」
ゼイネスト
「…本文中にも書いてあっただろう、それをずうっとずるずると引きずっていたら、セリシアの精神が持たないぞ」
ノーテュエル
「分かってるけどさー、なぁ〜んか見ていて心の中に何ともいえない感情がわきあがるのよね〜。
ああもう、何じゃいらいらするわ―――!!ぶーぶー!!(`3´)」
ゼイネスト
「なるほど、ようするにお前は嫉妬しているわけだ。
そしてその炎は、今でもメラメラと燃え上がっている。
…そういえばDTR時代、恋人が居なかったという珍しいケースだったしな、お前」
―――刹那、何かが「切れた」音が静かに響いた。
ノーテュエル
「………ねぇ、ゼイネストくん(振り向く)」
ゼイネスト
「…何故にいきなりくん付けか…果てしなく嫌な予感がするが、何だ」
ノーテュエル
「とりあえず、色々と許してあげるから、一発だけ思いっきり殴っていいかしら?」
ゼイネスト
「断る」
ノーテュエル
「残念ながら、拒否権は認められていませぇ〜ん♪
―――と、いうワケでっ!!!」
ゼイネスト
「なっ!!馬鹿やめろお前の馬鹿力でぶん殴られたら頭蓋骨が陥没するどころじゃなくそれを通り越して即死のりょうい………」
ノーテュエル
「問答無用――――ッ!!」
――――星が、見えた…(ゼイネスト談)
ゼイネスト
「…『痛覚遮断』の恩恵がこれほどとはな…『騎士』として生まれたこの身体に感謝したい」
ノーテュエル
「ちぃ、仕留めきれなかったか」
ゼイネスト
「…言っとくけどな、痛覚が遮断されただけで、皮膚へのダメージが消えるって訳じゃないぞ。
…ったく、ハゲたらどうしてくれる。傷害罪で慰謝料を請求してやるぞ」
ノーテュエル
「育毛剤あげるから許して」
ゼイネスト
「そういう問題かっ!!」
ノーテュエル
「…とまあそんなコントはおしまいにして」
ゼイネスト
「頼むから、一度くらいはコントが行われない状態で進行して欲しい気分だがな。こうも毎回コントでは疲れる」
ノーテュエル
「何言ってんの。
元より私達はそういうキャラ。既に確定された事項。
だから、この物語の中で与えられた役割を遂行する。それだけじゃない。
…で、この話なんだけど…やっぱり、みんな悩んでいるのよねぇ」
ゼイネスト
「悪夢に苛まれる大切な少女の力になりたいと思う一途な想いがレシュレイを動かしているんだな。
加えて答えが見つからず、悩み続けていた。
焦ってはいけないといわれていたが、これでは焦らない方が無理と言うものだろう。
―――で、今回は、街での買い物を終えて、これから少しずつ頑張っていこうという結論に達したわけだけどな」
ノーテュエル
「どんな難病よりも厄介なのは、人の心ってやつかしら?
前にも触れたけど、レシュレイが頑張っても、最終的にはセリシアが頑張らないとこの問題は終わらない。
…まあ、お互いを想うこの二人なら、きっと終わらせることが出来るって、私は信じているけどね」
ゼイネスト
「ま、そうなるな。
―――ところで、今日は誰も召還しなくていいのか?いつものお前なら、妙なまでのハイテンションで例のボタンを押しているはずなんだが…」
ノーテュエル
「…前回みたいにエクイテスが出てきたら流石に嫌だから、今回はやめておいたの。
ああもう、あれのせいで未だに腰が痛いのよ…あいっつつつつ!!」
ゼイネスト
「診察結果は、腰痛で今夜が峠です」
ノーテュエル
「ちょ、何時の間に医者になったのよあんたは!!ていうか、何時診察したのよ!
そしてたかだか腰痛でなんで峠なのよ!!」
ゼイネスト
「…いや、完璧に冗談の心算だったんだが」
ノーテュエル
「…ま、あんたもいつまでも、冗談の一つや二つすら分からない朴念仁のままじゃいけないしね。
というわけで次回は『戦いから離れて』でお送りいたしますよー」
今回、書いていて思ったこと。
―――ああいった『いちゃいちゃ話』を書くのは、実はかなり苦手だという事です。
何度も書き直す羽目になりました…。
まあ、この編は慣れでしょうけどね。
カップルが多いこの物語では、必然的に必要になるスキルですし(苦笑)。
ではでは、それではこの辺で。
○本作執筆中のBGM
いろいろ(おい)
<作者様サイト>
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