「…なんだかなぁ」
シティ・マサチューセッツ付近の街の一軒家でテーブルに肘鉄をついて、ヴァーミリオン・CD・ヘイズは溜息を吐いた。
厄介ごとに巻き込まれちまった。というのが、その溜息の大部分を占めている。
シティ・マサチューセッツ付近の街で物資の補給をしていたところ、一人の男にいきなり本名を指摘され、誰もいない一軒家で依頼を頼まれて、その依頼の内容が一人の人物をシティ・ロンドンまで届けてほしいというものであって、ルーウェンと名乗った男が今その人物をつれてくる、という状況らしい。
…一体全体、どこをどう間違えたらこんな展開になるのか。
人生は無数の選択肢から連なるものの集合体で、一つを選んだ時点でそれ以外の可能性全てが消滅する後戻りの出来ない一方通行だとは分かっていたが、こんな選択肢は選んだ覚えなど無いし、選択肢があっても選ぶ心算など毛頭無かった筈だ。
今更考えても意味なんて無いと頭では分かりきっていたが、それでもヘイズはそう思わずにはいられなかった。
それに、あまり長くハリーを待たせると、帰った時に何らかの形で文句を言われかねない。そう思うとますます憂鬱になる。
はぁぁ、とまたも溜息。
(なんでこうなるんだろうな、オレ…)
今までのロクな事が無い人生を思い返す。
何と言うか、不幸の星の下に産み落とされるとはこういうものなんじゃないかと本気で思う。
「…貴方は本当に溜息が好きなお方だな。ああ、どうでもいいだろうが、溜息一つで幸せが一個逃げると聞いた事がある」
その刹那、扉の向こうから声がした。
同時にがちゃり、と音がして、扉のノブがゆっくりと回る。
一秒足らずでノブが回りきり、黒い服に身を包んだ一人の男―――ルーウェンが姿を現す。
短めの黒い髪に、鋭い目つき。
まるで作り物のように端正な顔立ちは、異性の目から見れば黄色い声をあげる対象になるだろう。きっと。
「…いきなりこんな状況下に置かれてるんだ。訳が分からなくて溜息が出るぜ」
「それでも依頼の内容は分かったのだろう?」
「まあな…少なくとも、シティ・ロンドンに被害を及ぼすような奴じゃないって事だろ」
「そう受け取ってもらえれば結構だ」
男…はどうしてだか少しだけ嬉しそうに笑い、左手でドアノブを掴んだまま部屋に足を踏み入れる。
「では…アルティミス、入ってきていいぞ」
アルティミス。それが、今回の依頼でシティ・ロンドンに送って欲しいという人物の名前だと察する事が出来た。
月の女神アルテミスが元なんだろうな…だが、いかに可愛い名前を持っていても老人とかだったらオレは魂が抜けるほど深い溜息を吐いてやんぞ、と、ヘイズはどうでもいい事を考える。
ただでさえいつもサティ婆さんに酷い目に遭わされているのだ。出来る事なら、しばらくはご老体と出会うのはご遠慮願いたい。
「…う、うん」
―――刹那、小さな声が聞こえた。
ヘイズはその瞬間、深いため息を吐かずに済む事を確信した。
それは間違いなく『少女』の声。
自然と、ヘイズの視線が扉の向こうに集中する。
ルーウェンに続く形で、ルーウェンに比べると遥かに小さな影が見える。
二秒後にウェーブのかかった白い髪の毛が見えた…と思ったら、白い髪の毛の人物はいきなりドアの向こうに隠れてしまった。
気のせいでも何でもなく『はぅ』なんて声が聞こえた気がする。
「…アルティミス、何をしているんだ?」
ルーウェンの口から出たのは、呆れを少しばかり含んだ声。
「…だ、だってその人、血まみれ…」
―――血まみれ、という単語が聞こえた刹那、ヘイズは頭をハンマーで殴られたような衝撃を覚えて、そのショックに耐え切れずにテーブルに突っ伏した。
確かに自分の服装が真っ赤なのは散々熟知していたはずなのだが、いざキッパリと言われると流石にショックがでかい。しかも、顔すら知らない初対面の相手に、だ。
「…違う。あれがこの人の服装なんだ。だから安心していい」
「…え?そ、そうなの?よかった…」
ひょこっ、と、扉の影から何かが見えた。
その中から現れたのは、白くて長い髪の先の方にウェーブがかかっている白人の少女。くりくりした大きな瞳の色はヘイズの服の色と余り変わらない真紅。しかしその服装は、とても年頃の女の子が着るとは思えない、まるでぼろきれのような灰色の服だった。
そんな少女が、身体を半分ほどドアで隠して、遠慮がちにヘイズの方を見ていた。
少女はヘイズの視線に気がつくと、小さく息を吸って一歩を踏み出す。
扉から完全に姿を現した少女の身長は、ヘイズより遥かに低かった。
「…おい、まさかアルティミスって、この子の事か?」
既に分かりきった事だったが、それでもヘイズは質問せずにはいられなかった。
「他に誰がいる」
ルーウェンからはぴしゃりと鋭い返答が返ってくる。
言われて見ればその通りなのだが、それでも、ヘイズの心の中にはなんとも言い切れない感情が渦巻いていた。
「…どうしてアルティミスのような少女が、といった感じの表情だな」
そこをルーウェンに鋭く指摘される。
(なんで人の心が分かりやがるんだ?
まるで『天使』みてえだぜ…勘弁してくれよ…)
此処に来てからもう何度目かになるか分からない軽い溜息を吐いて、心の中でヘイズは毒づいた。
因みに、周囲からは天使の反応なんて一切返ってこない模様である。
「え、ええと…この人、なんていう名前?」
頭一個以上の身長差があるルーウェンを見上げて、アルティミスが問うた。
「ああ、この方はヴァーミリオン・CD・ヘイズ、だ」
「み、三つも名前があるの?最初のが名前?
じゃ、じゃあ、この人はヴァーミリオンさん?」
ヘイズの名前を聞いた途端、ただでさえ大きな真紅の瞳をさらに見開いてアルティミスは驚いた。
そうしていると、本当にまん丸な瞳に見える。ヘイズの喉の置くから軽い笑いがこぼれた。
「いや、最後のが名前だ」
ぴしゃり、と効果音が鳴りそうなくらい真っ正直かつ端的にルーウェンは告げる。
「じゃ、じゃあ、ヘイズ…さんって言うんですか…で、でも本当に大丈夫…なの?」
アルティミスという少女の顔は、見て分かるとおりに不安一色。
無理も無い。信用できる人間ならともかく、アルティミスにとってヘイズは完全に初対面の相手である。
ヘイズの行動如何ではアルティミスが無事にシティ・ロンドンにまでたどり着けるかどうか分からないのだ。
不安故に青ざめる顔。
かたかたと震える、小さな肩。
そんなアルティミスの様子を見ているのがいたたまれなくなったのか、ルーウェンがアルティミスのほうへと向き直った。
「安心してくれアルティミス。我も、一応はついていく」
「…ん?あんたも付いていくのか?」
ある程度予測はついていたが、それでも一応という事で、ヘイズはその質問を口に出してみた。
「当然だ。貴方にはシティ・ロンドンへの橋渡しというか入場許可さえ出してもらえばいいだけだからな。
といっても、我も多忙な身だ。
アルティミスを送り届けたら、すぐにシティ・マサチューセッツに戻らなくてはならない」
それを聞いた途端、アルティミスが「え…」と小さな声を上げる。
安心して笑顔になっていたアルティミスの顔が、たちまちのうちに泣きそうにゆがんで、
「…いや!
アルティミスは、ルーウェンさんと一緒がいい!
この人が怖いって訳じゃないけど…でも、一人ぼっちは…いや!」
ここに来て、アルティミスが首を左右に振っていやいやと駄々をこねた。しかも、幼めな外見とは裏腹にかなり強い口調でだ。
ちなみに、最後の台詞がヘイズを信頼していないことを証明してくれている事を察する事ができた。
もしかしなくても、このアルティミスという少女はルーウェンの事を信用していて、出来る事なら離れたくない…そういう事なのだろう。
今のやり取りであれば、それらを汲み取るのは難しくない。
だが、流石にルーウェンも折れるわけにはいかないらしく、アルティミスをなだめようと試みる。
「アルティミス…気持ちは分かる。
しかし、我がここにいないと、お前が逃げ出した事がすぐにばれてしまうんだ…。
心配するな。永遠の別れになるわけでもない。
事後処理を終えたらそちらに向かうから、安心してくれ」
そう言って、優しい笑みを浮かべたルーウェンは、右手をアルティミスの頭の上に乗せて軽く撫でる。
言葉こそ発しなかったものの、気持ちよさそうな笑顔になるアルティミス。
事後処理とはおそらく、アルティミスの生存云々の件だろう。
おそらく、マザーコアの交換が完了したとか言って誤魔化すに違いない。
変えのマザーコアが本当にあるかどうかは分からないが、それはシティ・マサチューセッツの重要機密に引っかかるであろう内容だろうから問いただすのはやめておいた方が賢明だとヘイズは判断する。
だが、それを差し置いても気になる事が一つある。
何故、シティ・ロンドンなのか。何故、リチャードのところなのか。
…実際は答えなんてあらかた見当がついていたが、それでも、ヘイズは口を開いた。
「…んじゃ、これが最後の質問だ…。
なんでリチャード先生のとこなんだ?なんで、他の所じゃ駄目なんだ?」
シティ・マサチューセッツの重要機密に引っかかるであろう内容だと言われて黙秘されるのを覚悟の上で、ヘイズはその質問を出し切った。
刹那、ルーウェンの表情が驚きに染まったが、次の瞬間にはすぐに元通りの顔に戻る。
こほん、と軽く咳払いをした後に、その口から答えが告げられた。
「…そうだな。
おそらくその様子では、我の言いたい事に気づいているだろう。
この際だ、貴方だから全てを告げよう。
―――アルティミスは、シティ・マサチューセッツが極秘裏で作り上げた…『龍使い』だ」
―――今度こそ、ヘイズは唖然としてしまった。
…ヘイズが拒絶した『とある可能性』が、今まさに的中したという現実を噛みしめるしかなかった。
だが、動揺を見せ付けるわけにもいかない。
ルーウェンの口にした言葉が如何なるものであっても、いちいちうろたえる様な人生は歩んできてなどいないからだ。
「…冗談…じゃねぇんだな」
何とか搾り出したその声は、ヘイズ自身も気づかぬうちに震えていた。
『龍使い』―――今では世界でたった一人、ファンメイしかいない筈の魔法士。
しかしルーウェンは、目の前にいる白人の少女―――アルティミスが『龍使い』だとはっきりと告げた。
「こんな事、誰が冗談で言えると思うか」
ルーウェンの声は至って真面目なもので、それが嘘偽りの無い事を示していた。
「あれほど『龍使い』の事を知っていりゃ怪しいとは思ったが、案の定予感的中ってワケだ。
オレとしても命が惜しいから、あんたがどこからその知識を得たかは聞かないでおく」
「そうしてくれると助かる。正直、我も貴方を斬るようなマネはしたくない」
いちいち言う事が物騒な奴だな。とヘイズはつくづく思う。
だが裏を返せば、それは、ルーウェンがそこまで真面目になっているという事なのだろう。失敗が許されないからこそ、ルーウェンはそこまでの決意を固めているし、それを行動に移す覚悟も出来ているという事だ。
しかし、それならば確かめなければいけないことが一つある。
ヘイズは決意を固めて口を開いた。
「…んじゃ、当然この質問にも答えてくれるんだろうな?」
ルーウェンはしばらく考える仕草をとった後に、
「内容によるな。あまりにもシティ・マサチューセッツの内情に関わる事であれば、我は黙秘を決め込ませてもらう。
いくら貴方といえども、流石にそこまでの情報を流出するわけにはいかない」
静かに、告げる。
「…あー、やっぱそう来る訳か。
ま、当然っちゃあ当然だろうから、オレの方でも既に質問は考えてある。
――そうだな、つまりはマザーコア関係って事か?
大方、このアルティミスって子がもう少しでマザーコアにされちまうから匿ってほしいと、つまりはそういう訳なんだな?」
マザーコア、という単語に、怯えて顔色が青ざめたアルティミスが「ひぅ」と声を出すのが確かに聞こえた。
「大丈夫だ。我がいる限り、そんな事は絶対にさせない」
ルーウェンの言葉に、アルティミスは無言でこくんと頷く。
次いで、ヘイズのその問いに対する返答の為に、ルーウェンは暫く黙って考え込み思考をめぐらせる。
そんなルーウェンの様子からアルティミスもこの重たい空気を察する事が出来たらしく、ルーウェンの方を心配そうに見上げるものの、一言も発しようとはしない。
まるで、時が止まったかのような錯覚。
ヘイズの耳には物音一つ入らない。そう、普通の家の中なら大人しくすれば簡単に聞こえるであろうあの音すらも。
だが、逆にそれが不自然だった。
ルーウェンからの回答を待つ間、ヘイズは少しばかり思考を回転させて…、
(…なんか不自然に静かだな…あ、成程、そういう訳か…。
ん?てことは、まさか…)
不自然を感じた理由に行き着いた。
そう、この家には時計がない。だから、あのチクチクという針の動く音が聞こえないわけである。
そこまで考えるのと同時に、ルーウェンが重たい口を開いた。
「…そうだな。大方な意味合いではそう考えてくれて結構だ。
元々『島』での『龍使い』達に関しても、シティ・モスクワはマザーコアとして奪取するつもりだったのだろう?」
「…ああ、その通りだ。
で、結局そのアテが外れた以上、シティ・モスクワのマザーコアは今…どうなってんだろうな…」
発言の途中でヘイズは考え込む。
「…こ、この街のマザーコア、ないの?」
突如、今まで黙っていたアルティミスが口を開いた。
「…あ」
そして、そのすぐ後に顔を赤くしてうつむいて黙り込んでしまう。
おそらく、気になった事を反射的に口にしてしまい、その後で余計な事を口にしてしまったと気がついたのだろう。
その質問から、アルティミスが『自分がいなくなったせいでこのシティのマザーコアが無いと思っている』事を察したルーウェンがフォローの言葉を入れる。
「…いや、大丈夫だ。きちんと替えは準備してある。
だから、アルティミスは何も心配しなくていい。
全て、我に任せろ」
「そ、そうなの…」
ほっ、と胸をなでおろし、アルティミスが安堵の息を吐く。
(…頑張るのはオレもなんだけどな)
だが、そうは思ったものの、そのような場の空気に会わない台詞を口にするほどヘイズは愚かではない。
そして、ここまで来て初めて、ヘイズは事の真相が少しだけ読めた。
此方は口に出しても大丈夫だと判断し、声に出す。
「…成程、リチャード先生がシティ・ロンドンでかなり大きな権限を持っている事を知っていて、それでそのアルティミスって子をかくまって欲しいと、つまりはそういう訳だ」
「正解だ。
だから、貴方でなければ頼めなかった。
今のシティ情勢において『龍使い』を匿えるような人物は、世界にただ一人しか居ないと思うからだ」
それで、どうしてルーウェンがヘイズに接触したかが分かった。
この時点で殆どの謎が氷解する。
ならば後は、依頼を受けた身として依頼を完遂するだけだ。
「…んじゃ、リチャード先生に連絡付けねぇとな。そっちに戻るって。
いきなり女の子をぼんと送りつけたりなんかしたら、色々と面倒だと思うしな。
んだから、その責任背負ってるオレが行かねぇと拙いってワケで…」
「待て…それはよろしくないだろう」
ヘイズの発言は、ルーウェンのその一言により中断させられた。
発言を終えてから、ルーウェンが眉を潜める。
「何でだよ?」
反射的に、ヘイズは聞き返していた。
「貴方の言う事がその通りだとすると、貴方は此処からわざわざシティ・ロンドンまで戻る心算か?」
「そりゃ、届ける以上はそうするしかねぇじゃねぇか。
なんだ、何か拙い事でもあるのか?」
「…そうか、貴方は気づいていなかったか。
実は、シティ・マサチューセッツの軍の一部が、アメリカのヒマラヤ山脈の上空に何かを見つけたという情報が、つい三十分ほど前に入ったらしい。
そして、シティ・マサチューセッツは、つい最近まで何らかの訳があってシティ・モスクワと共同作戦を練っていたらしい。さらに、今でもその名残は残っている。
シティ・モスクワには貴方の指名手配書があった訳だから、おそらく、シティ・マサチューセッツの連中も貴方が指名手配犯になっている事を知っているはずだ」
「…おい、どういう意味だ?」
とか言いながらも、心の中では答えなんて分かっていた。
急激に背筋が寒くなるような感覚を、確かに感じる。
「つまりが、奴らが貴方の船を見つけたら、先ず間違いなくシティ・モスクワに連絡する筈だ。指名手配犯の船と同一化を確かめるためにな。
その上、今日の吹雪はいつもに比べると少々穏やかで、貴方の赤い船体を肉眼で確認する事が出来なくも無いはずだ。
そして、そうなったら下手をしなくても近い内に襲撃事件が起こるのはある程度予測できる…いや、もしかしたら既に本物と認証されたかもしれないな。
そんな時にシティ・ロンドンまで戻ったらどうなるかは、貴方なら分かるはずだ」
一瞬の思考の後に即座に結論に達したヘイズは、途端に苦虫を噛み潰したような顔になった。
「…くそったれ!!
ファンメイやリチャード先生にまで迷惑がかかっちまうって事か!!」
―――そう、つまりはそういう事なのだ。
シティ・モスクワとシティ・マサチューセッツの二つの軍に狙われた今のこの状況で、もしヘイズがシティ・ロンドンに向かったらどうなるか。
答えは唯一つ、シティ・モスクワとシティ・マサチューセッツの軍は、ヘイズの背後にシティ・ロンドンが関係しているという結論を導き出してしまうだろう。
そうなれば『シティ・ロンドンは指名手配犯のヴァーミリオン・CD・ヘイズを匿っている』という、外部に漏れては拙い事実をさらけ出してしまう事になる。
そうなれば、シティ・ロンドンが隠し通してきた事実―――ファンメイや『世界樹』の事が漏洩する可能性も十分に考えられるのだ。
…ヘイズは、己の身が思っていたよりも世界に影響を与えていた事を再び認識した。
『世界はお前さん達をほうっておいてはくれんよ―――』リチャードに言われた言葉が脳裏をよぎる。まさにその通りであった。
「…そう、その通りだ。
だが、アルティミスの方もかなり状況が切迫している。
故に、出来る事なら今日中に、この依頼を終わらせたい。
――出来るか。ヴァーミリオン・CD・ヘイズ」
途中まではいつもどおりの冷静な口調だったルーウェンだが、ヘイズの名前をフルネームで呼ぶ時は、強い意志の篭った口調になっていた。
あらゆる意味で急いでくれという言葉を、口に出されなくてもヘイズは理解した。
そしてこうなった以上、ヘイズとしては引き下がれない。
すぐに実行しなくてはならない。船を守るためにも、この場にいる『龍使い』を守るためにも。
「…決まってんだろ。今日中じゃねぇ。今すぐだ!
おい、つーわけでオレはどうすればいい?」
「…我ならシティ・マサチューセッツの税関をパスする事は可能だ。故に、アルティミスを輸送船に乗せるのはそうそう難しい事ではない。
だが、先も言ったとおり、我とアルティミスだけではシティ・ロンドンの入り口で門前払いを喰らうか戦闘になるのが関の山だ。
故に、貴方の力添えが必要なのだ…アルティミスを無事にシティ・ロンドンに届けるために。
だから、貴方にはリチャード氏宛の手紙を書いてほしい。送られてきた荷物が、貴方のものであるという事を証明させるために。
…といっても、貴方がそういった証拠となるものをもっていてくれてなければ」
「ああ、それなら大丈夫だ。
オレからの手紙には、オレとリチャード先生しか知らない、本人認証の為のサインがある。
そいつを差出人のところに書けば、きっと信じてくれる」
それを聞いたルーウェンが、はっと顔を上げた。
「…それならばいける!!
後は、我の指示通りに動いてくれ…!」
その数時間後に、ルーウェンの指揮の下、その依頼は実行され、そして完遂された。
「――――――ふう」
回想を終えて、ヘイズは軽く息を吐く。
「にしても、今さら思うが、ホントに無茶が過ぎたよな。
あの後、シティが無い方向を目指してあっちこっちに逃げまくって、で、気がつけば此処に居るって訳だ。
流石にスタート地点に逆戻りしてるなんて、シティの奴らは気づかねぇだろ」
『ええ、あの日は今日ほどふぶいてませんでしたが為にこの船の姿が発見されてしまいましたが、この吹雪なら肉眼でこの船を見ることは先ず不可能でしょう。様々な化学製品だって正常に働くとは限りませんしね』
この数日間の逃走劇を思い出し、二人は笑いながら話し合っていた。
最も、片方はマンガ顔の線が『笑い』の表情を作っているのだが。
―――あの後、ルーウェンの依頼どおりアルティミスを郵送する手続きを取った。
最も、ルーウェンも一緒について行ったから、アルティミスは一人ぼっちでは無いという事になる。
また、シティ・マサチューセッツからシティ・ロンドンにたどり着くまでにはいくつかの着陸ポイントがあるので、そういった箇所に着く度にルーウェンが何とかしてアルティミスを外に出して、食事や排泄の方を何とかすると言っていた。
しかしその方法が…アルティミスを箱の中に入れて、荷物として搬送するという事だった。正方形の白い箱に寝かせたアルティミスを入れて、軍の定期便に荷物として任せたのだ。
そのあまりにも突飛な作戦にヘイズは素っ頓狂な声を上げそうになったが、ルーウェンもアルティミスも至ってまじめな顔でヘイズを見ていた。
それだけで、この二人が本気だということが、嫌でも理解できた。
アルティミスに「箱の中に入れられるのは辛くないのか?」と聞いてみたところ「…き、きっと大丈夫」という返答が返ってきた。
本当は大丈夫じゃないのだろうけど、ルーウェンの手前、そんな事が言えなかったのかもしれない。
わざわざそんな事をしなくてもヘイズの紹介状を持ったルーウェンがシティ・ロンドンを尋ねればいいんじゃないかと思ったが、如何せんそうもいかないらしい。
事前連絡とヘイズの紹介があったとしても、名も知らぬ男がいきなり尋ねてきて『ヘイズ氏からのお届けものだ』なんて言われてもそうそう簡単に信じてもらえるとは思いがたい。
加えて、ルーウェンは言っていた。
「…アルティミスの事は、出来る事ならリチャード氏の所属する研究練だけの秘密に留めておきたいんだ。
そもそも、いきなり白人の少女が正面玄関から来客として訪れたら、それも、貴方の言付けつきだったとしたら、アルティミスの事があちらこちらに広まる可能性も否定できない。
ましてや、アルティミスが『龍使い』だとばれてしまったら、それこそ最悪の事態になる。シティ・ロンドンの中から、利益に目がくらんだ裏切り者が出ないとも言い切れない」
…つまり、アルティミスの事を公にしたくないという事だ。
だが、それも無理は無い。
『龍使い』であるということ。それだけで狙われる命…考えるだけで胸糞悪い。
故に、アルティミスの事が心配だったのだ。
ここからではうまくいったかどうかなんて分からないけど、それでも、何とかうまくいったと思いたかった。
成功してくれなければ、ファンメイにとっての新しい友達になれるかもしれない少女が、シティ・ロンドンまでたどり着けないという事だからだ。
そうなれば、ファンメイは世界でたった一人の『龍使い』のまま。
だけど、アルティミスが入れば『一人』じゃ無くなる。
ヘイズとしては、是非ともそうなって欲しかった。
『島』の事件の後、ファンメイは一週間以上も泣き続けた。
目覚めては泣き、眠っては枕を涙で濡らし、一週間かかってとうとう涙が出なくなった。
その後、ファンメイは泣かなくなった。
能天気で明るい言動、くるくるとよく動く表情。生きる事が楽しくてしょうがないとでも言うように、ファンメイはいつでも笑っていた。
それこそ、不自然なまでに。
それが唯の強がりだとヘイズが気づくのに、そうそう時間はかからなかった。
一人っきりの寝室で、夜空が見える船の甲板で、右手の指輪を胸に抱え、必死に涙を堪える少女の姿。
ヘイズは、それをただ見ていることしか出来なかったのだ。
そして、『黒の水』の真相が分かり、いつしかファンメイの姿は人としての姿を保てなくなるという新たな事実が発覚した。
それほどまでに辛い目にあったのだ。せめて、たった少しでもいいから、彼女に安らぎを与えられてもいいんじゃないか―――と、ヘイズはそう思わずにはいられなかった。
そうでなければ思うだろう――――――神など既に死んでいる。と。
その後は世界中を、それもシティの近くをわざと避けて、結果的には世界中を回るような形でシティの追っ手を撒く事に成功した。
最も、シティの方も途中から諦めモードに入っていたらしく、後半は追っ手の追撃が緩かった。
おそらく、また別の機会を狙っているのだろう。
だが、そうなれば、その時にまた対処してやるだけだ。
それよりも、今は考えなくてはならない事がある。
「つーか、手紙なんて書いたの久しぶりだぞ、オレは。
きっと今頃あっちにアルティミスと一緒に届いているんだろうけどな。
ファンメイや先生の驚く顔が見れないのがちいとばかり残念だが、まあ、しかたねぇな」
『そうそう、常識なんて関係あるかという感じの作戦でしたね。
そしてヘイズ。まさかあのような手段を用いて女の子を郵送するだなんて、普通の人間は先ず考えませんよ。
さらに、あれではヘイズがあの行動を起こしたような形になっているでしょうから、きっと今頃、あちらではヘイズがきち…』
「タンマ、それ以上は言うんじゃねぇ。
…ったく、これでまた先生にからかわれるネタが一個増えちまったぜ」
ヘイズの文句をさらりと交わし、カウンターで致命傷の一言を放つ髭面の人物の姿が脳裏に浮かぶ。
今まであの人に口で勝つなんて、出来た記憶が無い。
「…ったく、この前はフィアそっくりな金髪のガキにわけわからん勝負を一方的に申し込まれるしよ…全く、なんでオレはお子様ばっかりに縁があるんだ」
ヘイズは右手で頭を押さえてうなだれる。
どうにもこうにも、最近のヘイズは守備範囲外の女性にばかり出会っている気がする。それこど、カミサマとはとても非常な奴だと思わずにはいられないほどに。
かつて『世界樹』を巡る事件で出会った『天使』の少女――フィア。
そして、つい先日の『世界樹』とはまた別の事件で出会った、フィアとくりそつな少女――フィアーの顔が脳裏に思い出される。
最も、性格は全く違い、何と言うか『フィアの顔をしたファンメイ』とでも形容するとしっくりくる。ついでに身体的成長もフィアに比べると明らかに絶望的なものだったようだ。と、ヘイズはどうでもいいことまで考える。
だが、彼女の操った<飛燕>(と、フィアーは言っていた)という船は、戦闘最適有効域は『雲』の中という、常識を逸した船だった。
『雲』の中ではあらゆるソナー類は使えないが、音はその空気中を何の問題もなく通る。それを利用して、<飛燕>は敵機の場所・状況を掴むことが出来るというシロモノらしく、雲の中を動く事の出来るhunterpigeonを駆るヘイズが苦戦させられたのもそこにある。
雲中航空中のまったく無防備な艦に、その剣先わずか単分子1ミリの刃を突き刺すという、世界三大戦艦のどれもが持ちえていない戦闘方法を行った、まさに
思い出すと、今でも少々だが背筋に寒気が走る。一歩間違えば負けていたかもしれない相手だった。
『…所詮、それがヘイズの運命なのですよ。
あ、でも、間違っても其方の道には走らないでくださいね』
――で、そんなヘイズの心情などどこへやらとばかりに、抑揚の聞いた声でハリーが告げる。
ハリーの発言は、鋭く、それでいて痛いところをきっちりと突いてきた。
「…お前、オレを何だと思ってやがる」
苦虫を噛み潰した顔で反論するヘイズ。
『さあ』
マンガ顔の口が「―」から変化し「3」という文字を書く。おそらく『口笛』の意だと思って間違いないだろう。
しかし、ハリーの言うことにも一理はあるだろう。
先に述べたとおり、いきなり連絡無しで女の子を送ったのだ。後々に響くことは間違いないと思っていい。
だが、此方としても止むに得ない事情があるのだ。出来る事ならその辺を察してもらいたいとヘイズは思う。
後頭部に手を回し、めんどくさそうにヘイズはごちる。
「んな事言われてもよ、あんな話を聞いたらほうっておけねえだろ。
まさか、ファンメイ以外に『龍使い』が居たなんてよ…。
ある意味あのアルティミスって子もまた、オレの兄妹みてーなもんじゃねぇか」
『正論です、ヘイズ。
『龍使い』の原案は、アルフレッド・ウィッテンによって考案されたものですからね』
「ああ、その通りだ…それを認識するたびに、あのヤローの名前がちらつくのがすっげえむかつくけどな」
アルフレッドの名前を聞いた途端、ヘイズの顔に途端に怒りが沸きあがる。
やはりヘイズにとって、あの名前は忘れようにも忘れられない名前なのだ。
「…ま、あのクソヤローの事は今は忘れて…と。
下手な事を書いて先生を心配させても拙いからよ。だから、ルーウェンの事とかは意図的に全て省いておいた。
しかし、ファンメイがあの手紙を読んだら…きっと、どうなるんだろうな?」
『ファンメイ様の事ですから、きっと「お友達だ〜」とか言って喜びそうですね』
「まるで子供に人形をプレゼントした時のリアクションみてーだな」
『まあ、相違点は贈り物が人形ではなく魔法士だったという事ですが』
「違いねぇな」
『―――ええ、まったくもってその通りです。
…ところで、ヘイズ』
途中からハリーの口調が変わる。おちゃらけていたものから、真剣なものに。
「ん?なんだ?」
ヘイズもそれを察して、きりっと真面目な顔に戻る。
『…この依頼…これで終わりだと思いますか?
私はそうとは思えません…何か、胸騒ぎがするもので』
ハリーの発言に、ヘイズは一瞬返答に詰まった。
「機械の癖に胸騒ぎかよ。随分と人間みたいな事言うな。
…んだが、それはオレも同意だ。さっきから、なんだか胸騒ぎがするんだよ」
実際、そうだった。
ヘイズの胸のうちでざわめくのは『まだ終わりじゃない』という気持ち。
近い内に、絶対に何かが起こる。そんな予感がするのだ。
そもそも、ヘイズの脳内には、まだ一つの疑問が残っている。
ルーウェンの言った事が真実だとしても、それでも、引っかかるものがある。
そう、確か『龍使い』が最初に生まれた地は―――。
「…なぁ、ハリー?」
思考を途中で止めて、ヘイズは口を開いた。
今考える事ではない。後でルーウェンに再開したら聞けばいいと思ったのだ。無論、黙秘権を使われるのは覚悟のうえである。
『なんでしょうか?ヘイズ』
「…一旦、シティ・ロンドンに戻ってみっか?」
『構いませんが、ファンメイ様にこっぴどく叱られますよ。「わたしを置いて何処に行ってたの!!」とか絶対に言ってきますよ』
「んなもん覚悟の上だ。
それに、時と場合によっちゃあ、ファンメイだって怒っていられる場合じゃないかもしれねぇしな」
『…ヘイズの懸念はやはり、あのアルティミスという少女についてですか』
「まー、ずばり言うとそれが正解だな」
『成程成程、ついにヘイズもファンメイ様では飽き足らず、ロリ要素の入った内気少女に手を出したくなりましたか』
マンガ顔が『にやり』と露骨な笑みを浮かべた。それも、見てる側としてはものすっごくむかつく表情だ。
「スクラップにしてやんぞ、コラ」
『出来るものならどうぞ。その瞬間、めでたくHunterPigeonは使い物にならなくなりますから』
「どこで覚えたそんな応対」
『ファンメイ様から教えてもらいました。なんでも、ヘイズに壊されそうになったらこう言えと』
「あ、あんにゃろ〜〜〜〜〜〜」
脳裏にあっかんべ〜をしている少女の顔が浮かび上がり、ヘイズは地団駄を踏みたくなったのを必死で堪えた。
『とまあそんな冗談は後にして…さてヘイズ、次はどうします?』
「んー、そうだな…」
ハリーの言葉で、ヘイズは当初の目的を思い出した。
冗談だったのかよ、と突っ込みたい気持ちを抑えて考える。
そう、今のヘイズにはやるべき事があるのだ。
『世界樹』事件の際に見つけた『―――計画……大気制御衛星に偽装……天樹にはウィッテンから連絡。アリスを―――』のメモの謎を解かなくてはならない。
(面倒事になんなけりゃいいんだが…)
メモを取り出そうとしてジャケットの左ポケットに手を突っ込む―――すると、指先に何かの、それも、いつもと違う感覚を覚えた。
ポケットに何かが入っている。それも、メモではない何かが。
ちなみに、メモはジャケットの右側のポケットに入っていた。つい先日取り出したときに、こっちに入れていたのをうっかり忘れていたのだ。
(こいつも調べないといけないんだよなぁ…んだが、こりゃ後回しでいいか)
脳内でそう結論付けて、右側のポケットからメモを取り出した後、反動をつけて起き上がり、けだるそうに目の前を見つめた。
全てを覆い隠すかのように、吹きすさぶ吹雪。もはや見慣れて飽きてきたところだ。
加えて、そんなもの、このHunterPigeonの前では敵ではない。
そして、ヘイズは二つの事柄に対して思考を重ね始めた。
そのうちの一つは、メモの謎についてである。加えて、現段階では此方を優先する方針でいくことにしている。
だが、もう一つの疑念も即急に晴らさなければならない。
それは―――あの男…ルーウェンについて。
―――そう、何かが引っかかるのだ。
あのルーウェンという男の名前は、嘗て、どこかで聞いたような気がして――――。
アルティミス
「え、ええと…この人、なんていう名前?」
ルーウェン
「ああ、この方はヴァーミリオン・CD・ヘイズ、だ」
アルティミス
「み、三つも名前があるの?最初のが名前?じゃ、じゃあ、この人はヴァーミリオンさん?」
ルーウェン
「いや、真ん中のが名前だ」
アルティミス
「じゃ、じゃあCDさん?…な、なにかものすごい名前…」
ヘイズ
―――コメント―――
どうもこんにちは。
今回でついに、アルティミスの正体が明かされました。
一応、事前にそれなりの伏線(として気づいてもらえたかは分からないけど)ならあちこちに準備しておいてたのですけどね。
以前の話を見直せば分かるかと。
実は、突飛な事実解明というのはやりたくなかったので、きちんと準備していたって事で、
…といっても、そんなの書き手なら当たり前なんですけどね。
あ、実はこの物語、書き始めた当初は『龍使いの少女達』という、
一話目からアルティミスが『龍使い』と分かるようなタイトルでした><;
あの時は先行者さんに一発で指摘を貰いましたよ…。
でも実は、本作の第一話目のサブタイトルが〜the dragon girl〜だったりするのです。
無論、二つの意味を込めておりましたが、気づいた人は何人いるのでしょうかね?
しかしレシュレイといいアルティミスといい、ほんとに『龍使い』が好きだな私。
ファンメイスキーだって公言しちゃったし!
てかHNにも龍の文字が!!(偶然)
そういえばドラゴンボールにはまってた!!(それは理由にならんだろ)
ギルティではドラゴンインストールも結構使う!!(結局負けるけど)
あ、『龍が如く』とかいうゲームはやってないので年の為。
ついでに鼠年です。辰年じゃありませんw
さてさて、短編の予定でスタートしたこの物語も結構進んできました。
ていうか、短めの長編になってしまいそうな悪寒。ああもう、あれほど短編書こうって思ってたのに。
とりあえずラストがどうなるかってのはもう既に決まってるんですけど、その間に挟みたいエピソードが結構あるのですよね。
…まあ、ゆっくりやりますか。
それでは、今回はこの辺で。
画龍点せー異