少女達は明日へと歩む
〜Althimis Prefeeling 〜




















―――この世に、神様なんてどこにもいない。いたとしても、なにもしてくれない。

あるいは、神様なんてものは、所詮は人々の甘い幻想が作り出した、ツクリモノの存在に過ぎない。

それは、この世界に生きている大多数の人が持っているであろう考えだ。









だけど、この時だけは、違ったかもしれない。

偶然の重なりも、時においてはおこりうるもの。神の采配と呼ばれるそれは、ここだけにおいて、確かに存在した。

シティ・マサチューセッツの技術によって生み出されたアルティミスと、ルーティという一人の少女が7年かけて作り上げた薬との相性が非常に良かったという2点から編み出された今回の件は―――『奇跡』という言葉でくくるのが一番だろう。














――――シティ・ロンドン内部で、アルティミスの体内から『暴走』の危険性が、今のところとはいえ取り除かれた事が発覚したその時から、4日ほどの時が経過した。

アルティミスの容態は、普段どおりの生活が出来るレベルにまで一気に回復した。加えて『黒の水』の『暴走』がほぼ跡形も無く取り除かれ、今後『黒の水』を使っても『暴走』にいたる可能性はかなり低いと判断された。

もちろん、『暴走』にいたる可能性がかなり低いというだけであり、決して油断だけは出来ない状態であるのは未だに変わらない。あまりにも『黒の水』を使いすぎると、ファンメイ同様に『黒の水』の制御が効かなくなる危険性が費えたわけではないのだ。

危険は唐突にやってくる。その可能性を常に考えなくてはならない。

「―――ま、お前の事だから、もう、あの子が戦うような状況は二度とつくらねぇんだろうけどな」

研究棟の一室、二人の男性がテーブル越しに椅子に座って向き合い、会話をしていた。デーブルの上には水が注がれた透明なグラスが2つおいてある。中身はどちらも満杯に近く、2人が殆ど水を飲んでいない事が理解できた。

一人は赤いジャケットを筆頭に、全身を赤系のコーディネイトで固めた20代前半の男。因みに、赤い髪の毛の中に、一房だけ、おそらく意図的に青く染めた髪の毛があるのが最大の特徴である。

もう一人は、白を基調とした服に身を包んだ、黒い長髪の男。こちらも年齢は20代前半といったところ。二人の男の外見年齢には殆ど差がなく、そうやって向き合っていると、まさに、久々に出会った同級生が飲みながら現状を話したりする状況に良く似ている。

「それは聞くまでもない事だろう?ヘイズ殿」

黒髪の男が、透明なグラスの中身を少し飲み、そう答える。

「そりゃそうだな。聞くだけ野暮だったか、ルーウェン」

ヘイズと呼ばれた赤い髪の男が、黒い髪の男の名前を呼んだ。

ひょんな事からひょんな依頼を頼まれて、紆余曲折あって、あるいは、『龍使い』という能力の魔法士によって引かれあった事により、知り合う事のできた二人。

「シティ・マサチューセッツと違って、このシティ・ロンドンなら、アルティミスが実験動物のように扱われる危険性はさほどないだろう。こうなると、改めてリチャード殿には感謝しなくてはならないな」

「ああ、困ったら先生にどんどん頼めよ。もう散々承知かもしんねーけど、先生、このシティ・ロンドン内部じゃかなり顔が効くからよ。まさに神頼みってやつだな。神なんてこの世にいねぇけどよ」

「……まさに、本人が居ないからこそいえる台詞だな。それと、神がこの世に居ないという言葉に関しては、我も同意を示させていただこう」

「ま、神云々はどうでもいいとして……要約すると、お前は本来ならシティ・マサチューセッツの人間だから、お前の事を快くおもわねぇ人間だっていっぱいいる。でも、それでも、お前が選んだ道だから、くじけずがんばっていけって、そういうことだ」

ヘイズもグラスに口をつけ、水を少しだけ飲む。

「その言葉、ありがたく受け取っておこう」

「おう、そうしておいてくれ……んでよ、とりあえず、ヅァギについてはどうするんだ?」

ヘイズはコップをテーブルに置くのと同時に、ルーウェンに問う。

ヘイズのその問いに対し、ルーウェンは考えるしぐさをとり、脳内で思考を重ねはじめた。

シティ・ロンドン近辺でのあの戦闘で、ルーウェンと敵対していたヅァギは、アルティミスによって気絶させられた後、シティ・ロンドンの犯罪者収容所に拘束されている。

リチャードが仕入れてきたシティ・ロンドンの軍の話では、ヅァギが魔法士であるならば、マザーコアにしようと考えているらしい。しかし、場合によっては、シティ・ロンドン所属の兵士にしようという案もあるそうだ。

シティ・ロンドンの軍が知っているかはどうかは知らないが、一応、ヅァギは『騎士』で、しかも『自己領域』を使える為、Aランクの騎士にランク付けされる。『自己領域』が使えるだけでも、ヅァギをシティ・ロンドンの戦力として加える理由には十分のはずだ。

現実時間にしておおよそ3秒の間をおいて、ルーウェンは答えを返す。

「……そうだな。正直な話、最初は死による制裁を加えようと思っていたが……考えが変わった。ヤツの話を聞く限りでは、ヤツもまた、あの第三次世界大戦の犠牲者だったらしい。最も、そのまま全てを認めているわけではないが。どこかに嘘の部分があるかもしれないという前提を、常に忘れずに念頭においたうえで扱おうと思っている

「ま、ああいうヤツはそうそう簡単に信じるなってのは事実だろうな。オレもあいつの顔を見たが……本当にお前の言うとおり、ペテン師を体現したような顔してやがったな。思い出すだけで笑いが―――はははっ」

ヅァギの顔を思い出したらしいヘイズは、その顔が余程おかしかったのか、その声に笑いが混じった。

「我の言うとおりだっただろう?本当に笑える顔だ」

「本人がいねぇのをいい事に、お前も言うじゃねぇか」

「ヘイズ殿の影響だ」

「違いねぇ」

ははは、と、男性二人はそろって笑いあう。

だが、そのすぐ後にはぴたっと笑いを止めて、真面目な顔へと戻る。これらの会話は、二人の口調こそ軽いが、内容的には決して軽い話ではない。もちろん、二人ともそれを分かっていた。

「……んで、次はお前自身の話だ。結局、お前はこのままアルティミスと共にシティ・ロンドンに残る事を決意したんだろ?結局、シティ・マサチューセッツに居るっていう仲間にそれは伝えられたのか?」

ヘイズの言葉に、ルーウェンは黙り込んでしまう。

それは、アルティミスがこの世に生まれた時から、ルーウェンがシティ・マサチューセッツの中で共に戦ってきた4人の人物。ルーウェンは彼ら、彼女らの助けがあったからこそ、ここまで来れたといっても過言ではない。彼ら、彼女らがいなければ、ほぼ間違いなく、ここまでたどりつく事はできなかった。

アルティミスの件については決着がついたが、その際にルーウェンが出した決意により、結果的に彼ら、彼女らと離れる事になってしまい、ルーウェンの心の中に、さびしいという感情が無いといえば嘘になる。

しかしながら、いつまでも干渉に浸ってなどいられない。そんな覚悟もまた、決意を述べた時には、既にルーウェンの胸の中に存在していた。

「……ああ、我らしか知らないであろう特殊な暗号データを用いて、無線で連絡をとった。あまり長引かせると、万が一の確率とはいえハッキングされかねないから、短めに伝えておいた。
 我はこのシティ・ロンドン付近でヅァギと共に消息不明になった事にしておいてくれと言ったら、流石に仲間全員から反対意見の総攻撃をくらった」

「そりゃそうだろ。生きてる人間をそう簡単に生死不明扱いにするなんて事、誰だって反対するだろ。ましてや、それがそいつらにとっての身内ならなおさらの事だ」

「それについては我は言い返す心算はない。だが、事を穏便に済ませるには、これくらいしかないと思ったんだ」

「―――ま、お前の仲間もそれを分かったからこそ、お前がシティ・ロンドンに残る事を承知してくれたんだろ」

「ああ、その通り。仲間とは、本当にいいものだ」

目を瞑り、感慨にふけるような顔で、ルーウェンは軽く息を吐きながら、そう呟いた。















【 + + + + + + + + + + 】














―――ルーウェンが無線を使ってシティ・マサチューセッツへと連絡を取り、『アルティミスと共にシティ・ロンドンに残る。我はヅァギと共に打ち合い、行方不明になったとシティ・マサチューセッツの軍に伝えてくれ。後、我の私物は、シティ・マサチューセッツ内の我の家にでも放り込んでおいてくれ』という旨の言葉を告げた刹那、無線の向こう側からからは、4人の声が入り混じった混沌たる台詞の羅列が続いた。

「ルーウェン殿、ご無事でいらっしゃったのですか!ルーウェン殿がヅァギごときに後れを取るなどとは思ってませんでしたからご安心くださ……うわぁっ!」

ルーウェンを慕っていた年下の青年が、言葉の途中で誰かに無理やり割り込まれた様子が一瞬で理解できた。この時点でルーウェンはこれからどうなるのかがある程度は予測できた。そして、奇しくもその予測は的中する。

「ルーウェン、それがお前の選んだ道なら、俺は止めはせぬ。ルーウェンとアルティミスがいないとなると、このシティ・マサチューセッツの研究棟もかなり寂しくなるが、これ以外の選択肢がないとあれば仕方が無い。だが、いつかまた、どこかで飲もうぞ」

ルーウェンよりもかなり年上の、鼻の下に貫禄のある髭を生やした中年の男の声。だが彼は、年齢差の事など一切気にせずに、ルーウェンに協力してくれた男でもあった。

「ああ、約束する。必ず飲もう」

短くて月並みな言葉ではあるが、そう返答した。これまで多くの苦難を乗り越えてきた仲間達だからこそ、多くの言葉など必要ないと分かっていたからだ。

「ルーウェン殿。こちらは全てわしらにまかせておくのじゃ。ルーウェン殿は何も心配しなくていい。それよりも寧ろ、そっちでの生活を心配するのじゃぞ。わしらのリーダー殿」

続いて、やや年老いた男の声が聞こえた。

「ええ、あなたもお元気で。そして、常々に心配をかけて、申し訳ない」

「はいはい、こういう時にそういう謝罪の言葉はいらないの」

半ば割り込むような形で、黄色い髪をしている、ボーイッシュな眼鏡をかけた女性の声。

「アルティミスの事、頼んだわよ。なんでも、新しいお友達も出来たって話らしいけど、あの子が一番頼りにしているのは、あくまでもあんたなんだからね!」

半ば怒鳴りつけるような声。だが、それが本心からアルティミスを心配していると、すぐに分かる声でもあった。

「ああ、善処する…と、そうだ…少々待ってはもらえないか?」

この瞬間の、ふとした思い付きでこのタイミングでアルティミスにも喋らせてみたところ、アルティミスをかなり気に入っていた女性が「元気に過ごしなさいよ!」「困ったらいつでも帰って……って、帰って来れない状況下にあるのよね……そうじゃなくて、いつでも連絡よこしなさいよ!」「ルーウェンにめいっぱい甘えてやりなさいよ!」「それからそれからえーとあーとうーと……」などの言葉の雨嵐が無線を通じて此方まで飛んできた。

流石に色々な意味で拙いと思ったルーウェンが「申し訳ないが、これ以上はハッキングの危険もあるから早々に切らせていただく―――みんな、ありがとう。感謝しようにも感謝しきれない。そして、いつかまた、必ず会おう」と、一字一句はっきりと告げて、半ば強制的に連絡を絶った。

連絡を絶つ瞬間に「あ――――――――――――――――っ!」という、まるでこの世の終わりのような叫び声が聞こえたような気がしたが、ルーウェンはあえてそれを聞かない振りをした。

アルティミスにもその声が聞こえたらしく「え、えっと、ルーウェンさん、今の、本当に大丈夫なの?」と、心配そうな顔でルーウェンの顔を見上げてきたので、ルーウェンは笑顔で「ああ、大丈夫だ。だからアルティミスも安心するといい」と告げて、アルティミスを安心させたのだった……そもそも、連絡すべきだったとはいえ、このような事態を招いてしまったのは、ほかならぬルーウェン自身だったからである。

……無論、シティ・マサチューセッツに残した4人の同士が、本当は何を言いたいのかなんて、嫌というほど分かっていた。本当なら、4人とも、ルーウェンにシティ・マサチューセッツに戻ってきてほしいと思っているだろう。それは、会話の中で、誰一人として、そういった話題を出さない事から察する事ができた。

だが、これが永遠の別れでないなら、いつかどこかできっと会える―――ルーウェンは、そう信じている。もちろん、それはアルティミスも同じであった。

















【 + + + + + + + + + + 】
















「……ま、まだまだ色々と問題はあるが、少しずつ解決していくのが一番だろうな……それにしても」

そこで、ヘイズの言葉がぴたりと止まる。

「……なんだ?」

ルーウェンが問い返した刹那、ヘイズが口の端に意地の悪そうな笑みを浮かべる。ルーウェンが瞬間的に嫌な予感を感じた時には既に遅く、ヘイズは次の言葉を繰り出していた。

「まさかあの場で告白するとはな――。お前、やっぱりアルティミスの事が好きだったんじゃねーか。まぁ、あの過保護っぷりはただ事じゃねーとは思ったけどな」

その言葉で、ルーウェンの心がどきっ、と跳ね上がるような感覚に襲われる。確かに、あの時、アルティミスに気持ちを伝えたいという想いから、ルーウェンの胸の内を全て打ち上げてしまった。それも、2人きりならともかくとして、ファンメイとヘイズが一緒に居る状態で告げてしまったわけである。

もちろん、あの時はあれ以外に、アルティミスの意識を現実に引き戻すためには方法がないということくらいは分かっているのだが、それでも、やはり、恥ずかしいものは恥ずかしい事には変わりは無い。

今考えると、本当にとんでもない事をしたという事実に改めて気がついた。

「ひ、人を好きになるのに理由はいらないという言葉があるだろう!」

心の同様が言語にまで影響したのか、なんとか言い放った反論の言葉も、どこかつっかえたものになる。

そんなルーウェンに対し、ヘイズは肩をすくめて「わりぃわりぃ、悪ノリしすぎたぜ」と、ちっとも悪くなさそうに言ってのける。

「ま、オレもそれについちゃ責める心算は全くといっていいほどねぇ……ってか、アルティミスの恋にちょっかいなんか出しちまったら、ファンメイのヤツに殺される」

「あなたはそのアルティミスの恋人である当人を前にしてそういうか」

「ああ、堂々と言うぜ」

「即答か」

「あたりまえだっつーの…あーあ…オレにはいつになったら春が来るんだよ…」

「ふむ……一生、冬で確定だと思うのは我だけか?」

「て、てめぇ……何つー事を言ってくれるんだ」

ルーウェンの発言にがっくりと肩を落としたヘイズは、右手で頭を抑えた状態で頭を上げて、呪詛を込めた視線をルーウェンに向ける。どうやら、ルーウェンが言い放った言葉は、見事にヘイズの痛いところをモロに直撃したようだ。

「ところで、これからヘイズ殿はどうするつもりだ?暫くこのシティ・ロンドンに残るのか?確か、まだやるべき事や依頼があるとも聞いたが……」

ヘイズに先ほどの冷やかしのお返しをしたおかげで少しばかりだが気が晴れたルーウェンが話題を変える。

「んー、ああ、まだお前には言ってなかったっけか……オレ、もうちょっとしたらここを離れるわ」

「……なに?どういうことだ?」

怪訝な顔で問い返すルーウェンに対し、ヘイズは、あー、と、右手の人差し指で頬をかきながら、ばつが悪そうに告げた。

「……ちっとな、野暮用で古い友人に呼ばれていてよ、シティ・ニューデリーに行かなきゃなんねーんだ。他の依頼ならいざ知らず、こいつばっかりはどうしても回避できねぇんだ。だから、行ってくるしかねぇ」

「ふむ、それ相応の理由があっての事なら仕方が無いし、その理由を深く詮索する理由も無いが……ところで、その件は、ファンメイやリチャード殿には伝えたのか?まさか、こそこそと何も言わずに一人で出て行くわけではあるまい」

「ああ、先生にもファンメイにも伝えてある……んで、これからお前とアルティミスに、この事を伝える心算だったんだ。まぁ、アルティミスの容態が回復したばっかりだったから、伝えようにもなかなか伝えられねぇってのがあったんだけどな。」

「気を使ってくれたというわけか。確かに、うれしい事があったすぐ後には聞きたくはない話題ではあるな」

「まぁ、そういうことだ。オレだってそういう事に気をまわす事ぐらいはできるっての」

「承知した。そう受け取っておこう……では、唐突な申し出かもしれないが、出発前には、少しばかりのパーティを開くというのはどうだ?ヘイズ殿とリチャード殿との飲みの約束も、まだ果たしてはいないだろう?」

ヘイズは『それがあったか』と呟き、右手で拳を作って、左の掌に軽く叩きつけた。

「おっ、そいつはいいな。ただ…ファンメイのヤツまでどさくさに混じって酒を飲んだりしなけりゃいいんだけどな。あいつ、絶対にそういうことやりかねねぇからよ。エドやアルティミスはそういうことなさそうだからいいけどよ」

「ふむ、ファンメイの性格を考えるに、確かにそれは否定できんな」

ルーウェンの声に、苦笑が混じった。

「ま、それはそうとして、だ……そいつはいつにするんだ?まさか、今日明日って訳にもいかねーだろうし」

「それはヘイズ殿の予定次第になるだろう。ヘイズ殿は、いつ頃、シティ・ニューデリーへと発つ心算だ?」

「んー、今から一週間くらいだったか?」

「…なるほど、では、今夜あたりにでも、それを伝えたらどうだ?無論、我も同席して伝えようと思う。ヘイズ殿が我の依頼を受けてくれなければ、きっと、我は、ここまでたどり着けなかった……だから、その感謝くらいは、させてくれてもいいだろう?」

「お前からの依頼でもう既にオレとしちゃ感謝モンなんだが……ま、いいか。
 んじゃ、まずは先生にこの事を報告して、今夜あたりにファンメイとアルティミスに報告だな。ああ、間違ってもファンメイに料理なんか作らせんなよ。もしもファンメイが張り切ったとしても作らせんなよ。バイオハザードしかできねぇからよ…と、こういうことも伝えとかねーといけねぇな。こりゃ」

「……なるほど、つまり、ファンメイはものすごく料理が下手という事か」

会話の内容が少しだけおかしかったので、ルーウェンの頬に、無意識のうちに笑顔が浮かんだ。バイオハザードなどという表現は聞いたことがなかったが、バイオハザードと言われるのだから余程酷いことなのだと、ルーウェンはそう思うことにした。

――願わくば、ファンメイの料理が目の前に置かれる事が無いように、とも、同時に思った。

「ああ、そーなんだぜ……と、これについては、歩きながら話そうぜ」

「そうだな。そうしたほうが面白そうだ」

そう言って、二人の青年は、透明なグラスに注がれた水を飲み干してから立ち上がり、入り口の扉を開けて、廊下へと歩み出た。
















【 + + + + + + + + + + 】















夢の一つも見ずに、深いまどろみに落ちていた。

意識が完全に眠りにつき、自分が世界のどこかにいってしまったかのような感覚。

「――アルティミスちゃんっ、おはよっ!」

意識の外側より、ありあまる元気が詰め込まれた声。それが耳に入った刹那、意識が現実に引き戻される。

「……うみゅ」

ゆっくりと目を開けると、白をベースにした水玉模様に彩られたの天井が目に入る。この部屋は、主の好みのせいでそんな風にカスタマイズされたらしい。

生まれてからの殆どを、白一色に彩られた飾り気の無い部屋や、培養層や生命維持層や訳のわからない機械の山が羅列する研究室で過ごしてきた少女―――アルティミスにとっては、この部屋はとても住みやすい部類の部屋。

後ろに両手をついて、上半身をゆっくりと起こす。昨日、寝る前には紫を基調としたネグリジェを着ていたから、上半身を起こした後に自分の服を見下ろすと、紫色の生地が目に入る。胸元につけられた、ピンクの薔薇の飾りが、その紫の生地の中で、いっそう強くその存在を示しているかのように見えた。

リチャードが準備してくれた、アルティミス用のネグリジェ。なんでも、リチャードの研究棟の女性が、アルティミスに対するプレゼントとして送ってきたとか。

因みに、当然ながらファンメイに「わたしだってそんな可愛いネグリジェ着たいー!」と、ダダをこねられた。

「じゃ、じゃあ、貸してあげるの」と、アルティミスがほぼ反射的に口に出すと、ファンメイは、申し訳なさそうに「あ、やっぱりいいよ。やっぱり、わたしよりアルティミスちゃんの方が似合ってそうだもん」と、少しさびしそうな顔で言ってくれた。

その夜、着替えの時に「アルティミスちゃんは、早速あのネグリジェを着て寝るの!」と、やたらと張り切って言われたので、アルティミスは最初に取り出した、淡い黄色のパジャマではなく、プレゼントとしてもらった、紫を基調としたネグリジェを着てみた。

それを見たファンメイは、まるでファンメイ自身がそのネグリジェをもらったかのように「すごい!よく似合ってるよ、アルティミスちゃん!」と大はしゃぎして喜んでくれた。そんなファンメイを見て、アルティミスもまた、うれしいような恥ずかしいような、そんな気持ちになった。

―――それが、昨日の夜の事。

まだぼんやりとする頭、陽炎のように揺らぐ世界。アルティミスは決して低血圧というわけではないが、かといって、特別、朝が強いというわけでもない。

ごしごしと目をこすりながら、アルティミスと呼ばれた少女は、目の前にいる、アルティミスのベッドに半分ほど身を乗り出した、褐色の肌の少女の姿を確認する。

「ファンメイ…さん、おはようございます……」

朝の挨拶を終えた直後に、ふわぁぁ、と小さくあくびがでた。もちろん、あくびが出ると分かった直前に、右手で口元を塞ぐのを忘れない。

「あはは、おはよう、アルティミスちゃん」

ファンメイの顔は、何時もどおりの笑顔。くるくるとよく動く笑顔はとてもまぶしくて、自分もそのうちそんな風に笑いたいと思う。

「さ、起きて起きて、まだご飯には余裕はあるけど、ご飯にぎりぎりで行くってのもなんだかなって思うしね。それに、今日は早いうちからわたしの検査があるから、アルティミスちゃんと話せるうちに話しておきたいの。で、それが終わったら、いつもどおりに、エドのとこにいこっ」

そう、ファンメイには、毎日『黒の水』の関係による検査がある。それは、このシティ・ロンドンに来た当時から知っていた事だったので、今更驚く事ではない。しかし今は、その状況が少しだけ違うものになっている。

アルティミスが『暴走』の楔から解きはなれてから3日後に、アルティミスにも、今後、予測だにしない事態に備えてという事で、数日毎に検査の日程が組まれたのだ。

ファンメイとは別室での検査となる。ファンメイは当初「なんで似たような検査なのに別々の部屋なのー!」というブーイングをして研究員を困らせたが、リチャードに「二人で一緒にいたら、お前がはしゃぎまくるから検査にならないだろ」と、冷静に突っ込まれた。

ファンメイとしても思い当たる節が十二分にあったらしく、うー、という声と共に、両手を足の間に挟んで、少しだけ頭を下げて、ちょっとだけ口を尖らせてふてくされた。

「ま、そういうわけだ、諦める事だな」と言い残してリチャードがその場を去っていった時に、ファンメイはちょっとだけ恨めしげにリチャードの後ろ姿をじとーっと睨みつける。それと同時に、リチャードが何の前触れも無く振り返ったので、ファンメイは咄嗟にリチャードからアルティミスのほうへと視線を逸らし、あははーと言いながら作り笑顔を浮かべていた。

結果としては、当初どおり、ファンメイはアルティミスとは別々の部屋で検査をするという形で落ち着いた。最も、ファンメイが心の底から素直にそれを認めているかどうかは定かではない。

「…うん。検査が終わるのが、待ち遠しくなるの」

ファンメイの発言に小さく頷き、アルティミスはベッドから降りて、足元においてあった白いスリッパに履き替える。

「検査が長引いたりすると、それだけエドと遊べる時間がなくなっちゃうけどね。しょうがない事だって分かってるんだけど、やっぱり、そう簡単には割り切れないよー」

あはは、と、困ったような笑みを浮かべるファンメイ。

「で、でも、ちゃんと検査を受けないと…」

「それは分かってるの。でも、やっぱりそう思っちゃうの。アルティミスちゃんも、そんな事ない?」

「…アルティミスは、どちらかというと、ファンメイさんを待つ事になっちゃう方が困るの……」

基本的には、ファンメイよりもアルティミスの検査の方が早く終わるので、結果として、アルティミスがファンメイの検査が終わるのを待つ形となる。

その間は勿論アルティミス一人しかいない。ルーウェンは検査のデータ解析で忙しいために、会う余裕などないし、アルティミスの我侭で、ルーウェンと一緒にファンメイを待つという事もまず出来ない。

「うーん、それもそれで問題なのよね……世の中、うまくいかないね」

「うん……本当に、うまくいかないの」

顎に手を当てて小さく唸るファンメイに対し、アルティミスはその顔に苦笑を浮かべて答えた。

「……でも、アルティミスが治ったんだから、次はきっと、ファンメイさんの番なの。だから、一緒にがんばるの」

今のファンメイに対するフォローも兼ねて、アルティミスが心の中で思っている事を口に出した。

一欠けらの嘘も無く、ファンメイの『黒の水』の『暴走』の解決に関してもきっとうまくいくと、アルティミスは信じている。

「…うん!わたし、がんばる。もう『黒の水』に怯えないようになる。そして、ずっと一緒に過ごそうね!」

「はい!」

とびっきりの笑顔のファンメイに、アルティミスもまた、とびっきりの笑顔で、勢いよく返事をする。

―――きっとそれは、アルティミスが、生まれて初めて出した、詰め込めるだけの元気を詰めた、返事だった。




















(みんな…元気にしてる?わたしは、今まで以上にずっと元気だよ)

朝食へと向かうため、率先して扉へと歩みよるファンメイは、心の中だけで、今、この場にいない、『全ての友達』に対して、メッセージを送るかのように、思う。

あの『島』で共に過ごした、3人の『友達』。ヘイズは外見年齢の差から『友達』と呼べるのかちょっと微妙だけど、それでも、ファンメイにとっては大切な人である事は間違いないから『友達』でいいんだと思う。

今、このシティ・ロンドンには居ないけれど、錬やフィアという『友達』。

世界樹の件で仲良くなれた、エドという大切な『友達』。リチャード先生はあくまでも『先生』だと思う。流石に『友達』と呼ばれるのは、リチャード先生も不服だと思う。

そこに、ファンメイとほぼ同じ境遇を持ち、つい数日前に、ファンメイと同じ病気を治して、今、ファンメイの隣にいる『友達』。

故に、ファンメイもまた、がんばっていこうと思った。アルティミスが治ったのなら、ファンメイにもまだ、可能性がある。














(―――だから、これからも、がんばるよ)














最後に一言だけそう付け加えて、ファンメイはドアノブをひき、廊下へと駆け出す。

その後ろから、アルティミスが、ゆっくりとした歩みでついてくるのを確認し、手を差し出す。

「さぁっ、一緒に行こっ、アルティミスちゃん!」

「――うんっ」

アルティミスは笑顔で頷き、ファンメイが差し出した手をしっかりと握り返した。












【 幕 】



















―――コメント―――















『少女達は明日へと歩む』これにて完結です。

このような長い物語に付き合ってくださった皆々様方、本当にありがとうございました。




同盟1のファンメイスキーを公言する私が書いたファンメイ用の物語はどうだったでしょうか?

……終盤がちょっとアルティミスよりになったけど、まぁ、その辺はご勘弁ください^^;

因みに、晴れて恋人関係になれたルーウェンとは年が離れてますが、ディーセラだって6歳はなれてるからきっと大丈夫です。うんw

……思えば、今回はメインのお題がファンメイ関連だったせいか、あまりその辺の描写を書かなかったなーと思います。




最終的に『これからももっとがんばろう』という形での終了となりました。

ファンメイが『黒の水の暴走』という、一生の病気と付き合っていくその隣で、それを支えてくれる、同じ『龍使い』の子がいたら、どれほど頼もしくて、どれほどうれしい事なのでしょうか。

二人というものはいいものだと思います。楽しい時は二倍楽しめて、悲しい時は半分で済むのですから。

……同じような病気を持っていて、先に病気が治っちゃった子がいたら、その子を妬むかもしれませんが…ま、まぁ、ファンメイはそんな事はしないでしょう。

寧ろ、自分の事のように喜ぶ子だと、私はそう思ってます。





後、2巻のエピソードで、ルーティが『黒の水』の暴走を抑える為の薬を作ったものの、その薬では最愛の人を救う事が出来なかったシーンがあった為、「ルーティの努力をどこかで実らせたい」と思って、このような展開にしてみました。

しかし思うんですが、なんであの薬を4巻では使わなかったんでしょうか……もう意味が無いからかな?

そもそも『薬』という単語すら出てこなかったような気がしますが……。





因みに元々短編だったはずが、終わってみれば見事なまでに長編になってしまいました。

ですが、WBへの、及びファンメイへの愛があったおかげでここまで続けてこれましたし、後悔などという感情は一欠けらもございません。





ではでは、改めて、ここまで読んでくださり、どうもありがとうございました。




画龍点せー異