少女達は明日へと歩む
〜Miracle that girl caused 〜




















「…………………」

テーブルに肘をつき、両手を組み、その上に顎を乗せて、ルーウェンは目の前の光景を、空っぽの心とうつろな瞳で見つめる。

周囲では、かすかな稼動音と共に、生命維持層が絶えず動いている。

その中にいるのは、様々な要因が重なったせいで、急激な『暴走』の進行により『黒の水』のコントロールが効かなくなり、半分ほどヒトとしての姿を失っている一人の少女―――アルティミスの姿。生命維持層に担ぎ込まれたアルティミスは、なんとか一命を取り留めていたが、生命維持層越しに見るアルティミスの姿は、とても痛々しいものであった。

うなじに電極ケーブルが、頬や首にはセンサーの類が貼り付けられている。異常を察した際にすぐに分かるようにするためにはそうするしかないと分かっていても、やはり、心の底ではやりきれない衝動に駆られる。

時折、口元から小さな気泡があがり、生命維持層の上へとのぼり、培養液を抜けて空気へと帰る。

首から下が見えない構造になっている生命維持層の中で、アルティミスは目を瞑り、ただひたすらに、培養液の中をたゆたっている。因みに、その見えない部分では、アルティミスの体に、たくさんのセンサーが貼り付けられている。

つい数時間前までは、いつものように、元気に微笑んでいた一人の少女の身体の構造は『暴走』した時のままで、元の白系のウェーブ髪と、今は閉じている真紅色の瞳くらいしか名残が無い。

時折、アルティミスの口の端から、吐血したかのように、黒い液体がほんの少しずつ流れ出し、培養液の中に混じって一瞬で消えてしまう。

黒くて長い、ムチのような何かが、白いウェーブのかかった髪の毛らしきものと交じり合っている。左右腕と左腕にはあちらこちらから大小様々のとがった何かが生え、両の手らしきものの五本ずつの指は、合わせて10本ほど、全て、鋭いナイフのように変形している。

下半身は、二本の真っ黒な棒のようなものが、かろうじて足を構成している部分にあたると判断できた。加えて、それが異常に長くなっているため、いつもの彼女より、30センチは背が高いように見えた―――それが、アルティミスが生命維持層に入れられる前に見ることの出来た、アルティミスの姿。

計器からは、あれから未だにアルティミスの身体構造が変化したという情報は何一つ無く、状況が全くもって変化していないことを示していた。

そんな光景を、5分ほどずっと見つめていた。頭の中では何も考えられず、ただ、ぼうっと、ひたすらに、この状況を見守ることくらいしか、今のルーウェンには出来なかった。

「……我の『シェアシュテラー』すら意味を成さないのか……こんな時に役に立たなくて、一体、何のための力なのだ……」

ぽつり、と、自嘲気味に呟く。

ルーウェンは『時詠み』というカテゴリとして生み出された魔法士であり、『自己領域』に近い原理で周囲の『情報の海』に接続し、情報の側から、万有引力定数・プランク定数を改変し、ルーウェンの周囲の時間の流れを遅くした結果、ルーウェンの周囲に存在するもの全ての速度が『ルーウェンにとって都合のいい時間や重力が支配する空間』に改変する能力を保持している。

だが『シェアシュテラー』を用いたとて、この状況ではあまり意味が無い。『シェアシュテラー』は、言ってしまえば相手の速度を低下させる能力であり、相手の病気の進み具合を僅かながら止める事は『一応は』出来る。だが、物理面と情報面において共に鉄壁の防御力を持つ『龍使い』に対しては、効果を適用することが出来ない。

アルティミスが『情報に対する防御値』を下げられればいいのだが、生憎と、アルティミスにはそれが出来ない。

元々、シティ・マサチューセッツが作った『贋作の龍使い』であるアルティミスには、シティ・北京製の『龍使い』にある筈の、いくつかの機能が抜けていたり、改善されていたりする。

その中の一つは『情報防御に対するオートガード』……『龍使い』の情報防御及び物理防御は確かにすさまじいが、それでも、I−ブレインが疲労していたり、なんらかの不具合があったりすると、その防御性能が落ちる。さらに悪いことに、体の殆どをI−ブレインで管理している『龍使い』は、菌やウイルスなどの病気の元から体を守る免疫も、当然ながらI−ブレインで制御している。よって、脳による肉体の制御がうまく出来ていない状態で放置すると、皮膚病や肺炎などの感染症に簡単にかかってしまうのだ。

だが、アルティミスにはそれがない。皮膚病や肺炎などの感染症の危険性を考慮した結果として、アルティミスのI−ブレインには『情報防御及び物理防御を一定ラインに保つ事を最優先にする』と書き込まれているために、I−ブレインがそれを真っ先に実行してしまうのだ。

さらに間の悪いことに、アルティミスの権限を用いても、情報防御及び物理防御の数値を一定値以下にする事が出来ないようになっている。自己制御とはいえ、情報防御及び物理防御の数値が下がってしまうと危険だと判断された為に、アルティミスにはそういったプログラムが組まれたのだ。

しかし今回、それが完全に仇となった。情報防御及び物理防御の数値を一定値以下にする事が出来ないという事は『シェアシュテラー』に対する防御性能を下げられないため、アルティミスの症状の進行を遅らせる手伝いすら、ルーウェンには許されないという事だ。

今のルーウェンに出来ることといえば、このシティ・ロンドンの科学者達に対して、ルーウェンが知っている情報で手伝いをするくらいである。

「……とんだ皮肉だ……戦う為の力なら、ヒトを殺す為の力なら思う存分振るえるのに、守りたいものを守るための力を振るう事が出来ないなどとはな…」

ぼうっとした頭のまま眼前を見つめながら、小さくため息をつく。

そう、ルーウェンは第三次世界大戦で、幾度となく仲間をサポートし、幾度と無く『敵』を倒した。だが、その『敵を倒す』力は、本当に大切なものを守る時には役に立たないという言葉を、誰かから聞いたことがあった。そして、今のルーウェンがまさにその状態に置かれているということを、否応無しに理解せざるを、認めざるを得なかった。

『時詠み』として得たこの能力が、大切な一人の少女すら救う事が出来ない―――その事実が、ルーウェンの心に対して棘を刺す。

「……」

再び、ルーウェンは黙り込む。

分かっている。ルーウェンとて分かっている。このままここに居ても意味がないなんてこと、アルティミスが生命維持層に担ぎこまれた1病後から脳内で理解している。

だが、現段階でルーウェンが知っている内容はほぼ全て話してしまった。ルーウェンの言葉から、シティ・ロンドンの科学者達が対策を練っているが、未だに何一つ進行がない。

それは寧ろ当然ともいえた。そもそも、アルティミスがそう簡単に元の姿に戻り、『暴走』がなくすことが出来たのなら、今頃、ファンメイとて『暴走』の不安を抱えてなどいないはずだ。それが解決できてないから、こうなっている。小学生でも分かる簡単な理屈だ。

因みに、ルーウェンもまた、シティ・ロンドンの科学者達の手伝いをしていたのだが、ヅァギとの戦闘での疲労と傷を心配されたらしく、リチャードに「ここはしばらく休んで来い」と言われた為である。

それでもアルティミスの傍を離れる事が出来ず、結果として、ルーウェンは今ここにいる―――そもそも、離れられるわけがない。

「―――よう、元気か?」

唐突に、後ろから声をかけられた。その声の主が誰なのかなど、もはや説明の必要は無い。

「ヘイズ殿か……我はいたって元気だ。心配の必要など」

「嘘付け、めちゃくちゃ沈んでんじゃねーか。まぁ、この状況で沈まねぇ方が無理だろうけどな」

そう言って、ヘイズもルーウェンの隣に腰を下ろした。余談だが、ヘイズとルーウェンでは、ヘイズの方が僅かに身長が高い。

「……状況は、どうなっている?」

「40分前からいっぺんたりとも変化なしだ。いい意味でも悪い意味でもな。今のシティ・ロンドンで出来る治療法は全て施した…後はもう、その場その場の状況で対応を変えるしかねぇ。予想外の何かが出てきちまうかもしれねぇ可能性だって十分にある。
 今はまだアルティミスが人間の姿をかろうじてだが保ってっから、手のうちようがあるのが救いっちゃぁ救いなんだけどな」

「……そうか。やはり、今は待つしかないのか……ところでファンメイは?」

「…アルティミスをずっと見張るって言ってたけど、疲れてついに眠っちまった…」

その瞬間、脳内時計が『午前1時』を告げた。

「……ファンメイも、自分の『黒の水』の『暴走』が治るかどうかすら分からなくて大変だというのに、アルティミスについてそこまで心配してくれている……アルティミスは、本当にいい友達を持ったものだ」

「そして、ファンメイにとってもアルティミスはいい友達だから、あそこまでファンメイは頑張ってる……ファンメイの性格からすると、誰が相手でも、あそこまで頑張るんだろーけどよ」

「強いのだな。ファンメイは」

「ああ、全く持って強いぜ…。いろんなことがいっぱいあって、大切なモンをいっぱい失って、自身も不幸に巻き込まれて……でもあいつは、人前では絶対に涙をみせねぇ。だが、それでいて、人のいないところで泣いてる。そんで、オレには、どうやって慰めりゃいいのかなんて、分からなかった」

ヘイズが一つ、ため息を吐いた。

「……そういえば、ファンメイが過去に何があったかについては、我は未だに聞いていなかったな……だから、今聞いてもいいか?あの子は、どういう経緯を用いて、このシティ・マサチューセッツに来たのだ?
 最も、これは我の個人的な感情からの質問だ、だから、言いたくなければ言わないでそれでいいのだが……」

ルーウェンがそう問うてから、現実時間にしてたっぷり7秒後に、ヘイズが口を開いた。もちろん、その7秒間の間にも、ルーウェンは生命維持層の中のアルティミスから目を離していない。

「……そーだな。お前はもうシティ・マサチューセッツにもどらねぇって言ってるみてーだし、ファンメイになにがあったのかを話してもいいかもしれねぇな……んじゃ、一回しかいわねぇから、よく聞いておけよ」

そういって、ヘイズは話し始めた。














【 + + + + + + + + + + 】













それから2日後、アルティミスの容態が急変した。

つい数分前まで36.9℃だった体温は40℃にまで跳ね上がり、生命維持相ごしに見るアルティミスの顔は真っ赤にほてっており、息をするのも苦しそうだった。間違いなく、以前、ファンメイが体験した『暴走』の症状と同一の症状だ。

つい先ほど、徹夜の疲労で休憩に入ったルーウェンはこの場に来れない。よって、ヘイズとリチャードがそろってオペレーターの前に立つ。そして、オペレーターが、リチャードの指示したコマンドをコンピューター上から打ち込んだ結果を、口に出して伝えた。

「―――ダメです!ファンメイさん用のプログラムが適用できません!」

ファンメイさん用のプログラム、というのは、この研究棟で研究及び解析されている『ファンメイの体を治す為のプログラム』だ。ファンメイの検査結果から組み込まれたそのプログラムは、まだまだ未完成な段階ではあるが、それでも、少しずつ、ファンメイの体を治す為の完全なプログラムへと、一歩ずつだが近づいていっている。

しかし、そのプログラムですら、アルティミスの体を治すことが出来ない。

「……原因はなんだ?」

リチャードはここにきても冷静を貫き通す。無論、心の中ではそれどころではなく、間違いなくあせっているはずなのだが、それを表面に出さないのは流石といえた。

「お、おそらくですが……アルティミスさんの体を構成する『龍使いとしての情報』は、ファンメイさんのそれと全く違うものだからかと……」

オペレーターもまた、状況を詳しく言葉にして伝える。

「くそったれ!それがありやがったか!」

その言葉なら聞いた事がある。3日ほど前にリチャードが言っていた言葉の中に、それに関したものがあった。

『―――つまりが、ファンメイもアルティミスも『龍使い』である事には変わりは無い。
 だが、その『黒の水』の作成原理が、僅かではあるが違っている。
 詳しくいうと、ファンメイの体を構成する『黒の水』はアルフレッドの作り上げたものだが、アルティミスの体を構成する『黒の水』は、アルフレッド以外の者(・・・・・・・・・・・)が作った『黒の水』――つまりが贋作のようなものだ。
 細かく分析してみて分かったが、構成こそ非常に似ているが、随所に違いが見られる』

―――その『随所の違い』のせいで、ファンメイ用の治療プログラムを適用しても、効果が現れないのだ。

「……私の指示通りにプログラムを組んでくれ、そうすれば、まだ大丈夫なはずだ」

おそらくリチャードも、それを予測できていたのだろう。全く動揺することなく、静かな声でそう告げた。












1時間にも満たぬ仮眠から目覚めたルーウェンは、ヘイズから現在の状況を知り、一瞬で目を覚ます。

リチャードの機転によってアルティミスの症状は一旦回復はしたものの、依然として一瞬の油断も出来ない状態になっているらしい。

そんな時に悠長に寝ている自分に対して腹が立ったが、ヘイズに『お前は少しでいいから休む必要があったんだ。だから、そういう事を言うんじゃねぇ』と促された。

確かに言われてみればその通りで、この2日間、ルーウェンは徹夜で一睡もしておらず、もうふらふらの状態だった。だから、たとえ1時間足らずだとしても、休憩が必要だった。

入れ替わりにヘイズが休憩に入ったので、ルーウェンは微かな稼動音のする部屋にひとりで残される形になる。24時間、生命維持層の中で一人ぼっちの少女の姿が目に入り、やりきれない気持ちになる。

この苦しみを少しでも共有する事ができたのなら、どれほどいいだろうかと思った。いざというときに何も出来ない自分が、酷く腹ただしかった。物理法則すら読み解くI−ブレインが役に立たないのが、悔しくてたまらなかった。

それでも、今、自分にやれる事をやるだけだと決め、片一時も目を離さず、アルティミスの様子に変化がない事を確認していると、がちゃり、と音がした。ルーウェンは反射的に音のした方へと振り向く。するとそこには、ここ数日でかなり疲れた様子のファンメイが立っていた。

ファンメイは検査を受けながらも、エドという少年の元へと向かい、それからはずっと、元気な表情でアルティミスの元についていてくれている。だが、ヘイズの話で、それが強がりだという事は、ルーウェンにも分かっていた。

このシティ・ロンドンに来た頃のファンメイは、能天気で明るい言動、くるくるとよく動く表情、生きる事が楽しくてしょうがないという言葉を体現するように、いつでも笑っていたという。しかしその裏では、ファンメイが泣くのをこらえているという事実があったとヘイズはいっていた。

エドに対してアルティミスの事をどう伝えているのかは分からないが、きっと、エドを心配させないようにと、うまく説明してくれているのだろう。

「……体調は大丈夫じか?疲れているのだろう?」

「だから、わたしは大丈夫だって言ってるでしょ」

「嘘を吐かなくてもいい。疲れていると、指摘はされないのか?」

「エドに『疲れてる』って言われちゃった」

あはは、と、ファンメイは力なく笑った。

「辛いのなら、眠ってもいいのだぞ」

「……ううん、そうはいかない。アルティミスちゃんだって戦っているんだから、わたしだって一緒に戦ってあげなくちゃ」

その言葉には、じーんと来るものがあった。この少女が、本当にアルティミスの事を思ってくれていることを、改めて確認した瞬間だった。

「……それに、いいたいこともあるし」

「言いたい事、とは?」

すると、ファンメイは少し迷った様子を見せたが、意を決したように「むん」と気合を入れて口を開く。

「―――ええっとね。アルティミスちゃんが前に言っていたことを、手遅れにならないうちに伝えておこうと思ったの。もちろん、これはわたしの勝手な独断だって分かってる……だけど、このままじゃ、アルティミスちゃんがあまりにも可哀想だから…」

「…一体なんの話だ?」

ファンメイが何を言いたいのか、その本質が分からない。

「ええっとね…アルティミスちゃんが言ってたの……ルーウェンの事、大好きだって。そして、ルーウェンにはまだこの事を伝えてないって」

「……ッ!?」

ファンメイから告げられた突然の事実に、衝撃が脳内を駆け巡り、数瞬、ルーウェンの思考が停止する。

「……こんなこと、本当は言いたくないけど……でも、言うね。
 誰かに想いを伝えたいって時には、もう、その人はいないかもしれないんだよ」

ファンメイの態度が、今までとはうって変わってしおらしくなった。

「………」

ルーウェンは、何も返せなかった。

ファンメイの告げたその話をルーウェンは知っている。ヘイズから聞かされた話の中に、ファンメイが大好きな少年の話があったからだ。ルーウェンが聞いた話の内容としては『ファンメイには好きな子がいて、その相手の子もファンメイの事が好きで、その子はファンメイに想いを伝えて、そして死んでいった』というものだった。

今のファンメイの言葉は、まさにそれにあたるのではないか。

そして、ファンメイとて、その話を掘り返すのは辛い筈だ。だが、今、ファンメイはそれを口にした。まるで、同じ過ちを二度と繰り返してはならないといいたいかのように、だ。

「ルーウェンは、アルティミスちゃんの事どう思ってるの!?答えはどうなの!?ねぇ、答えてよ!
 たとえそうじゃなかったとしても、アルティミスちゃんに真実を教えてあげてよ!わたし、そういうの見るの、もういやなの!」

しおらしい態度が一変し、ファンメイは今度は必死にまくりたてる。

だがそれは、ファンメイがアルティミスの友達である事の証拠でもあった。理由など至極簡単―――友達の恋愛を応援する事のどこが悪いのか、の一言に尽きる。

「―――わ、我は……」

刹那、ルーウェンの脳裏で、過去の様々な出来事がフラッシュバックした。












【 + + + + + + + + + + 】











―――アルティミスを生命維持層に移す際に、ファンメイが『女の子以外立ち入り禁止なの!』といって、生命維持層のある部屋の入り口をぴしゃりと閉じて、近場にいた女性研究員と一緒にアルティミスを生命維持層に入れた。

だが正直、ルーウェンはそれで安心した。やはり『そういうこと』は、女の子同士に任せた方がいいと思ったからである。男性である自分の出る幕などない。

(…やはり我では、女性の友情には適わないのか)

と、ルーウェンはそう思うこととした。実際、それが事実だったからだ。











――しかし正直なところ、ルーウェンの心のどこかでは、何か、複雑な感情が渦を巻いていた。

あの時、心のどこかで、ほんの少しとはいえ、アルティミスと離れる事に対して、ある種の反感があった。言うなればそれは『離れたくない』という気持ち。そして『アルティミスを守りたいから、その役は我に任せてほしかった』という思いがあった―――やましいとか、そういった不純な感情の一切合財を関係なしとして、だ。

それは、ルーウェンの中に芽生えている、ある気持ちの表れであり、それを自覚するのに、時間がかかりすぎた―――あるいは、認めたくなかったのかもしれない。

恋愛に対する年齢差は関係ないと、ルーウェンはイシュタルから聞いた事があった。アルティミスの事が気にならなかった時期など無かった。

だが、それを己の自意識過剰だと思いたくなかったから『きっと、ただ単に、守りたいと思っているだけだ』と、心のどこかで無理やりそう決め付けていた。

しかし、感情とは素直なものだった。

アルティミスの右腕の、右手首から先が砕けた瞬間、ルーウェンの中で、何かが音を立てて割れたような、そんな感覚を覚えた。

その『喪失』は、自分の中で、何か大切なものがなくなった時のそれと、全く持って同じ感覚だった。即ち、10年前に、ルーウェンの製作者であるイシュタルが死んだ時の感覚の再来である。

それほどまでに、アルティミスの存在は、ルーウェンの中で大きくなっていた。

では、その為の決定打となったのはいつだったか―――ルーウェンは、すぐに思い至る。

あの時、アルティミスがヅァギ側の人間達に襲われそうになった時、ルーウェンの心の中に浮かんだ感情はなんだったか。

ただ単に『悪いことをする奴が許せない』だけではなかったはずだ。寧ろ『自分にとって大切なものが傷つけられた』類の感情だった。

その時、ルーウェンはなんと言ったか。

『―――安心するんだ。これからは、我に…いや、我らに任せておけばいい。絶対なる責任をもって、アルティミスを危険な目に遭わせないと誓おう』ではなかったのか。告げたのは、騎士の誓いに等しき言葉だったはずだ。

あの場であの言葉が出たのも、『危険な輩に狙われているから守りたい』という気持ちだけのはずが無かった。気がつけば『守りたい』という意味の根本が変化していた。最初にあった『危険な輩に狙われているから守りたい』という気持ちはいつしか『好きだから守りたい』に変化していた。

(―――ああ、そうだ)

どうして、ここまで迷っていたのか。どうして、気持ちを認める事ができなかったのか。

(……誰かを『好き』になるのに、理由などいらなかった事など、我は、とうに気づいていたはずなのに―――)

一瞬の間をおいて、様々な光景が思い出される。













最初に思い出されたのは、アルティミスがヅァギ側の人間達に襲われそうになって、ルーウェンがそれを撃退した時の場面。

『…こ、怖かった…怖かったのっ!!』

ルーウェンより30センチ以上も小さなアルティミスが、ルーウェンへと抱きついてきた時、ルーウェンは何を思ったか。

……この子が助かってよかった、という気持ちが、真っ先に浮かんできていた筈だ。















続いて思い出されたのは、鞄の中に入るという、シティ・ロンドンへの移動方法を伝えた時。

アルティミスは小さく俯いてうんうんと考え込んでしまって、数分の時が経過すると、雪のように白い色の顔を上げて、小さくにっこりと微笑んで「…はい、ルーウェンさんが一緒なら、だいじょうぶ」と告げた時。

そして、心の中で『―――この顔には、我は一生勝てないな』と思った時。















さらに思い出されたのは、ホットケーキの事を思い出して会話をしていて、その時に、アルティミスが見せた反応。

「と、ところで、聞きたいのですけれど…」

話が途切れた時に、アルティミスがおずおずとした様子で問いを投げかけてきて、アルティミスは数秒ほど、なにやら口をもごもごさせていて、でも、現実時間にして六秒がたとうとした所で決心がついたらしく、小さくて消え入りそうな声で、そう告げた言葉があった。












「る、ルーウェンさんって…今、好きな人、います?」

―――そう、この質問だった。










…沈黙が、世界を支配した瞬間。

互いに何もいえないまま、時計が一秒ずつ、確実に時を刻んでいく。

「…その質問の意図が分かりかねるが、とりあえず分かる事から答えるぞ」

沈黙に耐え切れずに、あの時、ルーウェンはこう答えた。だが、それと同時に、脳裏にとある考え』が浮かんだが、あの時は『いや、まさかな』と思い、頭を振ってその考えを打ち消したのだった。

だが、今思い返せば、まさかでもなんでもなかったのだ。

アルティミスが小さく「ほっ…」と息をついて、肩を撫で下ろした様子が目に入った時点で気づくべきだった。

つまりその反応は『恋のライバルがいない事を確認しての安堵の息だった』という事。となれば、アルティミスが誰を想っているかなんて、すぐに分かるはずだった。













(――全く、愚鈍にも程がある)

―――ルーウェンは、ここに来て初めて、自身に対して嫌悪を覚えた。

どうして、アルティミスの気持ちに気づく事が出来なかったのか。

アルティミスの行動が、ほぼ全てにおいて自分へのアプローチだったのだと、どうして思わなかったのか。

(我とて、アルティミスの事を―――)

その少女は、今、生命維持層の中でたゆたうように眠っている。だけど、それはあくまでも『今』だ。明日、もしかしたら1時間後、あるいは1分後に、状況が変化してしまうかもしれない。

大切なものはすぐになくなってしまう―――昔、イシュタルに言われた言葉であり、ルーウェンがイシュタルを失う事により、実際に体験した言葉だ。

(繰り返させるわけには、いかない―――我のまわりの、我の大切なものを失うという事を、二度も起こしてはならない!まだ、我にはチャンスがあるのだから……)

手遅れにならぬうちに、せめて、この気持ちだけでも打ち明けなければと、そう思った。

そう思うと、自然と、心の中に、何をすべきかが掲示されたような、そんな気持ちが浮かんだ。

刹那、ルーウェンの心の中に、確固たる答えと決意が明確になった。













(伝えよう―――我はアルティミスの事が、大好きなんだと)











「―――そうだな。どうして今まで伝えなかったのか、不思議でしょうがない」

「え?」

ファンメイが小さく口を開けて、驚きの表情になる。

「ありがとう、ファンメイ。ようやく、答えが出た」

「え、えっと、じゃあ……」

「我はアルティミスの気持ちを裏切らない。そもそも我とて―――こ、こういえば分かるだろう」

普段言わないような台詞を口にした成果、途中で台詞をとちってしまう。だが、それと同時に、心のどこかでひっかかっていた何かが取れたような、そんな感覚があった。

―――ファンメイの顔に、ぱぁっと花が咲いた。

















【 + + + + + + + + + + 】















徹夜明けのヘイズは、足元をふらつかせて、よろよろと歩きながらも、なんとか椅子に座り込んだ。

ため息とともに、胸の中にたまった陰鬱な気持ちを吐き出す。だが、そうやっても、ヘイズの胸の中にある陰鬱な気持ちは、少しも晴れなかった。もとより、ヘイズとて、そのくらいで晴れるような気持ちではないと分かっている。

(ため息、増えたよなぁ、オレ)

このような大変な時なのに、そう考えてしまう。一種の現実逃避系の行動かもしれない。

それと同時に、ヘイズは、無意識のうちに、右手を動かしていた。

「……ん?」

無意識のうちに何の気なしに、ジャケットのポケットをまさぐると――指先に、何かにふれたような感覚。

「なんだこりゃ?オレ、こんなもんポケットに入れてたか?まぁいいか、取り出してみりゃわかんだろ」

何かと思い、そのまま掴んでみた。ポケットに入っていた『それ』は非常に小さいなにかのようだ。

「おい、まて……こいつは……」

ヘイズの指先にのっていたのは、小さくて丸い、白い錠剤だった。

「――――ッ!」

―――まさか、と思った。

見間違えるはずも無い。それは、あの『島』で、死を目前としたルーティがファンメイへと投げてよこした錠剤だった。

ルーティが7年かけて作り上げた、暴走を抑える為の薬。あの時は『まだ完璧とはいえないけど、少なくとも症状の進行は止められる』と言っていた。

まだ、間に合う可能性がある――ヘイズはそう確信する。

確かに、その薬では、カイという少年を止める事は適わなかった。そして、ファンメイの『暴走』を、完全に止める事も出来なかった。一時的に止める事はできたのだが、そこまでで止まってしまったのだ。

だが、それはあくまでも『ファンメイ達がシティ・北京の技術で作られた『龍使い』だったからだ。

そしてアルティミスはシティ・マサチューセッツの技術を用いて作られた『龍使い』だ。シティ・北京製の『龍使い』にはない『情報防御及び物理防御を一定ラインに保つ事を最優先にする』というプログラムが書き込まれている。

重要なのはそこではなく、つまりが――――『情報防御及び物理防御を一定ラインに保つ事を最優先にする』と書き込む事による『龍使い』としての構成情報の変化。

風邪とインフルエンザが、症状こそ比較的似ていても、全く違う薬を処方しなくてはならないのと同じ理屈。

同じ『龍使い』であっても、その『龍使いという構成を成す情報』が全く同じだとは限らない。現に先ほど、ファンメイ用の治療プログラムがアルティミスに適用されない事と、リチャードの発言から既に判明している。

とどのつまり、この薬では、ファンメイの『暴走』を完全に止める事は出来なかったが、アルティミスの『暴走』なら止められるかもしれないという『可能性』の発覚。

正直、一部とはいえ違うプログラムを組まれているのに全く同じ機能を持っているという事自体が非常に疑問なのだが、それはこの際気にしないでおく。魔法士の開発において、あるいはもっと大きく『情報制御理論』の研究においては、確定した答えなど存在しない。決まった手順どおりの事をやったとしても、その途中段階で予測だにしない事がおきるなんてザラだからだ。

何はともあれ、絶望しか見えていないこの状況下を打破できる可能性を秘めた。

(―――)

ヘイズは立ち上がり、何かに突き動かされるように駆け出した。

その胸の中に、僅かな期待を抱きながら。





















【 + + + + + + + + + + 】




















ルーウェンに、アルティミスがルーウェンの事をどう思っているかを問いただし、ルーウェンが『アルティミスの気持ちに答えられる』という答えをファンメイが聞いた直後、仮眠を取りにいったはずのヘイズが戻ってきた。

しかも、その掌には白い錠剤を握っていた。そして、ファンメイは、その錠剤に見覚えがあった。

「―――『黒の水』の暴走を抑える薬、だと!?」

ヘイズの掌に載せられた、小さな白い錠剤を見て、そんなものがあるなんて初耳だ、と付け加えたルーウェンの顔が、僅かな驚愕に染まる。

「ヘイズ、それって……」

「ああ、あの『島』で、ルーティが7年かけて作り上げた『黒の水』の暴走を抑える薬だ。正直、もう一粒も残ってねぇとおもったが、一粒だけ、オレのジャケットのポケットに入ってやがった。そんで思い出したんだが、確か、後で成分を調べてみてぇとか思って、一粒だけオレがポケットにしまっていたんだが―――まぁ、そいつをすっかり忘れていた、ってワケだ。
 ……で、オレが何を考えてるかは分かるんだろ?」

「うん、分かるよ。その薬で、アルティミスちゃんを助けられるかもしれないっていいたいんでしょ―――やって、みようよ」

凛とした表情で、ファンメイが告げる。

「だって、ルーティが7年もかけて作った錠剤なんでしょ。きっと……きっと成功するよ」

無論、現実はそう甘くは無いはずだ。無意識下の思考に体が自動反応するという『暴走の初期の段階』なら大丈夫だとルーティは言っていたはずだ。そして、今のアルティミスは『暴走の初期の段階』をとうに越した段階にある。様々な要因が重なり、症状が一気に悪化した状態だ。

だが、それでも、人は可能性に賭けるべきだと、ファンメイは思う。そもそも、ファンメイ自身とてそういう身体なのだ。いつ壊れるか分からないぼろぼろの身体だが、それでも、一日一日をしっかりと生きて、検査を受けながら、いつか、この病を治せる日が来ると信じて、前に進んでいる。

前に進める可能性があるのならば、それを実行するのが最善の策。たとえ結果がどうなろうとも、逃げて、諦めて、何もしないで後悔するよりは、何かをしてから、やれるだけの事をすべてやりたい―――それが、今のファンメイの考えだった。

「……で、お前はどう思うんだ、ルーウェン?」

ここに来て、ヘイズがルーウェンに話題を振る。

「……それは」

ルーウェンの口から出た言葉には、迷いの意が混じっていた。

「お前がルーティを信じてねぇって言いてぇワケじゃねぇ。だが、その顔が不安だって言ってるぜ」

「…ルーウェン」

ファンメイから見たルーウェンの顔は、まさに『実行したい内容と、それに伴う懸念の狭間で迷う人』のそれだ。

迷うのも無理はないとファンメイは思う。否、ファンメイだけでなく、ヘイズもそう思っているはずだ。

如何にルーティの薬が『龍使い』用に作られたとしても、必ずしもアルティミスに効果があるかどうかは分からない。もしかしたら、シティ・マサチューセッツ製のアルティミスの『黒の水』との相性が致命的に悪くて、今より更に拙い状態になってしまう可能性も十分に考えられるのだ。

「――迷っている時間があるの!?決めたんでしょ!?アルティミスちゃんの気持ちに答えてあげるって!」

耐え切れず、ファンメイは叫ぶ。

ヘイズが『ん?そりゃ…』と口に出したが、ファンメイはそれに関しては答えなかった。

そのままルーウェンは、立ち尽くしたまま、歯を強くかみ締めて、鋭い目つきで、迷っている。

現実時間にして4秒後に、ルーウェンが口を開くまでの間の時間が、1分にも1時間にも感じられた。

「―――いや、その薬に賭けてみよう」

「ルーウェン!」

肯定の意を示すルーウェンの言葉に、ファンメイはほぼ反射的に声を上げた。

ファンメイから見たルーウェンの顔に、瞳には一切合財の迷いなどなく、

「このままでは状況に変化は訪れない。ならば、状況を変えるために、何であろうと実行するだけだ。それに、我とて、アルティミスに伝えたい事があ―――」

刹那、爆音に等しき大きな音がとどろき、ルーウェンの言葉が途中でさえぎられた。

















【 + + + + + + + + + + 】





















「何事だっ!」

突如として研究棟内部を照らす、警報の光による赤い明滅と、甲高く耳障りなサイレン音の中、ルーウェンが叫んだ。

そこに、オペレーターの一人が必死の形相で駆け込んでくる。

「あ、アルティミスさんがいきなり生命維持層を破り、部屋の外に逃亡したのです!」

その言葉に一同が驚く余裕すら与えないかのように、続けざまに、2人目のオペレーターが駆け込んでくる。

「アルティミスさんはこの先の一室に逃げ込み、その後は動いていません!ですが、状況は非常に拙い状態にあります!」

「どっちだ!」

「こちらです!」

ヘイズの怒声に、オペレーターは、アルティミスの居る位置を正確に示した。

その場所は、現在地から3部屋隣の空き部屋だった。床に点々としている小さな黒い水溜りのようなものが目印となっていたために、アルティミスの現在地がすぐに割り出せたのだ。

そして、その床に点々としている小さな黒い水溜りが何なのかは明確だ。アルティミスの身体を構成する『黒の水』が、崩壊を始めておりアルティミスの身体から剥離しているのだ。














【 + + + + + + + + + + 】















オペレーターの話では、それまで生命維持層の中でたゆたうように眠っていた筈のアルティミスが、突然目を覚まし、生命維持層のガラスを破って駆け出したという。

それが間違いなく『暴走』の最終段階だという事を説明する必要は、もはやない。

アルティミスが駆け込んだと同時に、ヘイズは『他の研究員を安全な位置まで避難させろ!』と一喝。リチャードが『そちらの指揮は私が取ろう』と続いたので、少なくともこれで、研究員に対する心配はなくなった。

ならば後は、ファンメイ達3人ががんばるのみ。














アルティミスが駆け込んだ空き部屋に突入し、そこで確認したアルティミスの姿は、先ほどよりも遥かに酷くなっていた。

顔の部分を司る以外の肌という肌が全て黒に染まり、髪の毛はその9割がたが黒に染まり、元の白い髪の毛の部分は1割にも満たない。

空き部屋の中にあったらしいぼろきれを一枚身体にまとって、ただ、アルティミスは立ち尽くしている。生命維持層に入っていた時は当然ながら一糸纏わぬ姿のはずなので、ぼろきれを身に纏っているのは普通に考えれば不自然だ。おそらくだが、自分が一糸まとっていない事を認識できるだけの意識は残っていたのかもしれない。

生命維持層に入れられる前と同様に、右腕にあたる部分は無く、のっぺりとした黒い断面だけがのぞいている。左腕を司る部分も、まるでそこいらの棒切れのようにやせ細っており、時折、小さな石ころのような形状をした黒い塊が、左腕から剥離して地面に落ちて乾いた音を立てる。

まるでナイフのようになった5本の指は、普通のナイフからサバイバルナイフのような形状へと変化を遂げている―――もはや、アルティミスの身体は、その殆どが『黒の水』に侵食されていた。

アルティミスのうつろな瞳は焦点があっておらず、どこか遠くを見ている。ファンメイ達の姿が見えていないのか、それとも、見えてはいるが意識が朦朧としていて反応が出来ないのか、アルティミスは、部屋の奥に立ち尽くしたまま動かない。

ルーウェンが小さな声で「アルティミス…何故こんな事に……」と呟いた。

ヘイズはいつもの調子の声で「くそったれ…」と呟いた。

そしてファンメイは「アルティミスちゃん、そんな姿になっちゃったけど、もうちょっとだけ待っててね。今、助けてあげるから」と口にした。

そんな三者三様の声を聞いても、アルティミスは微動だにしない。3人の声が聞こえていないのか、それとも、意識が朦朧としていて反応が出来ないのか。

「……一発で全部終わらせる。だから、最初で最後の作戦会議だ」

かなり落ち着いた声で、ヘイズが告げる。

「――つっても、もうやる事なんて決まってる。この錠剤をアルティミスに飲ませる事―――それ以外に道はねぇ。水に溶かして無理やり血管に打ち込もうとしても、この状況下では当然ながらそんな事は無理だ。だから、直接飲ませる以外に方法はねぇ。後は、なんとかしてアルティミスの意識を取り戻させる事も必要だ。自力で薬を飲めるくらいの意識がねぇと駄目だ。
 そして、オレはこの状況じゃ迂闊に動けねぇ。万が一、アルティミスの意識とは無関係に『黒の水』が動いて、周囲に対して攻撃するような事があったら、オレはそれを『破砕の領域』で止めなくちゃならねぇ。ましてや、こんな状況下で、応援とばかりにエドを呼ぶなんて論外中の論外だ」

―――この作戦が失敗した時の事については、ヘイズは触れなかった。それはつまり『これでダメだったらその時に考える』という事の表れだ。故に今は、この作戦に全てを賭けろと、そういうことである。

間を挟まずに、ヘイズの言葉に続くように、ルーウェンが口を開いた。

「…すまない。我の能力ではアルティミスを止める事はできない…我の能力は『龍使い』には全く持って効果が無い能力なのだ……心苦しいが、アルティミスにその錠剤を飲ませる役は、我ではできない……役に立てず、申し訳ない……」

「えっと……それって……」

いつもどおりの口調のヘイズ。本当に申し訳なさそうな表情と声のルーウェン。この両名が何を言いたいのか、ファンメイにはすぐに理解できた。

「…つまり、今、アルティミスちゃんにこの薬を飲ませる事が出来るのは、わたしだけしかいないって事でしょ」

ファンメイはこくんと頷き、口を開き―――必然的に、今、ファンメイがなすべき事を告げた。

そう、ファンメイならば、仮に傷を負っても一瞬で修復が出来る。以前ほどの修復能力は無いにしろ、それでも、脳さえ貫かれなければファンメイは大丈夫だ。

「……わかった。やってみる。だって、わたしはアルティミスちゃんの『お友達』だから!」

ファンメイは、先ほどよりも強く頷いた。

「……そして我は、アルティミスに『自力で薬を飲めるくらいの意識』を取り戻させる役目を担おう。正直、今のこの状況では、我にできる事はこれしかないからな……」

「?」

ルーウェンの言葉に、ヘイズの頭の上にハテナマークが浮かんだ。

ファンメイはその件に関しては何も言わず、ただ、黙っていた。















決まってしまえば、即座に行動に移すだけだった。

白い錠剤を握ったファンメイがアルティミスへと駆け出す。アルティミスとの距離はおおよそ4メートルほどもないので『身体能力制御』を発動させる必要など無かったと踏んだ為だ。

それと同時に、ルーウェンが叫んだ。

「―――アルティミスッ!」

ルーウェンの声に、アルティミスの身体がほんの僅かに揺れる。だが、ルーウェンの居る方へと振り向いたりはせず、ただ、立ち尽くす。

「くっ……聞こえないのかっ!?……聞こえたら返事をしてくれっ!!言いたい事があるんだ!とても、とても大事な事があるんだ!」

再び、ルーウェンが叫んだ。

それでようやく、ルーウェンの声に、びくっ、と、アルティミスが反応を示す。それと同時に、残った左腕が肩のあたりから砕け、黒いコールタール状の液体になり、床に水溜りを作った。

ルーウェンは一瞬目を逸らそうとして、逸らさなかった。ただ、目の前の現実を、その瞳に焼き付けていた。

「ルーウェン…さん?」

うつろで、それでいて焦点のあってない瞳が、確かにルーウェンのほうを向いた。左腕が壊れたというのに、痛みの報告すらないのは、アルティミスが『龍使い』である事の証。

そして、姿は変われど、意識は朦朧となれど、アルティミスが目を覚ました時から近くに居てくれた青年の声を聞き取れるくらいの自我はまだ残っていた。

「……一度しか聞かないから、本当の答えを一回で告げてくれ!アルティミスが好きなのは……誰なんだ?」

ルーウェンのその質問に、アルティミスの動きがぴたっと止まる。もちろん、ルーウェンとて、アルティミスが誰を好きなのかなんて、ファンメイを通して理解している。

だが、それでもルーウェンはその質問をした。アルティミスの気持ちを確かめるために、だ。

「え、えっと、そ、それってどういう……って、そ、そうじゃなくて……あ、アルティミスは―――」














「――――る、ルーウェンさんの事が、好き。初めて会った時から、だ、だいすき……」













顔を耳まで真っ赤にして、アルティミスはそう告げた。このような状況下でも、恥ずかしいといった感情までは、まだ残っているようだった。

「―――ならば、我も答えよう」

そう告げたルーウェンの声は酷く落ち着いていた。それは、この後にルーウェンが言うべき言葉が、一字一句全て決まっていたからだ。















「―――アルティミスの気持ちに気づく事が出来なくて本当にすまなかった……我も、アルティミスの事が大好きだ…だから――――これからも、ずっと傍にいて、ずっと守りたい」














「―――っ」

アルティミスの瞳から涙がこぼれたのを、ファンメイはその瞳で確かに確認した。

(ようやく伝えられたね、アルティミスちゃん……さぁっ、後はこっちだよっ)

その間に、ファンメイは既にアルティミスの前まで駆けつけている。

「ふぁ、ファンメイさん……」

小さく鼻をすすりながら、アルティミスは涙声でファンメイの名前を呼んだ。先のルーウェンの言葉で意識が現実に戻ったのか、ファンメイが目の前に居る事をアルティミスは認識できるようになったようだ。

「アルティミスちゃん!今、助けてあげるからっ!」

凛とした表情で、ファンメイがアルティミスを諭す。
 
「……で、でも」

「でも、は無し!アルティミスちゃんを治せるかもしれない薬がここにあるから、これを飲んでみて!」

「……こ、これで、治るの?い……今まで、ルーウェンさんも、だれも、な、なおせなかった……のに」

「だーかーらー!わたしを…ううん、わたし達を信じるの!信頼っていうのはね、相手を信じる事からじゃないと始まらないのっ!アルティミスちゃんは、わたし達を信じていないの?」

ファンメイの言葉に、はっ、と、アルティミスははじかれたように顔をあげる。それと同時に、アルティミスの両足の一部が、小さな瓦礫のように崩れ、左腕と同じように、床に黒い水溜りを作る。

「そ、そんなこと……ない」

「そうでしょ!わたし達『友達』でしょっ!こんなところで負けちゃダメだよ!何があっても、これからも一緒に生きるんだから!」

「……とも……だち……」

「ルーウェンもヘイズもリチャード先生もわたしも待ってるの!アルティミスちゃんが治るのを待ってるの!この前も言ったでしょ!アルティミスちゃんは、いろんな人に必要とされてるって!
 ルーウェンにもアルティミスちゃんの想いを伝えられたんでしょ!これからスタートでしょ!だから、ここだけでいいからがんばろう!」

「……う、うんっ。お、おねがい……します……」

ファンメイの説得に心を動かされ、自分ももう少しだけがんばってみようと思ったようで、アルティミスは目を瞑り口を開く。だが、まともに口を開く力も残っていないのか、1センチほど開いたあたりで、それ以上開かなくなる。

「それっ」

ファンメイは指先に錠剤を持ち替え、心の中では『お願い!』と、今まで祈った事が無いほどの強い気持ちで祈りながら、アルティミスの口の中に、白い錠剤を突き入れる。

アルティミスはファンメイの目の前で、こくり、と、白い錠剤を飲み干した。

その次の瞬間には、先ほどから崩壊を始めていたアルティミスの両足が、膝の辺りから突然砕け、アルティミスは糸が切れたように前にゆっくりと倒れる。砕けた二の足は、やはり黒いコールタール状になって水溜りを作った。

すかさずファンメイはアルティミスの身体を両腕でキャッチし、『黒の水』のせいでファンメイより背が高くなってしまったその身体をしっかりと抱きしめた。

胸の中に感じる少女の身体は、思っていたよりもずっと軽かった。

この小さな身体でずっとがんばっていたのかと思うと、ファンメイの瞳の端から、涙が流れた。












代えの生命維持層にアルティミスの身体を入れ、その場に居合わせた一同が、緊張した空気で見守る中、結果が告げられた。

「――――『暴走』反応、完全に消え去りました。もう、大丈夫です」

計器を見ていたオペレーターの声と共に、この場に居合わせた者達全てが、終わりの訪れを理解した。

―――部屋の中に、歓声が沸きあがった。


















絶望しかなかった筈の状況は、希望へと変わった。

これは、この幸せな結末へと導きたかったという人々の意思の力が働いたのか。

それとも、ルーティという少女の作った薬が、偶然とはいえ、アルティミスに対して非常に相性がよかったせいなのか。

あるいは、その全てが一つに合わさったが故の―――『奇跡』だったのか。












【 続 く 】



















―――コメント―――















―――かくして、悪夢が終わりました。





次のお話で、最終話となります。

ファンメイ関連のお話を書きたいと思い始めたこの物語にも、幕が下ろされます。



本編ですと、ファンメイ関連の話は全体的にダークエンド(?)っぽいのが多いのですが、この物語は…。

っと、それは次回で言うべき台詞でしたね。



ルーウェンの恋愛感情云々を表すのが、結構難しかったです。

過去の描写にはいくつかそれっぽい場面を見せていたので、ある程度(?)ルーウェンもアルティミスの事を気にしているって事は、

読者の皆さんにも分かったんじゃないかなとは思うのですが。

いや、実際告白したら凄いストレートに言いましたけど。

ううむ、やはり告白はストレートでなければならないと思うわけなのです。

…王道?褒め言葉として受け取っておきます(苦笑)




ラストの流れでは特に何も起きなかったけど、正直、これくらいでいいかなって思いましてこうしました。

シティ・ロンドンの研究棟のあっちこっちが壊されたりとか、ファンメイめがけて、制御を失ったアルティミスの『黒の水』が襲い掛かるとか、そういう展開も考えたのですが、最終的にはこういう形にしました。

それだと緊迫感が無いと捉えられる方もいらっしゃるかもしれませんが、たまには何事も無く終わる物語があってもいいと思います。







そして、次回が最終話、つまりエピローグとなります。最後までお楽しみくださいませ。