少女達は明日へと歩む
〜Conclusion at one o'clock 〜


















ルーウェンがヅァギと再会したのとほぼ同時刻に、シティ・マサチューセッツの軍服を着た騎士8人を相手に、ヘイズはたった一人で戦闘を繰り広げていた。

運がいいのか悪いのか、ルーウェンと別れたそのすぐ後に、偶然にもヘイズはシティ・マサチューセッツの魔法士ら8人とばったりと出くわした。当然ながら何も言う余裕すらなく一触即発で戦闘が始まり、雪で白く塗り替えられた地面には、数え切れないほどの足跡が刻まれている。

戦闘開始から現実時間にしてはや4分。その4分の間に、ヘイズは数え切れないほどの攻撃を回避し、かすり傷一つ負わない事に成功している。

「よっ、と!」

舌打ちと共にヘイズは体を逸らす。刹那、一瞬前までヘイズが立っていた場所を、空を切る音と共に、一筋の閃きが横切った。

一瞬だけよろめき、そして次の一瞬には体勢を立て直す。そこを狙い打つように別の魔法士が第2、第3の追撃をかけるために斬りかかってくるが、それより早くヘイズは体勢を建て直し、その体を器用に動かして第2、第3の追撃をいともたやすく回避する。

ヘイズのI−ブレインは非常に特殊な作りをしており、超高速演算によって短期的な未来を予測出来る。「できそこないの魔法士」の筈のヘイズが「できそこないではない」魔法士と互角以上に戦える最大の理由はここにある。但し、仮に予測が完璧であっても、速度や体勢などのさまざまな要因で、理論的にどうあがこうが回避不可能な攻撃に関しては不可抗力という弱点がある。

しかしながら、今のこの状態であれば、そんな事を気にする必要性はなさそうだ。

この騎士達のスペックは『身体能力制御』を用いても、最大速度はよくて3倍くらいと判断。ヘイズの未来予測を使えば、余程の事が無い限り回避可能なレベル。無論、敵が二人になると負担も2倍になるが、はっきりいって元の負担が低すぎるので、2倍でも3倍でもあんまり変わらないのが正直なところである。

『自己領域』を使用できるという可能性も一瞬だけ考えたが、ルーウェンからの情報が正しければ、この騎士達は『自己領域』を持っていない可能性が高い。そも『自己領域』は基本的に特Aランクの魔法士しか使えない能力であり、もし『自己領域』が使えるならば、その魔法士はシティの軍の中ではかなりいい地位を得ることが出来る筈。つまり、こんな事に左遷される可能性は低いはず。

さらに、ルーウェンからの情報では、シティ・マサチューセッツからヅァギへの信頼は非常に低いらしい。そんな奴に大して、態々『自己領域』が使えるような高性能の魔法士をハイそうですかと貸し出すほど、シティ・マサチューセッツが馬鹿な訳は万に一つもありえない。

加えて、戦いの中で分かったのだが、この騎士達には、どうやら本気でヘイズと戦う心算はなさそうだ。

これまで数多くの戦場を生き抜いてきたヘイズだから分かる事だが、普通、誰かを殺そうとする人間というものは、その殺す目的がなんであれ、その瞳に強い意志をもつ。だが、この騎士達にはそれがない。わざと覇気をなくしてヘイズの油断を誘っているのかもしれないが、気を抜けば一瞬で命が消える魔法士同士の戦いにおいて、態々そんな面倒な事をする可能性は、普通ならば考えがたい。

ヅァギに弱みを握られて無理やりつれてこられたのか、もっと別に理由があるのか。

いずれにせよ、この騎士達を殺さずに返すことは、今のヘイズなら十分に可能なレベルだ。

そもそもシティ・マサチューセッツの軍としては、実はアルティミスの生存はそれほど重要ではない。確かにアルティミスが『WBFへの戦力』になるなら、なんとかして手元においておきたいだろうが、ルーウェンから聞いてのとおり、アルティミスはその性格と、体内に抱えたバグのせいで、戦力としては通知外あるいは危険とみなされている。万が一、WBFへの牽制中に、アルティミスが『暴走』してしまって、自分達(すなわちシティ・マサチューセッツの軍)が被害を被っては本末転倒である。

さらに、下手をすれば、どこからかWBFに「WBFへの牽制要員として『龍使い』を作った」という事が漏れる危険性も考えられるだろう。

つまり、アルティミスがシティ・マサチューセッツからいなくなったらなったところで、シティ・マサチューセッツとしては、不承不承ではあるだろうが、それでいいのだ。
アルティミスがいないなら、WBFがいくらマサチューセッツ軍に「我々への牽制要員として『龍使い』を作ったのは本当か」と問うても、シティ・マサチューセッツの軍にはその証拠がない事になる。とどのつまり、WBFがいくらシティ・マサチューセッツの軍を問い詰めようが、シティ・マサチューセッツの軍としては、当のアルティミスがいなければ、いくらでもごまかせるというわけだ。

―――全くもって汚い話だが、それが政治というもの。ヘイズは今までの人生で、それを嫌というほど分かっているし、だからこそ、軍は汚いものだと認識している。

(……ま、命を奪う戦いよりはずっとマシか)

改めて、対峙する騎士8人の顔を見回す。

先ほどと変わらず、騎士は8人とも、どこか怯えの色がうつる顔色のままだ。

(できればその騎士剣を破壊して一気に戦力を奪っちまいたいんだが……どうにもうまくいかねーんだよな、これが)

最早戦闘のプロであるヘイズが、この戦闘に現実時間にして4分もの時間をかけてしまっている理由はそこにある。8人いる騎士達は、8人がいっせいにかかってくるような事は決してせず、一度にかかってくるのは2、3人、それも入れ替わりながら、だ。いっそ8人が同時にかかってくれば、一気に騎士剣を破壊できて、一気に決着をつけられるのだが、偶然なのか間が悪いのか、相手がそうさせてくれないのである。

ヘイズとしては『破砕の領域』により、空気分子の動きを正確に予測し、そこに音を鳴らすことで論理回路を形成し、騎士達の騎士剣を破壊して戦力を奪いたい―――のだが、相手の連携がなかなかその隙を与えさせてくれない。

加えて、一度『破砕の領域』を見せ付けてしまうと、それが引き金となり、相手の騎士達が躍起になってヘイズに対して勝負を挑んでくる可能性もある。

(……ったく、逆にやりづれぇぜ……)

脳内で悪態をつきながらも、ヘイズは目の前の騎士達から視線を逸らさない。

……この時点で、ヘイズには予測がついていた。

この騎士達は、ヅァギが目的を達成するまで、ヘイズの足止めをするつもりだということに。

もしこの騎士達の目的が『道を塞ぐ者の排除』であれば、戦闘開始直後に全力でかかってくるはずだ。頭数だけで考えても8対1で、数の理論で考えれば騎士達の圧倒的有利は揺るがない筈であるにもかかわらず勝負を挑んでこない。

先ほどから、2、3人が入れ替わりながら戦っているのはそういう理由。この騎士達の目的は、戦いを長引かせる事。そして、ヅァギがその目的を終えたと同時に、一目散に逃走を図る心算なのだろう。

ヘイズとしても殺さなくて済むのはいいことだが、このままでは拙いという事も分かっている。

ルーウェンの戦闘場面を見たことは無いが、あの口調から察するに、ルーウェンは己の戦闘能力に余程自信があるのだろう。でなければ、あのような発言はしないはずだ。

この戦い、言い換えれば、頭領であるヅァギさえ倒れれば、この騎士達もまた、戦う理由が無くなり、そのまま帰るしかなくなる。シティ・マサチューセッツの軍の方にはどう言い訳するのかまでは知らないが、ヘイズとしても、そうなってくれた方がありがたい。

(……んだが、いったい何なんだよ。このおちつかねぇ感覚はよ……)

だが、今、ヘイズの胸の内には不安がよぎっている。何故かは分からないが、このまま、ここで足止めをくらっていては拙いと、ヘイズの人間としての第六感がそう告げている。

(一気に勝負をつけてーのはやまやまなんだけどよ……くそったれ、どうすりゃいい)

ヘイズの心の中に、かすかだが焦りが生じる。冷や汗が一滴、頬を伝った。

『虚無の領域』を使おうにも、敵の全戦力が分からず、まだ新手が居る可能性がある以上、うかつに『切り札』を開放するわけにはいかない。目の前に居る騎士8人は、今のところはヘイズに対してこれといった殺気を感じさせていないが、仮に増援として現れたりする可能性のある9人目以降にも、それが適用されるとは限らない。

そうこう考えている間にも、ヘイズが最後に騎士達の攻撃をよけてから、現実時間にして40秒が経過。8人の騎士達は誰一人動かず、ヘイズを警戒している。ぴりぴりとした空気が漂うのを否応無しに認識する。

なんらかの形で状況が動けば、一気に敗れるであろう沈黙。


















―――その沈黙は、誰もが予想しなかった形で破られた―――


















「―――ひっ!!な、なんだあれは、なんだあれはぁぁぁぁぁっ!!!」

ヘイズと対峙する8人の騎士の内、一番最初に叫んだのは、最も右に居た男だった。先ほどまでの男の普通の顔色は、一瞬の間を置いて、顔面蒼白になっていた。

「どうした!何か居たのか!?」

「……隊長!あれは!」

「ま、待ちやがれ!シティ・ロンドンには、あんな化け物まで居るのかぁぁぁっ!」

最も右に居た男の叫びにより、シティ・マサチューセッツの軍服を着た騎士8人の間に、見て分かるほどの動揺が走った。

(――こいつら、いったい!?)

唐突に起こった事態に、流石にヘイズもいぶかしんだ。

最初は、演技でヘイズの意識を逸らし、その隙に何らかの行動に出るためだろうとよんで、ヘイズはあえて冷静に状況を観察していたのだが―――どうにも、それがおかしいことに気づいた。なぜなら、演技にしては、あまりにも真に迫っているからだ。

シティ・マサチューセッツの軍服を着た騎士8人は、全員が震えていた。中には、恐怖に歯をがちがちと言わせている者までいる。

(どうやら、演技じゃねーみてぇだな)

流石にここまで凝った演技はないだろう、と判断したヘイズは、シティ・マサチューセッツの軍服を着た騎士達が見ている方向へと振り返る。













―――そこには、誰もが予測しなかったものがいた―――














「―――って、なんでこんなとこにこんなのが現れる!」

反射的に、ヘイズは叫んでいた。

聳え立つ岩陰から、先ほどまでこの戦場に居なかったはずの存在がいたからだ。

いうなれば、それは、異型。ヒトの形を半分ほど放棄したモノ。

だが、その外見には、ヘイズは十分なまでに心当たりがあった。

頭につけている、薔薇を象った飾りのついたヘアバンド。それが、ヘイズの脳裏に、とある一人の少女を連想させた。

しかし、それ以外は、一人の少女の名残が殆ど無い。強いていうなれば、白系のウェーブ髪と、真紅色の瞳のみしか名残が無い。

着ている服は、少女がいつも着ていた服とは違うもので、確かあれは、リチャード先生が研究所の知り合いの女性から、アルティミスへのプレゼントとしてもらったもののはずだ。それが今、あちこちがぼろぼろに敗れてしまっている。間違いなく『暴走』のせいだと、ヘイズは一瞬で理解する。

瞬時に、上半身は、かろうじて顔があるということは分かった。その上……黒くて長い、ムチのような何かが、白いウェーブのかかった髪の毛らしきものと交じり合っている。左右に一本ずつあるのは、おそらく右腕と左腕だろう。だがそれは、あちらこちらから大小様々のとがった何かが生えている。加えて、両の手らしきものの五本ずつの指は、合わせて10本ほど、全て、鋭いナイフのように変形している。

下半身は、二本の真っ黒な棒のようなものが、かろうじて足を構成している部分にあたると判断できた。加えて、それが異常に長くなっているため、いつもの彼女より、30センチは背が高いように見えた。

口の端からは、吐血したかのように、黒い液体がほんの少しずつ流れ出している。

真紅色の瞳はどこか遠くを見ているようにぼんやりとしている上、いつものような光が無い。

ここまで理解するのに、ヘイズのI−ブレインは現実時間にして約1秒を必要とした。

だが、動揺しているのはシティ・マサチューセッツの軍服を着た騎士達やヘイズだけではなく、『彼女』もまた、目の前で起こった事に対して動揺しているらしく、ゆっくりと首を振りながらあちこちを見回しているだけで、その場から動こうとしなかった。

「……くそったれ!!この展開、今までで一番最悪じゃねぇか!」

感情のままに、ヘイズが叫んだ。

「ど、どうします、隊長!あのようなものが出てくるなんて、自分は聞いていません!」

シティ・マサチューセッツの軍服を着た騎士達の内、一番左にいた男が、震えながら、真ん中の方にいる「隊長」に指示を請う。

そして「隊長」は、賢かった。

「……何を迷うか!撤退だ!」

「いいのですか!?ヅァギになんて言われるか……」

「何を言うか!あんなのが出てきたのでは作戦も何もないだろう!それに、元々、お前はヅァギに脅されたからついてきただけに過ぎないだろう!ヅァギのような汚物の為に俺達まで犠牲になる必要がどこにある!俺とて、この作戦には反対だったのだ!」

「じゃ、じゃあ、隊長は、どうしてこの作戦についてきたんですか!?」

「そいつは企業秘密だ!黙秘権だ!もし追求したらお前は解雇だ!分かってるな!」

「はっ、はい!」

「他の者も分かってるな!」

「心得ております」

「―――ならば告げる……撤退だ!上の方には俺からうまいこと話をつけておくから安心しろ!」

言うが否や、騎士達は『身体能力制御』を用いて、その場から8人同時に離脱を開始した。

どうやら、シティ・マサチューセッツの軍服を着た騎士達は、我先にと逃走を決め込んだようだ。終身雇用制と違って、ヅァギには信頼の欠片もなかったらしい。やばくなったらボイコットというやつである。

『身体能力制御』の速度がいまいち遅かったのも、そのせいだったのかもしれない。元より、彼らには、最初から戦う気などなかったのだ。

(はーん、そういうことか……なんだかなって感じはするが、ま、帰ってくれるなら結果オーライだな)

ヘイズが何をするまでもなく、シティ・マサチューセッツの軍服を着た騎士達は、とっととお帰りしてしまったようだ。

ヘイズが最初に危惧した「9人目以降の増援」も、この調子なら出てくる事は先ず無いだろう。

なんともまぁ拍子抜けするような展開だが、終わりよければ全てよし……だと思う事にした。

「……で、後はこっちだよな」

目の前の一難は去ったが、まだ、もう一難残っている。それも、先ほどまでの戦闘(と呼べるかどうかはかなり疑問ではあるが)などとは比べ物にならない一難が、だ。

ヘイズは改めて、すっかり変わり果ててしまった少女―――アルティミスのいる方へと振り返る。

ヘイズがその姿を見ても驚かなかったのは、過去に『島』で、ヒトの形を制御できず、暴走してしまった『龍使い』を見てしまったからだ。アルティミスが『龍使い』であれば『暴走』によってヒトの形を制御できないのだろうという事実を、過去の経験から容認できたのだ。

「……おい、オレが誰だかわかるか」

予測しがたい突然の事態に備えて指パッチンの準備をしつつ、静かな口調で、ヘイズはアルティミスに問うた。

3秒ほどの沈黙の後に、『暴走』によって異形となったアルティミスの口から、言葉が漏れた。

「…あ、あれ?その声、もしかして、ヘイズ、さん?え?え?う、う、そ……」

姿は変われど、少女の声は数時間前に聞いた時と全く同じだった。その事に対し、ヘイズは僅かながら安堵の息を吐…こうとして、吐けなかった。

そして思い出す。以前、ファンメイも『黒の水』の暴走の時、視神経の異常があって目が見えなくなったといった事を言っていた。

今の言葉から察するに、アルティミスは明らかに動揺している―――おそらく今のアルティミスに起こっている事は、一時的な視神経の異常による、一時的な失明。

冷や汗が頬を伝う。思った事がそのまま口に出てしまった。

「アルティミス……お前、もしかして……目が、見えないのか?」

「―――ひぅっ!み、見ないで……見ないで―――っ!」

二人の言葉は、同時に発せられた。

元の姿とは似ても似つかぬ姿のアルティミスが、目の前に居るのがヘイズだと認識した刹那、真紅色の瞳からぽろぽろと涙をこぼしながらも、最初はすごくおどおどした小さな声で、最後は大きな声で思いっきり叫びながら、ヘイズに背中を見せて駆け出していった。

現実時間にして数秒にも満たないうちに、ヘイズとアルティミスの距離があいていく。

「あ、おい、待てって!!」

ヘイズも反射的に右足の踵で白い地面を蹴飛ばし、アルティミスを追いかける。

「くっそ!早すぎる!ファンメイみてーにサブの能力で『身体能力制御』でも使ってやがるのか!?」

思わず口からこぼれた言葉だが、それを発したヘイズ自身、心のどこかでその事実に納得もしていた。I−ブレインが測定した速度によると、今のアルティミスは通常の10倍程度の速度だが、それでも『身体能力制御』系の能力を持たない…というより、厳密には『魔法を使えない』魔法士であるヘイズには結構きつい。ヘイズの身体速度は、I−ブレインをもたないただの人間となんら変わらないからだ。

だが、だからといって『破砕の領域』でアルティミスの足を砕いて止めるわけにもいかない。

それならば、と、だんだんと遠くなるアルティミスの背中を見失わないように、ヘイズは全力で走り続けた。












【 + + + + + + + + + + 】












ルーウェンの命令を受けたI−ブレインから『シェアシュテラー』が発動され、ルーウェンの周囲に『特殊な時間の流れ』が発生する。

『自己領域』に近い原理で周囲の『情報の海』に接続し、情報の側から、万有引力定数・プランク定数を改変し、ルーウェンの周囲の時間の流れを遅くした結果、ルーウェンの周囲に存在するもの全ての速度が『ルーウェンにとって都合のいい時間や重力が支配する空間』に改変される。

この空間の中では、何人たりともルーウェンを捕らえる事など不可能。『自己領域』の速度すら上書きする絶対不動の1位の力。

ルーウェンの目的は、この『シェアシュテラー』の空間の中で、ヅァギを討つ事。

耳に聞こえるかすかな吹雪の音が、とてもゆっくりと聞こえる。宇宙空間をたゆたうような不思議な感覚がルーウェンの体全体を包んでいる。全ての世界が凍りついたような認識を持つこの『世界』の中で、グナーデン・パイルバンカーを構えたルーウェンは、一歩を踏み出した。

『シェアシュテラー』の空間の中に、ヅァギの存在を確かに捕らえる。I−ブレインも確かに、ヅァギの存在を認めている。

(ここで、全てを断ち切る――!)

2歩、3歩と歩を進め、一気に2メートルの距離を縮める。ヅァギとの距離はおおよそ5メートル。十分に『シェアシュテラー』の範囲内だ。

現実時間にして数秒後、この『ルーウェンにとって都合のいい時間や重力が支配する空間』で、グナーデン・パイルバンカーのヅァギの心臓を貫き、全てを一撃で終わらせる。

ヅァギの姿をその瞳にしっかりと納め、ルーウェンは一歩、また一歩と駆け、ヅァギとの距離を縮める。

黒い髪の毛がルーウェンの動きに合わせてしなやかに流れる。男性ながらもルーウェンは髪の手入れを怠らない。

現実時間にして2秒が経過。残り2メートル、4歩も歩けば届く距離まで迫ると、自然と、グナーデン・パイルバンカーを握る手に力が篭る。

(今ここで、決着を―――)

ルーウェンは、さらに一歩を踏み出し、ヅァギをグナーデン・パイルバンカーの先端の標的に捉え―――、
















『I−ブレイン、異常発生。『シェアシュテラー』標的ロスト』












唐突に、I−ブレインが警告を発した。

(―――馬鹿なっ!何故、こんな時にこんな警告が!)

予測だにせぬエラーに、ルーウェンの思考が一瞬だけ止まり、次の瞬間に再び動き出す。今の自分の顔に、ありえない、という表情が浮かんだのを、ルーウェンは自分で理解した。

今の今まで『シェアシュテラー』が捕らえていたはずのヅァギの『情報』が、まるで、そこだけに何も存在しないかのように、ぽっかりと白い穴を開けている。

すかさずルーウェンは『シェアシュテラー』に命令を送り、再度、『ルーウェンにとって都合のいい時間や重力が支配する空間』にヅァギを捕らえるようにと命令を下す。

『I−ブレイン起動『シェアシュテラー』再起動……対象『ヅァギ』……LOST』

だが、返ってきた命令は、やはり、『シェアシュテラー』の範囲内には『ヅァギ』という存在はいないという結果だった。

ありえない、と、ルーウェンは思った。

何故かヅァギに対し再アクセス出来ない事と、I−ブレインと周囲の情報は確かにそこにヅァギがいることを示しているのに、いくら探っても何も見つからない事が、ルーウェンには不思議でままならなかった。

理構造の破綻にI−ブレインがエラーを起こし『シェアシュテラー』の維持が出来なくなる。ルーウェンの目に確かに映っているはずのヅァギの存在を存在として認識してくれない。

相手が魔法士である以上、精神を自分の支配下に置くことを防ぐ術は無く、何人たりとも防げなかったはずの『シェアシュテラー』。

それが、たった今、生まれて初めて、破られた―――。

「ひっかかりましたねぇっ!!!」

「なっ!」

『シェアシュテラー』が発動している中、ルーウェンの目に映るヅァギの姿は、ルーウェンのすぐ目の前まで迫っていた。

完全に、ルーウェンの油断だった。

『シェアシュテラー』がヅァギの存在を認識できない事だけに意識を取られすぎていて、目の前にヅァギがいる事を失念していたのだ。

『シェアシュテラー』の範囲内にヅァギを捉えることができていれば、ヅァギがどんな行動を取ろうとも、ルーウェンは即座に対応が出来る。だが今は『シェアシュテラー』の対象にヅァギを選べない状態である。それは即ち、ヅァギに対して『シェアシュテラー』の効果が適用されていない事を示す。

そうなれば、ヅァギが『『シェアシュテラー』の影響を受けない通常の時間内』で動けるのは、至極当然の理屈―――。
















驚愕するルーウェンの前で、ヅァギはその背中の大剣を片手で引き抜く。

そのまま、上段から振りかぶるようにして一閃。ルーウェンはほぼ反射的にそれをバックステップで回避する。普通の人間には先ず出せないこの速度は、明らかにI−ブレインの助けを借りたものだと、ルーウェンは一瞬で理解する。

だが、ヅァギはそのまま2撃目を放つ。高速で放たれた2撃目は、明らかにルーウェンの足元を狙っていた。

(I−ブレイン、疲労60パーセント)

I−ブレインから疲労に対する警告。すかさずルーウェンは、I−ブレインにコマンドを叩き込む。

(『シェアシュテラー』強制終了)

I−ブレインに命令を送り、『シェアシュテラー』を強制的に停止する。耳に聞こえるかすかな吹雪の音がとてもゆっくりと聞こえる現象と、宇宙空間をたゆたうような不思議な感覚が、同時に消える。『シェアシュテラー』がなんらかの理由でヅァギの存在を認識できないと知った今、『シェアシュテラー』をいつまでも展開していても意味など無い。

すかさずI−ブレインの別の機能を使用し、ヅァギの現在の速度の定数をたたき出そうとする。ヅァギが騎士である以上、『身体能力制御』を使用するのは至極当たり前の戦法だ。

ルーウェンのI−ブレインが一瞬で答えをたたき出す―――その速度は通常の20倍。『身体能力制御』を使用できないルーウェンには十分脅威といえる速度。

―――そして、通常、足元を狙った攻撃を回避した場合、回避した側はどうしても『空中に浮く時間』が存在する。

すかさず2撃目を回避した時にルーウェンの体は一瞬だけ『空中に浮いた』。

そして、ヅァギがそれを狙っていた事も分かっていた。分かっていたが、ルーウェンにはそうするしか術がなかった。少しでも判断と反応が遅れていたら、間違いなく、ルーウェンは足を切断されていた。

ルーウェンが『空中に浮いた』事を確認したヅァギが、その大剣で3撃目を放つ。しかも、回避しにくいとされる『突き』でだ。

『身体能力制御』により通常より大幅に速度が上昇したその一撃を回避する術は、今のルーウェンにはなかった。

だが、そのまままともに喰らう事だけは避けたかった。

よってルーウェンは、グナーデン・パイルバンカーを盾に、ヅァギの一撃を受け止めた。

グナーデン・パイルバンカーにより、ヅァギの一撃はルーウェンの急所をそれた。だが、ヅァギの一撃を完全に殺しきる事は出来ず、結果、ヅァギの放った一撃が、ルーウェンのわき腹を斬り裂いた。

激痛に顔をしかめながらも、ルーウェンは右足で地面を蹴り飛ばし、少しでもいいからヅァギとの距離を離す。

1秒の間をおいてルーウェンは白い地面に着地し、両足でしっかりと白い地面を踏みしめて、ヅァギのほうへと向き直る。その時のヅァギは、口の端に笑みを浮かべていた。

「―――くっ…」

切り裂かれたルーウェンのわき腹から、ぽたぽたと、鮮血が滴り落ち、白い地面に赤い染みを作る。すかさずルーウェンは懐から白い一枚のタオルを取り出し、すばやく応急処置をし、止血する。

ヅァギとの距離は、おおよそ3メートル。騎士であるならば、一瞬で縮められる距離だ。

だが、ヅァギは、ルーウェンに追撃をかけようとはしなかった。

「……ふ、ふふ、やった、ついにやった」

ヅァギが大剣を構えたまま、全身を震わせる。

「にっくき貴方に一太刀浴びせる事が出来た……これほどうれしい時はない!
 ―――ああ、そうそう『時詠み』といいましたか。あなたの能力は一般の世間的には非常に知名度が低い。だがそれは、決して、あなたの能力が低かったからではなかった!その証拠に、ごく一部では『時詠み』は、圧倒的な脅威として語り継がれている!」

ヅァギは歓喜に全身を震わせたかと思うと、いきなり姿勢を但し、びしっ、と音がしそうなまでに指を立てる。

「……貴様、まさか『知っていた』…ぐっ……」

ルーウェンが声を出そうとすると、わき腹に痛みが走る。なんとか致命傷は回避したものの、それでも、傷は決して浅くは無い。だが、ルーウェンにとっては、肉体的な傷の方よりも、たった今、ヅァギが告げた言葉によって受けた衝撃の方が大きかった。

「その通り!ワタクシは貴方の正体を知っていた!だから対策を練ることが出来た!ものすごく当たり前の理屈ですぞ!」

勝ち誇ったような顔で、ヅァギは歓喜の声を張り上げる。

「つまりが……この短時間で、対抗デバイスを作り上げてきたというのか!」

「そうそう、そゆこと。あんまりワタクシをあまりなめてもらっては困りますぞ」

(――――く、最悪の展開か!)

ルーウェン自身、予測が足りなかったところは大量にある事を、今、認識している。だが、最も予測できていなかったのは、ヅァギが『時詠み』の能力に対しての対策を練ってくるというところだった。

確かに『シェアシュテラー』は強い―――だが、だからこその弱点もある。

ルーウェンの周囲を速度の書き換えを行う能力となれば、I−ブレインに相当の負荷がかかることは容易に想像できる。故にルーウェンのI−ブレインには『ツェアシュテラー』以外の能力を組み込むことは不可能だった。

即ち、ルーウェンは『天使』のカテゴリを持つ魔法士と同様に、己の能力に対し対抗策を練られると、一気に戦力ダウンしてしまうという弱点を抱えていたのだ。

もとよりルーウェンは、他の魔法士をサポートする事を前提として戦闘を行うのであり、基本的に単独戦闘を行うような魔法士ではない。よって、『騎士』であるヅァギとの相性は、単独戦闘に限っては最悪としか言いようが無い。

……だが、分からない。その、極一部からしか知らないはずの『時詠み』を、どうしてヅァギが知っているその理由が、だ。そもそも、ヅァギはシティ・マサチューセッツの魔法士であり、シティ・モスクワ所属のルーウェンとは殆ど接点がなかった筈だ。

また、過去にルーウェンは、シティ・モスクワとシティ・マサチューセッツのデータベースにアクセスし『時詠み』に関するデータが無いかどうか調べた事がある。だが、いくら調べても『時詠み』などという記述は見つからなかった。

最初から項目自体が無いのか、あるいは、管理者権限でシークレットがかかっているのか。いずれにせよ、自分の能力を知られずにすむとおもって、安心していたのだ。

『時詠み』の事を知っているのは、シティ・マサチューセッツにも本当に極一部だけだが居る……だが、その連中が、ヅァギ如きに貴重な情報を漏らす可能性は考えられない。

「……んん〜、今のワタクシは非常に気分がいい。気分がいいから、一つ、教えて差し上げましょう」

チッチッチ、と指を振り、にんまりとした笑みを浮かべるヅァギ。

「……何をだ!言うならさっさと言うがいい!」

傷口の痛みに耐えながら、ルーウェンが叫んだ。

ヅァギは再びチッチッチ、と指を振りながら、あっさりと告げた。



















「実はですね、ワタクシ、知ってるんですよ………『イシュタル・ファインディスア』殿の事を」

















「……まさか、その名前は……」

ルーウェンの顔が、驚愕に染まる。

そのせいか、ルーウェンは一瞬だけ、わき腹の痛みを忘れたような、そんな感覚に陥った。

「貴方がこの名前を忘れるわけが無いでしょう。貴方をこの世に生み出した『作り手としての親』の名前を!」

『イシュタル・ファインディスア』――その名前は、ルーウェンにとって、決して忘れる事のできない名前。

ルーウェンを作り上げ、『時詠み』としての能力を生み出し、そして、ルーウェンの目の前で死を迎えた、ルーウェンのたった一人の親。

「そして、ここでかな〜り唐突なお話ですが……幼い頃からワタクシの『作り手としての親』である『ジークベルト・ナーハトツィン』は、貴方の作り手であるイシュタルに対して激しい嫉妬と憎悪を向けていた!
 そう、これはワタクシの製作者の願い!即ち、イシュタルへの逆襲なのですよ!」

ジークベルトと言う名前は、ルーウェンにも聞き覚えがあった。ルーウェンが培養層の中に居た頃に、イシュタルが何度各地にしていた名前だ。

ジークベルトというその名前を出す時、イシュタルが非常に嫌そうな顔をしていたのが培養層越しに見えたのを、ルーウェンはしっかり覚えている。イシュタルから詳しい事情を話されたことはなかったが、イシュタルが非常に嫌そうな顔をした事から、ルーウェンは『これはふれるべき話題ではない』と判断し、イシュタルの前では何も言わなかった。

そして今、イシュタルがジークベルトの名前を嫌っている理由が、10年越しに明かされた。最も、明かされたところで、ルーウェンの心の中にあったのは『ああ、そうだったのか』という、たったそれだけの言葉だった。それほどまでに、ルーウェンとしては、ジークベルトの事がどうでも良かったということだった。

「培養層から目覚めたワタクシは、早速ジークベルトの願いの通りに動きました。
 ……そう、一つあげるとすれば、特殊な『時詠み』というカテゴリの魔法士に対し、最後には絶対に打ち勝て…と」

ヅァギのその言葉を、ルーウェンは聞き逃すことが出来なかった。そして、心の中に衝撃が走った。今この場で、10年前の謎が、また一つ解けたからだ。

「……10年前、我のところにシティ・モスクワの兵士が来たのは、貴様の仕業だったというのか!」

今のヅァギの言葉で、全てに納得がいった。

何故、シティ・モスクワがルーウェンを探し当てられたのか。

何故、シティ・モスクワの兵士がルーウェンの能力を知っていたのか。

種さえ割れればなんて事はなかった。ヅァギが裏で手を引いていた―――ただ、それだけだった。

「そう!その通り!
 ルーウェン・ファインディスアという名前を聞いたときにはまさかと思いましたよ!だからこそ、ワタクシはその『時詠み』の事を知っていた。そして、その能力の正体も理解していた!全ては、ジークベルトから聞かされていたのですから!だから、対応デバイスを作り上げ、いつか、貴方を倒す時をずっと待ち続けていた!
 ……ああ、アルティミスに関しては、一部は貴方への嫌がらせ、大半はワタクシの手柄の為なんで、その辺はご安心くださりませ」

「安心だと……寝言は寝てから言うのだな」

ぎり、と、ルーウェンは歯を食いしばった。

ヅァギの口から真実を一つ、また一つと聞くたびに、ルーウェンの中で、研ぎ澄まされた怒りが炎のように燃えたぎっていった。ルーウェンの気づかぬところで存在していた、10年前からの縁の真実は、こんなところにあったのだ。

それでも、ヅァギに己の心の内をさらすわけにはいかないと、その怒りをすんでのところで表にださず、ルーウェンが叫ぶ。

「ならば我からも言わせてもらおう……貴様は……貴様は本当にそれでいいのか!製作者の操り人形のまま、その一生を送る心算か!」

それは、ルーウェンが、ヅァギの話を聞いていた時に思ったこと。

『いつか、貴方を倒す時をずっと待ち続けていた』―――ヅァギは確かにそう言った。つまり、ヅァギはジークベルトの意思を継いでいる…否、無理やり継がされているという事だ。

意思を都合と思うこと自体は悪くない。だが、生みの親から無理やり受け継がされた負の感情を受け継ぎ、10年にもわたって実行するのは、正直な話、愚かとしか言いようが無い。もちろんそれは、ルーウェンが当事者ではないから言える言葉なのかもしれない事も分かった上での意見でしかない。

しかしながら、例えるならそれは、母親が自分の息子に、自分の無念を晴らすために他人の子供を殺せというのと全く持って同意語だ。そんなものは、息子の意思など全くもって考えない、手前勝手な考えに他ならない。

ルーウェンの発言からたっぷり4秒の静寂が訪れた後に、静寂が破られる。

「―――好きなように言えばいい!ワタクシはもう、これ以外の生き方などできないのですよ!ワタクシにどんな生き方が、どんな術があったのか、少なくとも、製作者に愛された貴方には貴方には一生分からない!!
 分かるのか!?ワタクシの苦しみが!製作者に愛されなかったこのワタクシの気持ちが!」

その時に放たれたヅァギの声は、まさに怒声と呼ぶにふさわしいものだった。これは、ルーウェンが知る限りでは初めての、感情の篭った声。

ルーウェンの記憶では、今までのヅァギの超えや発言は、自分の本心を隠して他者に媚びる、ネズミ男のような声しかなかった。だが、今放たれたヅァギの声は、それらとは明らかに違う声だと一瞬で理解できた。

「……ヅァギ。貴様……」

ヅァギの突然の変化に一瞬だけ圧倒された後に、ここに来て、初めて、ルーウェンの心の中に、ほんの少しだが、ヅァギに対し、哀れみの感情を覚えた。

魔法士は、母親の胎内から生まれる事などほぼなく、生みの親などいない。よって基本的には、その魔法士を作った者が『親』と称されるのが殆どのケースである。

ルーウェンはイシュタルという親を、ヅァギはジークベルトという親を持っていた。

片や、自分の作った魔法士の傍に居られないことを悲しんでくれた親。

片や、自分の嫉妬と妬みの為に、自分の作った魔法士にそれを受け継がせた親。

それらは10年の時を超え、ルーウェンやヅァギに対し直接的にも間接的にも結びついている。

そしてヅァギは、教え込まれた『命令』により、未だに『親』に縛られている。ヅァギの性格自体はヅァギが生まれた時から既に決まっていたとしても、ヅァギが生まれたばかりなら、そこからの矯正も効いた筈だ。

だが、ヅァギがそれをするには、あまりにも遅すぎた。故にヅァギは、曲がったまま、10年以上も育ってしまった。

故に、ルーウェンはヅァギに対して哀れみを覚えた。その感情はそのまま、ルーウェンの瞳に出てしまっていた。

「く……そ、そんな目でワタクシを見るなぁっ!哀れみの感情を見せ付けるなぁっ!ワタクシにはそんな同情など必要ない!」

ルーウェンの目を見たヅァギは、目に見えて狼狽する。

先の会話から察するに、やはりヅァギとて気づいていたのだろう。自分がジークベルトの操り人形になっていたという事を。

魔法士は母親の胎内から生まれることこそ出来ないが、それでも、脳に特殊な生体コンピュータであるI−ブレインを持つこと以外は、普通の人間となんら変わらない。

息もするし、食事もするし、なにより、普通の人間と全く同じ感情を持っている。悲しければ泣き、憤れば怒り、うれしければ笑う。

故に魔法士は、決して、それを作った人間の所有物などでは断じてない。

(……生まれながらの環境が、ヅァギに『己の生き方』を見出すことを許さなかったのか……本当に、本当に、哀れだ)

刹那、先ほど切り裂かれた脇腹に熱い痛みが走り、ルーウェンは顔をしかめ、脇腹を押さえた。出血は少しずつ収まってきたが、それでも、傷口がふさがっているわけではないので、当然ながら痛みが絶える事は無い。

(…ぐ、この痛みさえなければ……)

そう、戦況は先ほどと比べて全く変化していない。対抗デバイスによって『シェアシュテラー』を封じられた以上、ルーウェンは普通の人間とほぼ変わらない為、騎士の機動力に追いつける理屈が無い。

元より、多人数での行動を主とし、仲間のサポートをメインとするルーウェンと、単独での行動を主とし、敵陣へと斬り込める事の出来るヅァギとでは、覆しようの無い相性があったのだ。

「さ、さあ、もう御託はいりません!とどめといきましょうか!このワタクシの剣で、永久の眠りに……」













―――ガァン!!












何の前触れも無く、ヅァギの後頭部から大きな音が響き渡った。












【 + + + + + + + + + + 】















「―――ばわっ!」

大剣を構え、今まさにルーウェンに斬りかからんとしていたヅァギの口から、そんな声が漏れた。

背後からの突然の衝撃にヅァギは前のめりにこけそうになったが、ずっこける一歩手前で踏みとどまり、体制を整えて、顔を上げる。

その時、ヅァギから見た…厳密には『見えた』ルーウェンの顔は、つい先ほどまでの怒りに満ちていた者のそれではなかった。

目を見開いたルーウェンは、小さく口を開き、小さな声で小刻みに「…そんな、事が…」と呟く。

「く、くそっ、いったい誰がワタクシめにこんなことを!」

悪態をつきながら、ルーウェンとは反対の方向、即ち、真後ろを向き……振り向いたヅァギの顔に、驚愕が浮かぶ。









―――そこに居たのは、白と黒の入り混じった、ヒトの形を半分ほど放棄したモノだった。








【 + + + + + + + + + + 】













『黒の水』に取り込まれた瞬間、アルティミスの脳が鈍痛を引き起こした。

ひっきりなしに痛む頭の中で、ルーウェンに会いに行きたいという思いと、ファンメイにこんな姿を見られたくないという恐怖が互いに交じり合い、頭の中が空っぽになったかのように何もかもが考えられなくなる。

そう考えた刹那、ほぼ反射的に足が動いた。直感で通路を駆け巡り、偶然にもシティ・ロンドンの研究所の裏口を発見し、そこから人通りのいない道を選んで税関までたどりつき、ポケットに偶然入っていた偽造IDでシティの外に駆け出した。幸いにも、その時は税関に誰も居なかったから、アルティミスの姿を目にしたものはいなかった。

アルティミスの知識で知っている税関というものは全てコンピュータ任せであり、人間の見張りが居ることは、よほどの事が無い限りは先ず無い。その代わり、3時間に一回のペースで警備員が税関のデータを一つ残らずチェックし、不審者の侵入がないかどうかを調べることとなっている。

ルーウェンから聞いたシティ・マサチューセッツでの税関はそういう設定になっていた。さらに、税関の仕組みはこのシティ・ロンドンも同じらしいと、アルティミスはファンメイから聞いている。

I−ブレインに命令を送り『身体能力制御』を発動。息は今にも途切れそうだったが、それでも、アルティミスは白い雪原を駆け続けた。

喉に焼ききれそうな熱さと痛みが襲い掛かるが、意志の力でそれすらも無視し、白銀の世界の中でルーウェンの姿を探した。

だが、探しているうちに、雪原の白い景色は、漆黒の闇に塗りつぶされる。

以前の『暴走』の時に味わった、一時的な視神経の異常による、一時的な失明。全てが真っ暗になった恐怖に、心の中の全てが塗りつぶされる。

喉の痛みと、頭痛と、失明の三重苦により迂闊に走る事も適わなくなり、アルティミスは一旦『身体能力制御』を解除し、ゆっくりと、おそるおそる一歩ずつ踏み出す。むしっ、むしっという、雪を踏みしめる音だけが、アルティミスの耳へと届くだけ。

不安と心細さと恐怖で今にも泣きたかった。だけど、

(エラー、一時的に修復。視力復帰)

I−ブレインが、視界が復活した旨を告げる。言われたとおりに、今まで真っ暗で何も見えなかったはずのアルティミスの瞳が、だんだんと明るさを取り戻す。黒の景色は掻き消え、おぼろげではあるが、白の景色が視界に写る。

「……おい、オレが誰だかわかるか」

聞きなれた声に、どきんとした。

「…あ、あれ?その声、もしかして、ヘイズ、さん?え?え?う、う、そ……」

刹那のうちに戸惑いの感情が生まれる。ヘイズがルーウェンと共にヅァギらを迎え撃つという話は聞いていたし、そうなれば、偶然とはいえ出会ってしまうという可能性を考えなかったわけではない。だが、どうしてよりにもよって、このタイミングなのか……そう思わずにはいられなかった。

「アルティミス……お前、もしかして……目が、見えないのか?」

だんだんと、視界がはっきりしてきたところで……アルティミスは見知った人の姿を目に留めた。

「―――ひぅっ!み、見ないで……見ないで―――っ!」

心に生まれた羞恥心。ヒトとしてのカタチを逸脱したこの姿を見られた―――それだけで、ただでさえ不安定極まりなかったアルティミスの心の中にたまりにたまった不安が爆発するには、十分すぎた。

(I−ブレイン、戦闘起動。『身体能力制御』発動)

その場から逃げ出したいという衝動に身を任せ、後先考えずにI−ブレインに命令を送り、通常の十倍の速度で駆け出す。どこに行こうかなんていう明確な目的なんて無かった。ただ今は、ヘイズの目の前からコンマ1秒でも早く姿を消したかったという、ただ、それだけの気持ちで、胸がいっぱいだった。

悲しさと恥ずかしさの両方の感情から、涙が頬を伝って流れ、空気中に小さな小さな水滴をいくつも作っていく。だけどアルティミスはそれに構うことなく、ただ、ひたすらに駆け出した。

後ろから聞こえてくるヘイズの声は、あえて無視した。出来ることなら、追ってきてほしくなど無かった―――ヘイズの性格からすればそれは無理だということなんてわかりきっていたけれど、それでもアルティミスは、ただ、ひたすらに駆けつづけた。















どれくらい走ったのか、分からなかった。

気がつけば、アルティミスはひとりぼっちで、一見すると、全く変化のみえない雪原に立っていた。後ろからヘイズが追ってくる様子は無い。どうやら、うまく振り切れたらしい……今考えると、本当は振り切ってはいけなかったのかもしれないけど、あの時はすっかり錯乱していて、そんなところまで頭が回らなかった。

未だに頭痛も喉の痛みも全くひかないが、視界は通常通りにクリアになり、通常通りにものを見ることが出来る。

ふと、自分の体を見落とすと、アルティミスの肉体部分には、先ほどから一切合財の変化がない。白と黒の入り混じったヒトならざる身体構成は未だにそのままで、元の姿になろうなんて兆候は欠片も見られなかった。

否寧ろ『元の姿』という概念自体が『黒の水』にはないのだろう。元より『黒の水』は不確定にして不明瞭なコールタールのような液体の形状こそが基本にして雛形であり、アルティミスがそこから『人』としてのカタチを生成しているに過ぎない。

通常の人間とは違う細胞で構成された、少女の体。だけど、この姿をルーウェンに見せることに関しては、アルティミスは悔やんでいない。なぜなら、それもまたアルティミスなのだと分かっているからなのと、ルーウェンなら、絶対にアルティミスに対して酷い事は言わないと、絶対の信頼を寄せているから。

(……ルーウェンさん、どこなの……?)

視力が戻ったはいいものの、それでも、目的としている青年の姿は見当たらない。

そもそも、頭の中が混乱した状態で起こしてしまった行動に、がっくりと頭を落としてうつむく。

(……あ)

そこに、今まで気づかなかったものがあった。

雪原の上に踏みしめられた、また新しい足跡。それも、二人分。

(……もしかして、ルーウェンさん!?まさか、ヅァギと戦ってるの!?)

そう思った瞬間に、心の中に湧き上がった高揚感と共に、アルティミスは駆け出していた。















足跡を追って、アルティミスは駆けた。

岩陰を回ろうとして、一旦足を止める。目先についにルーウェンの姿を、ついでにヅァギの姿を見つけたからだ。

足を止めたのには、二つの理由があった。一つは、自分がここに居ることを悟られないようにするため。もちろん、アルティミスとしてもルーウェンに会いたいのだが、今、ルーウェンはヅァギと対峙している。そんな中に、アルティミスが迂闊な乱入などをしたりしたら、時と場合によっては何らかの形でルーウェンが不利になったりする可能声が十分にあったから。

そしてもう一つは、驚きで足を止めたから、である。

ルーウェンの姿をその目に留めたとき、アルティミスの喉からは何の声も出なかった。アルティミスの瞳に移ったルーウェンの姿は、アルティミスが今まで見たことも無かった姿。

顔をしかめて、脇腹を白いタオルで押さえている。そして、脇腹を抑えている白いタオルには、赤い血がにじんでいた―――それだけで、何が起こったかを察するには、十分すぎる要素。

刹那、アルティミスの心の中に浮かんだ感情は非常に正直かつ、分かりやすいものだった。

―――ルーウェンさんを、傷つけた人を、許さない!!

大切な人を傷つけられたという『怒り』の感情が、静かに、だが強く、燃え上がる。真紅色の瞳の目つきも、わずかにだが「きっ」と鋭くなる。

ヅァギはルーウェンに対して何かを述べているが、だからこそチャンスだと思った。二人ともアルティミスの様子に気づいていないのならば、ヅァギに対して一矢報いるのは難しいことじゃないと、頭痛まみれの脳が、痛みを無視して冷静に判断した。

これからアルティミスが何をするのかなんて、アルティミス自身にも理解できていた。

アルティミスが戦うことは、ルーウェンが悲しむ事だって、十分に分かっていた。

だけどアルティミス自身、自分が、ずっと護られ続ける立場にあることに気づいていた。

頼りっぱなしではなく、自分でも動かなくては何も変わらないのだという事を、自分のせいで、多くの人に迷惑がかかってしまったということを、アルティミスは理解している。

だから決めた。誰に相談するでもなく、それ以前に相談する暇などなかったが、アルティミスは今この瞬間に出すべき答えを一瞬にして導き出し、刹那の間に行動に移した。

―――すなわち『戦う』という選択肢を選んだということの体現。それが、アルティミスが動いた、この場においての絶対の理由。









先ほどの『黒の水』の暴走時に精製されたそれが未だに残っていただけだが、逆に、それを利用させてもらうことにした。

先ほどからの鳴り止まぬ頭痛の中で、何とかその痛みを我慢しながら、現在の配置をよく見直すと、ヅァギはちょうどよく、岩肌の切れ目の位置に立っていた。ここまで近づけば、背後からの不意打ちは十分に可能。

(『身体能力制御』起動)

通常の10倍の速度でアルティミスは加速し、ヅァギの無防備な後頭部めがけて、アルティミスの髪の毛で生成された金槌による一撃を振りかざす。

――ものすごく鈍い音と共に、その一撃は見事にヅァギに命中した。

どうやら、ヅァギは本当にアルティミスの存在に気づいてなかったようだ。それはルーウェンに関しても同じで、いきなり起こった事態に何事かと反応しきれない様子だった。

「―――うぉのれっ!よくもこのワタクシの頭にタンコブを!お仕置きして差し上げます!」

怒りの形相で、頭に血が上りきり、鼻息を荒くしたヅァギが斬りかかってくる。それは間違いなく、格下だと思っていた相手に馬鹿にされた時の反応そのもの。

ルーウェンも血相を変えて、ヅァギのいる方向…厳密にはアルティミスのいる方向と言った方が正しいか―――へと向かう。

だが、アルティミスめがけて斬りかからんとするヅァギの姿を見ても、アルティミスに怯えの感情は全く無かった。

アルティミスには分かっていた。『龍使い』であるアルティミス相手に、騎士であるヅァギが敵う訳がない。元より『龍使い』は対騎士用に作られた魔法士だ。

そして、それを失念した瞬間に、もはや、ヅァギの敗北は確定していた。

情報と衝撃の両面に対し絶対的な防御力を誇る『龍使い』アルティミスの肩口めがけて放ったヅァギの一撃は、アルティミスの髪の毛で生成された金槌に傷一つつけることすら出来ず、それどころか斬りつけた時の反動で、ヅァギの騎士剣はヅァギの手を離れる。

「し、しまったっ!」

だが、ヅァギがそれに気づいた時には、全ての勝負が決する。














ヅァギが体勢を整える前に、アルティミスの髪の毛が変形し生成された巨大な金槌―――が、ヅァギの脳天めがけて放たれる。

至近距離からの金槌の一撃により発生した、ズガァッ、というすさまじい音と共に、この戦いの引き金となった男は、その脳天に叩き込まれた衝撃により白目を向いて昏倒し、そのまま後ろに倒れこんだ。

―――それが、戦いの終了の合図だった。



















【 続 く 】



















―――コメント―――
















何か、シティ・マサチューセッツの軍服を着た騎士達がすごいヘタレに見えるお話でした(汗)。

……いや、弱みを握られて無理矢理つれてこられたんじゃ、真面目にやるわけが無いと思います。命かかってるんだしね。

部下との信頼がないとこうなる、弱みだけ握っても人はついてこない……といういい見本です。ヅァギ。まぁ元ネタのジャギそのまんまなので……(顔とかは除くけど)。

最も、悪役があっさり死んで終わりってのも何か違うと思うので、結局、ヅァギは生きてますが。







10年来の確執が今更になって一気に明らかになりましたが……ううむ、書いておいてなんですが、正直、ちょっと急展開だったなとは思ったり。

でも正直、むやみやたらに長い伏線明かしは既にDTRやFJでやってるんで、その反動で、今回は、伏線明かしはあっさりと片付ける方向性で挑んでみました。

悪いとこばっかり目立つヅァギですが、彼もある意味被害者なんです……。










あれだけ言ってた割にはルーウェンはあっさりと不利な状態に陥らされましたが、これは決してルーウェンが弱いわけではありません。

設定を見れば分かるとおり、ルーウェンの所持する能力はかなり強力なんで、こういう弱点を作ったりしないといけないなと思ったんです。

それに、ただ単にルーウェンが勝ってハイ終わり。じゃ、あまりにもあっけなさ過ぎると思いますので。

WB本編(六巻以降)の森羅ディーみたいな感じかと思われます。圧倒的過ぎる力を持つけど、それを発揮させない場を作るといった感じで、こういった展開にしてみました。





そして残るは、アルティミスの体についての問題―――。




それでは、また次回に。