少女達は明日へと歩む
〜Recollection and combat beginning 〜






















―――それは、十年前の記憶。

第三次世界大戦が終結する一ヶ月前という時期に、ルーウェンは外見年齢若干12歳で戦場へと投入された。

否、厳密には『投入された』のではなく『否応無しに巻き込まれた』というほうが正しい。

そして、この世に『目覚めた』時、ルーウェンはすでに一人だった。

ルーウェンの誕生前に、ルーウェンの製作者は重度の過労と、ワニの脳が原因となる病気の為に死去していた為だ。それをただ見ることしか出来なかったルーウェンには、培養層の中で涙を流すしか術がなかった。

――――あなたの未来に、光があらんことを。

それが、ルーウェンの製作者が死ぬ前に残した、最後の言葉だったと記憶している。

そしてある日、ルーウェンの製作者が生前に装置に組み込んでおいた設定により、ルーウェンは培養層から出た。脳内に記憶されていた生活用の知識を元に、真っ先に服を着替えた後は、うつぶせに倒れていた製作者の遺体を埋葬する事からはじめた。

製作者の遺体を仰向けにした時に見た製作者の顔は、泣き笑いの顔だった。










一人きりとなったルーウェンに残されたのは、自らのI−ブレインに埋め込まれた『規格外』と呼ばれる『時詠み』としての能力。そして、製作者の残した戦闘用兵器『グナーデン・パイルバンカー』。

この二つだけが、ルーウェンと、ルーウェンの製作者をつなぐ、ただ二つの接点となった。

その時、製作者によって与えられたこの命で、製作者の分まで生きようと、ルーウェンは心に固く決めた。











だが10日後、ルーウェンの住んでいた研究所に、見たこともない人間達が駆け足で侵入してきた。

後に思うと、ルーウェンがなまじ戦闘に使えるであろう能力を持っていたことが仇になったのだと思う。ルーウェンの能力をどこで知ったかは知らないが、そいつらは特別製のノイズメーカーを用いてルーウェンを捕縛し、自分達の部隊へと強制的に招き入れた。

第三次世界大戦の戦場――――そこはまさに修羅の世界。一瞬の油断が死を招く。味方だと思った者が、我が身可愛さに裏切るなど日常茶飯事。戦場において裏切りは寧ろ褒められる行為とも言われる所以がよく分かる場所。

かつてヒトだったはずの、赤く染め上げられた肉のカタマリが衣類を着たまま仰向けに倒れているという光景はひどく当たり前。

普通の人間なら間違いなく気が狂うであろうその環境下で、ルーウェンは、幾度となく殺されかけ、幾度となく倒れ、それでも、歯を食いしばりながら、最後まで人間としての自我と尊厳を保ちながら、その地獄を生き延びた。











―――ルーウェンの魔法士としてのカテゴリは『規格外』の一種である『時詠み』。その能力名は『ツェアシュテラー』。

『自己領域』に近い原理で周囲の『情報の海』に接続し、情報の側から、万有引力定数・プランク定数を改変し、ルーウェンの周囲の時間の流れを遅くする能力だ。言い換えるなら、ルーウェンの周囲の空間を『ルーウェンにとって都合のいい時間や重力が支配する空間』に改変するという事。

この能力は、ルーウェンの周囲にあるあらゆるものを対象と出来る。例えば、襲い来る荷粒子砲の速度を遅くし、その中で攻撃射程内から逃げるといった事をも可能にする。但し、干渉できるのは『相手の速度』のみ。つまり『相手の肉体の動きに対し、時間差によるズレを生じさせて相手の肉体を切断する』というような事は不可能。

その優先順位はあらゆる『情報制御』を超えて第1位―――但し『天使』の『同調能力』と競合した場合は、どうなるか分からない。ルーウェンの誕生した10年前には『天使』という名のカテゴリを持った魔法士は存在していなかったし、今までの人生の中でも『天使』のカテゴリの魔法士に出会うことが出来なかったので、試せる機会がなかったのだ。

『シェアシュテラー』は、例え相手が『自己領域』を発動していても免れる事は出来ず、強制的に時間の流れを書き換える事が出来る。『自己領域』への上書きといっても過言ではない。
加えて、『自己領域』には『相手が自己領域に入ると同等の恩恵を受ける』という弱点があったが、ルーウェンの『シェアシュテラー』にはそれがない。

但し、対象が複数いる場合、一箇所に力を集中すると他の場所への『支配』が疎かになる。最悪『シェアシュテラー』の効果範囲が狭くなったり、減速が緩んだりするケースもしばしば発生する事もある。

加えて、『同調能力』と違い『支配』の対象を選べるので、味方に大しては『シェアシュテラー』の効果を影響させない事も可能。これにより、仲間のサポート役に回る事が可能――――というよりは、むしろそちらこそがメインの戦い方だ。

―――そう、ルーウェンは、第三次世界大戦の最中は、ただひたすらに仲間の補助に徹していた。

『シェアシュテラー』を用いて敵方の魔法士の速度を著しく低下させ、そこを味方の魔法士が斬りかかり、あるいは燃やし、あるいは金属で生成した腕で押しつぶす。

ノイズメイカー以外では先ず間違いなく対抗不可能といえるその能力は、敵側の魔法士からは大変恐れられた。









【 + + + + + + + + + + 】











(―――あれから、もう10年か)

あたり一面が雪に覆われた銀世界の大地。軽い吹雪の中、ルーウェンの回想が終わる。

本来なら、このようなことは目の前にいる『敵』と対峙しているような状況で回想するようなことではないのだが、今、なぜかルーウェンはこの状況下において、10年前の、自分が生まれた時の記憶を思い出していた。

何故思い出したのか―――それは、おそらくだが、ルーウェンが本当に久々に『戦場』に出たことにあるのだろう。

……第三次世界大戦を生き延びた後、ルーウェンはほぼ戦うことなく生き続けた。10年前にルーウェンを連れ去ったのはシティ・モスクワの兵士だったので、第三次世界大戦を生き延びたルーウェンは、必然的にシティ・モスクワに住むこととなった。

第三次世界大戦を生き延びた事と、大戦中にあげた功績(幾度となく味方を助けた事が功績と判断されたらしい)のおかげで、ルーウェンはそれなりに裕福な環境で過ごすことが出来た。

その後はシティ・モスクワの一般市民としてのIDをもらい、マザーコアにもならずに済んだ人生を送れていた―――もっとも、シティ・モスクワとしても、万が一の時の為にルーウェンに役立ってもらおうと考えていて、その為にルーウェンをマザーコアにしないという可能性が大いに存在する事も忘れなかった。

シティの住民としての権利を得たルーウェンは、それから勤勉を重ねて、17歳の時、シティ・モスクワの科学研究部署へと配属する事が出来た。

そしてある日、ルーウェンはシティ・モスクワからシティ・マサチューセッツへと配属変えをされた。理由は『シティ・マサチューセッツで『龍使い』を製作予定だが、その為の人手が足りないから』との事だった。

――――そしてルーウェンが18歳の時、考案者である一人の科学者と、科学者を取り巻く者達によって、北京産以外の『龍使い』が完成した。もはや説明は不要かと思われるが、それがアルティミス・プレフィーリングである。

……そう、つまり、ルーウェンは『あの』第三次世界大戦から、一度たりとも『戦場』へと出ていない。

12歳の時に第三次世界大戦に出てから、10年の時を経て、ルーウェンは今再び『戦場』へと足を踏み入れる。禁忌の領域に足を踏み入れたわけでもないので、なにやら不思議な感じがした。

(この体が、戦いを忘れていないのか)

そう思うと、少しだけ、感慨があった。

―――そして、目の前に居るのは、己の手柄と出世の為に、一人の少女を殺そうとした男。故に、今のルーウェンの心の中には、怒りの感情がふつふつと音を立てている。

「―――今までやってきたことを償いながら、あの世で後悔するがいい!」

目の前に右手をかざし、鋭い目つきでヅァギを睨みつけながら、叫ぶ。

「何をおっしゃるか!ワタクシには後悔も反省もないのですよ!」

「………」

ヅァギの戯言を無視しながら、白い地面にそのケースを置き、ぱかっと蓋を開く。トロンボーンを収納するような特殊な形状をしたケースから、群青色を基調とした、大きめの銃身の先端に太目の槍を装着した、大き目の銃のような形状をした武器が現れた。

グナーデン・パイルバンカー……巨大な金属槍を火薬や電磁力などにより高速射出し、敵の装甲を打ち抜く近接戦闘装備。純粋な質量弾を至近距離からぶつけ、敵に衝撃を与え、そして体を貫通し内部に損傷を与える使い方をメインとする。加えて、グナーデン・パイルバンカーには遠距離戦用の為に、遠距離まで小型の金属槍を飛ばす事が可能となっている。

12歳の時から常にそばに置き続けた『相棒』だ。ルーウェンはそれを両手で抱え、構える。

12歳の頃にはひどく大きく感じられたその銃身が、今ではとても大きいとは思えない。その事実が、10年という月日がたっているということをルーウェンに実感させた。

ルーウェンが『グナーデン・パイルバンカー』を構えたのと同時に、ヅァギもまた、己の『武器』を構える。ヅァギの武器は、その背中に背負われた大剣。大剣は通常の剣より剣幅が広いため、普通の剣に比べると、相手の攻撃を防ぐ事に多少ではあるが優れているタイプの武器だ。

「―――獲物を構えましたね。ふふ、そうこなくては面白くない。待っていた甲斐があったというものです」

「………?」

ここにきて、ルーウェンの脳裏に一つのかすかな疑問が浮かんだ。それは、なぜヅァギは、ルーウェンが戦闘態勢を整えるまで待っていたのか――である。ヅァギの性格を考えると、ルーウェンが体制を整える前に不意をうってくるのが当たり前の筈なのだが、当のヅァギはそれをしてこなかった。

一応、I−ブレインは近くにノイズメイカーの反応は無い事をルーウェンに知らせてくれているから、ノイズメーカーによってルーウェンの能力を封じられる危険性は今のところは無い。それに、万が一ノイズメイカーがあったとしても、ルーウェンはノイズメイカー用の対抗デバイスを常に所持している。

ルーウェンの能力がヅァギに知られている、という可能性も脳裏に浮かんだが、ルーウェンが最後に戦ったのは10年前であり、しかもその時はシティ・モスクワでの戦闘だ。ヅァギはシティ・マサチューセッツ以外のシティには所属していなかったというルーウェンに知らされたその情報が確かならば、余程のことがない限り、ヅァギがルーウェンの能力を知っている筈はない。

もしかすると、ルーウェンは知らずのうちに第三次世界大戦中にヅァギと対峙し、そしてとり逃した可能性も……。

「なにやら色々考えているようですが、きっと違いますぞ。ワタクシはただ単に、あなたが戦闘態勢に入るのを待っていただけですぞ。理由は簡単。手負いの状態、あるいはそれに近い状態のあなたを倒したところでワタクシの気持ちは晴れない。完全な状態のあなたを倒してこその戦いですぞ!」

ルーウェンの思考に割り込む形で、ヅァギが口を開いた。

(……どうやら、我の考えは全て杞憂であったか)

考え込んでいたのが馬鹿みたいだ、この男にそんな知恵がある訳がなかったな。と、ルーウェンは素直にそう思った。

……もっとも、ヅァギが先に仕掛けてきたところで、一瞬の間に『シェアシュテラー』を発動してしまえば、それだけで勝敗は決する。

だが、その刹那、ルーウェンの心の中に別な疑念が浮かんだ。

(―――しかし、それでもおかしい。何故ヅァギは、あんなに余裕を持っているのだ?)

これが、今までのヅァギの台詞から導き出された疑念。そう、ヅァギの台詞や態度は、とても戦場に立つ人間のそれとは思えない。まるでそれは、戦ったら完全に勝てる自信を持っている人間の態度だ。

(…いや、ここで迷っていても仕方がない。またしても杞憂かもしれないからな。ならば―――!!)

頭を振って、ルーウェンは己の意識を現実へと引き戻す。

対峙しているヅァギはいまだにルーウェンから7メートルほどの距離をおいて、武器である大剣を握り締めて構えている。それを確認したルーウェンは、すかさずI−ブレインに新たな命令を送った。

(I−ブレイン、戦闘機動。『時詠み』稼動、『シェアシュテラー』開始)

I−ブレインに命令が送られ、次の瞬間にはI−ブレインが起動し、ルーウェンの持つ『力』が発動された。











【 + + + + + + + + + + 】













シティ・ロンドンのリチャードの所属する研究練の一室で、ファンメイとアルティミスは待機していた。因みにエドはいつもどおりに『世界樹』の中枢に居る。

ファンメイは『龍使い』ではあるが、『黒の水』に存在する致命的欠陥により戦えない為、必然的に非戦闘要員となった。ただでさえ『世界樹』の件で、一歩間違えば、あるいはフィアがいなければ、もしかしたら今頃、ファンメイは人間の姿を保つことが出来なかったのかもしれなかったからだ。

これ以上ファンメイに戦闘させるようなことがあれば、先ず間違いなく、取り返しのつかないことになる。フィアがいないこの状況下なら、それは尚更の事だ。

因みにフィアの事は、アルティミスには話してあった。但し『天使』である事は話していない。その件については、フィアの口から語られるべき内容だと判断したからだ。

因みに、以前、ファンメイの口からフィアの事を話した時、アルティミスは「アルティミス、いつか絶対、そのフィアさんって人に会いたいです。会って、いろんなことをお話したいの」という言葉を笑顔で告げてくれた。

だからファンメイも、その時は「うん、絶対会おうね。だってアルティミスちゃんもフィアちゃんも、わたしにとっての友達だもん!絶対に、アルティミスちゃんとフィアちゃん、仲良くなれると思うの!」と、ファンメイもまた、笑顔で返したのだった。

因みに錬に関しては「フィアちゃんの彼氏に錬っていう男の子がいるんだけど、でも、男の子にしては凄く背が小さくて、それを気にしていたの」と説明した。錬に叩かれたりした時の事は、あえて伏せておいた。話す必要性は無いと思っていたし、話してしまうと「その錬さんって人はひどい人です!」という返答が来そうだったからだ。

するとアルティミスは「……という事は、その錬さんって人も苦労してるんですね」と返答してきた。まぁ、錬に関してはあんまり詳しい説明はしなかったから、無理も無いかもしれない。

(……そういえば、フィアちゃん、今頃何してるのかなぁ)

ここしばらく会っていない『友達』を思い出し、こんな状態であるにもかかわらず、ファンメイは少しぼうっとしてしまう。口には出さないけど、やはり心の中では『友達に会いたい』という気持ちが大きく膨らんできているのだ。

「……ファンメイさん?どうかしたんですか?ぼうっとしちゃって」

隣でちょこんと座り込んでいたアルティミスが小さな声でファンメイに問うた。

「う、ううん。ちょっとフィアちゃんの事を考えていたの。今頃何してるのかなぁ、って。フィアちゃんのことは、アルティミスちゃんにも前に話したよね」

別段嘘をつく必要もなかったので、正直に言うことにした。

「はい、フィアさんの事はアルティミスも聞きました。ファンメイさんにとって、とっても仲のいいお友達だって、ファンメイさんは言ってたの」

「うん、だからさ、この戦いが終わったら、いつか、絶対に会いに行こうね!」

ファンメイの口から『戦い』という単語が出た刹那、アルティミスの顔に影が差した。それだけで、ファンメイはアルティミスの心の中に、何が起きたのかを一瞬で察知し、

「だ、大丈夫だってば!ヘイズは強いから!だから、この戦いは、絶対に勝てると思うから、アルティミスちゃんが心配する必要なんてないんだってば!」

「で、でも、アルティミスのせいで、へ、ヘイズさんもルーウェンさんも戦いに巻き込んじゃった形になっちゃったから……」

先ほどからアルティミスが大人しかった理由がよく分かった。もともと大人しい性格のアルティミスだが、今日はそれにさらに輪をかけたような―――強いていうなら『縮こまっている』状態になっていた。

その不安を張らせようと、ファンメイはちょっと強い口調で、叫ぶように言い聞かせた。

「もーっ、だから大丈夫だって言ってるでしょ!確かに、いきなり戦いとかそういう話になっちゃってびっくりしたけど、でも、この戦いがなかったら、アルティミスちゃんとも出会えなかったでしょ!だからいいの!」

何がいいのかよく分からないが、とにかくそういうことにしておいた。

「……は、はい」

ファンメイの気迫に押され、ただ、こくこくと頷くアルティミスのほうも、なんだかよく分からないが頷いたといった感じであるが、とりあえずこの話題から抜け出せただけでもよいとしよう。

そしてその矢先に、ファンメイは、アルティミスの姿に違和感を覚えた。そしてそれは、ものの5秒で答えが出る。

「……あれ?アルティミスちゃん、いつものヘアバンドはどうしたの?」

彼女のトレードマークの一つ(と、ファンメイは思っている)である、薔薇の飾りをつけたヘアバンドがなかった事が、ファンメイの違和感の正体だった。そして、それを聞いた刹那、アルティミスが、はっ、と弾かれたように顔を上げる。

「……あ、そういえば……い、いけない。さ、さっき、あのヘアバンド、ちょっと汚れていたからお掃除してあげようと思ってお掃除して、お掃除が終わった時にファンメイさんに呼ばれたから、お部屋に忘れちゃってたの!い、今、取ってくるから待っててください!」

言うや否や、アルティミスは普段の行動からは想像も出来ないほどの速さで立ち上がり、そして入り口へと向かって駆け出した。おそらく、ヘアバンドをとりに行くつもりなのだろう。

「あ、ちょっと!?アルティミスちゃん!?」

「すぐに戻るから待っていてくださいっ」

反射的に言い放ったファンメイの静止も聞かず、アルティミスは扉を開けて部屋から出て行った。

「……もう、そんなにあのヘアバンドが大好きなのね……あ、確かあれってルーウェンからのプレゼントって、前に言ってたような……あ、なるほど、そっか、そういうことなんだ」

そう呟いた後に、アルティミスが廊下を駆ける音が聞こえたのを確認してから、ファンメイは自分の指にはめられた、一つの指輪に目を落とす。

喧嘩ばっかりだったけど、でも、大好きだった、世界でたった一人、何人にも代わりなど効かない、一人の少年からの贈り物。

指輪を見つめているうちに、胸のうちに悲しみの感情がこみ上げてきたが、アルティミスがきっとすぐに戻ってくる事を考え、その時に、アルティミスに自分の泣き顔なんて見せられない―――そう強く思うことで、ファンメイは泣き出したくなるのを必死でこらえた。



















アルティミスはファンメイと離れて自分の……厳密には自分達の部屋に戻り、薔薇の飾りのついたヘアバンドを頭につけた後に、単独行動で『とある』場所に向かっていた。

「……ルーウェンさんの話では、確かこの辺に……あ、あったの」

『R-12』というプレートの書かれた部屋を発見し、アルティミスは安堵の息をつく。鍵はかかっていないようで、扉を開ける事は容易だった。

電気一つついてない真っ暗な部屋に入るのはちょっと怖かったけど、それでも、目を瞑って、頭をふるふると横に振って覚悟を決めて一歩を踏み出して部屋の中に足を踏み入れる。

暗闇の中に、かすかにぼんやりと光る小さな明かりを見つける。それがこの部屋の電灯スイッチだということは、事前にルーウェンから聞いている。昨晩、アルティミスはルーウェンから「いざという時の為にアルティミスが戦う為の武器がどこにあるかを確認してきてくれ」と、そう言われていた。

電灯用のスイッチは、身長142cmのアルティミスでも届く位置にあったので、アルティミスは難なく部屋の電灯をつけることに成功する。

その後アルティミスはきょろきょろと部屋の中を見回し、程なくして白いケースを発見した。

それは、アルティミスとは別のルートでシティ・ロンドンへと送り込まれた、アルティミスにとっては絶対に欠かせぬもの。ルーウェンは『万が一の可能性』を考慮して、シティ・ロンドンに『アルティミスの武器』を送り込んでいたのだ。

出来ることなら使わない事態がきてほしい。だが、時と場合によってはもしかしたら使うかもしれない―――と、ルーウェンは言っていた。

無論、アルティミスとて戦うのは嫌だが、このままやすやすとヅァギの思い通りになることの方がもっと嫌なのは言うまでもない。

蓋を開け、その蓋を壁にたてかけて、改めて箱の中を見ると―――箱の中は、一面の黒に染まっていた。

巨大な羊羹などでは断じてない。底知れぬ闇のような光沢をもった真っ暗なそれは、コールタールのようにどろりとした液体だ。

シティ・マサチューセッツ産の『黒の水』―――アルティミス専用に作られた戦闘用デバイスである。

そして今、その『武器』は、アルティミスの目の前にある。

(……これで、万が一の時が来ても大丈夫。でも、お願いだから、出来れば、このまま、何も起こらずにすんでほしいの……今度『黒の水』を使っちゃったら、もしかしたら、アルティミスは……)

そこまで考えて、アルティミスは首を左右にぶんぶんと振って、考えを打ち消す。物事は常に最悪の場合を考えろ、とはいうが、悪い方向に考えすぎてもよくないと、ルーウェンから言われたのを思い出したのだ。

それは、アルティミスの心からの願いと、アルティミスが未だに持っている不安。

まだファンメイにも言っていない、アルティミスが抱えている『秘密』にして、言いたくてもとてもいえないもの。言ってしまえば全てが壊れてしまいそうなまでの危険要素。

―――ルーウェンもヘイズもリチャードも、ファンメイを気遣って、ファンメイにはこの事を話さなかったと言っていたが、正直なところ、ファンメイには言わなくても分かられてしまいそうな気がしていた。なぜなら―――。

(あ、ファンメイさんを待たせたらいけないの、は、早く、戻らなくちゃ……)

ここにきてようやくヘアバンドを取りにいく最中だったことを思い出したアルティミスは、一旦思考を中断し、先ほど壁にたてかけていた『黒の水』の蓋を取ろうとして立ち上がり、














――その刹那、何の前触れもなしに、I−ブレインが視神経の異常を訴え、すぐに異常が全身に広まり、視界が真っ暗にとざされた。














「っ!?」

1秒の間をおいて視神経が一時的に復帰し、ほんの2秒前に見ていた光景と全く同じ光景がアルティミスの瞳に認識されるのと同時に、右腕の反応と感覚が消え去り、体がぐらりと傾いだ。

同時に、唐突に頭がとっても重たくなった。あまりの重さに、首が折れそうな気すらした。

それでも、なんとか重さに負けないようにするために、渾身の力を振り絞って顔を右に向けると、真後ろの方で『ゴガンッ!!』という、まるで鋼に何かを打ちつけたかのような鈍くて大きな音が聞こえた。

(――えっ?な、何の音?)

何が起こったのか、そして、どうしてそんな大きな音がしたのが理解が出来なかった。それでも状況を把握しないわけにもいかず、右を向いたまま何とかして目線だけを後ろに向ける。

「………な…なに…これ」

アルティミスの喉から搾り出されるように出たのは、小さく震える声だった。

真紅色の瞳の目の前には、信じたくない光景が広まっていた。I−ブレインが視神経に『異常』を訴えている中であっても、なぜかその形状だけははっきりと確認できた。

アルティミスの綺麗な白い髪の毛の先端が巨大な金槌を生成していて、強化カーボンの壁にたたきつけられて亀裂を穿っていた。

もちろんアルティミスには、そんな命令なんてした覚えは無かった。

さらに、アルティミスにはその剣に見覚えがあった。そう、これは、嘗て、シティ・マサチューセッツ付近の『任務』で、野党達に放った一撃であり、さらには――――。

「…い、いや…。あ、あんなこと、思い出したくない……」

脳裏に『それ』がよぎった刹那、次の瞬間にはアルティミスは残った左手だけで頭を押さえていやいやと頭を左右に振る。真紅色の瞳に涙がたまり、今にも

―――そして、髪の毛より生成された金槌はあまりにも大きくてあまりにも重たかった。ついに重さに耐え切れなくなり、アルティミスは後ろに倒れこんだ。


















――まだ蓋を開けたままの『黒の水』めがけて――


















ばしゃん、と音がして、黒い水滴が飛び散った。

アルティミスは背中から箱に倒れこむ形になっていた。今朝着替えたばかりの服が水に浸された、冷たい感覚を背中越しに感じる。

数秒を待たずして、どくん、と、心臓が強く高鳴った。

頭が、喉が、体がとっても熱い。

なぜ?どうしてこんなときに?―――それらすら思う暇が無かった。

何もかもがあまりにも唐突過ぎたが、それでも、恐怖だけは心の中に強く感じていた。

「ふぁ…ファンメイさ……る…ルーウェ……ん…さん……」

親しい友達の名前と、自分にとって大切な人の名前を呼ぼうとして口を開くも、途切れ途切れで終わってしまう。

正常な思考を保つことが出来ない。さらに、意識はだんだんとぼんやりとしていき、かすれるように薄くなっていく。

それから1秒もたたずして、腕から、足から、背中から『なにか』がアルティミスの体内へと浸食してくるような、嫌な感覚が襲い掛かる。アルティミスの体の筈なのに、アルティミスの体じゃないような、そんな感覚が体中をめぐるましく駆け巡る。

なんとか動く右手を目の前に持ってくると―――右手には、ぬらりとした黒いコールタールのような液体が付着していた。それが『黒の水』だと気づくのに、2秒もかからなかった。

―――そう、黒の水には、いずれ本体を取り込み暴走するという致命的な欠陥があった。それは、今現在の科学を用いても決して消すことの出来ない欠陥だったため、『龍使い』は第三次世界大戦への投入は見送られた。故に『龍使い』は短命であると言われている。

―――そして、ここに、ルーウェン達以外では、ヘイズ、リチャード、アルティミスしか知らない事実があった。

ルーウェンがHunterPigeonに搭乗しているヘイズと、完全な形での協定を結んだ時に、通信越しに話した内容の一つには、非常に重要な内容があった。ルーウェン曰くこの件に関しては『本当に信頼できる人間にしか話さない』との事で、だからこそヘイズも、尚の事急いでシティ・ロンドンへと戻ってきたのだ。

因みにアルティミスがこの事を知っているのは、昨晩、アルティミスと再開したルーウェンが、アルティミスと別れてから何があったかを、全て話してくれたからだ。











……散々周知のとおり、アルティミスは『龍使い』である。そして『龍使い』であれば、ある危険に曝される事は想像に難くない。

――――それは即ち『暴走』の危険。

……過去に一度だけ、アルティミスの体内を構成する『黒の水』が、アルティミス本体を取り込んで暴走した事があった。その時は幸いにもアルティミスの意識が強く残っていたために『暴走』も短時間で収まった。死傷者こそ出なかったが、研究室の一部がぼろぼろになる事態を招いてしまった。

それ以後は、アルティミスは一切『黒の水』を使わなかった。ルーウェンらのほうでも『暴走』に対する特効薬を独学で研究し、アルティミスは定期的にそれを飲んでいた。そして数ヵ月後、検査により少しなら『黒の水』を使っても問題ないと判断された。だからこそルーウェンは、アルティミス用の『黒の水』を、シティ・ロンドンへと送り込んでいたのだ。

尚、アルティミスが暴走したのは、今から凡そ4ヶ月前だったが、それ以来、アルティミスは一度も『暴走』したことはなかった。

―――だからこそ、油断があったのかもしれない。そして今、それは最悪のタイミングで再発した。

普通のアルティミスなら『黒の水』を取り込んだところで、まだそれなりの制御は出来たはずだった。だが今は、アルティミスの体内にある『黒の水』が『暴走』を開始したタイミングというのが非常に拙かった。加えて、新たな『黒の水』の増援を得た『アルティミスの体内の黒の水』は、以前より強い力で、アルティミスの意識を取り込もうと襲い掛かってきた。

体がとても熱くなって、喉からこみ上げる嘔吐感がとても気持ち悪い。喉の奥から胃の中のものが出てくる様子は、今のところではあるが無かった事が、唯一の幸いかもしれなかった。

自分が自分でなくなるような感覚が、4ヶ月ぶりにアルティミスを襲った。

「い、い、いやああぁぁぁぁぁ―――――――っ!!」

悲痛な叫びが、アルティミスの喉から放たれる。

それと同時に、何かが、はじけた―――。












【 + + + + + + + + + + 】













「…アルティミスちゃん、遅いなぁ……」

部屋の中でぼーっと待っていたファンメイが、何度目かのため息を吐く。

アルティミスが部屋を飛び出してから、もう10分が経過しようとしていた。ヘアバンドを取りに行ったついでに手洗いに行ったとしても、10分かかるケースは珍しいんじゃないかと思う。

(……なにか、あったのかな?)

そう思うと同時に、ファンメイの心の中で『何か』が引っかかったような感覚が思い出される。それが『何か大切なことを忘れている』という感情だと即座に理解する。

アルティミスの正体が、シティ・マサチューセッツで作られた『龍使い』だということも、ルーウェンという人が、ヘイズを通してアルティミスをシティ・ロンドンへと送ってきた事も教えてもらった。

だが、それでも、何かが足りないと、ファンメイの人としての第六感がそう告げている。

何とかして思い出そうとして、ふと、数日前のとあるシーンが脳裏をよぎった。

(……そういえば、あの時、ヘイズとリチャードさんが……)













ファンメイがそれを思い出そうとした刹那、ガシャーンという大きな音がした。

反射的にそちらのほうへと振り返った刹那、黒色と白色の入り混じった『何か』が高速で過ぎ去っていくのを、ファンメイは確かにその目で見た。



















【 続 く 】



















―――コメント―――
















……以上『龍使い』の逃れられない宿命にふれた話でした。

……最後の方に出てきた『黒色と白色の入り混じった『何か』』は、最早説明の必要は無いと思います。

最も、彼女が『龍使い』であるなら、こうなる事は読者の皆様には想像できていたとは思いますので『暴走』の話は、殆どしない方向で進めてました基本、ほのぼのした話を書きたかった、というのもありますし。

シティ・北京がどうあがいても解決できなかった難題は、シティ・マサチューセッツの科学力でも解決できるとは限らない。

第三次世界大戦から10年以上の時をえても『龍使い』のバグの修正がままならなかったことを考えると、この難題はそう簡単には解決できないことだと思います。

正直『暴走』しないのは、別作品の彼くらいしかおりません。まぁ、あっちの彼はあんまりにも特殊すぎますが^^;








では、また次回に。