少女達は明日へと歩む
〜To the other side of the truth 〜














シティ・ロンドン近辺、いつもの場所にHunterPigeonを隠したヘイズは、何食わぬ顔でシティ・ロンドン内部の研究棟へと裏口から入る。正面玄関では人が多すぎるし、何よりヘイズはシティ・モスクワから賞金をかけられている。もはや、あまり表立っての行動は出来ない立場なのだ。

ヘイズにとっては勝手知ったるシティ・ロンドンの研究棟。入室など容易いし、万が一誰かに見つかっても咎められる事もない。まぁ、約一名、故あってヘイズの姿を見たら『なんで黙って出て行ったのー!』とか言って怒ってきそうな少女が居るが、それはそれ、これはこれだ。

(さってと、先生はどこにいるんだ?)

心の中にあるのは、僅かな焦り。きょろきょろと周囲を見渡しながら廊下を駆ける。

最も、ルーウェンが言うには、シティ・マサチューセッツの刺客がシティ・ロンドンにたどり着くにはしばらくかかるらしい。故に急ぐような事ではないが、それでも、来たるべき不安の為に、早めに対策を打っておきたい。

駆け足で廊下を進む事2分、ヘイズの目の前の扉が唐突に開く。

「うおっと!」

急ブレーキをかけて急停止。開ききった扉の1センチ前でヘイズの身体は静止する。

「……なんだ、ヘイズではないか。また唐突な帰り方だな。ファンメイに怒られるのがそんなに怖かったのか?」

扉の向こうから姿を現したのは、まさにヘイズの探していたリチャードの姿だった。加えて、リチャードの最初の台詞はそれだった。

「あー、先生、帰ってきたぞ」

かなりぶっきらぼうに言い捨てる。勝手知ったるシティ・ロンドンでなら、ヘイズも軽い気持ちでこんな事が言える。

「ヘイズ…お前、アメリカの方に向かったんじゃなかったのか?」

怪訝な顔でリチャードにそう聞かれた。

「…あー、そうなんだけどよ。ちいとまぁ、とある依頼のせいで、こっちに戻ってくる羽目になっちまった」

左手で頭をかきながら、めんどくさそうに呟くヘイズ。

「依頼?」

「ん?こっちに来てなかったか?オレからの贈り物」

「ああ、もちろん届いている。ファンメイにとっては最高の贈り物だったみたいでな。とっても大喜びしていたぞ。
 嬉しさのあまり、毎日あっちこっちに連れて歩いて行ってるから、その子…いや、お前さんの前で隠す事自体が無粋だから、名前で言わせてもらった方がいいか」

こほん、とリチャードは一呼吸置いた後に、言葉を続けた。

『アルティミス』は、毎日のようにファンメイに振り回されているが、それでも、文句一つ言わずに、笑顔でファンメイについていっている」

(あー、そうだよな、そうなるよな、やっぱ……)

口の端に苦笑を貼り付け、ヘイズは右手の人差し指で頬をかく仕草を取る。

褐色の肌の少女に、文字通りに腕を引っ張られて、慌てふためいて、何度も転びそうになって、おぼつかない足取りでやっとの思いでファンメイのペースに合わせようとする、白人の白髪(あるいは薄い銀髪)の少女の姿が、リチャードの台詞だけで一瞬で想像できた。

「……さて、本題に入ろうか」

リチャードの眼鏡が鋭く光ったように見えた。否、光ったのは寧ろ眼鏡の奥にある鋭い瞳かもしれない。

「ヘイズ、お前さんがここに居るって事は、アルティミスの件がこれだけで終わらないという事を言いに来たのだろう?答えろヘイズ。一体今、何が起こっている?」

鋭い口調で全てを言い当てられ、うぐ、と、一瞬だけだがヘイズは返答に詰まる。

全くもってすさまじいまでの洞察力と観察眼である。その洞察力と観察眼には、リチャードの人生経験も裏打ちされているのだろう。最も、ヘイズがリチャードに『勝つ』事が出来ないのは、初めてリチャードと会った時から認めていることなのだから、別段変わったことでも何でもないが。

「……やっぱし先生は鋭いな。その通りだ。話してぇ事があるから、オレはこのシティ・ロンドンに戻ってきたんだ」

「……お前にしては神妙な顔つきをしているな。という事は、由々しき事態だという事か。いいだろう。しかしここでは場所が悪い。あちらで話そう」

「ああ、オレも最初からそのつもりだった。こいつはちょっとお姫様…いや、二人のお姫様(ツインプリンセス)には聞かせられない話だからな」

















「ふ〜んふんふふふ、ふんふふんふんふん、ふ〜ふふん、ふふふんふふんふんふふ〜ん♪」

褐色の肌の少女が、鼻歌を歌いながら廊下を歩く。

昔、データベースをあさって見つけた、21世紀初頭の曲。確か『この子の七――』……思い出せない。途中からタイトルを忘れた。だけど、かなりかっこいい曲だったって事だけは覚えている。

今日の検査も無事終わり、やっとエドやアルティミスと遊べる。そう思うだけでとても嬉しい気持ちになるし、明日からもまた頑張ろうって気になれるのだ。

因みにアルティミスには『わたし、生まれつき体が弱いから、検査が必要なの』という旨の説明をしてある。つまり、ファンメイが『龍使い』であるという事は、いまだに黙っている上に、アルティミスを騙しとおしているという事にもなる。

(…でも、嘘なんだよね…ごめんね、アルティミスちゃん。でも今は、まだ、言えないの)

この事を話すには、やっぱり、まだ勇気がいる…ファンメイの心の中に存在する戸惑いの感情が、それを告げている。

いつ壊れてしまうか分からないこの体だけど、ファンメイはそれを受け入れた。いつか、何とか、ファンメイが普通の人間として生きられる可能性が見つかる事を信じて、そして、あの『島』で死んでいった3人の友達の為にも、今を頑張ろうって決めた。

―――でも、いつか、その時……つまり、ファンメイの体が、どんな手を尽くしても駄目な結果しか出なくなった時が来たら、どうなるだろうか。

全ての事実を受け入れたファンメイだが、それでも、死ぬのは怖い。

さらに、その時になって明かしたりなんてしたら、きっと、アルティミスは怒るだろう。どうして今まで黙っていたのかと、どうして一つの相談もしてくれなかったのかと、泣きながらファンメイを責めるかもしれない。

(………)

自分にひっしと抱きついて、わんわんと泣きはらす白人白髪の少女―――その光景を想像し、心が締め付けられるような感覚を覚える。

(……それと、やっぱり、これも聞かなくちゃいけないのかな……でも……)

ふと、ファンメイは、一つの疑問を思い出す。

それは、聞こうと思えばいつでも聞けた事なのだが、聞いてはいけない事だと、ファンメイの直感が告げていたから、敢えて今まで聞かないでおいていた事。いつ壊れるか分からないこの体であれば、尚の事、早い段階で解決する事が望ましいと思われる疑問。















―――アルティミスは一体、どういったカテゴリの魔法士なのか。













数週間前、アルティミスがこのシティ・ロンドンに来た時は、本当にびっくりした。

普通に誰かから紹介されるならまだしも、よりにもよって大きな鞄の中からの登場である。そして、アルティミスは、まるでいばらの眠り姫のような、かわいい寝顔ですぅすぅと寝ていた。

データベースを漁った時にふと見かけた、21世紀のとあるアニメに似たような話があった気がするけど、きっと偶然だと思っておいた。因みに、巻くためのネジなんてもちろんなかった。

ヘイズの手紙によれば、『この子は、アメリカ大陸で、地理的にはメキシコ…で良かったんだな。んで、山沿いにある小さな空洞で倒れていたのを、オレが偶然に発見したんだ。ハリーが生命反応を感知してくれたお陰でな。 ただ、なんでそんな所に居たのかを聞くような、野暮な事は出来なかったけどな』との事らしい。

よくよく考えれば、その時点で通常ではありえないと思う……というより、不自然な事ばかりだ。何より、どうして魔法士をわざわざ鞄で送るのかが一番の疑問である。正直、その時点でファンメイは、僅かながらの疑いを持っていた。

……最も、アルティミスが送られてきたシチュエーションが非常に特殊だった為に、ついそっちに没頭してしまって、その時は殆ど不思議に思わなかった。アルティミスの、御伽噺のような素敵な登場の方法のインパクトは、とてつもなく強かった。

ファンメイがいまだにどうしてもアルティミスに対して聞きだす事が出来なかったのは、アルティミスもまた、ファンメイの事について何も言及してこなかったからだ。

アルティミスが言及してこないのに、ファンメイだけが言及できるような不公平な事は、出来ることならしたくなかった。そして、今あるこの幸せを壊したくない。

毛布を被っていても嵐は過ぎ去らないと分かっているけれど、それでも、ファンメイは今のままでいたかった。子供の我侭なら我侭といってくれても構わない。

ファンメイは自分の体の真実を手に入れて、そして、雲の上の島と、3人の友達を失った。

エドやフィアや錬といった新しい友達にも会えたけど、それでも、やっぱり、3人の友達を失ったのは辛かった。

そして、脳が勝手に考えてしまう『嫌な可能性』―――このまま時が進んで、今度はまた、誰かを失うかもしれない。

(………)

考えれば考えるほど、ファンメイの心の中に闇が混じる。そして、当のファンメイの意思とは関係なく、心はどんどん暗い方向へと陥っていく。

「……やだ。そんなの考えたくなんてない」

ぽつり、と、その言葉が口から零れる。

気がつけば、ファンメイは廊下に立ち止まり、その顔を俯かせていた。

数秒ほどそのままで立ち尽くしていて、はたと気づいた。

(……こんな顔のまま、アルティミスちゃんの前に姿を見せたら、絶対に、おかしいって思うよね)

刹那、心の中に『これじゃいけない』という考えが浮かんだ。

その考えにより、ファンメイの意識が現実へと復帰する。暗かった心が明るさを取り戻し『やらなくちゃ』という気分にさせられた。

我に返ったファンメイは、ぶんぶんと首を左右に振って、顔を上げる。その顔は、先ほどに比べると、暗さが幾分か和らいでいた。

(どうなるか分からないことを考えても仕方ないもん。ちょっと、どこかで気持ちを落ち着かせてから、お部屋に戻ろう)

脳内でそう結論を出して、ファンメイは普段足を踏み入れない場所に向かって歩いていった。遠回りをして余計に歩けば、部屋に着くころにはいつものファンメイになれると、そう判断したからだ。

















「ふぇ〜、こうなってるんだ」

いつもと違う廊下を歩きながら、ファンメイはあちこちを見渡している。

此方の廊下には滅多に来る事が無いので、仮に前に来ていても、どうなっているかがよく思い出せないのだ。そもそも、目にしなければ忘れてしまうのは、人間として仕方の無い事なのだからしょうがない。

「人がいないからかな?わたしがいつも通ってるルートに比べると、凄く静かで、凄く寂しいところなの」

歩きながら、率直な感想をファンメイは告げる。静かな廊下に、ファンメイの声がかすかにこだまして響いた。

確かにその通りで、今、この廊下、及び扉の向こうからは、なんの物音も、何の声も聞こえない。まさに捨てられた廃墟という発言がぴったりの場所だ。

「でもおかしいの。どうしてこんなに人がいないのかな?」

呟きながらも、ファンメイは歩みを止めない。

それに、先ほどまでの陰鬱な気持ちが、段々と吹っ飛んできたのを、ファンメイはその身で確認していた。

(段々と明るく慣れてきたの。これなら、アルティミスちゃんのところに戻っても大丈夫かも)

アルティミスに余計な心配をかけないで済むと思うと、ファンメイの心は自然と安堵し、同時に、嬉しくもなる。

そのまま歩く事9秒、ファンメイは、今まで見当たらなかったものを見つけた。

「あれ?ダッシュボード?」

廊下の壁に、磁石を利用して貼り付けられていたダッシュボードを発見した。また、どうやらこのダッシュボードには、黒文字で何かが書かれているようだ。

「ちょっと見てみるの」

幸いにも、ダッシュボードはファンメイの背丈よりも僅かに低い位置にあったので、労せず見る事が出来た。

ダッシュボードを見て、ファンメイは、この廊下、及びこの一帯がやけに静かな理由を理解した。

(あ、なるほど、こういう事ね)

白いダッシュボードには、黒いマジックで『本日、訳あって休日』と書かれていた。休日があるという事は、この一帯は、マザーコアなどの重要な規格とは関係の無い場所なのだろう。

そのまま歩く事1分。曲がり角を見つける。

そして、曲がり角を曲がり終えると変化が生じた。一室だけ、電気のついた部屋が見つかったのだ。

「あ、ここだけ誰かいるみたい。休日出勤かな?研究の邪魔しちゃ悪いから、大人しく通り抜けよっと」

ファンメイは何食わぬ顔で、電気のついた部屋の前を通ろうとする。

「………なるほど、そいつは厄介だな」

いざ電気のついた部屋の前を通ろうとした刹那、聞きなれた声が聞こえた。

(……あれ、この声)

ファンメイにとって聞きなれた声だったが故に、聞き間違えるはずもなかった。

(リチャード先生、だよね。こんなところで何してるんだろう?)

ファンメイの心の中で、そんな小さな疑問が浮かんだ。

(……なんでこんなとこにリチャード先生がいるんだろ?ちょっと聞いてみよう)

息を殺して、ファンメイは扉に耳を当てた。なにやら前にも似たような事があった気がしないでもないが、気にしない。あの時とはきっと条件が違う。そう思う事にした。

「……ああ、だから、即急に手をうたねぇと拙いみたいだぜ。連中、思ったより早くこっちに着いちまうかもしれねぇからな」

(ヘイズ!なんでここにいるの!?)

リチャードの声とはまた違う声が聞こえた。それもまた、ファンメイにとっては聞きなれた声であったが為に、誰の声なのかは直ぐにわかった。

疑問でならなかった。

数が月前、一人でアメリカ大陸に飛び立ったはずのヘイズが、どうして戻ってきているのか、そして、戻ってきたなら戻ってきたで、どうしてファンメイに挨拶しに来ないのか。

疑問と怒りが心の中で混ざり合い、ファンメイに一つの決断をさせた。

(…いいもん、こうなったら、全部盗みぎきしてやるんだから!)

ぷぅ、と頬を丸く膨らませて、ちょっと怒った顔で、ファンメイは扉に耳をそばだて続けることにした。

「……しかしまた厄介だな。まさかそうなるとはおもわなんだ。まぁ、もともと只事で済むはずが無いと思っていたんだがな…」

「先生、それはオレの依頼だからって事か?」

「それ以外に何がある。お前さんの依頼は、何かしらにしろ何らかのトラブルの元では無いか」

「んな身もふたもない事言われても困るっての。オレだって好きでトラブルに巻き込まれてるわけじゃねぇ」

「ふ、まぁ、そうだろうな…お前はもともとそういう星の下に生まれてきてるんだ。今更過ぎたか―――さて、話を戻すか。それでヘイズ、お前さんはどうするんだ?」

「……当然だろ。奴等を追い返すんだよ。協力してくれる奴もいるしさ。そして、オレは好きでその星の下に生まれてきたわけじゃねぇ」

軽口を交えての、ヘイズの返答。

(奴等?協力してくれる奴?一体何の事?)

聞きなれない単語に、ファンメイの頭に疑問符が浮かんだ。

「それと先生、アルティミスの事なんだが……まさか、ファンメイのやつに全部話したわけじゃねぇよな」

(え?ここでアルティミスちゃんの話題?しかも全部ってなぁに!?き、聞かないと!!)

この段階で、ファンメイの心の中にちょっとした疑念と悪寒が生まれたが、敢えて気にしないことにした。何も明かされないうちからあれこれと嫌な想像をしても仕方が無いと分かっているからだ。世の中には取り越し苦労で終わる事だってある―――そう思うことした。

「当たり前だ…全く、全部など話せるわけが無いだろうに。
 ファンメイには手紙の重要な部分は上手い事見せずに済んだが、時が来れば、ファンメイもあの子に隠された事実を知らねばならない時が来てしまうだろう。
 だが、今はまだ、ファンメイにはそれを知らせない方がいいだろう。折角訪れた幸せなのだからな…」

(え!?ちょ、ちょっと!アルティミスちゃんに何があるの!?ねぇ!?)

胸の内に生まれた嫌な予感が、段々と大きくなっていくのを、ファンメイは認めざるを得なかった。

心臓がどきどきと高鳴る。まるで、あの時、ヘイズとリチャード先生の会話を聞いた時。つまり、ファンメイの身体はそう遠くないうちに人間としての形を保てなくなると聞いた時だ。

ファンメイは、まるであの場面が繰り返されているような錯覚に陥る。

しかしながら、ここまで話を聞いておいて、今更逃げるわけにもいかなかった。こうなったら、現実と向き合って、最後まで聞くべきだと判断して、ファンメイは胸の内に生まれた嫌な予感を敢えて無視して、てこでも動かない覚悟を決める。

「……ああ、そうだよな。ファンメイの前で言えるわけ無いよな」

次の瞬間に告げたヘイズの言葉は、決定的なものだった。


















「――――――アルティミスが、シティ・マサチューセッツで作られて、しかも失敗作と判断されて、殺されて別の誰かに作りかえされそうになった『龍使い』なんてよ。
 ……しかも、今んとこ、外面的には大丈夫みてぇだが、実際の状況はファンメイよりやべぇ。
 いつ『黒の水』が暴走して、人としての形を保てるかわかんねぇ状態で、今のところじゃ手のうちようがねぇって話なんだよ!!
 アルティミスは戦わないことで『黒の水』の暴走を抑えてきたが、もし今度、何らかの形でアルティミスが『黒の水』の力を使うことになっちまったら……どうなるか分かったもんじゃねぇ!!」















「―――――――――あ」

怒気を孕んだヘイズの声を聞き終えた刹那、かすかな声が口から漏れる。

かちゃん、と、ファンメイの頭の中で、何かが壊れた音がした。

心臓がばくばくと音をたてる。さっきまではなんとも無かったはずの喉が、急にからからになったような感覚がファンメイを襲う。

座り込んだまま、静かに後退した。

瞳の端から、涙が一滴零れて、頬を伝った。

一瞬で頭の中がぐちゃぐちゃになり、何を考えていいか分からなくなった。

「………う」

小さく呟いて、立ち上がったファンメイは、廊下で足音を立てないように静かに駆け出す。

暗い廊下を、何度も転びそうになりながら、駆けた。

ひどく、静かだった。

駆け出してから一分、いつもの廊下に繋がるルートの少し前で、ファンメイは足を滑らせて盛大にコケた。『龍使い』であるが故に痛みは感じない。痛覚という感覚は、脳に届く前に処理をなされ、痛覚として知覚されない為だ。

視界に映るもの全てが、事実を知ろうとしなかったファンメイを糾弾しているような、そんな感覚を感じた。

地面にうつぶせになるように倒れても、ファンメイの頭の中はいまだにぐちゃぐちゃで、何も考えられなかった。

それでも、なけなしの思考能力を振り絞って、ファンメイは考えた。

そうすると、自然と、この数日間、近くにいてくれた少女の笑顔が浮かんだ。それで、なんとか、ファンメイはまともな思考能力を取り戻す。

どうして現実から目を背けていたのか。

どうして何も知ろうとしなかったのか。

どうして、あの子の苦しみに気づこうとしなかったのか。気づいてあげられなかったのか。

知らなかった、では済まされない。

ヘイズの話が本当なら、アルティミスは『龍使い』で、しかも『暴走』して、『世界樹』事件の時のファンメイのように、全部ではないにしろ、人ならざる形になってしまう可能性を秘めているという事だ。

でも、アルティミスはそれらを全て隠して、ファンメイについてきてくれた。

そんな優しい子になにもしてあげられないのは、もう、絶対に嫌。

あの『島』での出来事のように、死んでゆく3人に対して何もしてあげられなかった無力な自分のままでいいのかと言われれば、答えは全力で『いいえ』だ。

だけど、今回は違う。今、こんな形とはいえ、ファンメイは『知る』事が出来た。アルティミスが手遅れになる前に、知る事が出来た。

今度こそ、今度こそ死なせない。自分と同じ境遇の子を、絶対に、絶対に死なせるわけにはいかない。

そう考えると、身体に、少しずつだけど力が戻っていく。

「……ぜんぶ、ぜんぶ、聞かなくちゃ。アルティミスちゃんに、聞かなくちゃ…わたし、知らなくちゃ……全部、知らなくちゃ」

途切れ途切れに紡いだ声は、とても小さかったが、意思までは失っていなかった。

(…こんなところで、倒れてる場合じゃないの!)

体がうつぶせになっている状態から、頭だけを上にあげて左右にぶんぶんとふり、次の瞬間には、凛とした表情で、ファンメイは両腕を使って廊下から立ち上がる。

そのまま、禄に体勢も整えないで、走り出した。

当然ながら何度もこけそうになったが、その度に、持ち前の根性でぎりぎりで体勢を立て直す。

気がつけば、ファンメイは、アルティミスが待っている、自分の部屋の前へとたどり着いていた。














検査が終わってから、40分も経っていた。

もしかしたら、こうしている間にもアルティミスが『暴走』しているのではないか、という危惧が一瞬だけ頭に浮かんだが、頭を振ってそれを打ち消す。

大丈夫、大丈夫と思いながらも、ファンメイはドアノブに手をかける。

「ただいま!」

心中とは裏腹に、ファンメイは敢えていつもどおりに扉を開ける。勿論、表情もいつもどおりの明るい笑顔でだ。最も、この場合は『作り笑顔』になってしまうが、この際それはもうどうでもいい。

ピンク色でコーディネイトされたファンメイの自室は、いつもと全く変わらない。

そして、アルティミスは、小さな白いテーブルの前で、大きな椅子に座って、ぼうっとして天井を見上げていた。

(よかった…)

心の中で、ファンメイは安堵の息を漏らす。

同時に、ファンメイが扉を開けた時の音と、ファンメイの声に気づいたアルティミスが、直ぐにファンメイの方へと振り返った。

「……あ、ファンメイさん、おかえりなさい」

そして、ファンメイの姿を一目見て、にこっ、と、純粋な笑顔をファンメイへと向けるアルティミス。

闇の欠片も無いその笑顔を見て、ファンメイの決断が緩みかけた。

だが、それではいけないと、心のどこかでファンメイは自分自身を叱咤する。

知るべきなのだ。アルティミスが、今まで何処でどうしてどんな経緯を経て此処に来たのかという事を。

すーはーすーはー、と深呼吸して、ファンメイはアルティミスの席の向かい側へと腰掛ける。

「ファンメイさん、今日はエドさんの…」

「…ごめんね、アルティミスちゃん。その前に、一つ聞きたいことがあるの」

「な、なに?ファンメイさんの顔、ちょっと……怖いの」

アルティミスの顔が僅かに怯えている。どうやら、顔に出ていたらしい。だけど、これはどうにもならなかった。

落ち着いたはずの心臓が、小さく、だがいつもより強く、とくんとくんとなっている。

もう引き返せないと分かっている以上、聞く事は一つだけ。ファンメイは勇気を振り絞って、それを口に出した。













「正直に答えてね―――アルティミスちゃん…『龍使い』なんでしょ?
 そして、いつ『黒の水』が暴走して、人としての形を保てるかわからない状態なんでしょ?」













はぅ、と、アルティミスが小さく声をあげた。

その瞳にみるみるうちに涙が溜まり、真紅色の瞳の端からつぅっと流れ落ちる。

ファンメイの心に罪悪感が芽生えたが、それでも、ファンメイはアルティミスから目を逸らさない。

これは向かい合わなくてはいけない問題。逃げてはいけないのだと、心の中でファンメイ自身に言い聞かせる。

「……どこで、知った…の?アルティミスが『龍使い』だって、いったいどこで知ったの?ねぇ?ファンメイ……さん……」

アルティミスの声は、ひどく弱々しかった。

「…それは、もうちょっと後で答えるの。だから、今は、わたしの質問に答えて。お願いだから」

心を鬼にして、ファンメイはそう告げる。

アルティミスは手元にあった白いタオルで涙を拭いながら、小さな声で答えた。

「……っく…それ、ぜんぶ、ほんとなの。
 ひっく…アルティミス…龍使い…なの…っ。それも…壊れかけ…ぅく……てるの……治り方……うっく……わかんないの………」

嗚咽交じりの声で、それでも、アルティミスは答えきった。

白いタオルで顔を隠しているからアルティミスの表情は見えない。それが、ファンメイにとっては幸いだった。泣いているアルティミスの顔なんて、ファンメイは見たくなかったからだ。

「……ありがと。それだけ聞ければもう十分なの。ごめんね…アルティミスちゃんにとっては凄く辛い事なのに、それを無理矢理言わせちゃうような事しちゃって…」

ファンメイとて泣きたい気持ちでいっぱいだったけど、ファンメイは泣かなかった。

まだアルティミスに聞くべき事があるし、なにより、これを聞くまで、泣くわけにはいかないと、そう決めていたからだ。

「でもね、あと、もう一個だけ、ほんとに、ほんっとうに、もう一個だけ聞かせてほしい事があるの…いいかな?」

アルティミスがある程度泣き止むまで待ってから、ファンメイはもう片方の質問を口にした。

タオルで涙を拭き終えたアルティミスは、タオルを顔から離し、泣きはらした顔で無言でこくん、と頷いた。

「……じゃあ聞くね………アルティミスちゃんは、わたしが『龍使い』だって知っていたの?」

アルティミスは少しの間黙っていたが、やがて、ゆっくりと口を開いた。

「……うん……知ってたの。ルーウェンさん……から……教えてもらったの。ファンメイさん…も…アルティミスと同じ……って。
 アルティミス……嬉しかったの……アルティミスと同じ人が…この世界に居るって知って……ほんとに……うれしかった」

時折つっかえながらの、途切れ途切れな言葉。

だけど、その言葉がアルティミスの本意から語られたという事は、それで十分に分かった。

まだ、出会ってから一ヶ月にも満たないけど、それでも、この子の言っている事が、嘘じゃないって、そう思えた。

「嬉しかったのは、わたしもだよ。これは、ほんとのほんと。だって、また一人、お友達が出来たから。
 ……ごめんね。無理に言わせるような形になっちゃって。でもね、気になっちゃったの…さっき、偶然だけど、ヘイズとリチャード先生の話を聞いちゃって…」

それからファンメイは、先ほど、いつも通らないはずの廊下を通った際に、何が聞こえたのかをアルティミスに話した。

「――じゃあ、それで、アルティミスの事が、分かったの……あ、じゃあ、ヘイズさん、帰って……きてたの?」

それを聞いても、アルティミスは特に変わった態度は取らなかった。ヘイズなら分かっていて当然なのだから、その辺りを理解しているのだろう。

「うん!とりあえず後で『何処行ってたの!』ってとっちめてやるけどね!」

「ええっと、この場合…ヘイズさんが…ええっと、じごうじとく…って言えばいいの?」

「…んー、ちょっと違うかもしれないけど、合ってるかもしれないし…ま、まぁ、とりあえずそれでいいと思うの」

アルティミスの発言に、思わず苦笑してしまうファンメイであった。












とりあえず、アルティミスが涙を拭いたタオルを室内の洗濯機にぽいっと投げ入れて、いざお外へ向かおうと準備を整えた。

「遅くなっちゃったけど、行こ、アルティミスちゃん!」

「…は、はい!」

二人の少女は笑顔で頷きあい、先頭に立っているファンメイがドアノブを握った刹那、コンコン、と音がした。

「…あれ?こんな時にお客さん?はーい、丁度今、ドアの前に居るから開けるよー」

どうせヘイズかリチャードだと思っていたファンメイは、欠片も疑う事無く扉を開けた。

そして数秒後、二人の少女は驚愕する事になる。












「―――失礼する。このような時間に、唐突な訪問をすることをご容認願いたい」













ドアの向こうには、一人の男性が立っていた。

しかし、ファンメイはその顔を知らない。黒髪長髪の青年の知り合いなんて、ファンメイにはいない。

だが、その後ろで声をあげたアルティミスが、答えを告げてくれた。










「………る、ルーウェンさん。どうして…ここに?」










「…え"?」

ファンメイの口から、そんな声が出た。

この状況、全くもってよく分からないけれど具体的に何処が間違っているのかなんて分からないけれど何かが色々と間違っている気がする。

いきなりの事態に頭の中が混乱に陥るファンメイを目の前に、青年は微動だにせず、ただ、挨拶をした。

「初にお目にかかるな。お嬢さん。
 我はルーウェン・ファインディスア。アルティミスの護り手の一人だ」

ルーウェンと名乗った青年は、優雅な仕草でうやうやしく礼をした。

「…ルーウェン、さん…」

小さな両手で口元を押さえたアルティミスの頬が、僅かに赤く染まっていたのを、ファンメイは見逃さなかった。

「おう、帰ってきたぞ」

「おや、思わぬ来客に、ファンメイも驚いているようだな」

その後、続くように、ヘイズとリチャードが姿を現した。






















【 続 く 】



















―――コメント―――
















そんな訳で、今回はアルティミスの正体が判明するお話でした。

今まで『龍使い』の逃れられない宿命の話が殆ど出てなかったので、結構唐突なのではないのかと思う方もいらっしゃるかもしれませんが……そこらへんは勘弁してください^^;





あ、作中に出ていた『21世紀のアニメ』は、ほぼ説明不要かもしれませんが…あれはずばり『ローゼンメイデン』です^^;

なお、あちらこちらからつっこまれているのは最早周知の事実です(笑)







ではでは。








画龍点せー異




HP↓

Moonlight Butterfly